1月 31

「出久根育展 チェコからの風 静寂のあと、光のあさ」

よい絵に出会いました。
この人は、よい生き方をしていることが推察されます。

以下のホームページを眺めて、気に入ったら行ってみることを薦めます。

https://www.musashino.or.jp/museum/1002006/1003349/1005926.html

武蔵野市立吉祥寺美術館
〒180-0004
武蔵野市吉祥寺本町1丁目8番16号 FFビル7階
電話番号:0422-22-0385 ファクス番号:0422-22-0386

会期2024年1月20日(土曜)?3月3日(日曜)休館日1月31日(水曜)/2月21日(水曜)・28日(水曜)開館時間10時00分?19時30分入館料300円(中高生100円、小学生以下・65歳以上・障がい者の方は無料)主催武蔵野市立吉祥寺美術館

【出久根 育(でくね いく)】
出久根さんのプロフィール写真
東京都生まれ。1992年、武蔵野美術大学卒業。1994年、最初の絵本『おふろ』を発表。19 9 8 年、ボローニャ国際絵本原画展入選。同年、東京で開催されたドゥシャン・カーライ氏のワークショップに参加。2003年、グリム童話『あめふらし』(パロル舎 2001年/偕成社再刊行 2013年)でブラチスラバ世界絵本原画展グランプリ受賞。2006年、ロシア民話『マーシャと白い鳥』(再話:ミハイル・ブラートフ作 偕成社 2005年)が日本絵本賞大賞受賞。2011年、『もりのおとぶくろ』(作:わたりむつこ のら書店 2010年)が産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞。2005年にブラチスラバ世界絵本原画展で特別展示 。2022年、チェコ、プルゼニ州西ボヘミア大学ラジスラフ・ストナルデザイン・芸術学部シンポジウムにてイジー・トルンカ賞受賞。2002年よりプラハ在住。

12月 10

昨日、大倉集古館「生誕120年記念 篁牛人展 昭和水墨画壇の鬼才」を見てきました。

お薦めします。

ホームページには、以下の紹介がありました。
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孤独と酒を最良の友とした異色の水墨画家・篁牛人(1901?1984)。

特定の師につくことも美術団体に属すこともなく、芸術に至上の価値を置く自由奔放な生きざまを貫いた孤高の画家であった牛人は、「渇筆」という技法(渇いた筆などで麻紙に擦り込むように墨を定着させる)によって、独自の水墨画の世界を開拓しました。

大胆さと繊細さを併せ持つ渇筆は、細くたおやかな筆線と共存し、中間色層が極端に少ない白と黒の画面の中で、デフォルメされた特異な形態表現が不思議な緊張感をみなぎらせます。

本展では、牛人の画業を三章に分けて構成し、水墨画の大作を中心として、初期の図案制作に関連する作品なども含め、水墨画の鬼才・篁牛人の世界をあまさず紹介します。
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また、この展覧会を記念して、
「市川慎 箏コンサート」があり、尺八の小湊昭尚氏も助演。
現代曲がとてもよかった。
私にとっては、これはジャズのセッションでした。

10月 21

「式場?三郎:脳室反射鏡」

現在、練馬区立美術館で
「式場?三郎:脳室反射鏡」が開催されている。
私は先週見てきた。
面白いので、お薦めします。

式場は鑑賞の達人で、新たなもの、創造的なもの、そこにある精神の深さ(闇)をいち早く見抜く眼力があり、それを社会に広めていくプロデューサーとしての能力も持っていた。
マルチな才能であり、こういう人は日本では珍しいのではないか。

『二笑亭奇譚』という本(筑摩文庫で20年程前に再刊)は、「二笑亭」という奇妙な屋敷の意義を解説したもの。跋を柳宗悦が書いている。これもお薦めです。

詳しくは練馬区立美術館のHPを見てください。
https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202008231598163149
この美術館は、今年春にも「津田清楓」展を行っており、着眼点の良さを感じている。
こうした美術館は少ない。
もっとも、今回の展示は、新潟市立美術館が企画したもので、練馬はそれを巡回しているだけだが。

