2月 14

旧約聖書読書会の感想 その3

昨年の9月から12月まで、旧約聖書(中公クラシックス)の読書会を4回行いました。

参加者の感想を掲載します。

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◇◆ 3.人と神が、自分と世界をつくっていく 田中 由美子(鶏鳴学園講師) ◆◇

「創世記」と「出エジプト記」を読んだ。
初めの部分を除いて、具体的で生々しい物語だった。
これまで私が「出エジプト記」だと思っていたものは、英雄が奇跡を起こす物語であり、
何かの折に聞きかじって聖書だと思っていたものは、新約聖書の中の教訓を込めたような逸話やたとえ話だった。
しかし、実際は、そういう英雄談でも説教めいた話でもなく、生活や歴史の中の出来事をリアルに描いた物語だ。
楽しい出来事、きれいな話はない。困ったことが次々に起こり、殺しや盗み、裏切りが行われ、
憎しみや嫉妬のあふれる、どろどろの現実が描かれる。そういう物語が、長い間キリスト教とユダヤ教の聖典とされ、
多くの信仰者を擁する宗教を支えてきたという事実がおもしろい。
考えてみれば、きれいな話では人間が生きることを支えられない。失敗だらけで不幸に満ちた物語が、
失敗だらけで不幸に満ちた人生をしぶとく生きる人間を支えてきた。現在、キリスト教が、聖書をきれいな話、
ありがたい話として前面に出しているのであれば、それはむしろ人を現実から遠ざけ、余計に苦しめる面が
あるのではないだろうか。

また、女性の描き方もリアルだと思った。
女性が登場すれば、何か裏工作をしたり、ワガママだったりする。男も悪事を重ねるのだが、その趣が違う。
それは何を意味するのか。
太古から社会で表舞台に立つのは男であり、女は決定権を持たなかった。
しかし、女あっての家族、人間社会であるから、男もそれを無視はできない。
神も、女のワガママを受け入れる。例えば、アブラハムの妻、サラが、夫に、女奴隷との子をもうけさせたのに、
実現してみれば、あれこれと駄々をこねる。神は、結局、そのワガママを聞き入れてあげなさいと、アブラハムに言う。
女は決定権を持たないから、責任も免除される。
しかし、それは、男社会の裏の面を、女に投影しているに過ぎないのではないか。
「無責任担当者」を用意しておいて、都合のいいときに利用しているように思われ、そこがリアルだ。
イサクの妻、リベカが、マッチョな長男よりも賢い次男、ヤコブをよい目に合わせるが、やはり裏工作だ。
そして、それを夫も神も追認する。エジプトの王がイスラエル人に男の子が生まれたら殺せと命じたとき、
こっそりモーセを隠したのも、モーセを拾ったのも、女だ。

 一番の衝撃は、神の人間臭さだった。例えば、神が「わたしはおまえと契約を結ぶ」とノアに言う。
そして、ノアを箱舟に乗せて全てを全滅させた後、なんと神は後悔する。
モーセも平凡な人だ。神にエジプトの民を救い出せと言われたとき、「とても、わたくしのようなものが…」
と引き下がろうとする。身につまされて、可笑しい。
神がモーセのお尻をたたき、また人間に対して怒り狂ったり、また逆に、人間が神に何とかしてくれと
せっついたりしながら、人間も神も自分と世界をつくっていく。 
また、奴隷も神から、「おまえはどこから来て、どこへ行くつもりだ」と問われる。
モーセが十戒を授かるときにも、奴隷の解放が問題になっている。
人間と神が対等であり、それがキリスト教の人格の平等という思想の基にあるという中井さんの話が、
聖書の内容から実感された。

聖書を読む最初の読書会に参加して以来、聖書を読むのがおもしろくなった。人間の欲望全開の話であり、
資本主義や平等概念につながるものだという中井さんの読み方、また、ユダヤ民族が砂漠をさすらう圧倒的
弱小民族であるから、彼らが生き抜くために唯一絶対神との契約が必要だったという見方を学んだためだったと思う。
特にモーセの物語、モーセとパロとのどたばた劇など、十分に楽しんだ。難しい理屈だけでは民衆を支えられない。
多くの人に語られて、みんなで聞いておもしろい、聞いたら忘れられないようなストーリーが、人を支えたのだろう。
ただし、中井さんが旧約聖書の肝だとする「イザヤ書」は、歯が立たなかった。

