1月 31

2015年11月14日から16日まで広島を旅した。掛君が同行した。

15日午前には福山市の広島県立歴史博物館(企画展「頼山陽を愛した女流画人平田玉蘊」)、福山市美術館。午後には広島市の頼山陽史跡資料館(頼山陽史跡資料館開館20周年記念特別展「風流才子の交わり」 ?頼山陽と田能村竹田を中心に?)、広島原爆ドームと平和資料館。
16日は終日、下浦刈島で蘭島文化振興財団の事務局長の取材と2つの美術館などの文化施設を回った。ここは「歴史と文化のガーデンアイランド 下浦刈島」としてサントリー地域文化賞を受賞している。取材は、地域資源経営を考えるヒントになると思ってのもの。
下浦刈島に行ったのは、蘭島閣美術館(秋季特別展『靉光とゆかりの画家たち』)、三之瀬御本陣芸術文化館(『須田国太郎の足跡をたどる』)の展示を見たかったのだが、 靉光や須田の絵画がなぜどのようにして、ここに集まっているのかを知りたかった。
下浦刈島の蘭島文化振興財団については別稿にまとめることにし、今回は、広島県立歴史博物館の常設展示と企画展を見て回り、企画展では学芸員さんに教えてもらったこと、そこから考えたことをまとめておく。

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◇◆ 文化意識と国防意識と  中井浩一 ◆◇

(1)菅茶山と平田玉蘊

福山市の広島県立歴史博物館の企画展「頼山陽を愛した女流画人平田玉蘊」を見た。
学芸員の方に案内をしてもらい、江戸時代後期・文化文政期の日本の文化状況を教えてもらった。それは面白く、刺激的だった。

平田は尾道の豪商の娘だったが、当時すでに尾道や福山、神辺、竹原、広島などを結ぶ地域の文化のネットワークがあり、
その文化センターが神辺(現在の福山市内)の儒学者・漢詩人の菅茶山(1748?1827)であった。
菅茶山は当然ながら、平田玉蘊(1787?1855)のパトロンであり、庇護者、支援者であった。
頼山陽(1781?1832)も、若き日に放蕩三昧で実家を追い出され、菅茶山のもとにおいてもらっていた時期がある。
そこで頼と平田は出会ったらしい。2人は恋に落ちたが、悲劇的な別れが待っている。
その後、平田は尾道を拠点にして職業画家として生きたらしい。

そして、平田にとっては、菅茶山はつねに変わることない庇護者だった。
例えば、平田が伊藤若冲や蠣崎波響などの作品の模写をしているのだが、その事実は菅茶山が当時の文化の最先端の絵画を所有し、それを平田が自由に閲覧できたことを物語っている。
この歴史博物館には菅茶山関係の資料が集まっており、その解読、分析が進んでいる。

(2)全国各地と地域を結ぶ文化のネットワーク

当時の日本には、全国各地と地域を結ぶネットワークができあがっていた。知識人、文化人のネットワークの完成である。
それがそのまま政治、文化に関する情報ルートとなっており、文化に関する多様な情報も、そのネットワークを通じて全国に流れていた。
 中央には江戸の知識人たちがいるのだが、幕府のトップである松平定信(1758?1829)自身がそうした全国的な文化のネットワークの中心にあり、
そのネットワークの完成者として自覚的な動きをしている。各地の文化のセンターたる文化人たちはその事業の協力者だった。

 例えば、『集古十種(しゅうこじっしゅ) 古画肖像之部』の刊行である。集古十種は、日本全国の古美術の木版図録集(目録)であり、
1859点の文物を碑銘、鐘銘、兵器、銅器、楽器、文房(文房具)、印璽、扁額、肖像、書画の10種類に分類し、その寸法、所在地、特徴などを記し、模写図を添えたものだ。
その編纂は松平定信を中心に柴野栗山・広瀬蒙斎・屋代弘賢・鵜飼貴重らの学者や家臣、
画人としては谷文晁、喜多武清・大野文泉(巨野泉祐)・僧白雲・住吉廣行・森川竹窓などによって4年の歳月を掛けて行われ、
寛政12年(1800年)に第一次の刊行がなされた。
絵師らは奥州から九州まで全国各地の寺社に赴き、現地で書画や古器物を写しとった。
現地調査以外に直接取り寄せることや模本や写本を利用することもしている。(以上の集古十種の説明はウィキペディアに依っている)

