10月 05

島田紳助が暴力団との交際が発覚して芸能界を引退した。
紳助の某番組での発言に怒った右翼団体から街宣活動をかけられ、それに困り果てて、知人を介して暴力団の幹部に解決を依頼したのが関係の始まりだという。

島田紳助と同じく、暴力団との交際が噂されているのがビートたけしだった。そのたけし本人が、その詳細を語った(「週間文春」2011年9月29日号)。

たけしも、街宣活動をしばしば受けたらしいが、その対応が違っていたようだ。そして、その違いが、伸助は引退し、たけしは今もトップの地位にいる結果になっている。

たけしはフライデー事件で逮捕され、懲役6カ月・執行猶予2年の判決を受けて謹慎し、半年後に復帰した。その際に、日本青年社に「復帰が早すぎる」と街宣をかけられた。たけしは、事務所が何もしてくれないから「自分で話をつける」と決め、住吉会の当時の会長の堀正夫のもとに行き、謝罪した。住吉会のトップに会ったのは、その幹部に日本青年社の結成者がいたからだ。堀に、その幹部と日本青年社の会長のところに行くように言われ、たけしは謝罪に行った。2人には、芸能界を辞めることを申し出たが、当時の事務所を辞めることで、話がついた。以降も、そうしたことが何回かあったようだ。

紳助とたけしのこの違いについて、「伸助は『芸』がなかった」とたけしは言う。しかしこれは「芸」のある、なしと言うよりも、生き方そのものの違いだろう。

そういえば、そもそものフライデー事件の際にも、たけしは講談社のフライデー編集部に乗り込んで、直接に話を付けようとした。

講談社では暴力を振るい、他方では暴力団の圧力に屈服しているように見える。いずれにしても、暴力への親密度がそこにはある。
紳助にもそうした面がある。吉本興業の女性マネージャーに暴力をふるって謹慎していたことがある。

しかし、そうした共通性の一方で、誰にも頼ることなく、自分一人で問題を解決しようとするたけしと、紳助のそれとは大きく異なる。

こうしたたけしのスタンスと覚悟が、彼がここまでやってこられた最大の力なのではないだろうか。

今回のことで、暴力団と芸能界との関係がいろいろに言われているが、今回の事件の核心は1つだと思う。自分の言論に対して、右翼団体などからの街宣活動を受けたときには、どうしたらよいのか。これは広く考えれば、言論の自由はどう守られるか、自分の言論をどう守るか、と定式化できる。つまり、憲法の保障する「言論の自由」の問題なのだ。

そうとらえれば、これは私たち一人一人の問題なのだということがわかる。自分の言論の後に、私たちはどれだけの覚悟を持っているだろうか。

なお、今回の事件の報道や言論で、私のような視点はほとんど出ていない。この状況はとても危険なのではないか。

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