8月 27

中井ゼミのゼミ生、高松慶君は大学生で、日本の雅楽に関心を持っている。
それもただの関心ではなく、実際に笛を習っている。
卒論をどうするかをそろそろ考えないといけないのだが、民俗学の視点から民謡を取り上げることを
私から提案している。民謡への関心が、雅楽への関心と共鳴し、それぞれを深めることになると良いと思う。
今回は、高松君が実際に民謡を取り上げて考えてみた文章を掲載する。
これは今年6月の文章ゼミに提出されたものだが、そこでの意見交換を踏まえて書き足したり、書き直された部分がある。

=====================================

◇◆ 民謡について 高松慶 ◆◇

民俗学者の香月さんが5月に鶏鳴学園で講演会を行った。そこで聞いた話に、気仙沼で自分たちで祭りを企画し、
地元で生きる人の人生譚等を交えながら民謡を歌い最後はスタンディング・オーベーションというのがあった。
私は韓国育ち千葉県の市川市育ちで、方言を知らない。韓国語は懐かしいと思うも、読み書きができるわけでもない。
だから民謡というと何となく遠い存在のように思ってしまう。
しかし、民謡を歌う、聴く事で自分の生活、特に労働を振り返ることができるというのは普遍的だと思う。
普遍的であり、切実だ。生活に根差しているからだろう。民謡には具体的に何がどう込められているのだろうか。
図書館に行くと民謡のコーナーがあり、「全国民謡全曲集」「正調○○節」というCDが、西欧音楽の10分の1にも
満たないほどに置かれていた。正調というのは、何をもって正しいと決めたのか。
民謡は生活の中で広がっていったもので、そのどれにも真実があると思う。どの地域の民謡が偽物とか、本物とか、
そういう議論はくだらない。まず聴いて、声の調子とか歌詞とかを少しでもつかめればよいのだろう。
というわけで、「全国民謡全曲集」というCDを借りて聴いた。東北だけ各県ごとにあり、あとは地方ごとであった。
バッハも同時に借りていたこともあり、今回は「秋田編」「九州・沖縄編」だけ借りた。
なんとなく東北と九州には興味がある。両方とも祖父母の出身地だ。山形は無かったので秋田を借りた。

ひえつき節(宮崎)
 宮崎県東臼杵(ひがしうすき)郡椎葉村の歌。稗を杵でついて脱穀する時の仕事歌。
椎葉村は平家の落ち武者が隠れ住んだと言われるらしく、この歌の3番は那須大八郎と鶴富姫との恋を短く歌っているらしい。
那須大八郎は鎌倉からの平家残党征伐の命を受けて椎葉を訪れたが、平家残党に戦意は見えない。
結局征伐は取りやめ、鶴富姫との間に子どもを成した後に帰還命令で鎌倉に還ったのだという。
ダム工事で村に入った工事関係者が全国に広め、1953年にレコードに吹き込まれるに至ったという。
私が借りたCDでは琴と尺八の伴奏がついているが、本来そうかは分からない。
借りたCDに入っている32曲の中で琴が使われる曲はこの曲だけで、あとは三味線がほとんど、沖縄のみ三絃。

 庭の山椒の木鳴る鈴かけてヨーホホイ
 鈴の鳴るときゃ出ておじゃれヨー

 鈴の鳴るときゃなんと言うて出ましょヨーホホイ
駒に水くりょと言うて出ましょうヨー

那須の大八鶴宮おいてヨーホホイ
椎葉立つときゃ目に涙ヨー

 最初は聞き取れなかったが、随分と悲しい歌だと思いながら聴いていた。
これが仕事で歌われているのかと疑問に思いネットで調べると、本当にそうらしい。
ダム工事の関係者が覚えているというのも、自分の事として感じられたからではないか。
 ただ、歌にしても伴奏の琴にしても、音としては「私はいままさに悲しんでいるのだぞ」というような自己主張がない。
よく通る音で、草津温泉の湯をかき混ぜている力強い情景を思い出す。
尺八は哀愁が強く感じられるが、竹製らしくやはり通りも良い。
 これが労働の中、そして後で歌われることに具体的にどのような意味があるのかはさておき、
私はなんとなく昭和の歌謡曲は民謡とよく似ていると思う。私が中学生のころから好きな歌がチューリップの
『心の旅』だった。上京に伴う失恋を嘆く歌だ。私は恋人と恋愛関係を終わらせたとき、私の心の中にはこの曲と
松田聖子の『風立ちぬ』がイメージとして強く存在した。自分から切り出した別れであるにも拘わらず、
別れたショックは激しかった。そして今でもこれらの歌を歌っていて、孤独の寂しさをこぼしつつ生活している。
 昭和と言うと何と言っても戦後の荒廃からの高度経済成長、バブル景気と、経済的な成長が挙げられるが、
その時から社会の最前線で働く人たち、そして学生たちに不安や空虚さがあったのだと思う。
経済成長、物質的な成長はそれを一時的に覆い隠せもするが、
歌を聴いている時だけはそれを隠すことはできなかったのではないか。歌を聴く事が外化であり、同時に内化だったのだと思う。
 それと同じことが、平成の私に、ひえつき節を聴いたときに起こっている。
特に三番の「椎葉立つときゃ目に涙」という歌詞は直接的で刺さる。
 故郷からの上京は自分の選択なのに、何故刺さるのか。
ゼミ生のAさんがそれまで関係していた人たちとの関わりが終わるに際し書いた「楽しかった時期は終わった」
という言葉が一番象徴的だが、相手と別れることは古い自分と別れることだからだ。
別れる時は、相手だけを思い浮かべるだけではなく、相手と自分との関係、直接的には思い出を思い浮かべる。
だからこそ、相手と別れる、相手を否定することは、古い自分を否定することだ。
自分の隣に何もないし、誰もいないという感覚がある。他者がいない以上自分もいない。最後は自分を殺すことになる。
 労働している最中に自分を殺すわけにはいかない。そこに再生があるはずだ。しかし、ひえつき節はどうしようもなく
絶望的で哀愁に満ちている。安易な希望に満ちた再生ではない気がする。むしろ集団が持っている絶望を一斉に外化し、
共有することで、労働の辛苦を乗り越えようとしているのではないか。テーマを持っていると思うが、実はかなり殺伐
とした闘争に向かって行っているように思える。そこにこそ可能性があるのか。それを民衆は知っていたのだろうか。

阿里屋(あさとや)ゆんた(沖縄)
沖縄はやはり本州とは随分違うなと思う。沖縄のニュースなどでシーサーや住宅を観る度に思ってきた。
シーサーは目がぎょろっとし、瞳まではっきりと形作られちょっと怖いが、狛犬は近所の神社の像を見る限り
そこまで目はリアルではない。
民謡ではどう違うか。音楽そのもので言えば、全体的に音域が高い。歌が中心で、三絃、三板、太鼓という楽器を
下敷きにしているが、そのどれも高い。高いだけでなく、なんとなく乾いた音がする。基本的に明るい。
乾いた音とはどういう音か。三線と三味線で比べれば、両方とも同じ形状をした三本の絃を持つ楽器だが、
三絃はその胴が蛇の皮で出来ているのに対し、三味線は専ら輸入された犬猫の皮を使う。やはり原材料になる
犬猫と蛇の生態の違い、冬眠の有無、つまり恒温動物か変温動物かなのだと思う。自然性ということになる。
三線販売店の売り文句に「北海道などの寒帯でも使えます!」というのがあった。もともと蛇は冬眠する生き物だから、
その皮が寒い環境下では使えるはずもないと思う。
ただ、その自然性は人間の社会性の土台にもなっていて、その地域の労働の在り方と密接に関わっている。
本州の人々が三線ではなく三味線を選んだ理由は、自然性に基づく材料の実用性と社会性とによるのだろう。
どう影響しているか、その結果として具体的にどのような社会性が三線の音に、沖縄民謡に現れているかは分からない。
「南国風だね」などと済ませるものでもなく、では南国風とはどういうことかを考えなくては始まらないと思う。
今は「こういう捉え方があるのか」くらいにしておく。
 明るく乾いた音なのだが、そこで歌われる言葉はどこか温かいと感じる。
歌詞は1番から4番まであり、それが3分30秒という短い時間の中で歌われる。何となく語りに近いかもしれない。
以下はその歌詞。括弧の箇所は毎回歌われる。

1.サー君は野中のいばらの花か
(サーユイユイ)
暮れて帰ればやれほに引き止める
(マタハーリヌチンダラカヌシャマヨ)

