6月 30

前回の学習会の報告 田中由美子

コロナ禍でのオンライン開催も、この回で3回目となりました。
この日のご報告として、テキストについての感想を掲載します。

日時  : 2021年3月7日(日曜)14:00?16:30
テキスト: 青木 省三 著『ぼくらの中の発達障害』(ちくまプリマー新書)

テキストの著者、青木氏は、特に思春期・青年期を専門とする精神科医です。

近年「発達障害」という言葉をよく耳にするようになり、2012年の文科省の調査によれば、学校の教師たちが、小中学生の6.5%に「発達障害」の可能性を見ているとのことです。

しかし、そもそも「発達障害」とは何なのか、これが問題だと思います。
この「障害」は、医学においてもまだ半世紀ほどの歴史しかありません。
なぜ、私たちの社会に、今この「障害」に戸惑い、苦しむ人が増えているのでしょうか。

これらが、今回このテキストを取り上げた私の問題意識でした。
青木氏が述べていることは、「障害」を持つ子どもだけの問題ではなく、広く思春期の子どもたちの課題や、人間関係の悩みの本質であるように思えます。

以下、テキストについての私の感想です。
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「発達障害」の社会的な土壌

1.「発達障害」の概要

青木氏によれば、「発達障害」は、1943年にアメリカの精神科医から子どもの「情緒的接触の自閉的障害」の症例報告がなされたところから研究が始まった。
それまでは、精神発達の障害と言えば知的障害だけが知られていたが、その後「自閉症」や「アスペルガー症候群」といった、社会性や対人関係に困難があるような「障害」の研究が進む。
現在、その原因は、親の養育や性格などによる心因性ではなく、脳の軽微な障害など生物学的なものとされているが、その詳細はわかっていないとのことだ。

「自閉症」は、乳幼児期から問題が現れ、基本障害は言語/認知機能の障害であるという。
これが「発達障害」の中核的なものであり、その75%が知的障害を伴う。

それに対して、「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」と呼ばれるものは、思春期・青年期に自閉症の傾向が現れ、言葉の発達の遅れは伴わないが、学校や社会での対人関係に困難を抱えることが多い。(二つの名称の違いは曖昧なものであり、青木氏は「アスペルガー症候群」の方が「広汎性発達障害」より障害の傾向が強いと位置づけている。)

有病率は、前者の「自閉症」が1000人に2-3人、後者の「アスペルガー症候群」などが100人に1人という。

なお、この二種の区別が難しいケースもあるという。

また、本書で青木氏が主に論じている「発達障害」は、二種の内、後者の「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」である。

2.社会の変化による「発達障害」

青木氏の「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」についての基本的スタンスは、その要因として、個人の特性よりも、社会的、文化的なものの影響を大きく見ていることだと思う。
それが、本書をテキストにした第一の理由だった。
そうでなければ、この問題に戸惑い、苦しむ人の増加が、説明できない。

まず、経済的には、ここ半世紀で産業構造が大きく変化し、「真面目だが、無口で不愛想な人たち」が働きやすい農業や漁業、または職人などの仕事が激減したこと。

また、社会的、政治的には、共同体にわかりやすい規範のあった以前に比べて、共同体的な人の繋がりが崩れた今、社会の規範が複雑になり、社会でも学校でも「曖昧で流動的な空気を読むことが求められる」ようになったこと。

そして、そのことにより言葉の役割が重くなり、さらに、「言うべき「何か」を持っているかどうか」よりも「コミュニケーション能力」が過度に強調されていることなど、文化や教育の面での問題も挙げている。

そういう社会の変化の中で、「広汎性発達障害」の傾向を持つ人が破綻をきたしやすくなっているという見方だ。

彼は、「特に日本という国、日本文化の中で生きていくというのがより一層困難を与えているのではないか」と述べる。
また、「発達障害の傾向を持つ人が、改めて力を発揮できるようになることが、今の時代と社会に問われている課題の一つ」だと。

それは逆に、「発達障害」の増加が、今の私たち、日本社会の問題をあぶりだしているとも言えるだろう。

経済的には、たとえば農業など一次産業が衰退し、食糧の多くを、また農業肥料の原料のすべてを輸入に頼っているというような歪な産業構造は、すべての私たち、日本人にとっての大問題だ。

