10月 19

この夏の終わりに「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」を、10月に「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」を観た。ともに心打たれた。前者は、今年一番の収穫だった。

◇◆ 「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」 ◆◇

「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」の最終日9月5日に出かけた。今年一番の収穫だった。

原始時代の人類の造形に迫るような、シンプルで力のあるフォルム。その静けさの中には、圧倒的な力が込められている。その力は真っ直ぐに私の精神を照射し、同時に、深く癒してくれる。そうした陶磁器を実現するには、高い技術力が必要なのだろうが、そうした技巧が見えない。

ハンス・コパーはまったく知らない陶芸家だった。ルーシー・リーの元で修業し、制作上のパートナーとなり、後に独立したらしい。彼を指導したルーシー・リーより、その造形性、精神性において、はるかに上だと思った。

詳しくは、以下のHPの紹介文を参照されたし。
以下の引用はすべて、http://panasonic-denko.co.jp/corp/news/1004/1004-3.htmより

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ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新
Hans Coper Retrospective – Innovation in 20th Century Ceramics
2010年6月26日(土)?9月5日(日)
パナソニック電工 汐留ミュージアム

■ 開催趣旨
 ハンス・コパー(1920-1981)は、20世紀のイギリス陶芸界で活躍した最も独創的な作家の一人として高い評価を受けています。その功績は、日本の民藝運動と交流しながら近代的な生活とのかかわりのなかで陶芸のあり方を考えたバーナード・リーチ(1887-1979)や、ウィーン工房のデザイン教育で培われたモダニズムの精神をもたらしたオーストリア出身のルーシー・リー(1902?1995)と並び、陶芸の近代化の歴史において高く評価されています。
ドイツのザクセン州ケムニッツに生まれたコパーは、そのユダヤの出自のために戦争の不条理に翻弄されながらも芸術の道を志し、1946年、ロンドンで、同じくヨーロッパ大陸からの亡命者であった陶芸家ルーシー・リーの工房にオートクチュール(高級仕立服)のボタン製造の助手の職を得たことから運命が急展開しその後の人生を陶芸に捧げることとなります。コパーの作品は、天性の感覚と知的で構築的な制作プロセスが創り出す、洗練された彫刻的なたたずまいを見せています。ろくろによって成形された形の表面に、注意深く施された複雑な質感が織り成す陰影も、コパー独自のものと言えましょう。「どうやって、の前になぜ」という語り継がれたコパーの言葉からは、妥協のない本質の探求により、陶芸において完全に新しい視覚言語を開拓した創作者の姿が浮かび上がります。
 本展はそうしたコパーの生涯と芸術を日本で初めて紹介する大規模な回顧展です。なかでも、1962年にヨークシャーのスウィントン・コミュニティー・カレッジに設置した空間作品の再現は、今回が初の試みとなります。さらにルーシー・リーとの共同制作で知られる初期のテーブルウエア、1960年前後の工業デザインと建築空間へのアプローチ、古代のキクラデス彫刻に刺激を受けた晩年の「キクラデス・フォーム」のシリーズなど、初期から最晩年に至る創作の全貌を展観します。ルーシー・リーの作品も約20点展示します。

■ 展覧会の構成 

ハンス・コパーは英国で4度、制作の拠点を移しておりその軌跡は大まかに作風の変遷と一致しています。
第1部=ルーシー・リーの工房アルビオン・ミューズで陶芸制作を開始。(1946-1958年)
第2部=戦後の芸術復興の機運のなか、ディグズウエル・アーツ・トラストの支援のもとで制作。建築家や工業デザイン界と協働しながら空間的な作品を制作した「建築時代」。(1959-1963年)
第3部=再びロンドンに戻って制作、多作で次々と新しいかたちが生み出された円熟期。(1963-1967年)。
第4部=フルームに農家を買い取りアトリエとして改装。ついの棲家となります。1975年頃より筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症しつつも、キクラデスシリーズを完成させます。(1967-1981)
第5部=ルーシー・リーの作品およそ20点