2.サー嬉し恥ずかし浮名をたてて
主は白百合やれほにままならぬ

3.サー田草取るなら十六夜月よ
2人で気兼ねもやれほに水入らず

4.サー染めて上げましょ紺地の小袖
掛けておくれよ情の襷

1と2が恋愛の頃の歌、3,4が結婚後の頃の歌という感じがする。
前半では茨とか浮名とか激しい言葉が使われているのが、3,4で日常を歌っている。
 3,4を聴いていると、結婚生活もテーマが無ければ成立しないのだなと思う。両方とも共同作業の歌だ。
4はおそらく前者が女性の、後者が男性の立場だと思われるが、それが明るく軽い音の中で取り交わされている。
私は「結婚生活」なんて言葉を聞くと甘々の新婚生活しか思い浮かべない。
父が母の尻に、母方の祖父が祖母の尻に敷かれていて、その関係がそのままずっと続くことに「情けないなあ」と思ってしまい、
夢見がちになる。それで「あー結婚したい」などと考えてしまい、シンデレラに憧れる5歳の女児並みのレベルの低い妄想が始まる。
そこには3、4のような労働の辛苦が無い。
 勿論、この歌全体が明るい調子なので、あまり3,4には辛さを感じない。
しかし、それは歌う人たちが労働の苦しさを、歌う事を通して喜びに変えるためなのだと思う。
民謡は原罪を止揚するものではないか。歌うことで自分の労働を自己相対化し、自分の主体性を客観的な立場から捉え直し、
主体性を再生するのだと思う。
 中井さんから、文章ゼミの際に「ここは安易だ」との指摘を受けた。労働=辛苦という決めつけがあり、
喜びと結びつかない労働なんて本当に労働といえるのだろうかと言われた。私は父が夜遅くに帰ってきて、
「疲れた疲れた」とひとりごちるのをよく聞く。「職場でこんなことがあってさ」とオープンに、
楽しそうに話す父の姿は見たことがない。その父の姿が私にとっての今の労働なのだと思う。
 しかし改めて考えてみれば、苦しさを外化させるだけにとどまる歌が残り続けるとは思えない。
苦しいこともあったが、それを一緒に乗り越えてきた周囲の人々、自分との関係を思い出しながら歌っているのではないか。
田草を取るというのは稲か雑草かは微妙だが、どちらも腰を屈めて、草を引き抜いてという大変な仕事だ。
それを夫婦2人でやることに意味があるのではないか。宮本常一の『女の民俗誌』にも、農家だけでなく、
船上生活をする漁師の夫婦が出て居た。そうして生活を長い間ともにしてきた人が、
「気の合わない人同士で一緒にいたってつまらんでしょう」とはっきり言えるのは、
関係しあうことの中に喜びを見出せる証拠ではないか。
 この歌を毎度しめくくる「マタハリヌ…」は沖縄方言で、「また逢おう、美しい人よ」という意味らしい。
意味は知らなかったが、この箇所が大好きだった。これが結婚生活を歌う3,4番で歌われるというのも重要だと思う。
常にテーマへと回帰していっているのではないか。大げさかもしれないが。
ウィキペディアによれば、この歌は沖縄県八重山諸島の竹豊島に伝わる古謡を改作したもの。
『新安里屋ゆんた』とも。「ゆんた」というのは田植え歌、つまり労働歌の一種だ。
楽器は古謡では使わないらしいが、私が借りたCDでは三絃、三板、太鼓という楽器を用いている。
普久原恒男監修、星克作詞、宮良長包編曲のもと、伊波みどり、伊波智恵子が歌う。
伊波みどりらはネットで調べてもCDの情報が出てこないが、沖縄県の教育委員会で講師を勤めるなどしているらしい。
平成21年から23年までの報告書に記載がある。
普久原恒勇は「芭蕉布」「十九の春」「丘の一本松」などの人気曲の作曲家らしく、
ビクター曰く「普久原恒勇ほど大衆に愛され大事にされている作曲家は他にいないであろう」。
星は1905年生まれの教育者、政治家で、戦前は教育者だった。1922年に石垣島で白保尋常高等小学校の代用教員。
この時安里屋ゆんたを改作し「新安里屋ユンタ」を作詞。宮良も1883年生まれの作曲者、教育者。
1883年に八重山島高等小学校、1921年から沖縄県師範高等学校の教師を勤めながら、「新安里屋ユンタ」の編曲、
童謡の作曲をし、「沖縄音楽界の父」と呼ばれる。いずれも沖縄県出身。
沖縄県で教鞭をとった人がそのまま作曲家というのは面白い。『忘れられた日本人』や香月さんの話でも感じたが、
教員が自分の住む町、暮らす町の郷土史を理解することは、その町からみてかなり重要なことであるように思う。
子どもに自分たちの生い立ちを考えさせる土壌を与えるだけではない特別な何かがあると感じる。
古謡では使われなかった三絃が使われているのは、起源を改悪することではなく、
古謡という生成史を現在の自分の立場から捉え、そして展開していくことではないか。
「古謡はダメだから、新しく現代流に作り直してやろう」というようなつまらない自我を感じない。

8月 26

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文(卒論)「三性説の研究」についての
中井による評価「問題意識を貫いた卒論」を掲載します。
この卒論のどこがどう模範的と考えるかを説明しています。

「問題意識を貫いた卒論」では【1】【2】【3】などの記号が使用されていますが、
それは論拠となる卒論の個所を示すために、卒論の該当箇所につけた記号を指します。
その個所を参照してください。

■ 目次 ■
問題意識を貫いた卒論 中井浩一

=====================================

◇◆ 問題意識を貫いた卒論 中井浩一 ◆◇

塚田さんの卒論は、大学生の卒論としては上の部である。
それには2つの理由がある。

1つは、塚田さんが自分自身の経験から生まれた問題意識をもって、卒論の最初から最後までを貫くことを
目標にし、一応それができたからである。
塚田さんは、自身の経験から生まれた問題意識を深めるため、自分の経験を媒介として、テキストを読む
という姿勢を、徹底的に貫いている。これは立派なことだと思う。
そのことは、序論の「1 論文の目的」で宣言し、「2 筆者自身の問題意識」で具体的に述べている。
本論でも、ポイントでは自分の経験で考えることを徹底した。【4】【5】(「二 アーラヤ識説」の
「2『摂大乗論』におけるアーラヤ識説の検討」から)、【8】(「三 三性説」の「2『摂大乗論』における
三性説の検討」から)でそれを確認しできる。
また、その立場から、アサンガがそうしていないことへの批判もきちんとしている(【2】「一『摂大乗論』の構成」
のラスト)。これは重要な批判だと思う。アサンガは自分自身と自分の教団内部の問題を具体的には一切語らない。

もう1つは、この重厚で難解なテキストに対して逃げることなく、自分の立場から一応とらえ返したことだ。
これはすごいことだ。
普通は、序論だけは自分の問題意識を貫いて面白く書くことはできても、本論では巨大な対象に押しつぶされて、
つまらなくなりやすい。それがそうならず、最後まで一応は自分の問題意識で考えている。
特に、「三 三性説」の「2『摂大乗論』における三性説の検討」で「ことば」の問題に言及している個所
(その始まりと終わりの段落の最後に【7】をつけた)には、本人の切実な経験と問題意識が込められていて力がある。
ただし、「四 無住涅槃」ではすでに力尽きた感がある。

以上に挙げた2点が、この卒論が模範だと思う理由である。
なお、塚田さんの大学における卒論審査の場でも、この卒論は教官に高く評価されたとのことだった。

 では、模範的な卒論が書けたのはなぜか。
 中井ゼミには明確な立場、つまり「発展の立場」(ヘーゲルの弁証法)がある。塚田さんはそれを学び、
それを拠り所とすることで、塚田さん自身の経験と『摂大乗論』をとらえ、位置づけることができたのだと思う。
例えば、間違いの自覚の問題(これはマルクスの「経済学批判の序言」を下敷きにしている。
序論の「2 筆者自身の問題意識」の始まりと終わりの段落の最後に【1】をつけた)や、
ところどころに出てくる「結果論的考察」を見てほしい。

 しかし、問題はある。塚田さんが、中井と中井ゼミのことを一切伏せて、卒論を書いたことだ。
「運動」と言う言葉が多数出てくるが、これは本来は「発展の運動」「発展」とすべきだ。
「3」の数字の説明があるが(「二 アーラヤ識説」の「2『摂大乗論』におけるアーラヤ識説の検討」
では【3】、「三 三性説」の「2 『摂大乗論』における三性説の検討」では【6】)、これは弁証法から説明すべきだ。
それを隠したから、結論が曖昧になった。