最後に、人間には原罪があるから救済されなければならないのではなく、原罪のただなかにこそ救済がある
という中井さんの言葉が心に残った。私は長い間、自分が何か自分とは違う、別の人間にならなければ
ならないような気がして、しかし、そのちぐはぐさに希望を感じなかった。
目を背けたいような自分自身にどこまでも迫っていくところにだけ、道が拓けるのではないか。

2月 13

旧約聖書読書会の感想 その2

昨年の9月から12月まで、旧約聖書(中公クラシックス)の読書会を4回行いました。

参加者の感想を掲載します。

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◇◆ 2.人と向き合う旧約聖書 K.N(社会人) ◆◇

(1)人間の本性
旧約聖書の第2回(10月24日)に参加した。私が聖書に触れるのは、高校を卒業して以来だ。
中学高校と毎日礼拝があり、聖書の箇所を繰っていたのに、つまらない本だ、
礼拝での睡眠中の枕として役に立つなという以外、特に何の感想もなかった。
そして、5年ぶりに読書会に参加した。まず第一に、旧約聖書に書いてある出来事の残酷さと人間の
リアルさに衝撃を受けた。私は、自分たち人間がとても汚い、ドロドロした感情を常に備えていることに
目をそむけがちだ。殺人のニュースをもっても、犯人はどこか自分と違う生き物のような気がして、
そんな人間と私は違うんだ、と自分に言い聞かせる。汚い部分は現実世界では極力他人に隠そうとする。
しかし、旧約聖書の世界はちがう。何千年前の本なのに、そのような人間の醜い部分に、
真正面から向き合う力強さがあった。神がノア一族と一部の生物以外を滅ぼしたことを後悔するシーンで、
神は「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」と結論づけた。
聖書に出てくる人間は、感情や欲望に忠実だ。憎ければ殺すし、欲しければ奪う。強盗、殺人、近親相姦、
同性愛など、とにかく野蛮な人間像。神に選ばれた者も例外ではない。私が実にエグイなと思ったシーンがある。
アブラハムの妻サラが、不妊のため、奴隷の女に子どもを身ごもらせるようアブラハムに勧めた。
しかし、実際女奴隷に子どもが出来ると、彼女は奴隷とその子どもにつらくあたるようになった、というシーン。
どこの昼メロドラマだよ、と思ったが、同じ立場になったら、現代の多くの女性もサラと同じ様にふるまうだろう。
女の嫉妬心は、今も昔も変わらない。
旧約の読書会には1回しか参加できなかったのか、私の理解不足か、旧約聖書における神がなんなのかについては、
全然理解が及んでいない。読んでみて、旧約の神の行動が意味不明だった。新約聖書のキリストが話す神様は
ものすごい包容力と慈愛に満ちていて優しいイメージなのだが、旧約の神様はどこか人間的だ。
バベルの塔では、繁栄する人間を恐れて人間の居住地と言語をバラバラにする(=混乱を与える)。
ノアの方舟の箇所では、人間を作ったこと自体後悔して、ノアとわずかな生物以外を皆殺しにして、また後悔する。
なぜ失敗して、後悔するような不完全な神を描いたのか。また、神はソドムを滅ぼそうとする時、
アブラハムに「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。」というすごい正論を言われ、
一時譲歩する。人間ごときに譲歩する神、なんて信者は許容できるんだろうか。そのあたりがいまいち腑に落ちなかった。

