6月 13

短文をたくさん書いていく

 短文をたくさん発表しようとしている。これまでは長い論文や論考を発表することが多かったが、これからはもっと短い文章をたくさん発表していきたいと思っている。
 こうした形式は日本では随筆とかエッセイとか呼ばれるのだと思う。『徒然草』がその典型例であろう。しかし、私の短文はそれとは違い、思索の核を持ったものであろうとしている。
 そうした思索においては、体系化された文章と、体系化を拒否する文章に分けて考えられる、後者をアフォリズムということがある。そうした分類になると、私のはアフォリズムではない。今は短文として区切られているが、先に進めば、体系としてまとめられるはずだという予想を持って書いている。一つ一つが全体の契機となるものであることを強く意識して書いているし 、書いていく。

2022年6月6日

6月 12

イエスとキリスト

 「イエス」と「キリスト」を私ははっきりと区別しており、イエスを指す言葉としては、「イエス」を使用し、「キリスト」は使用しない。
 イエスというのはただの人名であり、キリストと呼ぶのはイエスを救世主であると認める立場からの呼び名であり、それは自らがキリスト教の信徒であることの表明になる。イエス・キリストとは、「キリストであるイエス」、「イエスはキリストである」という意味だからである。
 私はイエスを人間としては最もかっこいいやつだと思っているし、重要な局面になると、彼を思うことが多いが、あくまでもイエスを人間としてとらえており、イエスを救世主であるとか、神の子であるとか考えることはない。もちろんキリスト教徒ではない。したがって、イエスをキリストと呼ぶことはない。
 この2つの言葉を、立場の違いとして、明確に使い分けするべきだと私は考えている。

2022年6月6日

6月 09

ソメイヨシノが私は嫌いだ

 4月は桜のシーズンですね。入学式には、満開の桜がよく似合います。この時期には、日本全国の「桜前線」が連日報道され、各地が「花見」でにぎわいます。「桜吹雪」の舞い散る姿もなかなかです。
 ところで、その桜で、実際の種としては何を思い浮かべるでしょうか。それはほぼ100%ソメイヨシノでしょう。
 そのソメイヨシノですが、私は嫌いです。私にとって、桜とくれば、まずは山桜です。これはすがしく気持ちが良い。次に大島桜。緑の葉と白い花がとても似合う。これも好きです。この2種は、日本の原生種だとされています。
これに対して、ソメイヨシノは人工的に作ったものです。園芸種です。その特殊性は繁殖機能を持たないことです。すべてが挿し木によって、日本中に広がったわけです。つまりクローンなのです。
 ソメイヨシノには、花だけがあって葉がありません。花が散ったあとに、葉が出てきます。普通は、花と葉は仲良くともに出てきます。花だけの姿に、またそれが「満開」の姿に、私は何か尋常ではない怪しさを感じます。
 敏感な作家たちは、ソメイヨシノの怪しさに大きく反応しています。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と梶井基次郎は書きました。その感覚はとてもよくわかります。
 ちなみに本居宣長が桜を愛したことは有名ですが、その有名な和歌「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」の桜は、山桜でなくてはならないと思います。これがソメイヨシノであったらどうなってしまうでしょうか。
 桜は昔から日本人に愛されてきました。和歌の中で桜を歌ったものは数知れません。
「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづごころ)なく 花の散るらむ」(紀友則)。しかし、この桜はソメイヨシノではなかった。
 昔は日本の桜はソメイヨシノではなかったのです。太閤秀吉の花見とは、山桜であってソメイヨシノではなかった。それがどうして今のようになってしまったのでしょうか。それを『ウィキペディア』で調べてみました。

