8月 09

「暴力的平和学習」への代案

私たちの表現指導の研究会は、毎夏全国大会を行っている。自力で行う力はないので、日本作文の会の全国大会に便乗し、その分科会として行っている。

今年は日本作文の会の全国大会【第59回 全国作文教育研究大会(2010年滋賀大会)】が8月5日(木)から7日(土)。その分科会6日、7日に、我々は以下のような報告と討議を行った。会場は近江兄弟社学園。

■発表1 夜間定時制に学ぶ生徒達の詩
―寄りそって十四年―              遠藤 芳男(埼玉)
 貧困や格差、いじめや不登校そして外国籍の子ら。夜間定時制には今日の教育が直面する諸課題がごった煮のように集中している。定時制教師にできる事、それは生徒の成長を願い、生徒一人一人に寄りそう事。「ほんとうの思い」を詩に書いてもらってきたどこにでもいた国語教師の報告。

■発表2 社会参加と書く行為                  草野十四朗(長崎)
 高校生が学校の枠を越えた社会参加に取り組み、社会につながる回路を持ったとき、彼らにとっての表現という行為はどのような意味を持つのか。
 本報告では、平和活動に取り組む高校生たちの文章や口頭表現を取り上げながら、彼らがその活動を通じて、現実認識・他者とのコミュニケーションの取り方・考え方などを、どう形成し、表現したかについて、考察したい。

■発表3 三年後、再びの学習旅行作文指導             宮尾美徳(東京)
 三年前におこなった学習旅行の作文指導に関しては、いろいろな方々から数々の指摘、助言を受けた。今年、再び同じ旅行を引率するに臨んで、それらを活かした作文指導を試みた。はたして三年前よりどれだけ前進したか、生徒作品を紹介し、再びご批判を仰ぎたい。
                                              
私は草野氏(長崎・活水高校)の報告の司会をした。長崎は平和学習の盛んなところだし、活水高校はその中核となっている学校である。しかし、氏は、従来の平和学習への「暴力的平和学習」との批判があることを述べ、それを真摯に受け止めて、その代案を模索している。「暴力的平和学習」とは、その解決策を示すことなく悲惨な事実ばかりを突きつけることで、子どもたちを追いつめ、かえって「戦争賛美」者を生みだしてしまうような学習を言うとの説明だった。

それへの代案の具体的内容とは、生徒の学校外での自主的な社会活動の奨励と、学内での新たな平和学習のカリキュラムの作成だった。高校生が、そうした活動を踏まえて書いた、「不戦の誓い」や志望理由書などが紹介され、その内容や表現、その背景の平和学習の意義について話し合った。

パターン化されたアピール文を打破したものが生まれていた。自分たちの実感にそくした言葉、主体的な取り組みから生まれた言葉が、力強さを感じさせた。

志望理由書は、イスラエルとパレスチナの高校生たちとの交流会で「核が必要だ」と主張され、「核廃絶」「戦争反対」の疑うことのない大前提を、初めて大きく揺さぶられる。また難民キャンプを訪れて、今緊急に必要なのは「平和」への活動ではなく、難民救済のための活動ではないか、と疑う。こうして自分の立ち位置を大きく揺さぶられ、そこから、彼女の新たな問いが生まれていく。

こうした文章を見ていると、ここに平和学習の前進が確かに感じられた。

「暴力的平和学習」とは、その解決策を示すことなく悲惨な事実ばかりを突きつけることで、子どもたちを追いつめ、かえって「戦争賛美」者を生みだしてしまうような学習を言うとの説明だった。

「暴力的平和学習」については、これをより一般的にとらえ返せば、教育一般に言えることではないかと、私は思った。つまり、生徒の主体性や内発性を無視し、教師の側の答えを押しつけるような教育である。その危険性は教育活動に常に、ついてまわる。私たちにできることは、そのことを自覚しながら、生徒の主体性を尊重するための具体的な手だてを作ることだ。自分自身の考えや信念は、それを隠すのではなく、積極的に自説、私見として、その根拠と共に、明示するべきだと思う。しかし、私見を「真理」として「正義」として押しつけてはならないと思う。
 
なお、草野氏は今、活水高校で新たな図書館の理念を実現する活動に取り組んでいる。その新構想の理念の一つで、具体的な設計を担当するのが平湯文夫氏だが、彼がその理念を実現した一つが会場になった近江兄弟社学園だった。それは偶然だが、この機会だから、草野氏とその様子を見学に行った。丁度、できあがった図書館の引っ越し作業中で、平湯文夫氏が立ち会われていて、お話を伺うことができた。
 

Leave a Reply