(2)聖書の読み方から浮上する、自分の問題
読書会に参加して、中井さんの聖書の読みを聞いて、登場人物が、リアルな人間だったんだということに
初めて気付いた。なんとドロドロしていて、生き生きとしていて、こんなにドラマチックで面白い本だったのか、
朝の礼拝で聞き流していたときより、断然ワクワクしていた。登場人物をゴロツキと言い表したり、
一部の登場人物に祝福を与えることを神のえこひいきと指摘したり、本と格闘している感じだ。
この本を、骨の髄まで感じ取って理解してやろうというパワーに気圧される感じだった。
そのパワーに触れて、無味乾燥だと思っていた聖書の世界観が、リアルさをもって感じる経験が出来た。
私は中高をキリスト教系の学校で過ごしたので、聖書に触れる機会そのものは多かった。
だが、聖書を読んでも全く感銘を受けることも面白いと思うこともなく、何故キリスト教が
世界三大宗教になるまで信じられているのか、なぜ学年が上がるにつれて同級生が次々に聖書やキリストを
信じ洗礼を受けていくのか、全く理解ができなかった。今回読書会に参加し、それは私の読み方の問題、
読み方が非常に表面的だったことによるのだと考える。聖書は一見淡々とした文体で、神や人間の行動
(「言った。」「現れた。」など)と、セリフと、ちょっとの心理描写(「後悔した。」など)で構成される。
聖書の一句、その行間を読み取る想像力と、本と向き合おうという意識が決定的に欠けていた
読書会後に再読した際、ふと「聖書は六法に似ているな」という感想を持った。以前、文ゼミで私は
「心理学は人間の心を解き明かそうとするから好きで、法律は無味乾燥がから嫌い」といった内容を提出した。
六法も、淡々とした条文が並ぶだけで、全く人間味を感じられず、つまらない本だと決めつけていた。
そこで、中井さんに、「本質をみていない。法律は、ドロドロで、ほんとにどうしようもない人間を、
どうにかして押さえるために作って、試行錯誤してなんとか整備してきた、最も人間の本質が現れたものだ。」
と指摘され、裁判所に勤めているのにそんなこともわからなかったんだと恥ずかしくなった。聖書も同じだった。
一見無味乾燥に見えるが、こんなにも人間のほんとうのことが書いてある本だったのに、
私は本質を見る事ができないし、見ようともしないから、そんなことにも気付かないでずっとスル─していたのだ。

2月 12

昨年の9月から12月まで、旧約聖書(中公クラシックス)の読書会を4回行いました。

9月、10月は「創世記」
11月は「出エジプト記」
12月は「伝道の書」と「イザヤ書」を読みました。

参加者の感想を掲載します。

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◇◆ 1.矛盾を書き切る旧約の迫力 掛 泰輔(大学生) ◆◇

(1) 創世記

 人間はもともとアダムとイブしかおらず、神がつくったエデンの園に住んでいた。
その人間が善悪を知るきっかけとなったのは、善悪の木の実を食べたからであった。
そしてそれは「蛇」にそそのかされたからだった。善悪を知り目覚めた人間がはじめてしたことは、
自分たちが裸であることに気づき、服を着ることであった。これを中井さんは人間の社会性だと言った。
僕も幼稚園のころに舞台の上で踊りましょうなんて言われ、
まったく拒絶し一人だけ真ん中の一番前で突っ立っていたことがある。その方がよっぽど目立つけれど、
踊るよりはマシだと思っていた。こんな舞台の上で親を前に踊るなんて強烈に恥ずかしい、
と思った記憶がある。
 この「蛇」にそそのかされたというのも面白い。蛇をつくったのも神だろう、
いやそもそも中井さんのいうように、蛇が神ではないかとさえ思う。神は人間に善悪を教えたかったではないか。
しかし自分で教えてしまっては、神は自分で矛盾することになる。矛盾すれば神は完全ではなくなる。
神が神であるためには神自らを分裂させた結果である「蛇」をつくる必要があったのかもしれない。
だから蛇を遣わしたのではないか。
 読み進めて驚いたのは、アブラム(アブラハム)、イサク、ヤコブ、ヨセフ、と続く一族の物語に
これほど惹きつけられるとは思わなかった。ところどころに出てくる人間のどうしようもない欲望が
リアルに描かれる。建前抜きの生存をかけた葛藤の描写の迫力。アブラハムの話から神と人間が契約
という媒介によって関係していく。そしてこの契約という考え方が、神を神たらしめている。
つまり、契約を守れないようであれば、神は神ではなくなる。なので神もまた必死である。
神と契約したアブラハムはあるとき息子のイサクを生贄に捧げよ、と神ヤハウェに言われる。
アブラハムは淡々と従う。このときアブラハムは何を考えていたか、ということは書かれていないことが
想像をかきたてる。アブラハムの子孫を繁栄させるといって契約しておきながら、その息子を殺すことになれば、
それは契約の破棄であり、神自身の存在が否定されることになる。アブラハムはそれを知っていたから、
淡々と幼いイサクを祭壇に縛り、今に斧を振り下ろそうとしたのではないか。そこで神からストップがかかる。
「今こそ神を畏れるおまえの心がわかった」と言っている。矛盾した神。
ここのタイトルは「アブラハムの試練」である。
 しかし実際は神の方こそ試されていたのではないか。アブラハムはここでストップをかけない
ような神であれば、自らの存在を示せない神、そんな神と契約することはできないというふうにも
考えていたのではないかとも読める。
 人間も神に交渉を持ちかける場面が何度も出てくる。ヤコブは「もしヤハウェがわたしとともにいて、
わたしのいくこの旅路を守り、食べるパンと着る衣服を備えて下さるならば、ヤハウェを我が神としよう」と言う。
 こうしたことからも神と人間が契約で結ばれた途端に、関係は対等であり、対等であるからこそ、
互いが互いの存在価値を証明しようとしてぶつかり、対話が起こり、運動が起こる。
契約世界である資本主義がここまで発展してきたのも、それが世界の真理だからであり、
死の強い危機感に直面し続けてきた民族だからこそ、その芽をつかむことができたのではないだろうか。

