1月 01

日本語の基本構造と助詞ハ  その3

二 デハナイ 松永奏吾
0. はじめに
1. デアル/デハナイ/デナイ/デハアル
2. XはYである
3. デハナイ
4. 形容詞や動詞の否定
5. デナイ
6. 否定と対比
7. おわりに

                                  

4. 形容詞や動詞の否定

(15) 山田は、美しくない。
(16) 山田は、朝食を食べない。
(17) 山田は、大学生ではない。

デハナイと、形容詞や動詞の一般的否定形とでは何が違うか。何をどう否定するのか。形容詞述語の否定文
(15)、動詞述語の否定文(16)はこれらの一文自体で一定の規定を為した文であると感じられるのに対して、
名詞述語の否定文(17)は、この一文だけでは規定不十分であり、大学生ではないとしたら何なのか、という
問いを喚起する文である。ここが本節の肝である。

形容詞の否定は「よくない」のように「連用形+ない」という形が一般的であり、動詞の否定は「動かない
(ず)」のように「未然形+ない(ず)」という形が一般的である。以下、形容詞の一般否定形のことをクナイ、
動詞の一般否定形のことをシナイと称する 。

4.1 クナイ

(18) 「きみ、そんな考えはよくない。危険だ。きわめて危険だよ」(砂の上の植物群)

(19) 「窓開けてもいいわよ。わたし寒くないわ。その方が気持いいでしょう、富士山が
見えて」(あすなろ物語)

(20) 「でも顔は赤くないわよ。まだ、大丈夫よ」
    智美の方は水割りでぐいぐいやって平然としている。(女社長)

一般に、形容詞は、質や量などの属性を表し、クナイはその属性を否定すると同時にその対立属性を意味する。
たとえば、(18)の「良くない」は、「良い」を否定すると同時に「良い」の対立属性を意味する。それは対義語
「悪い」で表される属性とほぼ同義と言える。厳密に言って、「良くない」は属性の否定であって、別段「悪い」
という対立属性を「言い表している」わけではない。しかし、「良い」という属性は、「悪い」との普遍的、
一般的対立関係の中にあるから、「良くない」は論理的に「良い」の対立「悪い」を意味する。つまり、「対立を
意味する」というのは、現実に対立関係にある、ということである。

なお、クナイが対立属性を意味するということと、クナイがその対義語と同義であるということは別の話である。
たとえば、(19)の「寒くない」は「暑い」と同義ではなく、むしろ「気温が適度である」ことと同義である。それは、
「寒い」の表す属性が、「常態」と対立するということである。すなわち、「良い/悪い」という対義語関係は、
自らが相手の否定であるという矛盾関係であるのに対して、「寒い/暑い」という対義語関係は、否定を媒介しない
単純な反対関係である。さらに、形容詞「赤い」の一般的な対義語はないと思われるが、(20)のように、「赤い」が
マイナスの価値を帯びて使われている場合、この「赤くない」は、(19)の「寒くない」同様、マイナスの価値との対
立属性、すなわち常態を意味する。

形容詞の表す属性は、対立関係の中に存在する。クナイはこの現実上の対立を直接的に反映した否定表現であり、
対立の片方の排除であるから、(15)はこの一文だけで一定の規定を果たす文である。それに対して、(17)の名詞述語
「大学生」の表す属性は、特殊な社会関係を意味し、他との一般的な対立関係を持たない。したがって、「大学生で
はない」とは、それ自体、論理上無限の差異を意味することになってしまい、この一文だけで規定不十分な文と感じ
られるのである。

 4.2 シナイ

 (21) 今にも降り出しそうな空を気にしいしい、信夫は吉川の家にむかって歩いていた。
風がにわかにぴたりとやんで、家々の庭の草木も動かない。(塩狩峠)

(22) じゃあ、僕、決めたいんだ。僕、明倫は行かない。北川へ行かしてよ(太郎物語)

(23) 女三の宮の方へは、もう、全く行かない。紫の上のそばにつききりであった。
(新源氏物語)

動詞は一般に運動を表す語であり、シナイは運動の否定を表すが、同時にその運動の未実現状態を意味する。
運動とは可能性の現実化するプロセスのことであり、可能性が可能性のままにあるのが未実現状態である。運動と
その未実現状態とは、現実性と可能性という意味で対立関係にあるため、シナイはそれ自体で一定の規定を果たす
述語となる。たとえば、(21)の「動かない」は静止状態を意味し、それは「動く」と反対の意味を表す「じっとして
いる」などと同義である。特に、「開く/閉じる」のような対義語をもつ動詞の場合、「閉じない」は「開いている」、
「開かない」は「閉じている」のように、一般的、普遍的対立を意味するが、言うまでもなく、シナイのすべてが
このような一般的で特定の対立を意味するわけではない 。たとえば、(22)の「(明倫へ)行かない」は「北川へ行く」
との対立を、(23)の「(女三の宮の方へ)行かない」は「紫の上のそばにつききりである」との対立を意味している。
この対立は個別具体的なものである。おそらくは、自動詞(一項動詞)は一般特定の対立を意味し、他動詞(多項動詞)
はそうとは限らないというおよその差があるように思われる。