4月 04

生誕140年記念
津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和展
練馬区立美術館

津田青楓。私はこの画家を知らなかった。
「文豪夏目漱石に愛された」画家とのこと。
いい絵がたくさんあった。

彼の絵は、その作風を大きく2回変えている。
彼には、大きくは3つの時代があったようだ。

1つは「文豪夏目漱石に愛された」画家として、夏目やその仲間たちの本の装丁などを一手に引き受けていた時代。
彼は日本画と洋画の2つともに学んでいて、さらにはデザイン画を多数書いていた。そして、夏目と出会う。木曜会のメンバーとの交友があった。

その後、昭和初頭には、経済学者河上肇との関りがあり、社会主義に大きく傾倒した。
特高に虐殺された社会主義者をキリストになぞられたような『犠牲者』はすごい。
そして思想弾圧の下で「転向」宣言し、洋画を捨てる。

その後は、南画の世界に移行し、良寛和尚にも影響を受けた精神世界を描いている。

日本の明治から昭和を、その核心部分と関わりながら生きた人だと思う。
洋画と南画の2つの世界をもって生きたところは、萬鉄五郎を思い出させた。
「転向」後に、身を寄せる場所として、南画という世界があったことをどう考えるべきか。
この問いが残された。

関心のある人には、是非お薦めしたい展覧会である。
4月12日までだが、
コロナ対応で、土日は休館しているので注意。

6月 26

「長谷川利行展 七色の東京」府中市美術館

長谷川利行は、以前から気になる画家だった。
彼の絵を初めて見た時から、一つの独立した世界がそこにあり、それが心に残った。
他の誰とも違う絵だ。一目で彼とわかる。

ずっと気になってきた。
ただ、どこの美術館(近代美術館)でも、彼の絵は2,3枚しか展示されておらず、回顧展などもなかったので、
まとめてその全体を見ることはできなかった。
いわゆる「全貌」がわからなかった。
それがやっとかなって、観に行ってきた。

全体を観て、ここには確かな個性があると思った。
彼は時代や社会や人々の中で、それに寄り添い、それに染み入るようにして、その時代や社会を絵に表してきた。
その線、その色。彼の独自のそれを、ずっと感じていたい。
それは私の記憶にずっと残っていくだろうと思う。

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長谷川利行展 七色の東京

府中市美術館
〒183-0001 東京都府中市浅間町1丁目3番地(都立府中の森公園内) 電話:042-336-3371(代表)

HPから
 関東大震災から太平洋戦争の直前まで、昭和初期の東京を歩き回り、怒濤のように描きまくった画家がいました。近代化が進む荒川・隅田川沿い、千住のガスタンクやお化け煙突。隅田公園にできたばかりの屋外プール。あるいは浅草の神谷バー、カフェ、地下鉄の駅の賑わい。その街に暮らす、カフェの女給じょきゅうや浅草の芸人、質屋の子守といった無名の人々。復興進む大東京の光と影を、七色に輝く絵の具で描きとめました。

 長谷川利行(はせかわとしゆき、1891-1940)、通称リコウ。京都に生まれ、20代は短歌の道を志し、30歳を過ぎてから上京。ほとんど独学と思われる油絵が二科展にかてんや1930年協会展で認められます。しかし生活の面では、生来せいらいの放浪癖からか、浅草や山谷、新宿の簡易宿泊所を転々とするようになり、最後は三河島の路上で倒れ、板橋の東京市養育院で誰の看取りも無く49年の生涯を閉じます。

 利行の絵はその壮絶な生き様からは想像できないほど、明るい輝きに満ちて、時に幸福感さえ感じさせます。奔放に走る線、踊るような絵の具のかたまりが、行く先々の現場で描いた利行の目と手の動きをそのまま伝えます。本展では、近年の再発見作《カフェ・パウリスタ》《水泳場》、約40年ぶりの公開となる《夏の遊園地》、そして新発見の大作《白い背景の人物》など、代表作を含む約140点で利行の芸術の全貌を紹介します。

会期
2018年5月19日(土曜日)から7月8日(日曜日)まで