(2) 出エジプト記

 モーセの使命
 出エジプト記は迫害され続けた一族、及びそのリーダーとして生きたモーセの物語だ。
モーセと聞いて思い浮かぶのは、よく絵画のモチーフになるように、モーセが海を割って道が開くという
あれだった。これも何が面白いのか全く分からず読み始めた。しかし予想に反してまたしても惹きつけられ、
心動かされた。
 出エジプト記には彼の青年時代からやがて壮年期をへて一族の指導者になるまでが書かれている。
モーセはレビ族の生まれだが、生まれて間もなく、かくまいきれなくなった(エジプト王によって
ヘブル人の男の子は殺されることになっていた)母親はナイル川沿いにモーセを捨てた。そこを
エジプトの王女に拾われ養子になった。しかしなぜだか自分の出自が、エジプトで苦役を強いられている
ヘブル人であることを知っていた。ある時同胞の仲間のヘブル人がエジプト人に殴られているところを見た。
そしてモーセは仇討ちにそのエジプト人を殺す。国にいられなくなったモーセはシナイ山の奥、
ミデアンの地に逃げ込み、そこで妻を娶り過ごすことになる。しばらくしてエジプトの王が死んだ。
 モーセはある時、舅の羊を荒野の奥まで追っていき、神の山ホレブまで来た。すると突然、
神がめらめらと燃える柴の中からモーセに告げた。「彼らをエジプト人の手から救い出し、
あの広々とした沃地、乳と蜜が流れる地に導き上らせよう。」
モーセは繰り返し「私にはとてもできない」と尻込みする。
神はそれで怒って、介助役の兄アロンの助けを借りさせ、モーセはやっとエジプトに向かう決心をする。
モーセは故郷のエジプトに帰った。   
 デミアンの地に寄寓し、彼はきっと「自分とは何者か」ということを考え続けたに違いない。
自分はなぜエジプト人を殺したのか。エジプト人を殺し、今ここに逃げ隠れている自分とは何者か。
彼のアイデンティティーはイスラエル民族、というものに行き着いた。
ではイスラエル民族として生きる自分、その中の自分とは、一体何者か。何を為すべきなのか。
 そこで彼は自分で答えを出した。神に答えを与えられたというが、神はどこかから彼の元に飛んで
きたのではなく、彼の中にあったのだろう。だから彼は神と契約を結び、自らの運命を自ら決めたのだろう。
もちろん何度も何度も葛藤はあった。が、それは決意の固さの裏返しのようにも見える。
行動が大胆であるほど、それに対する懐疑は深まる。しかし答えはすでに出てしまっている。
前に進むという道しか残されていなかったのだろう。