また、(22)のシナイが「明倫へ行く」の否定であり、(23)のシナイが「女三の宮の方へ行く」の否定であるという
ように、動詞の否定は、動詞を超えてその補語にまで及ぶことがある。ここにもう一点、デハナイとの違いがある。
それは否定のしかたの違いである。

(24) 全部食べない 
この(24)の「ない」が動詞だけを否定しているとすれば、「全部」は「全く」と同意の「ない」に係る呼応副詞で
あるが、かたや、「ない」が「全部」までをも否定しているとすれば、この(24)は部分否定になる。すなわち、
次のような二通りの解釈が可能である。

 (24)´ 全く食べない
 (24)´´全部は食べない

シナイは、動詞と「ない」とが一体融合的であるが、副詞「全部」もまた動詞を直接規定する語であるため、
動詞と一体的である。故に、(24)の「ない」は動詞を透過して「全部」とまで一体になり、(24)´´の解釈も可能になる。
これは、シナイの「ない」のもつ否定範囲の曖昧さを示す事実である。

デハナイの場合、助詞ハによって、否定の対象が明瞭に捉えられている。ハが前後二項を明瞭に分離し、前項
「?で」を後項「ない」の対象とするからである。このデハナイの性質を生かした発展形として、「?のではない」、
「?わけではない」などがある。

(25) マホメッド二世は、若さにまかせてただやみくもに、父親さえ成しとげられなかっ
たという理由だけで、コンスタンティノープルを欲しがったのではない。
 (26)  僕は戦争を懼れていた。僕は理論としてこの戦争を絶対の悪だと言い切るだけの
内容を持っていたわけではない。それは寧ろ多分に個人的な感情だった。

この「?のではない」「?わけではない」という形のデハナイは数が多い。表(2)のデハナイ134例中の××例である。

「活用語+の/わけ+で+は+ない」という形式から分かるように、動詞や形容詞などに形式名詞「の」、「わけ」
を接続させることによって、事柄相当の認識を否定の対象(波線部)とすることが可能になっている。言わば、射程
の広い否定である。ただしよく見れば、 (25)(26)は名詞述語文「XはYではない」と同じ構造であり、Yにあたるもの
が「の/わけ」によって名詞化された句であることも分かる。この種のデハナイは、動詞や形容詞などで作られる句
を名詞化して否定する。それがシナイやクナイと異なるのは、対象化された認識の否定であるというところにあり、
否定の範囲が明瞭に対象化されることによって、(24)のような曖昧さをもつ文でなくなる。実際、(24)も、「全部食
べるわけではない」とすれば明瞭な否定文になる 。

5.デナイ

クナイ、シナイと同様、助詞ハを介在しないデナイという否定形もある。表(2)(3)の調査結果をふまえると、
論点は二つに絞られる。第一に、仮定条件節においては、デハナイが現れず、専らデナイが現れるという事実は何を
意味するか、第二に、非常に稀ながらもわずかに存在するデナイの終止法は、いかなる特殊な性質をもつのか、の二
点である。

まず、第一点について表(3)で再確認すると、デナイ全12例中、その順接仮定条件の用例は計7例もあって、
「?でなければ」(6例)、「?でなくては」(1例)である 。対して、デハナイ135例中に、「?ではなければ」
とか「?ではなくては」といった用例は1例もなかった。また、逆接仮定条件についても、デナイの「?でなくとも」
1例あるのみで、デハナイのそれは1例もなかった。付言すると、『新潮文庫の100冊』全体 で、「?ではなければ」
「?ではなくては」、また「?ではなくても(とも)」という形に限って調べた結果、1例も見出せなかった。
これはデハナイの一般汎用性に反する事実であるから、ここには何か特殊な事情があるはずである。

仮定条件とは、非現実を条件提示するものであり、一方、デハナイは、対象化された認識の否定である。
3.1、3.2節で、この「対象化された認識」の具体例をいくつか見たが、たとえば(13)では、下人が老婆の心中を推し
量り、それを対象化、すなわち表現して提示していた。この例のように、デハナイには、相手の心中など、仮想的に
しか捉えられないものを提示して否定する例がある。デハナイの本質は、対象化された認識の否定であるが、「対象
化された認識」には、仮想的な認識も含まれ、「?では」という形態が仮想提示の用をも果たすということである。
実際、「明日が雨では困る」のような「?では」という仮定条件形も存在する。つまり、「学生ではなければ」とい
う形は、デハナイの仮想提示と、バ節の仮定条件が重複することになって、避けられる、と考えられる。
ただし、「?ではない」には「?じゃない」という変種があり、この「?じゃない」は仮定条件節に入ることができる。

 (27) 「アリは、この間、ああいう負け方をしたけど、今度はまったく違う闘い方をする
と思うんだ。そうじゃなければ、アリはグレイテストでも何でもない、ただのボク
サーということになる。(一瞬の夏)