今回の卒論では、「発展の立場」に依拠しようとしたから、何とか自分の問題意識を貫けた。
このことの意味をしっかりと理解するならば、今後はヘーゲルを本気で学び、自分のan sichな立場を、
自覚していくことが課題になるはずだ。

今回、塚田さんを指導して2つの感想を持った。

1つは、塚田さんの潜在能力の大きさだ。卒論の締め切り1週間前にはほとんど何も文章になっていなかった。
そこから1週間で書き上げる突破力は大したものだ。弓は引き絞れるだけ引き絞られていた。
しかし、これは逆に言えば、いつもは余裕こいていて、追い詰められないと何もできないことでもある。
「ウサギと亀」のウサギさんなのだ。

もう1つは、塚田さんが1年ほどの間に中井ゼミで学んだことが、大きく生かされたことだ。
中井ゼミで1年間学んできた内容を、卒論を手がかりにして、考え抜いたのが成功した大きな理由だろう。
塚田さんの学習能力は非常に高いが、それは彼女の問題意識が強烈だからだと思う。
この卒論を書き終えた後は、するべきことはもはや決められている。

8月 25

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文「三性説の研究」の取り組みを、
本人自身が振り返った文章「22才の原点」を掲載します。

■ 目次 ■
1.22才の原点 塚田毬子
 0 はじめに
 1 卒論専念の経緯
 2 4カ月の取り組み方
 3 完成した論文に対する反省
 4 この4カ月の自分に対する反省

=====================================

◇◆ 1.22才の原点 塚田毬子 ◆◇

0 はじめに

 卒論を提出した。卒業年次であるから卒業論文を提出するのは当たり前だが、その取り組みを本気でやることに決め、
夏から4カ月卒論に専念していた。結果として、卒論に真剣に取り組んで本当に良かったと思う。どうしてそう思うか、
卒論専念の経緯、4カ月の取り組み方、実際に完成した論文への反省、この4カ月の自分に対する反省の4つを以下に述べる。

1 卒論専念の経緯

 私は去年のあたまから夏前までは大学を留年するつもりでいて、卒論は一年先延ばしになっていた。
それが、一年間の演劇のインターンが決まり、大学に籍を置いておく意味が無くなったので、急遽卒論を書かなければ
ならない状況になった。準備期間は4カ月しかなく、私はとっくに専門の仏教に対してときめきを失っていたので、
卒論はテキトーに終わらせ、インターンの準備として演劇の勉強を始めようと思っていた。しかし中井さんから、
「卒論の手を抜いてはいけない、本気で取り組んで学生生活の区切りをつけるべき」と提案され、それに納得し
提案を受け入れた。私はこれまで本気で何かに取り組んだことが無いので、本気で自分がどこまでできるかやってみよう
と思った。演劇から距離を置いて、周囲の人にも卒論に専念すると宣言し、引きこもった。今の自分はどこまで考える
ことができるようになったかを、自分にも他人にも分かるように書きたかった。そして、卒論をやることは演劇と関係の
ないことではなく、私自身の中で演劇とつながることだと考えた。

2 4カ月の取り組み方

 仏教の広い分野の中で、新たに面白そうなテーマを探して書くというのは時間的に厳しいので、4年間で申し訳程度に触れ、
面白そうだった唯識を取り上げることに決めた。しかし、一つ経典を選んで原典から読むのは語学力の面で困難なので、
中井ゼミで勉強し始めたカントの哲学と唯識が似ているように感じることもあり、両者を比較して何か書けないかと思った。
仏教と西洋哲学を比較研究している玉城康四郎の論文を見つけ、秋口まではそれを細かく読み、引っかかるところを出して
いく作業をしていたが、唯識とカント両者の共通点や相違点を挙げているだけであまり面白いと思えず、中井さんから
方向転換の提案もあり、玉城を棄ててアサンガの『摂大乗論』を日本語で読み込み始めた。『摂大乗論』に絞った理由は、
玉城にときめかずつまらなくなった時期に、指導教官との面談の中で面白いと私に引っかかったのがそれだったからだ。
三年次の期末レポートで部分的に取り上げた経典だったこともあり、自分に面白いことが『摂大乗論』にはあるのかも
しれないという縋る思いで、一つしっかり読んでみることにした。

 日本語訳で『摂大乗論』を読み進める中で、初めは、三性説が書かれた第二章は面白いが、アーラヤ識が書かれた
第一章についてはほとんど何も思うことが無かった。その後の『摂大乗論』を取り上げた中井ゼミの読書会で、
中井さんが「『摂大乗論』の核心は三性説でアーラヤ識はその道具立て。これが面白いと思う方がおかしい。」と言って
いて少し安心したが、それでも二本柱であるうちの三性説は「わかる」のにアーラヤ識には何も感じないのはおかしいと
思いつつ、でも読む気にもなれず、三性説が指す「関係」ということを自分の都合のいいようにこねくり回して勝手に
考えていた。考えはめぐるが前進しているような感じはなく、何をやっているのかわからないというような状態が続いた。
(自分が何をやっているのかわからない状態は卒論作業の大半で、年が明けてからもぼやぼやしていたが。)
 12月ごろ、大学で取っていた『唯識三十頌』を講読する授業で、『三十頌』の『摂大乗論』から発展し展開された箇所を
取り上げた回に出席して、アーラヤ識に対する理解が深まった。『摂大乗論』の時点でのアーラヤ識は、まだまだ
プリミティブで荒削りで、アーラヤ識の性格を定立しようというよりも、その存在論証に重きが置かれているのが
つまらない原因だとわかった。授業で聞いたアーラヤ識は、ヘーゲルに似ているような気がした。種子は同じものであり
ながら絶えず変化を続けている。そこで、前進は背進ということまで言えるのがヘーゲルなのだと思った。

 アーラヤ識は面白いということが分かり理解が進展したものの、中井さんとの面談ではそれを言葉にして説明する
ことができず、理解の浅さを痛感した。中井さんから、その場で言葉で説明するように毎回言われたが、言っている
ことが言ったそばから崩れているのが自分でもわかり、もどかしかった。この、説明を求められるが全くできない状態は
直前まで続き、さすがに後が無くなって焦り始めたのが提出の一週間前である。そこで、今までこねくり回して考えて
いたことを整理するように中井さんに言われ、なぜ自分はこの卒論を書くのか、自分にとって中井ゼミに参加してからの
この一年の変化は何だったのか、今までやってきたことを猛スピードで振り返り、とにかく自分自身のことを書こうと
思い直した。それまでは『摂大乗論』に寄せて「関係」について勝手に考えていたが、それはもはや『摂大乗論』を
必要としない妄想になってしまっていた。自分で考えるのが楽しいだけで机上の空論にすぎず、説教臭くもなっていた。
それを、徹底的に自分の個人的な経験を『摂大乗論』の理論で説明することに決めた。このやり方でなければ、
中身のない説教臭い妄想論文が完成していたと思う。最後の一週間で必死になってやり、なんとか形になった。

3 完成した論文に対する反省

 初めの段階での卒論のアウトラインはひどいもので、問いは絞れないし広がりもなかった。提出6日前に、卒論に対する
姿勢を思い出すため前提となる序論を猛烈に書き、そこから何度も校正をくり返したので序論は一番読みやすく
書けていると思う。中井ゼミでやって来たこと、自分の悪の問題やそのあとに読んだヘッセの『デミアン』、
マルクスの「経済学批判の序言」を下敷きにした。

序論で自分の問いを確認し自分自身を貫くと腹を決め、本論は自分自身を具体例にして書き進めた。論証は全体的に
お粗末だが、pp17-21の「ことば」について書いた部分はよく考えられた方だと思う。まだまだ理解が浅いが、
これが今後の芽になるのではないか。しかし論証は反省点ばかりで、二分依他が核心だと宣言したわりには
二分依他についてはさらっと言及してあっさり終わること、無住涅槃の議論の薄さ、言語表現のいい加減さ
(根拠が不明なのに容易に断言する)、文章の口当たりの悪さなどなど、出来がいいとは言えない。
しかし真剣にやったのは事実である。

結論は、序論に比べてあいまいで薄すぎると3日前に中井さんに言われたが、直前の直前にひらめきがあって、
なかなかいいことが思いつき、ハッキリしたことが書けたと思う。牧野さんの「価値判断は主体的か」を読んだ
ことがヒントになった。5月の集中ゼミで初めて読んだときよりも、確実に理解が深まっているのを感じた。
文章の展開の仕方が美しくないが、美しくするような余裕はなかった。