また、社会的、政治的には、「曖昧で流動的な空気を読むことが求められる」ような社会や学校であってはならないということではないか。
それぞれの組織の目的に合ったルールを、主体的、民主的につくっていけるような能力や制度が求められるのではないだろうか。
本質的な最低限のルールさえ守ってさえいれば、個人の自由は守られるという組織や学校でなければならないのだと思う。

私たちの社会の組織や学校がそうなっていないから、文化、教育面で「コミュニケーション能力」がいたずらに強調されているのではないか。
また、「コミュニケーション」の大流行は、対話を重視するという面で正しい方向ではあっても、自分たちの社会がどこを目指すのかという目的を、私たちが定められないでいること、つまり「言うべき「何か」」のナカミが無いことの裏返しでもあるだろう。

3.思春期なのに「よい子」

もう一つ大切な観点だと思ったのは、「広汎性発達障害」の傾向を持つ子どもが、思春期に友人や仲間を得にくい要因として、青木氏が、彼らが他の子どもたちよりも長い間「よい子」であり続けることを挙げている点だ。

一般には、「発達障害」を抱える人が他人の気持ちを読み取りにくいからだと説明されるようだが、青木氏は、思春期に大人から与えられた規範に反発したり、自分なりの規範を作り始める同世代に後れを取って、浮いてしまうのだと感じている。

これは、学校生活が息苦しいと感じている塾の生徒に私が常々見てきた傾向と、一致する。
学校規範では救われないから苦しいのに、思春期に入っても「よい子」から抜け出しにくい。

さらに、それは今の子どもたち一般的な傾向であるように思われる。
つまり、自立が難しく、自立に至る過程としての反発や疑問が弱い。
戦後、経済が急成長して私たちの社会や豊かになり、子どもは長い期間教育を受けられるようになった。
そのことはもちろんよいことだが、その分親子の一体化は強くなった。
子どもたちが、思春期以降も長い間親に養われながら、精神的な自立を果たさなければならないという矛盾や困難がある。

また、この自立の問題は、今の子どもたちに始まったのではなく、一般には私たち、親の世代からの課題ではないだろうか。
高度経済成長時代に育った私も、親からの自立はたやすくなかったし、今もまだやり残しがあるんじゃないかと感じている。
子どもたちは、ときに、彼ら自身の自立と、親の自立の問題を二重に背負っている。

つまり、思春期の「発達」が、社会全体として難しいのが今である。
自立や、あるいは思春期自体が難しいという社会の土壌があり、「発達障害」的な戸惑いや苦しみが増えているという面があるのではないだろうか。

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6月 28

アガサ・クリスティー著『春にして君を離れ』をテキストとして、学習会を行います。

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
今回のメルマガでは、8月1日(日曜)の学習会の案内と、今春3月の学習会の報告を掲載します。

8月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
親子関係や子どもたちを取り巻く様々な問題に関して話し合い、学び合う会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
学習会ブログ http://kateiron.skr.jp/

アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』をテキストとして、下記の通りオンライン学習会を行います。
クリスティーと言えば推理小説ですが、そうではない小説もあり、当初は別のペンネームで出版されました。
その中の一作です。
殺人事件は起こらないのですが、なかなかミステリアスです。

主婦のジョーンは、その才覚と気遣いでよい家庭を築いてきたと自負していましたが、自らの人間性や生き方の薄っぺらさに気付いていきます。
夫や子、その他の誰とも深く理解し合うことのない人生。
そうした生き方のぞっとするような孤独と、その本質を、小説の最後までをかけて描き切っています。
私は、この社会には女性差別がある一方で、家庭の多くは実質的には妻が牛耳っているのではないか、それは一体どういうことなのだろうということが心に引っかかってきましたが、ジョーンもそのタイプです。
私の親世代の家庭の多くがそのようですし、また、鶏鳴学園の生徒たちの作文にもお母さんはよく登場するのですが、お父さんの影がたいへん薄いです。
その現実を、80年も前にクリスティーがリアルに描いていたことも、おもしろいと思いました。

どうぞテキストを読んでご参加ください。
小説ですから、いつも以上にラフに話し合いましょう。

1. 日時  :8月1日(日曜)13:00?15:00(今回は、これまでより開催時刻が1時間早いので、その点ご留意ください)
2. 形態  :Zoomによるオンライン開催
3. テキスト:アガサ・クリスティー著『春にして君を離れ』(早川書房 クリスティー文庫81)
4. 参加費 :1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)

参加をご希望の方は、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
お待ちしています。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
鶏鳴学園 「家庭・子育て・自立」学習会事務局

