2月 06

映画を1つ紹介します。

ドキュメンタリー映画『眩暈 VERTIGO』
ジョナス・メカス×吉増剛造
井上春生監督作品
(117分)
国際映画祭29冠
現在、グランプリ・最優秀監督賞・最優秀撮影監督賞を含む29冠に輝いています。

私は1月31日に見てきました。
2時間ほど、寝ることなく最後までしっかり観ました。
考えること、思うことがある映画でした。

現在、東京の下北沢で上映しています。
シモキタ – エキマエ – シネマ『K2』
1週間で終わる予定なので、関心を持った人は行くとよいでしょう。

上映終了後、吉増剛造の「朗読会」などのイベントをやっています(ない日もある)。
私が行った日は吉増剛造×いとうせいこうの掛け合いがありました。

以下はすべて制作者のプレスリリースから
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はじめに
 今年、2022年は前衛映画のゴットファーザーと呼ばれるジョナス・メカス(1922.12.24-2019.1.23、96歳没、リトアニア出身)の生誕百年にあたる。世界ではメカスの回顧展が目白押しだ。2月にはニューヨークのリンカーン・センターで「Jonas Mekas Retrospective(ジョナス・メカス回顧展)」、ユダヤ博物館で「Jonas Mekas: The Camera Was Always Running(カメラはいつも動いていた)」、そして「Jonas Mekas100!」と銘打ち祖国リトアニアのみならず、ベルギー、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、イスラエル、イタリア、日本、ノルウェー、ポーランド、韓国、スウェーデン、ウクライナ、英国、米国など世界各地で記念イベントが開催されている。ジョナス・メカス生誕百年を祝し、映像詩人であるメカスの人生、芸術、そして映像の分野における遺産の幅広さと重要性が注目を浴びている。

あらすじ
 日本現代詩を代表する詩人・吉増剛造(1939.2.22生)が、メカスの一周忌に、その面影をマンハッタンとブルックリンに追いかける。この映画『眩暈 VERTIGO』は、前衛映画の巨人への追悼詩を、盟友でもあった日本の詩人が綴るドキュメンタリーである。

 ニューヨークロケは、コロナウイルスが襲いかかる直前の2020年1月に行われた。吉増は、第2次世界大戦後に祖国リトアニアを離れ、ニューヨークに移民したメカスが見た新天地アメリカの姿を辿っていく。マンハッタンの地下鉄、新ワールドトレードセンター、避暑地のコニーアイランド、ブルックリン。時には8ミリカメラを回し、メカスを偲ぶ詩のモチーフを丹念に拾っていく。吉増は詩の創作歴が70年近くに及ぶ。言葉の可能性を突き詰めたアヴァンギャルドな詩と、過激な朗読パフォーマンスは海外でもよく知られている。そんな吉増の創作の原点は日常にある。和紙、ノート、レシートや付箋紙の裏に米粒大の文字で詩を毎日連ねていく。

映画より
 吉増がブルックリンにあるメカスの事務所を訪ねると引っ越しの真っ最中だった。戦時中の詩の手習い帖、1945年のパスポート、写真。息子のセバスチャンが数々の遺品を吉増の前に並べる。メカスが寝ていたという部屋の片隅に佇んでいたとき、吉増は眩暈を起こし卒倒した。一周忌にあたる1月23日。早朝に目覚めた吉増は瞬く間に追悼詩を完成させる。「詩とはあらたまったときに書くのではなくて、日常の細かな出来事に反応して誕生するのね。日記性の秘密というのはそういうもの。」メカスが若い時に仕事を探しに往復したマンハッタンとブルックリンにかかる吊り橋がある。吉増はその橋を渡り事務所に向かう。待っていたセバスチャンにその詩を朗読し、二人の間に長い沈黙が訪れた。

ふたりのなれそめ
 メカスと吉増。二人の邂逅は1985年のニューヨークに遡る。アメリカ詩壇の巨人アレン・ギンズバーグが企画した日本の詩の祭典に吉増は招待される。そこにいたのがギンズバーグの親友、メカスだった。吉増が握手の手をさしのべたときに、メカスは少し揺れながら後ろに下がり、吉増はその佇まいに絶えず震えている心の根を感じたという。映画には、ふたりが交わした映像書簡など、過去の映像が盛り込まれていく。

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