次に第二点について。まず表(3)のデナイ終止法3例は、表(2)のデハナイ終止法57例に対して極めて数の少ない存在
(デハナイ:95.1%、デナイ:4.9%)であった。この3例のみでデナイ終止法の特徴を明らかにすることはできないから、
デナイ終止法の実例をもっと広く見ることにする。『新潮文庫の100冊』全体に調査対象を広げた結果、デナイの主文
末終止用法計69例を集めた 。なお、同じ調査対象、方法による、デハナイの主文末終止用法の数は、計1883例であった。
すなわち、出現率を比較すれば、デナイ3.7%に対してデハナイ96.3%であるから、デナイ終止法が極めて稀な存在であ
ること、銘記されたい。この極めて稀なデナイ終止法の69例について分類したのが、下表である。

表(5) デナイ終止法69例の分類
ア形容動詞の否定形(「容易でない」など) 27
イ熟語的なもの(「尋常でない」など) 10
ウ名詞(句)+でない(「からすでない」など) 9
エ助詞+でない(「?だけでない」3例、「?のみでない」1例、「?ばかりでない」1例、「?からでない」1例) 6
オ助動詞の否定形(「?べきでない」2例、「?ようでない」1例) 3
カその他(「同じでない」2例、「おありでない」4例、「?ものでない」5例、「?話でない」1例、「そうでない」2例) 14
計 69

まず、最も用例数の多いアについてだが、ここでは、連体形で「?な」という形態をとることを「形容動詞」の基
準とした。「確かでない」のように「?かでない」という形をとったものが計12例、「効果的でない」のように
「?的でない」が計3例、その他は、「容易でない」、「充分でない」、「明瞭でない」など計12例、以上の27例である。

(28)  それにしても、いかに健全な経営だったとはいえ、銀行と無関係に今後の営業を
つづけてゆくのは容易でない。(人民は弱し官吏は強し)

(29)  方法はやはり万国共通で、一番多いのが隣の答案をこっそり盗み見るという手で
あるが、数学の試験では、ちょっと覗いたくらいでは前後の脈絡が掴めないから、
この方法は効果的でない。(若き数学者のアメリカ)

上例は、それぞれ「難しい」とか「ダメ」とでも言うべき対立属性を意味している。対立属性を意味するという点で、
これらのデナイは、形容詞の一般否定形クナイと本質的に同じ否定である。
ついで、イ「熟語的なもの」とは、「尋常でない」(3例)、「ただごとでない」(2例)、「一通りでない」(2例、
「お上手者でない」(2例)、「気が気でない」(1例)、以上の計10例である。

 (30) 急に、走りづらくなった。やたらに、足が重い。この足の重さは、尋常でない。
   (砂の女)

 あえて分析すれば、この(30)は程度の否定である。「尋常」は「普通程度」を意味し、「尋常でない」はその対立、
極度を意味する。ただ、「尋常である」という肯定形の用法が普通でない点が熟語的であり、肯定形がないとすれば
それは否認という意識が薄いとも言えて、この「尋常でない」という否定形で一語の形容動詞相当と見ることが可能、
むしろ、一語化することで独特のニュアンスを帯びているようにすら見える 。他の諸例も同様で、対立属性を意味
する点、クナイと同じ否定である。

 問題は、ウ「名詞句+でない」である。まず、全9例のうち、「閑人でない」、「大きなことでない」、「小さなこと
でない」の計3例は、特定の対立を意味するものであり、クナイと同類の否定であると見ることができる。さらに、
「アント でない」、「主人もちでない」、「一人でない」の3例も、それぞれ「シノニムである」、「浪人である」、
「複数いる」などといった特定の対立を意味する。そして残る3例とは、「からすでない」、「お金でない」、「笑顔
でない」、であり、特定の対立を意味しないものであるが、これらデナイの用例は、むしろデハナイの使われるべき
典型的文脈の中にある 。

(31) 「まあ、あの烏。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」(銀河鉄道の夜)

(32)  「だって、学校へはいるといったって、……」
「そりゃ、お金が要ります。しかし、問題は、お金でない。あなたの気持です」
(人間失格)

 上例いずれも直前の文脈に表された認識の否定であり、デハナイの使われるべき否定構造がそこにある。
そして、両例ともに、「Aでない」の後にその対立規定「Bである」が述べられている点に注目されたい。
この点が次節の論点となる。

 なお、表(5)のエ?カについて簡単に述べておく。エの5例中4例は「限定の副助詞+でない」であるが、
限定は排除と対立関係にあるため、「Aだけでない」と言えば、排除されたA以外の肯定になる。オの「(?スル)
べきでない」2例と、カの「おありでない」4例は、シナイと同類で、特定の対立を意味する例である。また、カの
「?ものでない」5例中3例についても、「あるものでない」のように、「動詞+ものでない」であるからシナイと同類、
カの「地理も歴史も要った話でない」1例もシナイと同類である。最後に、カの「同じでない」2例は、品詞認定は
ともかく、同一性の否定であるから差異性を意味しており、つまり、特定の対立を意味している。

 以上、デナイ終止法69例中、アの27例、イの10例、ウの6例、エの4例、オの2例、カの10例、少なくとも
計59例には、クナイやシナイとの共通点があると言い得る。すなわち、これらのデナイは対立関係を意味した否定である。

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