 現在の日本の桜の約8割はソメイヨシノだそうです。
 しかし、ソメイヨシノの歴史は新しいのです。幕末のころ、江戸の染井村(東京都豊島区駒込)の植木職人らが売り出した「吉野桜」が始まりだと言われています。
サクラの名所として名高い大和の吉野山にちなんで、「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったのですが、のちの調査で吉野山の桜の多くはもともと日本に自生していた「山桜」で吉野桜とは違うことがわかりました。そのため、染井村で売り出された吉野桜ということで、ソメイヨシノ(染井吉野)改名されたのです。1900年のことでした。
 ソメイヨシノは、日本原産のエドヒガンとオオシマザクラを交雑させた栽培品種で、接ぎ木で増やしていったクローンです。
 その起源がクローンのため全ての個体が同一に近い特徴を持ち、その数も非常に多いため「さくらの開花予想」(桜前線)には、主にソメイヨシノが使われます。
 しかし、どうして新しく作られたソメイヨシノが日本中の8割ほどを占めるまでに至ったのでしょうか。
 その秘密は、そのクローンであることとその内実にあるようです。
 クローンであるために、環境特性が同じ同地では同時に開花し満開になること、母種のエドヒガンの特徴を受け継いでいるため葉より先に花が咲き大量に花が付くことで開花が華やかであること、父種のオオシマザクラの特徴を受け継いでいるため成長が速く若木から花を咲かし、なかでも桜の中では圧倒的に成長が速く大木になりやすいことなどが特性です。
 つまり、ソメイヨシノはそれまで多く植えられていた山桜に比べて成長が早く、しかも花は大ぶりで密集して枝につきます。5年ほどで花見ができるほどの大きさになります。
 そのために、明治以降、花の名所を作ろうと各地に植えられたのです。明治以来徐々に広まっていったのですが、第二次世界大戦後の昭和の高度経済成長期に爆発的な勢いで各地に植樹され、日本で最も一般的な桜となったのだ、ということです。

 さて以上が事実で正しいと仮定した上で、私は次のようなことを考えました。
 ソメイヨシノは本来の生殖機能を失った花です。花本来の内実を失い、その華やかさ、幻想的な美しさを演出します。そこには質素さや素朴さや本来の自然そのもののあり方はありません。
 それは現実から切り離された、非常に観念的で抽象的な花です。しかし、その一方でそれは5年で大木になり見事なサクラを咲かせるという、大きな経済効率をも持つのです。ソメイヨシノは経済法則の上での勝者であり、極めて現実的な花なのです。
 日本は明治以降、日本の近代化を推し進め、西洋列国並みの軍事大国にのし上がりました。そうした外的で外に向かう運動の内部では、国内各地に名所をつくりたいという激しい欲求が生まれていたようです。それは内的な空虚さを埋める欲求だったのではないかと思います。
 さて日本の外的拡大も、太平洋戦争の敗北により終わり、日本は戦争という手段を放棄することになりました。しかし日本はめげることなく、敗戦後には目標を経済復興に向け、昭和の高度経済成長に邁進することになります。そして、その過程でソメイヨシノが全国の8割の桜を代表する地位へとのし上がったのです。このことは、極めて象徴的だと思います。
 日本が西洋に追いつき肩を並べるために、国力の拡充と軍事大国を目指した時、その外的な拡大の一方で日本各地に桜の名所を広げていったこと。
 同じく敗戦後に日本が経済成長に邁進する中で、各地の桜が桜の名所をさらにソメイヨシノで染め上げていったこと。この日本の姿はソメイヨシノそのものだったのだと思います。
 それは内容のない、本物ではない、見かけの美しさや壮麗さであり、その裏では経済原則と資本主義そのものの姿であったのではないでしょうか。
 ソメイヨシノは実ることのない花、視覚的なだけの幻想の花です。
 私は、ソメイヨシノが嫌いです。それにうかれる人々が嫌いです。

