5月 09

感受性訓練

中井ゼミのメンバーに、感受性訓練にはまった人がいる。その人は、一時、感受性訓練に夢中になり、人への勧誘にも精を出したようだが、大きな疑問も感じて苦しんでいた。
 私自身も20代ではカール・ロジャースの開発した「エンカウンター・グループ」に何回か参加し、人間理解、自己や他者理解において、多くを学んだ。しかし、そうした方法の限界にもぶつかり、それを超えるために、ヘーゲルやマルクスを学んできた。

 感受性訓練の意義と限界について考えておく。
 その意義は、今の社会には自分の心を閉ざしている人間が多く、その対策になっているということである。しかもかなり有効な対策だと思う。
 多くの人が、今、他者に対する疑心暗鬼の中で生きている。傷つくのが怖いので、人に心を開くことができない。体を鎧で固めて生きているようなあり方である。
それは他者への対応だけではない。実は、自分自身の感情や情動にどう向き合うか、どう対応したら良いかがわからないでいるのだ。
 これは単に心の問題、心の在り方の問題だけではない。人との実際のコミュニケーションのあり方の問題になっている。それは家庭での子育てや夫婦、親子関係から始まり、広く社会的なコミュニケーション、さらに社会的な教育の場や、政治や経済の場での議論の中でも大きな問題になっている。
 感受性訓練は、こうした問題に対しての対策としてはかなり有効である。このレベルで苦しんでいる人が多数いるのだから、その人たちには救いであり、それによって他者に心を開き、自分の感情や情動と向き合えるようになるだけで、解決する問題も多数あるのだ。
 人は本当に生きようとするのなら、他者や自己の感情に心を開き、人と深く関わるような生き方を始めるしかない。たくさんの失敗も起こり、その都度傷つくだろうが、その中で貴重な出会いも経験できるはずだ。

 しかし感受性訓練は、こうしたレベルにおいての有効性しか持たないことも言っておかなければならない。現代社会の大きな枠組みの問題、経済の問題、その経済の上に存在する国家や社会制度、法律や憲法の問題それ自体については無効である。それらについては知識と認識と思考の能力が必要になってくる。
 社会とは何か、経済とは何か、国家とは何か、法律や正義とは何か、人権とは何か、そもそも人間とは何か、そして私とは何か、私はこの現実世界の中でどう生きたらよいのか。
 これらの答えは感受性訓練からは学ぶことはできない。

2022年4月30日

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