僕の経験
 この僕自身も訳あって16歳の頃、高校を辞めて上京し、一度故郷を捨てた。
家にも故郷にも二度と帰らない、帰りたくないと思い離れた。一度全てをご破算にしたいと思い、逃げたかった。
一方で、新しい自分になるために必要な師を探し求めての旅だと明確に自覚し行動もした。それで鶏鳴に出会った。
中井さんに言われたのは一度家族と話し合えということだった。僕は一度故郷を捨てたと言いながら、
家族の経済的援助を受けていた。そしてそれでありながら、家族となんら話もせずに独断で高校を辞め、
上京してきた過去をはじめて意識した。意識したものの、それが僕のどういう本質を表し、
何が問題なのかということは、その時は何もわからなかった。一度帰省し、家族と話し合った。
何度も何度も話し合って、中井さんの言っていたこと、自分のやってきたことの意味がはじめて、少しだけわかった。
 2週間存分に家族と話し合い、闘ってみて少しわかった。家族であれ他人であるということ。
そして他人に対しては、言葉にして問いをぶつけなければならない。「僕が高校を辞めると言った時、
辞めた時、辞めて引きこもっていた時、何を考え何を感じ、何をしていたのか?」
 そして相手に問いをぶつけるということは自分に対して問いをぶつけるということに他ならなかった。
「逆に自分は、その問いにどう答えるだろうか」。その問いは自分とは何者か、という問いだった。
 人と人が対等に向き合うということは、これほど苦しく、分かり合えず、対立を深めるということだと知った。
しかしおもしろいのは、それだけのバトルを行って家族の間ではじめて僕は家族の目を見て話しがきけるようになった。
今までは極端に反抗し、無視し、あしらい、馬鹿にしていた。そういう自分がいつのまにか消えていた。
今振り返れば、残ったのは新しい関係、相互理解の深まりだった。
 モーセもきっと無視できない自分の過去の意味に気づいていたのではないだろうか。自分の生きて来た中に、
自分とは何か、の答えがあった。そしてその答えを見つけたからには、そう生きるしか本当に生きるという
ことにはならないことも気づいていたのではないか。ここで安穏とした生活を送ることが、自分のやるべき
ことなのか。一見真っ当な生活を送っているようで、実は自分自信の使命を押し殺して生きていることに、
うすうす気がついていたのではないだろうか。

パロとの闘い
 エジプトに帰ったモーセは王様パロと闘う。エジプトの魔術師と戦ってナイル川を真っ赤にしてみたり、
蛙を大量発生させて王を困らせる。そして魔術師も負けじと蛙を大量発生させるので、もはや何をやっているのか
わからない。虱やイナゴで襲撃してみたり、アブを大量発生させる。雷と雹を降らし、稲妻を空に響き渡らせた。
このやりとりはさながら漫画のようなおもしろさがある。
 そしておもしろいのが、これだけのことをやられてパロの家臣は王に叫ぶ。
「いつまでやつらにかき回されるのですか!早くやつらを解放しましょう!
エジプトが滅びかかっているのがまだお分かりになりませんか!」
 いかにも凡人が言いそうなことである。組織の中で問題がおこらないことを良しとする人間の根性は
2000年以上前から変わらない。
 パロは屈しなかった。一ミリもモーセに対して妥協しなかった。
 しかしモーセはとうとう最後の手段に出た。空前絶後のイナゴを放ってエジプトから緑という緑を消し去った。
そしてエジプト全土を3日間真暗闇にし、エジプト中の初子をすべて抹殺した。パロはヘブル人を抹殺したが、
モーセはエジプト人の初子を抹殺したのである。そこで、やっと、パロは折れた。
 そこでやっとエジプト脱出になるが、そこでもパロはまだ追いかけてきた。
結果的にモーセが葦の海を切り開いてパロ軍を殲滅した。が、神をも恐れないパロの執念は、
学習能力がないとも思えるし、闘う姿勢を崩さない素晴らしさとも思う。