 読み返して、論文としては論理展開の無理やり感など稚拙さが目につく。しかし、序論と結論では切実なことが
書けていると思う。書き上げて、何でこれが書けたのだろうという不思議な気持ちと、でも書いてあることに実感を
もてる気持ちがあり、今までにない経験だった。行き詰ると中井さんと面談し、立て直し、行き詰り、面談し、立て直し、
ということの連続だった。中井さんと話して取ったメモを一番よく見直し、論理が一本貫けるように気を付けながら、
少し手を伸ばすとすぐにぶれるので再三確認した。長い間「関係」の話をこねくりまわしていたのに、見方を変えて
自分の経験を書くようにした途端に「関係」がどこかにすっ飛んで論文中に一言も出てこなくなったのは笑えた。
中井さんにも言われたが、まだまだ今の自分には「関係」が無いから消えてしまったのだと思った。

卒論が終って、中井さんの力を借りれば自分はこのくらい頑張れるのかという気持ちと、燃え尽きるほどの全力は
まだまだ出せていないという気持ちがある。年が明けても自分が何をやっているのかわからず、最後の一週間でつめて、
文章にして、直して、とギリギリにギリギリの状態で、「もう卒業できない」と何度か思ったが、最終的には
なかなか面白く書けたと思う。論文としては稚拙だが、端から研究論文を書くつもりではなく、自分の問題意識から
起こる作品を書くような気持で取り組み、今回の目的は果たせた。その点では達成感がある。

4 この4カ月の自分に対する反省

 卒論期間は最後の最後まで、自分の詰めの甘さを思い知らされ続けた。私は「ウサギと亀」のウサギである。
小さい頃からずっと母に言われて来たのを、久しぶりに思い出し痛感した。直観でパッと閃いて、びゅんと進む
ことができると、そこでいったん休憩してしまう。ここまで行けたからと見通しが立つと油断し、すぐに休憩する。
そして休憩している間に閃きは薄れ、三歩進んで二歩下がるような効率で取り組むことになってしまう。
再開する時には閃いた時と同じスピードでは進めない。提出の一週間前、構成を考えている段階でまだ二万字の
一文字も書けていない時は、すべてがパーになる恐怖でここ数年で一番焦り追われるようにやっていたのが、
少し書けて先が見えてくるとすぐ焦りがなくなる自分に唖然とした。最後の一週間でも中だるみするとはなんて
やつだと思った。この中だるみがなくずっとエンジンがかかったままで取り組めたら、もっと良くなったと思う。
でも、これが自分の性格だ。それが以前よりはっきり自覚されたことは良かった。

最後の一週間、何回も自分の文章を反復していると、言葉の意味に脳が反応しなくなってただ字面を追うだけに
なったり、校正すら苦痛で読みたくなくなったりした。集中力が完全に切れて、余裕がないのに卒論が終わる
前から反省文を書いていた。やっている最中から反省点はたくさんあって、こういうところがダメで、ここを直したら
もっとよくなるとはわかっているのだが、これ以上できないという限界を感じた。中井さんに序論がよくなったと
言われたとき、直感的にこれよりもっとよくなるということだと思ったが、やっていく中で今の自分にはここまでしか
出来ないと思った。今の自分はここまでやることができ、この先もっとよくなれることもわかるが、
今はこれ以上できない。できないよりもやりたくないに近いかもしれない。頑張るということは限界を振り切ることだ
と思う。この程度でいいや、とは思わないが、今回はこれで勘弁してくださいという気持ちになった。

文章は今の自分の力がもろにすべて出て、恐ろしい。完成して大学に提出しに行く間、卒論が終わった解放感はなく、
これから先は全部この続きなのだと思った。そう思えるものが書けただけで、今回は大きな成果だと思う。
本気でやると言って、今の自分はどのくらいの本気が出せるのか、どのくらい頑張れて、どれほどのものが書けるのかが
わかった。ゼミのノートを見返していて、中井さんの話の中で出てきた、ニーチェの「血で書かれたものだけを評価する」
という言葉がメモしてあるのを見つけ、わたしの論文は血で書かれているだろうかと思いながら自分を鼓舞して取り組んだ。
血はまだまだでも、汗は滲んでいると自己評価したい。

1月21日にインターン先の地点という劇団の「ロミオとジュリエット」の上演を中井さんと見た。開演前に中井さんに
「ロミジュリの戯曲を読んだが、私の卒論の延長のような、名前とか言葉の話だと思った」と言ったら、
「卒論のあとでは、この先何を見てもそう思う」と言われた。何を見ても一つの問いに回収されていく、
それがその人の立場なのではないかと思う。今回卒論を書いて、立場の根が作れたと思う。
タイトルが「ロミオとジュリエット」だというだけで私にはグッとくるものがある。表象の世界と、真如の世界。
私たちが生きているのは表象の世界だが、この世界を離れたどこかに真如の世界があるのではなくて、二つは一つの
世界の側面なのだ。だから、表象の世界からも真如の世界が見え隠れする。人間の相互理解が不完全で、理解の限界に
気が付く以上、完全な理解というものがあって、それは真如の世界に存する。人間の認識は正しい、世界の表象も正しい、
というのではなく、人間の認識なんて常に誤解ばかりでどうしようもない、分別し執着しているだけだという方が
私には実感をもって感じられる。だからロミオとジュリエットの二人も、二人のロマンスも、分別された執着でしかない。
しかし、分別することによって、互いは見出される。それこそが現実世界のすべてのきっかけで、その中に汚染も
清浄もすべてがあるのだと思う。喜びも苦しみも何もかも一切が表象となったから見出された、そのことを思うと
生きているという感じがする。

何はともあれ、卒論を書いて本当に良かった。卒論を本気でやることは、自分でやりたくて始めたことではなく、
中井さんという外からの提案であったので、自分が突き動かされるような感覚に乏しかったり、何をやっているのか
分からなくなったりした。しかし、提出した今、自分の問題意識が以前より確実に深まったのを感じるし、
『摂大乗論』を選んだことは正解だったと思う。卒論を雑にやって演劇の勉強をするのは、ただ教科書的な知識を
増やすだけになっていたのではないだろうか。問題意識がより深まった今、演劇について考えるのとは身になる
ものが全く異なるだろう。卒論は今後の指針にして、いつでもそこに戻って来、より自己理解を深め、反省する
ものにしていきたい。これから先の原点となるものが作れたのではないかと思っている。

8月 25

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文「三性説の研究」を全文掲載します。

今号は最終回。

卒論につけられている注釈は掲載していません。出典の引用箇所を示すためのものがほとんどです。
卒論に【1】【2】【3】などの記号がついているのは、すべて中井によるものです。
中井の「問題意識を貫いた卒論」の根拠となる個所を示すためのものです。

■ 塚田毬子著「三性説の研究 『摂大乗論』を中心に」の目次 ■

※前日からのつづき
四 無住涅槃
 1 『摂大乗論』第8、9、10章の位置づけ
 2 『摂大乗論』における無住涅槃
結論
参考文献

==============================

◇◆ 三性説の研究 『摂大乗論』を中心に  塚田毬子 ◆◇

四 無住涅槃

1 『摂大乗論』第8、9、10章の位置づけ

ここまで『摂大乗論』の理論編を検討し、筆者の実践を理論づけてきた。
それでは、この実践にはどんな意味があるのか。問題の解決とは何を意味するのかを考察したい。
第8、9、10章では無分別智について述べられ、実践による結果が示されている。
第8章において無分別智の性格が説明され、それが第9章で二分依他の展開である無住涅槃として説明される。
第10章では、無分別智を仏の三身という点から述べている。本論文では、第8、9章について検討を加えてみたい。

2 『摂大乗論』における無住涅槃

 8章において、無分別智について言語でできる限りの説明が行われる。無分別智とは円成実性の達する智で
人法無我の智であり、真如に達する智である。無分別智の依り所は心ではないが、心から生じたものであり、
心というのは分裂を指し、依他起性から円成実性に至ることが示されている。
 16節において、無分別智を得た後に、後得智を得るということが述べられる。
後得智とは、涅槃にとどまらない無住涅槃の立場が示される。 無住涅槃については第9章1節において簡潔に述べられている。