 この編集作業のための全国各地の協力者たちがいた。それが当時の知識人、文化人のネットワークであった。
その背景には、国防意識やナショナリズムの高揚があったようだ。当時、日本各地にヨーロッパ列強の影が現れていた。
ロシアが南下を開始し、北海道に迫っていた。オランダに代わって、フランスやイギリスがその勢力をまし、日本沿岸に現れていた。
日本を舞台にしてそれら列強が覇権を争うような事態も想定できた。その対策に当たったのが松平定信だった。
彼は、当時の最大の文化人の1人として、国防意識と文化意識が一体となった事業を遂行していった。
国防意識やナショナリズムの高揚と地方の文化振興策は一体となって進んだようだ。

(3)尾道、福山、神辺、竹原、広島、三原などを結ぶ文化のネットワーク

各地の拠点はその地域での文化の広がりや浸透に大きな役割をはたした。
そこに文化の保護者、パトロンの存在があり、各地の自立性があった。

西日本の一大センターが福山の神辺の菅茶山だった。それは四国、九州、中国地方におよぶ大きな文化圏を形成していた。
広島だけでも、尾道、福山、神辺、竹原、広島、三原などを結ぶ文化のネットワークがあったことは、歴史的にもうなずける。

そうした中に、頼山陽や平田玉蘊が生まれ、九州の田能村竹田らとの交流も保障されているようだ。
尾道は商業都市として経済的に栄え、都市としての自立性もある程度持っていたようだ。
平田玉蘊の父親がそうだったように文化的なパトロンも多く、田能村竹田はそうした後援者のもとを何度も訪ね、ある年は半年も滞在している。

そうした伝統は近代、現代になっても続いているように思った。
私の大好きな画家・須田国太郎のパトロンがいたし(その1人は岡林監督の父〔開業医〕だったらしい。福山にも彼の支援者たちがいた)、
彼の親友だった小林和作は尾道が気に入って住み着いてしまったのだが、後に尾道の文化のセンターとして地域のボス的存在にまでなっていたらしい。
小林は須田の絵画の販売や保護、文化的な位置づけまでを決定する役割を果たしている。

(4)文化の成熟と国防意識

私は若いころは日本文化を低く評価していた。ちまちまとまとまっていることが嫌だった。
洗練はあっても激しさや強靭さが弱いと思っていた。ハチャメチャで激烈で広大な世界こそがあこがれだった。

しかし、今は少し違っている。日本文化の総体に、文化の成熟、爛熟、高い美意識を見出し、それを評価するようになったのだ。
この「日本文化の総体」という意識は江戸時代の後半に成立すると思うが、それは日本人の自己意識の深まり、日本文化の総体の反省の上になりたっていると考える。
それが日本文化の成熟、爛熟をもたらしていると思う。

こうした日本人の自己意識の深まりは、過去の作品の収集と整理、その分類から始まる。
そうした作業の1つが集古十種の編集作業だったろう。江戸時代に手鑑(てかがみ)の類が多数作成されたのもその現れだろう。
手鑑とは数多くの古筆・名筆を鑑賞する目的で作成された手(筆跡のこと)のアルバム。
奈良時代から南北朝・室町時代の各時代にわたる古筆切が、台紙に一枚から三枚ほどが貼り付けられ、その台紙を50枚ほどつなげて、帖(じょう)に仕立ててある。
ここにあるのはコレクション、編集・編纂、異文化のコラボ、プロデュースの意識である。
そしてその強烈な自己意識は他者意識との響き合いで強まり、高まる。
その背後には諸外国の影と国防意識やナショナリズムの高揚があったことを今回、意識した。