エジプト脱出と大衆の本音
 おもしろいのはモーセに従ったイスラエル人である。ひたすらモーセに愚痴を吐き、悪態をつく。
 イスラエル人の奴隷たちは、エジプトでは奴隷であれど食べるものには困らなかった。
のちにモーセに率いられて砂漠を何十年も彷徨うよりもはるかに物質的に豊かで楽に生きられた。
 そんなイスラエルの同胞にモーセは「このままではダメだ。一族でカナンの地を目指そう」といった。
どんな気持ちで、どれほどそれを信じていただろう。何度も弱音を吐いてはヤハウェに叱咤され、
自らの使命に引き戻される。きっと、辞めたかったに違いない。なんで自分が、とも思っただろう。
 そして旧約の中では異色な、モーセの墓は未だ見つかっていない、という事実は胸に迫るような事実だった。
彼は同胞に殺されたのかもしれない。すさまじい恨みを買っていなければ、せめて誰かが墓くらい
建ててやっていただろう。そうまでして実現せねばならなかった使命、そういうふうにしか生きられなかったのだろう。

(3) イザヤ書
 イザヤ書は文体も内容も異様だった。第一イザヤは神にこのような召命を受ける。
「イスラエルの人間を、頑なにせよ。神を信じないような人間にしろ。現実にひたすらすりより、
神を忘れてしまうような、そういう人間にするのが、お前の使命だ」
 だがイザヤがとった行動は、「悔い改めよ」と説いて回ること。この矛盾の塊である召命、
そしてその矛盾を生きることを選んだ第一イザヤ。これが神がイザヤに命じた使命だと知った時、
胸に迫るようでありなぜか涙が出てくる。この涙や感情の意味を考えてみたものの、今はよくわからない。
最後にイザヤは民の手によりノコギリで轢かれ殺された。もしも民衆が真っ当な生き方に立ち返ってくれれば、
頑迷預言は間違いだったことがわかった。だが頑迷預言の撤回はなされず、絶望の中で死んだという。
だがその意志を継ぎ発展させたのがイエスだと中井さんがいうことの意味。ここにある巨大な何かは、
今のままの自分では到底理解できない。

2月 10

梅の季節になりました。メジロを近くの公園でよく見るようになりました。

さて、中井ゼミの2月と3月の日程は、すでにお知らせしたとおりです。

読書会の2月のテキストは「新約聖書」(日本聖書協会)からルカ福音書、ヨハネ福音書を読みます。

前回は「新約聖書 福音書」 (岩波文庫)で読みましたが、2月からは日本聖書協会から出ている「聖書」新共同訳を使用します。

新共同訳の方が共同訳なので、すぐれている点が多いことが理由です。
途中で変更してすいませんが、
図書館で借りるか、購入するかしてください。

多数の版が出ています。どれでもかまいません。
「新約聖書」(日本聖書協会)の文庫版なら1300円(税別)です。
すでにお持ちの版があれば、それでかまいません。

3月の読書会のテキストは、「新約聖書」(日本聖書協会)からパウロ書簡と使徒言行録です。
キリスト教の成立を考えます。

参加希望者はこの予定で準備してください。

また、早めに(読書会は1週間前まで、文章ゼミは2週間前まで)申し込みをしてください。

遠距離の方や多忙な方のために、ウェブでの参加も可能にしました。申し込み時点でウェブ参加の希望を伝えてください。

ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

1.2月、3月のゼミの日程

基本的に、文章ゼミと「現実と闘う時間」は開始を午後5時、
読書会と「現実と闘う時間」は開始を午後2時とします。
ただし、変更があり得ますから、確認をしてください。

なお、「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

21日(日)読書会と「現実と闘う時間」
「新約聖書」(日本聖書協会)からルカ福音書、ヨハネ福音書

3月
5日(土)文ゼミと「現実と闘う時間」
20日(日)読書会と「現実と闘う時間」
「新約聖書」(日本聖書協会)からパウロ書簡と使徒言行録

1月 31

2015年11月14日から16日まで広島を旅した。掛君が同行した。

15日午前には福山市の広島県立歴史博物館(企画展「頼山陽を愛した女流画人平田玉蘊」)、福山市美術館。午後には広島市の頼山陽史跡資料館(頼山陽史跡資料館開館20周年記念特別展「風流才子の交わり」 ?頼山陽と田能村竹田を中心に?)、広島原爆ドームと平和資料館。
16日は終日、下浦刈島で蘭島文化振興財団の事務局長の取材と2つの美術館などの文化施設を回った。ここは「歴史と文化のガーデンアイランド 下浦刈島」としてサントリー地域文化賞を受賞している。取材は、地域資源経営を考えるヒントになると思ってのもの。
下浦刈島に行ったのは、蘭島閣美術館(秋季特別展『靉光とゆかりの画家たち』)、三之瀬御本陣芸術文化館(『須田国太郎の足跡をたどる』)の展示を見たかったのだが、 靉光や須田の絵画がなぜどのようにして、ここに集まっているのかを知りたかった。
下浦刈島の蘭島文化振興財団については別稿にまとめることにし、今回は、広島県立歴史博物館の常設展示と企画展を見て回り、企画展では学芸員さんに教えてもらったこと、そこから考えたことをまとめておく。