2022年6月5日

6月 08

伊佐義朗  花木と人間の社会と歴史

 草木が好きだ。植物園によく行く。植物園が主催するガイドツアーにもよく参加する。その場合には専門家の説明を聞きながら、一緒に椿や薔薇やさつきや紫陽花を見て回ることになる。
 ガイドツアーから学ぶことは多いのだが、不満もまたある。それは花や樹木の形態の説明に終始し、そこには人間にとっての園芸や鑑賞という観点しかないことだ。つまり、それが人間の社会や産業の中で果たしてきた役割の説明がないことである。こうした不満を感じるのは専門家からそうした観点からの花や樹木の説明を受けた経験があるからだ。私の20代の終わりごろのことだ。
 当時は、それを普通のこととして受け止めていたのだが、その後そうでない経験を重ねてくると、それが貴重で、私にとっての教育になっていたことがわかる。
 その指導者とは伊佐義朗である。この人がどういう人かは私も詳しいわけではない。彼の経歴でわかることしかわからない。
 彼は京都府立大学農学部の卒業。京都府立植物園在職18年。京大演習林上賀茂試験地主任在職22年。その間に京都大学農学部講師。後に京都芸術短期大学講師。
 京都府立植物園在職期間に、京都園芸倶楽部の設立にかかわる。ここで、園芸家や花木のファンを相手にガイドツアーを始めたのだろう。
 著書に『新しい庭木200選』『竹と庭』『観賞花木』『街路樹』『花木への招待』などがある。
 経歴の中に、植物園と園芸倶楽部、演習林があることと、その著書の内容が、伊佐とは何者かを解き明かすだろう。
 私は彼が京都芸術短期大学講師として、また園芸?楽部で彼が行っていたガイドツアーに5,6回参加した。いずれも彼の晩年だったのだろうと思う。
 彼にとっての花木の意味は庭木などの鑑賞用だけではない。日本の外来種は古代から数多く渡来してきたが、その多くは鑑賞用ではなく、薬用効果を目的としていた。そうした効用の観点、染色や生活用具などの工芸や産業、街路樹などの都市設計や景観づくり。そうした人間社会での役割の歴史を重視していた。
 そうした話を聞きながら、植物と人間との関りの深さに感動し、私の周りの世界が違う見え方をするようになった。花木とは何かという問題は、人間とは何か、社会とは何か、へと広がっていくのだ。
 私は彼との出会いに感謝しているし、その教えはその後の30年、静かに私の中で育ってきていることを感じている。

2022年5月31日

6月 07

花は生殖器である

 花は美しい、強い香りや甘い香りを放つものも多い。しかし、ではなぜそのように美しいのだろうか。また、なぜ強い香りで人を引き付けたりするのか。それを考えたことがおありだろうか。

 端的に言えば、花は生殖器であり、生殖活動のために存在しているからである。花が美しいのはその生殖活動のためなのである。虫や鳥に受粉してもらうために目を引き、その五感に訴えるのである。
 人々が愛でる花々は生殖器そのものであり、それを美しいなどと言っているのは少々滑稽なのである。花はただ、生殖器としての使命、生殖活動をひたすら行っており、自らの種の保持をそこで果たそうとしているだけなのである。無心にそれを行っている。
 ただ人間がそれを美しいとか、高貴だとか、可憐だとか、勝手なことを言っているのだ。それだけではない。人間が登場すると、本来の意味が失われ、大きく変質していく。
人間にとって美しいという観点から、観賞用の園芸種が沢山生まれていく。あざやかさ、華麗さ、清楚さ、色や形に趣向を凝らし、まさに百花繚乱である。しかし本来の生殖器としてのあり方からはかなり逸脱しても行く。
 その典型がソメイヨシノである。ソメイヨシノは本来の生殖機能を全く失ってしまった花である。

 「花は生殖器である」。それを知ると興ざめと思う人も多いだろうが、私は花を生殖器として意識してこそ、花の美しさを一層意味深く、観照できると思う。花は果実を生むことで、植物の生涯の「終わり」であり、また次の世代の「始まり」である。植物の一生は、花を咲かせ、果実を作ることで完成する。そこには美しさも儚さもあるが、自らの種を維持するために懸命に生きる強さがあり、そこにいじらしさも感じる。
 生殖器として花を意識して観賞するようになると、人には気づかれることなくひっそりと目立たないように咲く花々の姿が見えてくる。
 どんぐりになるような樹木郡は皆そうである。多数の地味で小さな花をざわざわと毛虫のようにつけていてまるで美しくない。強い香りを放つが、それは生臭く、まさに生殖のにおいである。そしてそのざわざわとした花々からたくさんのどんぐりが実っていく。

2022年5月31日