  菩薩たちの〔障害の〕断除は、〔声聞たちと同じく涅槃であるが、ただし涅槃には〕止まらないという
  涅槃(無住涅槃)である。それを定義づけるならば、およそ汚染を捨離すると共に、輪廻は捨離しない
  〔という、この二つの〕ことへの依り所があり、すなわち依り所の転回(転依)なるものがあることである。
  その中で、“輪廻”というのは、汚染分に属するかの他に依る実存であり、
  “涅槃”〔すなわち煩悩など汚染の捨離〕とは、清浄分に属する同じ〔他に依る実存〕である。
  〔この二つのことへの〕“依り所がある”とは、これら二分あるものとしての他に依る実存そのものである。
  〔依り所の〕“転回”とは、他に依る実存が、それ自体に対する対治が起こされたとき、
  汚染分であることを停止して清浄分に転回することである。(『摂大乗論』第9章1節、長尾 1987, pp.298-299)

ここでの菩薩とは、知らるべき真実をその対象とする大乗の菩薩である。煩悩を滅して涅槃に入ることは、
それに向かって進むべきものだが、最終目標ではない。『摂大乗論』においては、最終目標は設定されない。
その最終目標が設定されない状態を何というかというと、無住涅槃と呼ばれる。
涅槃に達して、そこから出てこないことは、涅槃に執着しているとみなされる。
無住涅槃は、涅槃に達していながら、どこにも安住しないあり方だ。変化があるのは分裂の中だけであるから、
分裂の中に身を置いて、ひたすら分裂を深め続けることを行う。ひたすら運動をおこし続けることを、
自ら選択することである。それこそが真の意味での涅槃であるとした。
これが、『摂大乗論』においてアサンガが示す、問題を解決することの意味である。
しかし、無住涅槃で菩薩が運動を起こしているにもかかわらず、衆生が救われないのはなぜかと問いが立つ。
その答えが第8章23節に述べられている。

  (1)それらの衆生には〔財宝や地位などを与えようとする菩薩の神通力を〕妨げるような業がある
  と見られるからであり、(2)もしその財富の施与がなされることとなれば、〔そのことが彼らにとって〕
  善事をなすことへの妨げとなることが見られるからであり、(3)〔逆に財富が与えられないならば、
  彼らは貧困に苦しみ〕この世を厭う思いがまのあたりに起ることが見られるからであり、
  (4)もしその財富が与えられることとなれば、〔そのことが却って〕悪事を積み重ねることの原因となる
  ことが見られるからであり、(5)またその財富が与えられたことそのことが、それ以外の極めて多数の
  衆生に損害を与える原因ともなることが見られるからである。
  それ故、貧窮に苦しむ衆生が現にあるとみられるのである。(『摂大乗論』第8章23節、長尾 1987, pp.294-295)

 ここでアサンガは、衆生が救われないのは菩薩のほうに問題があるのではなく、衆生のほうに問題があるとした。
これは正しいと思われる。外側から働きかけても、内側が追いついていなければ反応できない。
自分の中に根があるものにしか反応できないのである。外側から与えられれば救われるというものではない。
では、どうやったら衆生の内面は追いつくのか。それは、自分で何とかするしかないが、自分の意志では
何ともすることができない性質のものである。意識下の分裂の深さは、自分で認識することも、
コントロールすることもできない。そこで『摂大乗論』では、その根本原因を業であるとした。
それは先天的で、選べない。輪廻でしか説明することができないものであるとした。
以上、問いを解決することの意味と、その困難に対するアサンガの思想を確認した。
無住涅槃は、涅槃にあっても執着を許さず、汚染された現実世界の中に身を置き、
分裂を深め続ける無限の運動であることが理解された。

結論

本論文では、筆者自身の問題意識を唯識説を媒介にして深めることを目的として、
筆者自身のこれまでの実践を唯識説で理論付け、『摂大乗論』を検討してきた。
なぜ人間は問題を自覚し、それを解決しようとするのか。そして問題を解決することは何を意味するのか。
それは、以下のように結論付けられる。
人間は内面に分裂を持ち、それが反映した世界で生きている。これが現実世界のあり方である。
分裂は絶えず運動を起こしているから、人間は外界と常に関係し、関係は絶えず変化している。
意識下で分裂が深まると、それが意識上に外化し、問題となって自覚される。なぜ問題となって自覚されるのか。
それは、現象を認識で把握することには限界があり、純粋な理解というのは不可能であるからだ。
人間は問題を自覚すると、自分の意志で問題を解決するために行動を起こすことができる。
そして他者にはたらきかけることによって、関係を変化させることができる。
それは、関係し合っている自分と他者を変化させることになる。それにより、問題が解決に向かうと、
自分自身が以前より明確になっていく。より自分自身に迫ることができる。そして、より分裂が深まり、
また外化して、次の問題が自覚される。以下、無限の繰り返しである。現実世界から分裂は無くならず、
真如に到達することはできない。ただ、分裂を深め続けることによって、自分自身に無限に迫っていくことができる。
その性質を持つのは人間だけであり、これがもっとも人間的な生き方と言える。
分裂があるという人間の本質が根源にあり、それが人間の生き方を規定する。
そしてそれを生きることにより、再び人間の本質に迫っていくことができる。
人間は自らの意志で、変化しようと思って変化するのではない。
そうではなく、変化する性質を持つ存在であるから、変化することができるのである。
人間はその性質として分裂を持ち、その分裂が運動を起こしている。
運動は意識的に起こそうと思って起こすものでも、起こさなければならないものでもない。
運動は分裂が決めるものである。運動により分裂が深まると、問題が外化する。
問題が自覚されたら、人間は行動によってその問題を解決に向かわせることができる。
そこで初めて、人間の意志がはたらく。問題が外化されるのは分裂の仕組みによるものであり、
運動が起きるのも分裂の仕組みによるもので、その問題は意識下でどの程度分裂が深まれば外化するのか、
認識では把握できない。それは自分自身で意志することのできない領域である。
何をしたら分裂が深まるかは分からない。次に自覚される問題が、行動の結果を示す。
行動している間は、それが正解かはわからない。筆者は自分の内面を直視しないという自分の問題を自覚し、
引きこもりを辞めるという行動をとったが、これがどのような結果をもたらすかは、次に自覚される問題が示す。
人間は分裂に乗っ取られ、分裂に突き動かされて生きている。分裂こそが人間の本質である。
人間は分裂の深さにより、それぞれに違う問題を持っている。それを選択することはできない。
問題を選択できないのは、自分を選択できないのと同様である。自分は自分から離れることができない。
自分が自分に生れてきたことは全くの偶然であり、生まれ、育ち、名前、身体、環境などは先天的なものである。
そして自分の問題は、自分が関係した現実世界の中から生まれた、自分だけにしかない特殊なものである。
人間は誰しも、その人にしかない特殊な問題を持っており、内的な深まりと外的なはたらきかけが一致した時に、
その問題を自覚し、解決に向かうことができる。内外のどちらが欠けても、転換は起こらない。
それは、人間が関係の中に生きているからだ。自分自身の問題を解決させようとして起こす行動は、
必ず他者と関係することになる。自他を分別して自分という存在があると思っていても、
自分一人で生きることは生命活動として不可能である。人は何かと関係しないでは誕生せず、
生命を維持することもできない。そして関係し合いながら、現実世界全体が変化を続けていく。
自分の問題意識を深めることは、他人に関係し、働きかけることになる。
人間は内的な分裂がなければ変化できないが、外的な分裂にも触れなければ変化できない。
それは分裂を自覚する際にも、解決のために行動する際にも当てはまる。
筆者が引きこもりを辞めようと思ったとき、筆者の内的な条件は意識下で揃いつつあったが、
それは他者からの批判によってはじめて意識上に外化した。そして問題を解決するため、
外界と関係することで今までの自分を壊そうとしている。では、外界とのどのような関係が転換をもたらすか。
それは、どんな関係においても転換が起るわけではない。関係する他者に自分と通じる問題意識が無ければ、
転換は起こらない。Aは筆者のあり方を問題だと思い、筆者を批判した。
それを問題に思わない他者から批判は出てこない。Aが問題意識をもって筆者の問題に切り込み、
筆者は自分の問題を自覚することができた。このように問題意識が共鳴する他者との関係において、
問題は深まると言える。
現実世界で、時として自分の中に否応なく響いてくるものと出会うことがある。
自分を引っ張り上げてくれるような対象に出会い、世界が見違えるような経験をすることがある。
そしてそれにより自分のあり方が変わる可能性が考えられる。それは何が響いているかというと、
問題意識が響いている。ある対象が持つ、自分が引き付けられる強さの正体は、その対象が持つ問題意識の深さであり、
自分の内面の分裂がそれに反応し、響き合っている。筆者が引きこもっている際に接していた音楽や本、映画は、
当時の問題意識に響き、筆者のあり方に影響を与えたものであった。
しかし問題意識が変化した今、それらは以前のようには響かない。
自分の問題意識が引き付けられる対象を感覚し、判断することで、自分自身が少しずつ変化していく可能性があると言える。
筆者が『摂大乗論』をテキストとして選択したことも、筆者の問題意識がそれに引き付けられたからである。
『摂大乗論』は、アサンガがアサンガの問題意識から書いたものであり、
これを検討したことで筆者の自分自身の問いが深まった。『摂大乗論』はアサンガが自身の問題意識に
対する答えを言語という表象をもって表現したものであり、それを玄奘が玄奘の解釈で訳し、
長尾が長尾の解釈で訳し、筆者が自分の解釈で理解した。何重にも分別が重ねられており、
純粋なアサンガの思考を理解できたとは言い難い。しかし本論文で『摂大乗論』を取り上げたことで、
筆者自身の問題意識はより深まった。本論文が明らかにした『摂大乗論』のテーマは、この世界がどうなっているか、
この世界でどう生きるかということである。そしてその答えとして、理論としてアーラヤ識と三性説を述べ、
実践編で修行の内容と、その結果が述べられていた。『摂大乗論』は瑜伽行派の哲学的な論書という面だけではなく、
現実世界で生きるための手引きという側面もあるように思われる。そのような側面を持つ本書おいて、
アサンガが自身の生き方に少しも言及しないのは、改めて本書の大きな欠陥であると言わざるを得ない。
しかし、本論文のテキストに『摂大乗論』を取り上げ検討し、自分の実践を理論付けたことによって、
筆者の問題意識は深まった。それは『摂大乗論』を書いたアサンガと筆者の問題意識が響き合った結果である。
自分自身の問題意識が深まったことは楽果であり、よって筆者の問題意識が『摂大乗論』を選択したことは
善因だと言えるのである。