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◇◆ 文化意識と国防意識と  中井浩一 ◆◇

(1)菅茶山と平田玉蘊

福山市の広島県立歴史博物館の企画展「頼山陽を愛した女流画人平田玉蘊」を見た。
学芸員の方に案内をしてもらい、江戸時代後期・文化文政期の日本の文化状況を教えてもらった。それは面白く、刺激的だった。

平田は尾道の豪商の娘だったが、当時すでに尾道や福山、神辺、竹原、広島などを結ぶ地域の文化のネットワークがあり、
その文化センターが神辺(現在の福山市内)の儒学者・漢詩人の菅茶山(1748?1827)であった。
菅茶山は当然ながら、平田玉蘊(1787?1855)のパトロンであり、庇護者、支援者であった。
頼山陽(1781?1832)も、若き日に放蕩三昧で実家を追い出され、菅茶山のもとにおいてもらっていた時期がある。
そこで頼と平田は出会ったらしい。2人は恋に落ちたが、悲劇的な別れが待っている。
その後、平田は尾道を拠点にして職業画家として生きたらしい。

そして、平田にとっては、菅茶山はつねに変わることない庇護者だった。
例えば、平田が伊藤若冲や蠣崎波響などの作品の模写をしているのだが、その事実は菅茶山が当時の文化の最先端の絵画を所有し、それを平田が自由に閲覧できたことを物語っている。
この歴史博物館には菅茶山関係の資料が集まっており、その解読、分析が進んでいる。

(2)全国各地と地域を結ぶ文化のネットワーク

当時の日本には、全国各地と地域を結ぶネットワークができあがっていた。知識人、文化人のネットワークの完成である。
それがそのまま政治、文化に関する情報ルートとなっており、文化に関する多様な情報も、そのネットワークを通じて全国に流れていた。
 中央には江戸の知識人たちがいるのだが、幕府のトップである松平定信(1758?1829)自身がそうした全国的な文化のネットワークの中心にあり、
そのネットワークの完成者として自覚的な動きをしている。各地の文化のセンターたる文化人たちはその事業の協力者だった。

 例えば、『集古十種(しゅうこじっしゅ) 古画肖像之部』の刊行である。集古十種は、日本全国の古美術の木版図録集(目録)であり、
1859点の文物を碑銘、鐘銘、兵器、銅器、楽器、文房(文房具)、印璽、扁額、肖像、書画の10種類に分類し、その寸法、所在地、特徴などを記し、模写図を添えたものだ。
その編纂は松平定信を中心に柴野栗山・広瀬蒙斎・屋代弘賢・鵜飼貴重らの学者や家臣、
画人としては谷文晁、喜多武清・大野文泉(巨野泉祐)・僧白雲・住吉廣行・森川竹窓などによって4年の歳月を掛けて行われ、
寛政12年(1800年)に第一次の刊行がなされた。
絵師らは奥州から九州まで全国各地の寺社に赴き、現地で書画や古器物を写しとった。
現地調査以外に直接取り寄せることや模本や写本を利用することもしている。(以上の集古十種の説明はウィキペディアに依っている)

 この編集作業のための全国各地の協力者たちがいた。それが当時の知識人、文化人のネットワークであった。
その背景には、国防意識やナショナリズムの高揚があったようだ。当時、日本各地にヨーロッパ列強の影が現れていた。
ロシアが南下を開始し、北海道に迫っていた。オランダに代わって、フランスやイギリスがその勢力をまし、日本沿岸に現れていた。
日本を舞台にしてそれら列強が覇権を争うような事態も想定できた。その対策に当たったのが松平定信だった。
彼は、当時の最大の文化人の1人として、国防意識と文化意識が一体となった事業を遂行していった。
国防意識やナショナリズムの高揚と地方の文化振興策は一体となって進んだようだ。