8月 02

河合 隼雄 著『子どもと学校』をテキストとして、学習会を行います。

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
今回のメルマガでは、今月8月30日(日曜)の学習会の案内を掲載します。

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8月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
親子関係や子どもたちを取り巻く様々な問題に関して話し合い、学び合う会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
学習会ブログ http://kateiron.skr.jp/

河合 隼雄 著『子どもと学校』をテキストとして、学習会を行います。
新型コロナ感染症の先行きが不透明なため、初のオンラインでの開催です。

テキストは、河合 隼雄 著『子どもと学校』(岩波新書)です。

著者の河合 隼雄(1928?2007年)は、心理学者、および教育学博士であり、京都大学名誉教授や文化庁長官を務めました。
学者らしからぬ柔軟さで、鋭く本質を突く大物です。

子どもの生活や学習に「問題」があるとき、その「問題」をどうとらえ、どう対応するべきなのか、思春期とは何か、「父親」はどうあるべきなのかなど、大事な論点が盛りだくさんです。

学習会では、主に下記の箇所を読みます。
時間の許す範囲で読んでみてください。
ただし、学習会当日、大事な箇所は確認しながら進めますから、予習ができていなくても大丈夫です。

?章 「教育の価値を見直す」  p1?30
?章 4節「不登校の「処方箋」」 p132?154
?章 2節「性の理解と教育」  p200?230

※?章も本来大切な論点ですが、河合の「個性」が何を意味するのか、その考えが曖昧で不十分だと思います。
時間が許せば目を通してみてください。

1. 日時  :8月30日(日曜)14:00?17:00 
2. 形態  :Zoomによるオンライン開催
3. 参加費 :1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)
4. テキスト:河合 隼雄 著『子どもと学校』(岩波新書 212)

参加をご希望の方は、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
お待ちしています。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
鶏鳴学園 家庭論学習会事務局
学習会ブログ http://kateiron.skr.jp/

11月 21

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
それから3年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

来月12月15日(土曜)の学習会の案内をします。

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12月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
年に数回開催し、親子関係や、子どもを取り巻く様々な問題に関して話し合い、学び合う会です。

来月の学習会では、石牟礼道子著『新装版 苦海浄土 わが水俣病』を読みます。

四大公害病の一つ、水俣病に苦しむ人々の魂の声を、詩のように綴った文学です。
今回は、直接に家庭や子育てがテーマではありませんが、素晴らしい作品であり、また私たちの時代や生き方を問うものです。

私の親の世代が高度経済成長に邁進する中、一方で恐ろしい公害病が長年放置されました。
しかし、この作品はたんにその問題を告発するルポルタージュではありません。
病のためにしゃべれない患者や、病ゆえに地域で孤立した患者家族の思いを、石牟礼が代わって豊かに語ります。

石牟礼は、彼女が暮らす地域で起こったこの問題を綴ることをライフワークとしました。
また、患者を支えるために運動しました。
一人の女性の生き方としても惹かれます。

詳細は、下記※をご覧ください。

学習会では、一章から四章までを読みます。
一・二章の読みづらい箇所は読み飛ばし、本書の山である三・四章をぜひお読みください。
当日背景をお話しします。

            記

1.日時 :12月15日(土曜)14:00?16:00
2.場所 :鶏鳴学園
3.参加費:1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)
4.テキスト:石牟礼道子著『新装版 苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫 2004年?)
※ ページ数が揃うように、現在一般の書店で販売されている上記をお買い求めください。

参加をご希望の方は、「家庭・子育て・自立」学習会ブログ内の、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
鶏鳴学園 家庭論学習会事務局

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※ 詳細

○ 水俣病事件
水俣病は、1950年代から熊本県水俣市などで多発した公害病です。
プラスチックの原料を製造する化学メーカー、チッソの工場排水に含まれていた有機水銀に魚介が汚染され、それを食べた人間が中枢神経を侵されました。

また、胎児まで罹患しました。
当時の世界の医学の常識に反して、毒素が母親の胎盤を通過したのです。
何年経っても首もすわらない子どもや、亡くなる子どももありました。

ところが、工場排水はその後も十余年流され続け、被害が拡大したのです。

○ 『苦海浄土』
小さな漁村に多数の患者や死者が出ても、その対応は遅れに遅れ、水俣病問題は石牟礼道子が『苦海浄土』を書いたことによって、ようやく全国に知られました。

