10月 08

今西錦司の『生物の世界』から学ぶ (その5) 中井 浩一

■ 目次 ■

第3節 高度経済成長と今西の仲間たち
4.大衆社会の到来
5.時代の代弁者たち
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第3節 高度経済成長と今西の仲間たち

4.大衆社会の到来

 しかし、桑原や梅棹らを含めた今西たちのグループが、
大学や学会全体の中で主流になったわけではない。
ただ、高度経済成長下の大衆から圧倒的に支持された。
アカデミズムからは煙たがれたが、財界人や政治家たちからも強く支持された。
こうした現象をどう考えたらよいのだろうか。

それは大衆文化の勃興、大衆消費社会の到来を意味する。
高度経済成長下で小金持ちとなった「中流」社会の大衆は、
文化的にも高いレベルでの「面白い」読み物を求めるようになった。

すべてが商品として現れる時代、衣食住レベルだけではなく、
文化的生活のレベルまで、上級の知識や学問までが商品化される時代に
入ったのだ。

そこでは小難しい理屈を振り回し、「専門用語」でしか
語れない文化人は不要だ。市井の言葉で、総合的な視点でものを言える
研究者が求められるようになった。
他人の言葉ではなく、オリジナルな自前の言葉で語れる研究者が。

桑原や梅棹らは、その流れを確実に読んでいた。そしてその流れに乗って、
それを拡充しようとしたのが彼らだ。「文化」が商品になり、
それが売れる時代が来る。それが彼らに分かったのはなぜか。
それをわかる感覚が、彼ら京都の文化人にはあるからだろう。
彼らの先祖は町衆であり、武士階級出身の文化人とは違い、
時代を見抜く目と商才があるのだ。「商才」をバカにすることなく、
そこに文化的能力を正当に評価できるのだ。
それが彼らの学問を他と違うものにしている。

5.時代の代弁者たち

 なぜ彼らに対して、大衆や財界や政界の一部からの熱い支持があったのか。
それは彼らが時代の代弁者、伴走者だったからだ。彼らの学問には、
敗戦後の復興をささえた大衆への励まし、勇気づけがあったのだ。
自信を失った彼らに日本人の誇りを回復させ、もう一度復興に向けて
立ち上がる勇気や覚悟を促すような力があった。

 敗戦は明治維新後に匹敵する日本の危機だった。敗戦ですべての権威が崩壊し、
空虚さが覆い尽くした。アメリカ占領軍の近代化方針は、日本に外から
押しつけられたもので、国民の内発的で自発的なものではない。
明治の夏目漱石が直面した危機的精神状況がそこにあった。

その時、いくつかの光を放ったグループがあったが、その1つが今西たち
だったのだろう。彼らは、近代文明と伝統の両面をかかえもっていた。
彼らには、日本人の誇り、日本人の原点 京都文化の誇りがあった。
失われた濃密な師弟関係 友情関係と師弟関係があった。

そして彼らはまさに日本の高度経済成長を代弁したのではないか。
彼らの中で、高度経済成長そのものに言及した人はいない。
直接にそれに関わった人もいない。しかし、事実上、また結果的に、
日本の戦後の方針や高度経済成長を擁護し、支援してきた。

今西の「棲み分け理論」は、日本が敗戦後に軍備をアメリカに任せ、
ひたすら経済活動にまい進したことを擁護するだろう。
結果的にこの「棲み分け」が大成功だった。

梅棹忠夫の「文明の生態史観」はヨーロッパと日本の文明としての
同一性を強調し、日本の戦後の復興を当然のこととした。そして
自らその企画に参加した万博は、戦後、高度経済成長を成し遂げ
アメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つ
イベントとして開催された。

彼らは時代が求めるものを提供し、その見返りを得た。そう言えるだろう。
しかし彼らにできなかったことも、今日では明らかである。
彼らは時代の代弁者、伴走者であり、さらには時代をリードしたが、
時代を根底から批判し、それを越える観点を出すことはできなかった。
それは彼らの学問が、絶対的レベルでは低いものだったからではないか。

今西の理論的な不十分さは、彼らのグループ全体において言えることである。
共同討議や共同研究には明確な限界がある。そのレベルは討議のメンバー中の
最高者のレベルに規定され、それを超えることはできないということだ。

今西の「棲み分け理論」のように、日本は軍備をアメリカに任せ、
ひたすら経済活動にまい進した。しかしその成果が出た今、
そのつけが回ってきている。
中国や韓国との歴史認識問題の解決が見いだせない。

梅棹が関わった日本万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」だった。
しかし「進歩」は必ず対立・矛盾を激化する。それを解決するのは
「調和」ではない。梅棹は『世界の歴史』河出書房版の最終巻『人類の未来』も、
ついに完成させることができずに終わる。
これは根本的に、梅棹が「発展とは何か」に回答を出せなかったということだ。

こうした彼らの未解決に終わったすべては、今を生きる私たちの課題である。
私たちはそれを引き受けて、その先に行かなければならない。

                          2014年7月2日

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