参考文献

長尾雅人(1982)『摂大乗論 和訳と注解 上』、講談社
長尾雅人(1987)『摂大乗論 和訳と注解 下』、講談社
無著造、玄奘訳『摂大乗論本』(大正 No. 1594, vol. 31)

8月 24

中井ゼミのゼミ生、塚田毬子さんの卒業論文「三性説の研究」を全文掲載します。

今号は第2回。

卒論につけられている注釈は掲載していません。出典の引用箇所を示すためのものがほとんどです。
卒論に【1】【2】【3】などの記号がついているのは、すべて中井によるものです。
中井の「問題意識を貫いた卒論」の根拠となる個所を示すためのものです。

■ 塚田毬子著「三性説の研究 『摂大乗論』を中心に」の目次 ■

※前日からのつづき
一 『摂大乗論』の構成
二 アーラヤ識説
1 『摂大乗論』第1章の構成
2 『摂大乗論』におけるアーラヤ識説の検討
三 三性説
 1 『摂大乗論』第2章の構成
 2 『摂大乗論』における三性説の検討
※ここまでを本日に掲載。

四 無住涅槃
 1 『摂大乗論』第8、9、10章の位置づけ
 2 『摂大乗論』における無住涅槃
結論
参考文献
※ここまでは明日に掲載。

==============================

◇◆ 三性説の研究 『摂大乗論』を中心に  塚田毬子 ◆◇

一 『摂大乗論』の構成

 『摂大乗論』は、十章から成る唯識の論書であり、体系的に書かれているのがその特徴である。
物事を体系の形でとらえるのはアサンガの思考の特徴とも言える。
本論文では『摂大乗論』の全体を大きく五つに分類し、以下の構成に基づいて検討を進める。
一、あらゆるものの根本(第1章)、二、あらゆるものの実相(第2章)、三、相に悟入するプロセス(第3章)、
四、悟入の具体的な実践内容(第4、5、6、7章)、五、その結果(第8、9、10章)
『摂大乗論』においては、表象は転識とアーラヤ識の相互因果で引き起こされており(第1章)、
表象は実体が無いが、あると思い込むと汚染になるということ(第2章)、表象に悟入することとそのための修行と
(第3?7章)、無分別智、汚染から目を覚まし清浄にもとづいた縁起への転回(第8、9章)、
そして涅槃にとどまらない無住涅槃(第10章)が説かれている。
本論文では、『摂大乗論』の核心は第2章の三性説であると位置づける。三性説を展開する道具立てとして、
第1章のアーラヤ識説が機能している。そして、第2章で示された二分依他説の理論が『摂大乗論』の全体を
貫いていると考える。
瑜伽行派は実践を理論と同じく重視し、『摂大乗論』ではその半分を実践編にあて、第4章から第7章にかけて
修行の内容も挙げられてはいるが、具体性・現実性に欠けているように思われる。その根拠として、アサンガは
この世界がどうなっているかを解き明かしたが、アサンガ自身がこの世界をどう生きたか、どう生きるかという
実例が挙げられていない【2】。これは『摂大乗論』の大きな欠陥ではないかと思われる。
『摂大乗論』に書かれた理論で実践が説明できなければ、理論は机上の空論である。
そこで以下では、筆者自身の実践を具体例にしながら、アサンガが解き明かした理論を検討していく。

二 アーラヤ識説

1 『摂大乗論』第1章の構成

 第1章は62節から成り、その約半分をアーラヤ識の存在論証が占めている。瑜伽行派が打ち立てたアーラヤ識
という新しい用語は瑜伽行派が勝手に作り出した妄言ではなく、仏説にその根拠を求められると証明することに、
多くの文量を割いている。その分、アーラヤ識の性格の説明については、素材は出されているが未整理で
プリミティブな部分が多く見受けられる。
第1章の全体の文量は第2章のおよそ倍である。アーラヤ識説が本書の冒頭に置かれ、またアーラヤ識は特徴的な
用語であるから、第1章は目を引く。しかし、アーラヤ識説はあくまでもその後の三性説を展開するための道具
立てであり、その根底にあるものである。それを以下で確認していく。

2 『摂大乗論』におけるアーラヤ識説

アサンガが『摂大乗論』第1章においてアーラヤ識の性格の定立を行っているのは、14節から28節である。
この箇所を、本稿では以下の構成に基づいて検討する。
1.相の定立
三相(14節)、熏習(15節)、種子(16節)、アーラヤ識と諸存在の関係(17節)、熏習の種々性(18節)、
以上のまとめとしての縁起論(19、20、21節)
2.アーラヤ識詳説
種々の六義(22節)、熏習の四義(23節)、種子の生因と引因(24節)、種子の内と外(25節)、
アーラヤ識と転識(26節)、26節の教証(27節)、縁起論(28節)
以下、筆者自身の実践を理論づける相の定立の部分を中心に詳しく見ていきたい。
アサンガは14節において、アーラヤ識に三つの性格があることを挙げている。それは、「自相」、「因相」、
「果相」の三つである。このアーラヤ識の三つの性格は並列ではなく、相互因果の構造を持つことを、まず初めに
挙げている。

  そこで次には、どのように考えてその相を定立すべきであろうか。
  要約してそれは三種、すなわち自相の定立と、因性の定立と、果性としての定立とである。
  その中で、(1)アーラヤ識の自相とは、あらゆる汚染せる存在から熏習されていることが基盤となって、
  種子を保持し備えていることにより、それ〔すなわちあらゆる汚染ある存在〕が生起するための因相としてあることである。
  またその中(2)因性としての相とは、右のようにあらゆる存在の種子を有するかのアーラヤ識が、それら汚染ある
  存在に対する因性として、あらゆる時に現存することである。またその中の(3)果性としての定立とは、無限の過去以来、
  その同じ汚染ある諸存在から熏習を受けていることによって、アーラヤ識が〔行為の結果として〕起こっていることである。
  (『摂大乗論』第1章14節、長尾 1982,pp.133-134)

因性は玄奘訳原文では「因相」、果性は「果相」と表されている。アーラヤ識の性格(相)に三つあることを示し、
まず初めに自相を挙げるが、自相は因相と果相の相互因果を示しているので、同語反復にも思われる。
しかし、ここで性格を三つ挙げることの意味は、因果関係は相互関係だということを強調することにある。
『摂大乗論』の全体を貫く論理の構造は、三で説明することである。三は並列ではなく、一の中にその他の二が具わり、
二の間で運動が起きていることを示す。ここではこの三の論理で、アーラヤ識と汚染ある諸存在との因果が無限に
繰り返されることを説明している【3】。これはすべての諸存在は外化に向かうことを意味している。相互因果の中で、
絶えず熏習され、絶えず外化していく。それは、アーラヤ識と汚染ある諸存在である転識が、分裂していることにより、
絶えず運動が起きているということである。
 次に15節と16節において熏習と種子が説明される。熏習とは、種子に汚染が染みつくことである。
アーラヤ識が諸存在と同時に生じ滅することで、熏習された種子がアーラヤ識に蓄えられる。蓄えがある条件まで
成長すると外化する。
また、アーラヤ識は種子を蓄えている蔵であるが、熏習された種子がアーラヤ識と一体であったら、アーラヤ識は
固定化してしまい、次なる諸存在の因となることは出来ず、運動は起きない。種子とアーラヤ識は一体となって
固定されているものではない。
続いて、アーラヤ識と転識の相互因果が26節において教証をもって示される。