また、本書は、たんに加害企業のチッソを糾弾するものではありません。
患者や家族がどんな思いで生きてきたのか、その悲しみだけでなく、生きる尊厳や喜びも描きました。
彼らの思いがその抑圧から解き放たれるように、詩のように語られます。
チッソが当時の人々にとって高度経済成長を象徴する希望であった、その思いまでもが生き生きと表現されているのです。

なお、今学期、本書を鶏鳴学園、高1クラスのテキストとしました。
戦後の日本文学の最高傑作と言われる本書は、表現が優れているだけではなく、近代と何か、人間とは何かを深いレベルで問うものだからです。
また、国策企業であったチッソによる水俣病問題は、福島の原発事故問題と構造的に非常に似かよっています。

○ 石牟礼道子
『苦海浄土』の著者、石牟礼道子は、チッソの企業城下町であった水俣で、長年捨て置かれた患者や家族に当初から寄り添い、憑りつかれたように筆を執りました。

戦中戦後から様々な疑問を抱いていた彼女は、水俣病患者と出会ったとき、自らの使命を自覚したのでしょう。
患者さんたちに「つかまえられたとしか言いようがない」と語っています。

殊に女性がそういった仕事をすることに、幾多の軋轢がありながら、止めようとは思わなかったそうです。
女性としての一生活者の視点が、彼女の仕事を貫いていると感じます。

<石牟礼道子 略歴>

1927年(昭2)生誕
1940 (昭15)13歳 小学校卒業後、実務学校(現・水俣高校)入学
1943 (昭18)16歳 代用教員錬成所に入学し、二学期から小学校に勤務
1947 (昭22)20歳 退職。結婚。翌年、長男誕生。
1954 (昭29)27歳 詩人、谷川雁と出会う。漁村に水俣病が多発し始める
1960 (昭35)33歳 雑誌『サークル村』に『奇病』(「ゆき女きき書」初稿)掲載
1968 (昭43)41歳 「水俣病対策市民会議」結成に参画
1969 (昭44)42歳『苦海浄土』を出版。熊本地裁に提訴した患者などと共に行動し始める
1973 (昭48)46歳『苦海浄土・第三部』まで書き終える。その後も著作や運動を続ける
2000 (平12)73歳 パーキンソン病発症
2018 (平30)90歳 死去

3月 05

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
それから2年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

本日は、2017年12月の学習会の報告を掲載します。

重松 清著『エイジ』学習会(2017年12月3日)報告
                                  田中由美子

昨年10月の学習会に続いて、12月も「思春期」をテーマとしました。

10月に参加者の一人から、中学生の子どもに以前のように明るく活発であってほしいという思いを聞いて、
今回は、思春期に葛藤することこそ成長の証だと思えるようなテキストをと考え、小説、『エイジ』を選びました。
主人公の中学生、エイジのように、周りと対立し、また自分自身と葛藤するのが思春期であり、
その対立や葛藤こそが大切な成長の芽だと思います。

以下、私の感想と、参加者の方の感想を掲載します。

思春期の対立と葛藤が成長の芽

この学習会をスタートして三年目に入り、今回初めて小説をテキストにした。
「思春期」を外側から解説している本ではなく、思春期の子どもの側から何がどんなふうに見えるのかを描いた
『エイジ』を選んだ。
当時30代の小説家、重松清が中学生たちの気持ちを代弁しているのだが、リアルに描かれている。

エイジの同級生が「通り魔事件」を起こしたことによって、エイジたちの目に大人や世間の矛盾や悪がくっきりと見える。
事件をなかったことにしたいかのような教師たち、騒ぎ立てるマスコミなどに対してエイジは疑問だらけの中で、
彼自身の矛盾や悪にも目覚めていく。
友人が「シカト」されることに対して態度を決めかねたり、その気もないのに女子生徒と付き合い始めたり、
親にキレたりと、無様な自分に直面する。
よいことなど一つもないかのようだが、これがエイジの成長の過程だと思う。

他者に疑問を持ち、対立し、また自分自身に疑問を持ち、葛藤する。
外との分裂と、自分自身の中の分裂に足を踏み入れるのが思春期だ。
それ以前の、誰とでも仲良くできて、何にでも溌剌と取り組めるというような子どもには、もう戻れない。
むしろ、対立が必然の現実を自分で生きていく大人に向けて、一歩成長したのだ。
成長したから苦しんでもいる思春期の子どもに対して、以前の方がよかったと言うことは、成長するなと言っていることになる。

