「牧野哲学の総括」について
牧野紀之は私の師(先生)である。牧野は自らの師弟関係論で、?先生を選べ、?先生から徹底的に学べ、?先生を追いこせの三原則を示している。私はそれに同意し、私の先生として牧野を選んだ。30歳の時だ。それから40年、今の私があるのは牧野のおかげである。
牧野の考えやその言動には、同意できず対立したことは数多い。しかし牧野を先生に選んだこと自体を間違いだったと思ったことは一度もない。これは本当である。私にとって牧野はただ一人の先生である。
約3年前に牧野哲学に対する総括文を書いた。これは私もそのメンバーの一人として参加した牧野の思想運動「自然生活運動」に対して、私が今どう考えるのかを明らかにするものである。
それを提出するのがここまで遅くなったのは、牧野の思想が私にとっては大きく広く深かったからである。それは、ヘーゲルとマルクス・エンゲルス、レーニンなどが前提になっている。それらを検討し私の代案を出すのに時間がかかった。
しかしこの総括はどうしてもしなければならないことであった。私が思想を持って生きようとするならば、果たさなければならない最低限の責任であった。
この文章を書き上げる際に、私にとってもう一つ大きかったことは、牧野の批判をするならば、陰でこそこそするようなことはしてはならないという意識である。まっすぐに正面から牧野にそれを表明するようなものでなければならない。牧野が死んだ後に、それを出すような姑息なことをしてはならない。それは卑怯だからである。
そこで牧野宛の手紙の形式にした。これは実際に、牧野に2023年正月に手紙として送ったものである。牧野はすでに目が悪かったので、大きな大きな字体で印刷して送ったので、 かなり分厚いものになった。しかし牧野はそれでも読めないということだったので、全文を朗読し、その録音をしたカセットテープを牧野に送った。すると今度は聴き方がわからないと言う。その後、何とか聞いてもらえたようだ。その年の春に牧野からの電話で、聴いたと言う事実を伝えられ、牧野のコメントをもらった。拙文への牧野の答えは、牧野の『哲学の授業』という本で出しているというものだった。
私は牧野が私の総括文をとりあえず受け止め、彼からの返答をもらったことに一応満足し、これで1つの区切りとなったことを確認した。
私がこの総括文を書き上げた時に思ったのは、「間に合った」ということである。牧野の死に間に合ったという感慨であった。
牧野にこの総括文を送ってから3年が過ぎようとしている。これをすぐにこのブログに掲載しなかったのは、少し寝かせておきたかったからである。それがなぜ今、このタイミングで公表するのか。来年の2月か3月に拙著『ヘーゲル哲学を研究するとはどういうことか』が刊行される。これは牧野の『ヘーゲル研究入門』の増補版にあたる。それだけではなく、これは私の現時点でのヘーゲル哲学への総括文となる。
このヘーゲル哲学への総括は、私にとって牧野哲学への総括文と重なる。私にとって2つは切り離せず、常に2つで1つだからである。
私は、拙著の読者がヘーゲル哲学への総括と併せて、牧野哲学への総括をも読めるようにしたかった。逆もしかり。この牧野への総括文を読む人には、私の本をも読んでほしい。
そこで、このタイミングで、公表することを決めた。読者には、両者が響き合っていることをおわかりいただけるだろう。
「牧野哲学の総括」は明日から2回に分けて掲載する。
これは、牧野に送った文章のままであり、文章を変えてはいない。その後の3年で考えたことはあるので、それは最後に「追記」としてまとめた。
■ 目次 ■
牧野哲学の総括 中井 浩一
1 前置き 第二期鶏鳴学園の挫折と牧野さん自身による「第二期鶏鳴学園の反省」
2 牧野さんの総括「第二期鶏鳴学園の反省」の確認
3 「第二期鶏鳴学園の反省」の検討
(1)牧野さんの哲学の問題
(2)牧野さんの個人的な問題
(3)研鑽について
4 中井の代案 その1 師弟関係論
(1)師弟関係論「先生を選べ」の正しさ
(2)カンパは乞食、オルグはお節介
(3)生徒の側の二つの段階の区別
(4)先生の二種類
(5)個人崇拝の問題
5 中井の代案 その2 マルクスの思想の問題
6 これからの課題
追記