  それは『中辺分別論』の偈頌に、説かれている如くである。
  一つは〔因〕縁としての識であり、第二は〔現象的な面において〕享受あるもの〔としての識〕である。
  そこ〔第二の識〕には、享受すること、判別すること、および動かすものという、もろもろの心作用がある。
  (『摂大乗論』第1章26節、長尾 1982, pp.169-170)

第一の識はアーラヤ識、第二の識は転識を示している。アーラヤ識は縁起を引き起こす識である。
外化された諸存在は、転識によってまず初めに享受される。感覚で捉えられたものが、意識で判断され、
作用となって動く。この三段階は、感情・思考・行動と言い換えることができると考えられる。
受動から能動に至る運動である。感覚した分だけ、思考することができ、それが行動に表れる。
分裂が運動を引き起こすということを示している。
この理論で筆者自身の実践を説明する。筆者は外界に触れ、様々なことを感覚し、それを「間違っている」と判断し、
引きこもった。外界に触れることが「享受すること」であり、間違っていると思ったことが「判別すること」であり、
引きこもったことが「動かすもの」に当てはまる【4】。
では、より多くのものを享受し、判別し、動かすことはいかにして可能となるか。それは、分裂の度合いが感覚の
度合いを決めているので、分裂を深めればよい。分裂を深めるにはどうしたらよいか。18節では、熏習の結果は
外化されることによってわかるということが述べられている。これは分裂が深まることについて著されていると
考えられる。

  例えば絞り染めをするために布を絞っても、その時にはまだ種々 の色は現れないが、
  これを染料の器に入れるならば、その時、布の上に別々に異なった色が、多数に種々の模様として現れるのである。
  それと同じようにアーラヤ識も、種々雑多な熏習が薫じ付けられてはいても、熏習の段階ではそこに種々〔の〕が
  あるのではなく、結果を生ずべき染料の器の中に置かれたならば、そこに種々雑多の存在が無数に現れるのである。
  (『摂大乗論』第1章18節、長尾 1982, p.145)

ここで示されているのは、熏習し、アーラヤ識に蓄えられた種子は、外化されることによってその熏習の結果を表す
ということである。善因が楽果をもたらすわけではなく、楽果となったものが善因となる。熏習された種子が、
ある段階に達したところで、条件が整った分だけ外化される。
この理論で筆者自身の実践を説明すると次のようになる。筆者が引きこもっている間に、筆者には認識できない
意識下で熏じつけられた種子が変化し、それが外化し、以前は気が付かなかった自分の内面の問題に気付くことができた。
気づくことができたのは筆者にとって楽果であるので、楽果を引き起こした引きこもる行為は善因と位置付けることが
できる。引きこもっている間に、どのようにして条件が整えられていたかは、意識下の変化であるので筆者には認識
できない。問題が外化したことによってはじめて、条件が整えられていたということがあらわとなった。
条件がある段階まで達したら外化する、その条件は認識では知り得ないものであって、自分の意志で外化させることは
できないということを示している【5】。
つづく19節においては、以上をまとめる形となる縁起論が展開される。ここでの縁起には二種があり、
玄奘訳において前者は「分別自性縁起」、後者は「分別愛非愛縁起」と訳されている。 分別自性縁起とは、
アーラヤ識と転識が相互に因となり果となるものそれ自体が生起する仕組みであり、外化の仕組みを表す。
分別愛非愛縁起は、アーラヤ識が非連続的に連続して、輪廻転生を引き起こすことを表している。
以上、『摂大乗論』のアーラヤ識説を検討した。アーラヤ識にあらゆる種子がすべて蓄えられていて、
異熟によってそれが外化する。どう外化するかは異熟によって異なる。ある条件まで発展したところで外化する。
それがまた異熟となる無限の相互関係である。

三 三性説

 1 『摂大乗論』第2章の構成

第2章は、34節から成り、アーラヤ識説の理論を基盤にしながら三性説の説明が展開されている。
本論文では第2章の全体を以下の五つに分類し、これに基づいて検討する。

1.三性1-5節、2.唯識無境(表象のみ)6-14節、3.三性の実存15-25節、4.教説26-30節、
5.その他(三性の直接的な説明はない)31-34節

まず1-5節で世界の実相として三つの相があることを挙げ、6-14節でそれをアーラヤ識縁起とのつながりで説明し、
15-25節でさらに詳細な説明を加えている。
『摂大乗論』第2章の特徴は二分依他説にあり、この論理に『摂大乗論』全体が貫かれている。
以下でそれを検討していきたい。

2 『摂大乗論』における三性説の検討

  次に知らるべきものの相は、如何様に考えるべきか。──それは要略して三種である。
  すなわち他に依る相と、妄想された相と、完全に成就された相とである。
  (『摂大乗論』第2章1節、長尾 1982, p.272)

第2章冒頭にまず初めに挙げられる三性は、玄奘訳ではそれぞれ「依他起性」、「遍計所執性」、「円成実性」と
訳されているものである。『唯識三十頌』など、他の論書では「遍計所執性」、「依他起性」、「円成実性」の
順で挙げられることが多いが、『摂大乗論』では依他起性を初めとする順で挙げられるのが一つの特色である。
この順序も二分依他の論理を表している。これ以降の節においても、三性はこの順序で表される。
続く2節から4節において、三性それぞれの性格が述べられている。依他起性はアーラヤ識に基づく純粋な縁起の
世界であり、依他起性が分別され対象化されると遍計所執性となり、また依り所が無になると円成実性となる。
そして、この三性がどのような関係にあるかを17節で示している。三性は、相互に異なる独立して存在するものではなく、
一つの世界の観点の違いだと説明する。ここでも三の論理で理論づけられている。依他起性は迷いから悟りへの転換
を可能にする根底であるということが示されている。
この直前の16節において、アサンガは我々の現実世界のあり方を解き明かしている。遍計所執性における分別する
ものと分別されるもののそれぞれと、遍計所執性について解き明かしている。

 (1)意識こそは、分別するものである。その性質が分別を具えたものだからである。
  それは〔意識〕自らのことばによる熏習を種子として生じ、またあらゆる表象のことばによる熏習を
  種子として生じている。それ故にそれは無限に種々の形相のある分別として起るのであって、
  〔遍く〕あらゆるものについて構想し分別するという点からして、〔遍き〕分別構想と称せられる。
  (2)他に依るという実存が、分別構想されるもの〔妄想の対象となるもの〕である。
  (3)他に依るという実存が、ある形相をもって分別構想されるとき、それ〔ある形相〕こそは、
  ここに妄想された実存である。ある形相をもって、といったのは、
  「〔あるあり方の〕そのように」という意味である。
  また分別は、どのように分別構想するのか。すなわち何を対象とし、如何なる相を把握し、何に執着し、
  いかにことばとして発言し、如何に世間的な言動をなし、また非存在を存在とするような誤認が如何様に
  なされるのか。──概念(名)を対象として分別するのであり、それ〔概念〕を他に依るという実存の上に
  相として把握し、それ〔相〕を見て執着し、種々に考察を廻らしてことばとして発言し、見たり〔聞いたり〕
  などの四種の言語動作を通じて世間的な言動をなし、また、ものが存在しないのに、〔非存在を〕存在と誤認する。
  これらによって分別構想するのである。(『摂大乗論』第2章16節、長尾 1982, pp.328-329)