■ ハンス・コパーの芸術と生涯 理解のポイント

【 ルーシー・リーとの生涯にわたる交流 】
ギャラリーオーナーのウィリアム・オーリーの紹介で、ルーシー・リーの工房で働くようになったコパーは、リーの手ほどきを受けて陶芸の基礎を急速に習得し、次第にリーの工房で重要な役割を担うようになります。その頃、コパーが協力したリーのテーブルウエアはシンプルでモダンなテイストが好評で、『ハーパーズ・バザー』などにもしばしばとりあげられる人気商品となりました。1950年のバークレイ・ギャラリーでの合同展をきっかけに、コパーは自分の名前で作品発表を始めるようになり、その後は、1964年の東京国立近代美術館での「現代国際陶芸展」や1967年のボイマンス美術館(ロッテルダム)での合同展など、戦後イギリスの新しい陶芸界の担い手として、幾度となく共に展覧会に出品しています。またコパーは優れた教育者でもありましたが、キャンバーウエル・スクールやロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭をとるきっかけはリーの紹介でした。一見全く異なるように見える二人の作品ですが、深いところで影響を与え合っています。コパーはリーより18歳年若でしたが、二人は互いの作品の良き理解者であり、生涯にわたって固い友情で結ばれていました。本展では出会いの契機となったボタンも参考出品します。 

【 造形の特徴と制作手法 】
60年代以降のコパーの作品はろくろで挽いた複数の部分を合接してつくる技法を特徴としています。帽子のつば状の円盤が、丸壺や筒状の頂上に乗っているものは、ひも状の粘土をろくろ挽きの本体の上につけられています。コパーは、あらかじめスケッチによる入念な形のスタディを行い、同じ形ごとにシリーズで作りました。そして最上の作品を残して他は全て壊したといいます。こうして「ティッスルフォーム」(あざみ形)、「スペードフォーム」(シャベル形)などの特徴的なかたちのシリーズが生まれました。「キクラデス・フォーム」は晩年の闘病生活のなかで完成されたシリーズで、考え抜かれた究極のフォルムは、太鼓形のベースの上に極めて細い1点で、緊張感をはらみながら屹立しています。

【 コパーとモダニズム 】
コパーの作品は饒舌な装飾に頼らない、無彩色のシンプルな形態の構成美の追求であり、陶芸の伝統よりはむしろ同時代のモダンデザインや近代彫刻の抽象表現と呼応しています。実際、リーに協力した量産食器のデザインに始まり、1960年前後に手がけた企業の依頼による衛生陶器や音響レンガ、外装タイルといった工業デザインの仕事は、バウハウスに憧れたコパーらしく、芸術と一般大衆を橋渡しする近代的な芸術家像が浮かび上がります。さらに、ディグズウエル時代にはスウィントン・コミュニティ・スクールの壁面作品や、コベントリー大聖堂の祭壇に据える大型のロウソク立てといった「建築陶芸」を展開していますが、空間性や身体性を内包するこれらの作品は、鑑賞者の身体感覚に強く訴えかけ、陶芸を総合芸術の域に高めるコパーの理想がうかがわれます。
ハンス・コパー プロフィール

1920年ドイツ生まれ。1939年ナチスに追われイギリスに渡るが、翌年敵国の在留外国人として拘引されカナダに送還される。1941年イギリスに戻り、1943年まで兵役に就く。1946年よりすでに活動していたルーシー・リーのアルビオン・ミューズの工房にて作陶を開始する。1950年から4回にわたってロンドンのバークレー・ギャラリーでリーと共同展を開催。1954年ミラノ・トリエンナーレで金賞受賞。1958年イギリスに帰化し、ロンドン郊外に自身の工房を構え、個展や内外の国際展に出品するほか、1963-72年にロンドンのキャンバーウェル・アート・スクール、1966-75年にはロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭を執っている。1967年サマーセット州フルームに移り、1981年同地で没する。
「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」の最終日9月5日に出かけた。今年一番の収穫だった。
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以上の引用はすべて、http://panasonic-denko.co.jp/corp/news/1004/1004-3.htmより

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