12月 07

 ◇◆ 「医療行為」と「治療行為」 ◆◇

 ゼミのメンバーに某大学の大学院生がいる。精神科の医者になることを目指しているが、現在は精神分析に関する修士論文を書いている。彼から「医療行為」と「治療行為」という対概念を聞いて、これは面白いと思った。

 医療については、民間療法や東洋医学、似非医学などが常に問題になる。薬も薬事法に基づく正規のものから詐欺まがいのものまでが混在する。私が高く評価している野口整体などは、「医療行為」ではないから、保険がきかない。そのために金持ちのための医療になり勝ちだ。
これをどう考え、どう整理したらよいのだろうか。

 国が認めた「医療行為」と「治療行為」を区別して考えると、いろいろなことが見えてくる。もともと人類の発生と共に、「治療行為」はあったはずだ。母親が手当(子どもの痛いところに手を当てたり、さすったりすること)をしたり、「いたいの、いたいの、飛んでイケ?」とまじないをかけたりするのは、誰もがやっている治療行為だ。それは人類とともに古く、また普遍的だろう。

 また、民間療法もそうだ。呪術師や行者たち、仏教者も、さかんに治療行為を行ってきた。はじめはそれが医療だったし、それしか医療はなかった。しかし、いつしか、そうした治療行為の中から、またはそれらとは別に、「医療」なるものが生まれ、科学とともに体系化され、国家が承認、管理するようになった。この段階で初めて、「医療行為」と「治療行為」とははっきりと区別されるに至ったのだ。

 しかし、これまでも、これからも常に、人々の中に、生活の中に治療行為はある。特に心理的な側面ではそれが大きな力を持つことは、誰も反対しないだろう。そうした普遍的で根源的な治療行為が行われる中に、極めて特殊な異物として「医療行為」が存在している。それが実態ではないだろうか。それが逆転し、「医療行為」の中に、異物として「治療行為」がきわめてまれに行われている。そうしたイメージが広がっているのではないか。どちらの把握の方が真実に迫っているのだろうか。