一旦いくらか自分が壊れることで、親から与えられてきた生活を、自分自身の人生として捉え直し、
つくり直し始められるかどうか。中高生はその転換点に立っている。
エイジのように一時期勉強が手につかなくなるというような「一時停止」があったり、
あるいは後退しているように見えることさえある。

ところが、疑問や否定、対立はよくないというのが現代のトレンドである。
ぐずぐず悩むよりも「プラス思考」が好まれる。
とにかく大学受験まではと、葛藤には向き合えずに走り続ける子どもも多いのか、近年大学の学生相談室は利用者
の増加が止まらず、どこもパンク状態のようだ。

子どもの思春期の対立や葛藤、「一時停止」の意味を十分に認めて、その苦しい過程を経て自立していけるように、
見守り、後押ししたい。
それは、私たち自身が対立や問題に向き合って生きることによってはじめて可能なのではないか。

◆ 参加者の感想より

中学生の母、Aさん

今回は小説がテキストということで、専業主婦をしていた母が子育てしながらよく参加していた「読書会」なるもの、
自分の仕事を持ってしまい生活とでいっぱいいっぱいの私には全く縁がなく、羨ましく思っていたので、
なんだか嬉しい気持ちで出席させていただきました。主人公のエイジが、娘と同じ中学2年生というのも、興味がありました。

エイジやそのクラスメイトたち、描かれるのは男子が多いですが、みな思春期真っ只中の中学2年生、
それぞれの人物の揺れる心がよく表されていたと思います。

前回の学習会で学んでから、思春期というのは、自分自身の中に、またそれだけでなくあらゆる物事や人間に
二面性を見つけ、悩んでしまうことではないかと考えるようになりました。そうすると不思議なことに、
反抗ばかりだと思っていた娘の言動にも納得がいくような気がしてきていました。

今回もそれは、内的二分化という言葉で先生に表していただき、どの登場人物も見事にそう揺れているのがよくわかりました。

エイジを追ってゆくと、なんだかよくわからないけれど理由がある、という思春期の言動がよくわかります。
大人たちはそれを、なんだかよくわからないもの、として片づけてしまいます。
しかし思い出してみれば自分もそうであったように、なんだかよくわからないけれど理由はあった、のです。
そこを、大人はよく理解し忘れないようにしないとならないのではないかと、この本を読んでいて感じました。

ではそのような思春期に、親はどう関わるか、という答えは書かれていません。
しかしそれも、登場人物を並べて出来事を追っていくうちに、すこし見えてくる気がしました。
思春期の中学生の内面を、理解しないのは学校の先生達。理解しようとするのは、中学生の世界の外にいる、
マスコミの大人。それに対して、毎日生活を共にする両親というのは、内面には直接関わらず、
距離を保ってしかしそれぞれのスタンスを貫いています。子どもを理解しようと内面に立ち入って、
揺れる中学生と一緒に揺れてしまったら、毎日の生活が立ち行かなくなってしまう。
親というのは、もしかしたらこれでよいのでしょうか。

いまの思春期という問題には、そんなことを考えさせられた一冊でした。
小説としては、それぞれの人物の心理がよく描かれているようで、最後まで興味深く読めました。

高校生の母、Bさん

重松清の作品はいくつか読んでいて、好きな作家だったが、エイジが課題図書となって一読してみて、
率直に言って、エイジは何とも捉えようがなく、他の重松作品に比べてつまらなく感じた。

でも、子どもに、この作品は中井先生の「日本語トレーニング」でも取り上げられている本だと聞いて、少し関心を持った。

そして、学習会の場で田中先生の解説を聞いているうちに、「あぁ、そういう趣旨だったのか」と気付くことがあり、
全く自分の感性が干からびてしまっていたことに気がつく有様だった。
50半ばにして堂々のおばさん(夫の言葉で言うとbaba)になっていた私から見て、中学生の感性はなんと繊細なこと!
解説付きじゃなきゃ、わかんない! 私も遠い昔には同じようなことを感じていたのかなー、と言うのが率直な感想だった。

それはともかく、その後に「日本語トレーニング」にも興味がでて読んでみた。
冒頭に出てくる「道徳教育でない論理トレーニングが、現実と戦う力になる」という箇所に、少し涙ぐんだ。
私の悩みは、何も特別なものではない世間にはありふれた悩みだが、なんとなく説得力を感じたのだった。
まだ全部は読めていないが、ちょっとずつでも読んでいこうと思った。