以上で、なぜ主体と客体の分裂が起き、認識が起るのかを説明している。
(1)では、意識こそが分裂を引き起こすものだと述べられている。そしてそれは意識の性質が分裂であるからだとされる。
なぜ意識が性質として分裂を備えているか、それは意識自らのことばによる熏習の種子として生じ、
またあらゆる表象のことばによる熏習を種子として生じているからだという。
ことばによる熏習とは、第一章58節においてアーラヤ識の分類として熏習に三種あることが述べられるうちの一つである。
ここでの「ことば」とは、話され書かれる言語ではなく、意識でものを考える際の中心となるものという意味で用い
られている。話され書かれる言語は意識の表象であり、ここでの「ことば」とは異なる。「ことば」は玄奘訳では
「名言」と訳されている。【7】
人間は「ことば」で判断している。感覚で捉えられたものは五識によって享受されるが、そこでは判断は起こらない。
主体が客体を享受する、能取が所取を受用するに留まる。前五識によって受用された感覚は、意識によって判断される。
この時意識の中心にあり、判断をなすのに用いられるのが「ことば」である。「ことば」とは、いわば自分の中に
もう一人の自分がいることだ。
例えば、何かを耳が聞いた時にそれが「人の声だ」と思うのは意識が「ことば」で判断しているからであり、
何かを目が見た時にそれを「机だ」と思うのも意識が「ことば」で判断しているからである。
私を「私だ」と思うのも意識が「ことば」で判断しているからだ。
人間は「ことば」で判断する。「ことば」が概念を生む。私を「私だ」と判断するとき、私と思われている自分と、
私と思っている自分がいる。自分の中に主観と客観の両方が存在している。これが意識の分裂である。
主観と客観を認識し分別を起こすのは、意識が分裂しているからであって、その分裂の中心にあるのは「ことば」
による判断である。
(2)と(3)で述べられているのは、依他起性の純粋な縁起の世界は外化に向かう相互因果の円環構造であり、
全てが外化に向かって進むのがその仕組みであるということである。それが作用し、外化して表象となって
意識に上がってきたものが(1)で述べられるように分別され、遍計所執性となるということである。
酒を飲んだら酔うという仕組みと、実際に酒を飲んで酔っ払うというはたらきが別であるのと同じように、
仕組みとはたらきは別物である。それが依他起性と遍計所執性の関係にも当てはまる。
「また分別は」から始まる段落で述べられていることは、概念を対象として分別し、それが存在の誤認だという
ことである。概念は玄奘訳では「名」と訳される。「名」を対象とするのは意識の働きである。
ここでは、「ことば」に対する不信が述べられている。対象を把握し分別し執着することの中心には「名」があり、
概念があり、「ことばによる熏習」がある。「ことば」によって捉えられたものは分別された世界となる。
真如は「ことば」によっては捉えられない。
しかし同時に、「ことばによる熏習」が無ければ外化は行われないということも意味している。
アーラヤ識を依り所とする純粋な縁起の世界は、「ことばによる熏習」によって外化され、それが因となり
果となってまた熏習される。その無限の繰り返しがアーラヤ識縁起だ。「ことば」は分別しているものであり、
「ことば」で捉えられる表象はすべて分別されたものである。そこには真如はない。真如への到達とは、
「ことば」では達成されないものである。認識とは、分別していることを指す。認識では、純粋な理解は達成されない。
しかし、人間同士のコミュニケーションや、自分の意識を外化させるには、「ことば」の表象を用いなければならない。
アサンガが『摂大乗論』において自らの思想を表した文章も、「ことば」の表象にすぎず、分別されたものである。
言語という表象をもってアサンガの思想が完全に純粋に書かれることは不可能であるし、書かれていることは
アサンガがアサンガ自身の「ことば」による表象を分別したものであるから、二重に分別されている。
だが、自分の思想を自分の内に留めず、他者の目に触れさせることを目的として表現するとき、
「ことば」の表象の形を取る以外に方法が無い。それが人間の生きる現実世界のあり方であるから、
それを認めて、受け入れるしかない。現実世界のあり方を認め、受け入れて、分別し、分別されるのを覚悟の上で、
アサンガは『摂大乗論』を書いたのだと思われる。遡ればシッダールタも、菩提樹の下で悟りに達した後、
それを自分の内に留めずに、説法をして回り、自分の思想を外化させた。外化されたものは、
他者により分別され、それは何十にも妄想が加わることとなる。外化され分別の対象になったものは、
他者に純粋な形で伝わることはあり得ない。しかし、それをわかっていながら、シッダールタは死ぬまで
説法をつづけた。その意味は、自分たちの現実を否定しない、この現実こそが悟りに達する唯一の道だと
いうことなのではないか。そしてそれをアサンガも受け継いでいるのである。
筆者が『摂大乗論』を読むとき、どうしても筆者の解釈を入れて読んでしまう。アサンガの記述を筆者の
解釈に引き付けて読んでしまう。純粋なアサンガの摂大乗論を自分の中に入れようとしても、純粋にそのままを
入れることは難しい。それは『摂大乗論』を筆者が享受し、意識で判別しているから、常に分別が起る。
誤解と伴った理解しか得ることができない。
長尾は意識の分裂を「ことば」と訳したが、これは長尾の分別であり、解釈である。
「ことば」を漢字表記の「言葉」とは表さず、ひらがな表記することによって、従来の意味から異化させよう
とした意図が汲み取れるが、「ことば」というのは何かの表象を示す語であり、真の意味とはズレを感じる。
訳語には訳者の解釈が入るし、原文も著者の解釈なのであるから、玄奘の訳語も、アサンガの原文も真の
意味を表してはいない。そうであるならば、筆者は筆者自身の解釈で長尾が「ことば」と訳したものを
日本語で可能なかぎり自分なりに表現してみる。「ことば」とは自分の中にもう一人の自分がいることであるから、
「ことば」に代わる訳語としてふさわしいのは、「内的二分」ではないかと考える。意識の中心には分裂がある
ということをこの語で示すことができると推測する【7】。
人間の相互理解というのはいつでも不完全なものであり、解釈を伴って、誤解を伴って理解がある。
しかし、誤解ばかりでまったく理解とはかけ離れていくわけではない。誤解を伴いながら、少しずつ理解を
深めていくことができる。それはなぜか。それを証明するのが三性説の二分依他説である。

  他に依る実存は、妄想されたという一分のあることによっては、輪廻なのであり、その同じものが、
  完全に成就されたという一分によっては、涅槃でもあるからである。
  (『摂大乗論』第2章28節、長尾 1982, pp.373-374)

  他に依る実存の中に、妄想された実存があり、汚染分に属する。
  完全に成就せる実存もあって、清浄分に属する。他に依る実存そのものは、それら二分を有するものとしてある。
  このことを意趣して、世尊は説かれた。(『摂大乗論』第2章29節A、長尾 1982, p.376)

 依他起性が二分を有するのは、それが分裂の仕組みを持っているからである。
転識とアーラヤ識が分裂し、その二つが相互因果のはたらきをして、アーラヤ識に蓄えられた種子が転識に外化し、
それがまた熏習されてアーラヤ識に蓄えられるという無限の循環を続けており、それはすべてが外化に向かう
運動として捉えられる。純粋な縁起の世界は、固定化されず、常に流れている。その仕組みで種子が外化し、
表象として分別され執着されたとき、それは妄想となり、依り所がアーラヤ識から智へ転回すると円成実性となる。
そのことを、次節29Bで「金が含まれている土塊」の比喩を用いて説明している。 土塊の中の土と金の分裂を
例えたものであるが、金が含まれている土塊は物質であるから、意識を持たない。あくまでも比喩であり、
現実的ではない。意識を持つものの例として、代わりに、二分依他を筆者自身の実践に置き換えて考察する。
 これまで置き換えて説明してきたように、人間である筆者は、現象世界で汚染に囲まれて生きている。
人間が汚染を汚染だと気が付くのは、意識が分裂しているからであり、それはすなわち意識の中に清浄と汚染と
を持っているからである。意識の分裂によって、現象世界の表象を認識している。なぜ人間には意識の分裂が
起っており、自分の中に清浄も汚染も持っているのか。それは先天的に備わっている能力だからである。
人間だけに意識の分裂が起る。その意識の分裂の最も深まった表象として、人間だけが言語を使用する。
それが人間に具わっている性格であり、現実である。この分裂の仕組みが依他起性である。汚染を汚染だと
思うのは、人間が依他起性の仕組みを持ち、分裂が絶えず運動を起こしているからである。絶えず運動して
いるからこそ、分裂は変化の可能性を持つ。依他起性は、遍計所執性にも、円成実性にも変化する可能性を持つ。
その仕組みを二分依他説は説明している【8】。
こうして、筆者の実践は唯識によって理論づけられた。なぜ人間は問題に気付き、それを解決しようとするのか、
それは人間が分裂の仕組みを備えているからである。分裂が外化に向かって運動を起こしているからである。
では、問題を解決するとはどういうことか。何を意味するのか。