(3)尾道、福山、神辺、竹原、広島、三原などを結ぶ文化のネットワーク

各地の拠点はその地域での文化の広がりや浸透に大きな役割をはたした。
そこに文化の保護者、パトロンの存在があり、各地の自立性があった。

西日本の一大センターが福山の神辺の菅茶山だった。それは四国、九州、中国地方におよぶ大きな文化圏を形成していた。
広島だけでも、尾道、福山、神辺、竹原、広島、三原などを結ぶ文化のネットワークがあったことは、歴史的にもうなずける。

そうした中に、頼山陽や平田玉蘊が生まれ、九州の田能村竹田らとの交流も保障されているようだ。
尾道は商業都市として経済的に栄え、都市としての自立性もある程度持っていたようだ。
平田玉蘊の父親がそうだったように文化的なパトロンも多く、田能村竹田はそうした後援者のもとを何度も訪ね、ある年は半年も滞在している。

そうした伝統は近代、現代になっても続いているように思った。
私の大好きな画家・須田国太郎のパトロンがいたし(その1人は岡林監督の父〔開業医〕だったらしい。福山にも彼の支援者たちがいた)、
彼の親友だった小林和作は尾道が気に入って住み着いてしまったのだが、後に尾道の文化のセンターとして地域のボス的存在にまでなっていたらしい。
小林は須田の絵画の販売や保護、文化的な位置づけまでを決定する役割を果たしている。

(4)文化の成熟と国防意識

私は若いころは日本文化を低く評価していた。ちまちまとまとまっていることが嫌だった。
洗練はあっても激しさや強靭さが弱いと思っていた。ハチャメチャで激烈で広大な世界こそがあこがれだった。

しかし、今は少し違っている。日本文化の総体に、文化の成熟、爛熟、高い美意識を見出し、それを評価するようになったのだ。
この「日本文化の総体」という意識は江戸時代の後半に成立すると思うが、それは日本人の自己意識の深まり、日本文化の総体の反省の上になりたっていると考える。
それが日本文化の成熟、爛熟をもたらしていると思う。

こうした日本人の自己意識の深まりは、過去の作品の収集と整理、その分類から始まる。
そうした作業の1つが集古十種の編集作業だったろう。江戸時代に手鑑(てかがみ)の類が多数作成されたのもその現れだろう。
手鑑とは数多くの古筆・名筆を鑑賞する目的で作成された手(筆跡のこと)のアルバム。
奈良時代から南北朝・室町時代の各時代にわたる古筆切が、台紙に一枚から三枚ほどが貼り付けられ、その台紙を50枚ほどつなげて、帖(じょう)に仕立ててある。
ここにあるのはコレクション、編集・編纂、異文化のコラボ、プロデュースの意識である。
そしてその強烈な自己意識は他者意識との響き合いで強まり、高まる。
その背後には諸外国の影と国防意識やナショナリズムの高揚があったことを今回、意識した。

(5)「海の道」

 福山市の広島県立歴史博物館は、美術館ではない。それがこうした女流画人の企画展を行うのも面白い。
ここでは学芸員が全員まわりもちで、企画展を実施するようにしているのだ。
これは福山市の市立美術館でも同じだった。そうしたことに感心する。

そもそもこの博物館は、福山市の草戸千軒町遺跡の発掘調査の成果を展示するために生まれた。
草戸千軒とは、福山市街地の西部を流れる芦田川の川底に埋もれた中世の集落跡である。それは中世の瀬戸内に栄えた港町・市場町であった。
今もこの常設展では、その港町・市場町の様子が再現され、遺物や関連資料が展示されている。
ここ瀬戸内海は古くから九州と近畿地方とを結ぶ物品と文化の大動脈だったのだ。その交易の様子なども展示されていた。
そうした展示を見ながら、「海の道」を強く意識した。
私にとっては陸の道が普通であり、空の道が例外で、海の道には縁が薄いのだが、近世までは海の道こそが中心だった。
瀬戸内海はその意味で、物流と文化の基幹道路だったことに目が開かれた気がする。
瀬戸内海の拠点は、そうした意味での拠点群であり、尾道もその1つだったのだ。