次の本のことと、11月と12月の読書会
この2年あまり、牧野紀之の『ヘーゲル研究入門』の増補版を刊行すべく、そこに収録されているヘーゲルの3つのテキストについて、牧野の設問の解答、それぞれのテキストの解説と、ヘーゲル哲学全体の解説を書いていました。
本のタイトルは『ヘーゲル哲学を研究するとはどういうことか』です。そのものズバリですね。
この本では、それぞれのテキストの解説とは別に、ヘーゲル哲学全体の解説を書いたのですが、それをなかなか終わらせられずに苦闘していましたが、この10月にやっと書きあげました。来年の2月か3月に社会評論社から刊行予定です。
以下、後書き用に書いたものです。
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今回、「全体の解説」と3つのテキストへの「解説」を書きながら、思ったことを書き留めておきます。
テキストへの解説では、私の考えはほぼできており、それを書くだけでした。ただしテキスト2の付録3で取り上げている「原罪」と「悪」についてのところでは、今回はっきりと私自身の考え方をつかんだと思っております。これは思春期からの私のテーマの1つでした。
「全体の解説」では難航しました。いったんは完成した原稿を何回か大きく書き直したからです。その原因は大きくは2つあります。
1つは6章の労働過程論とそこから自己意識、自我を導出していく部分です。ここを生物の独立存在の発展として、その頂点の段階、一応の完成の姿として提示しなければならないと思いました。相互外在性の克服としてです。そこで6章以降を書き直すことにしました。
もう1つは、ヘーゲルの「時代を超える」「超えない」という論点についてです。これは前著『現代に生きるマルクス』のラストで問題にしたことです。当時この問題の答えを一応は出したつもりでしたが、その不十分さを強く感じていました。それを宿題として抱えており、それを考えるために、その後の2年間ではプラトンの『国家』や他の対話篇、アリストテレスを読み直しました。またそれに関連して、ヘーゲルの『精神哲学』『自然哲学』『歴史哲学』『哲学史』などを読みました。
私の答えを出さなければなりません。それは9章(9?3)に書きました。限界と契機の理解が核心です。そして、この答えを出した以上、それが「全体の解説」を貫かねばならないと考えました。それは独立存在の本質、相互外在性の克服と関係します。その中に、限界と契機の考えかたが確認されると思っております。
こうしたことを考え抜くために原稿の完成がずいぶん遅れました。しかしそれは必要な時間だったのだと思います。現時点での私の力は出し尽くしました。
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この後書きにあるように、2022年からプラトンの『国家』や他の対話篇、アリストテレスを学習しました。ギリシャ哲学のソクラテス、プラトン、アリストテレスの3巨頭の検討です。
またそれに関連して、ヘーゲルの『哲学史』、さらに『自然哲学』『精神哲学』『歴史哲学』などを読みました。この作業に、2年ほどをかけて取り組みました。
その成果は読書会の記録としてまとめてあったのですが、悪戦苦闘の跡が生々しく、わからないことだらけで、そのままメルマガに発表することはできませんでした。
しかし、いちおうの結果を今回出したことで、その記録を公開したいと思います。わからなかったことの一部は今ならわかるようになりましたので、それぞれの記録の終わりに、その後考えたことを追加しておきます。
ギリシャ哲学は、生きることと哲学することが一つだった時代と社会から生まれました。 しかしその後、哲学を純化し体系化する過程で、哲学が生活から分離していった面があると思います。それが現在の哲学が、生きることからは切り離されたよそよそしいものもなった面があると思います。しかし、ヘーゲル哲学はそのギリシャ時代の生活と哲学がシンプルに 1つだったところに戻ろうとする面があると思います。
さて、ギリシャ哲学の読書会の記録を公開する前に、11月と12月の読書会で、それらの記録を読み直したいと思います。
ギリシャ哲学に関心のある方は参加してください。
(1)11月23日の読書会 以下の読書会の記録を読みます。
 22年5月 ソクラテス、プラトン ヘーゲル『哲学史講義?』長谷川宏訳、河出文庫
    6月 アリストテレス ヘーゲル『哲学史講義?』長谷川宏訳、河出文庫
    7月 『詩学』アリストテレス(光文社新訳文庫、三浦洋訳)
(2)12月14日の読書会 以下の読書会の記録を読みます。
  22年9月 藤沢令夫『プラトンの哲学』
    10月 プラトン『パイドン』(岩波の全集第1巻から)   
 申し込みは以下に
 事務局メールアドレス keimei@zg8.so-net.ne.jp
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