(5)「海の道」

 福山市の広島県立歴史博物館は、美術館ではない。それがこうした女流画人の企画展を行うのも面白い。
ここでは学芸員が全員まわりもちで、企画展を実施するようにしているのだ。
これは福山市の市立美術館でも同じだった。そうしたことに感心する。

そもそもこの博物館は、福山市の草戸千軒町遺跡の発掘調査の成果を展示するために生まれた。
草戸千軒とは、福山市街地の西部を流れる芦田川の川底に埋もれた中世の集落跡である。それは中世の瀬戸内に栄えた港町・市場町であった。
今もこの常設展では、その港町・市場町の様子が再現され、遺物や関連資料が展示されている。
ここ瀬戸内海は古くから九州と近畿地方とを結ぶ物品と文化の大動脈だったのだ。その交易の様子なども展示されていた。
そうした展示を見ながら、「海の道」を強く意識した。
私にとっては陸の道が普通であり、空の道が例外で、海の道には縁が薄いのだが、近世までは海の道こそが中心だった。
瀬戸内海はその意味で、物流と文化の基幹道路だったことに目が開かれた気がする。
瀬戸内海の拠点は、そうした意味での拠点群であり、尾道もその1つだったのだ。

4月 13

4月の統一地方選で山梨県議選(山梨県甲府市)に、友人の笹本貴之君が出馬した。
彼は、全国で初めて「ワインツーリズム」を企画・運営し成功をおさめた。地方紙はもちろんだが、全国紙でも紹介された有名人だ。

私は、学習会中心の政治運動を提唱し、1年以上前から彼を応援してきた。「学習会中心の政治運動」という理念、その学習会のナカミの1例(コミュニティービジネスからみた「ワインツーリズム」)はこのメルマガの165から169号で紹介した。

その結果が一昨日4月10日に出た。次点で、夢は叶わなかった。
本当に、残念に思う。

これからその総括作業をすることになるが、地域の政治を変えるためには彼の活動が必要だと思う。

このメルマガの読者で山梨の甲府にお住まいの方はぜひ、彼のブログなどをお読みいただきたい。また知人に甲府在住の方がいたら、ブログなどを是非ご紹介いただきたい。

笹本 貴之
<個人公式サイト>
http://sasamoto.net
<個人公式ブログ>
http://sasamoto.sblo.jp

さて、今回述べたいのはそのことではない。マスコミの言う「公平・公正」について考えてみたいのだ。昨日に続いて、以下の3.4.を掲載する。

■ 目次 ■

マスコミの「公平・公正」 中井浩一
1.報道されなかった記者会見
2.マスコミの建前と本音
3.問題は基準の明確化である
4.「政治的な中立」

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◇◆ マスコミの「公平・公正」  中井浩一 ◆◇

3.問題は基準の明確化である

本当の「公平、公正」とは、すべてを「同じ」扱いにすることではなく、その「違い」をはっきりさせ、明確な「区別」をすることではないか。「選別」「えこひいき」を積極的にするべきではないのか。

問題になるのは、「区別」「選別」をすること自体ではなく、その基準が示されないことなのだ。その基準を明示し、それがきちんと説明される限り、「区別」「選別」は奨励されるべきことだ。問題は「区別」「選別」ではない。問題は「区別」「選別」の基準それ自体であり、その基準の是非になる。それこそが、議論されるべきなのだ。

実は今でも、人気の高い人や話題になる人には、「読者や視聴者の関心がある」ということで「えこひいき」「選別」が平然と行われている。ただし、その理由、基準は「読者や視聴者の関心がある」からなのだ。つまり、新聞が売れること、テレビの視聴率が取れるか否かが基準なのだ。しかし「公器の責任」などときれいごとを言うだけで、そうした基準を明示せずにごまかしている。

では正面から問おう。選挙報道で報道するか否かの、候補者選別の基準は、「読者や視聴者の関心がある」で良いのか。

例えば、今回の地方統一選の報道であれば、その基準はどうあるべきなのか。
今の時代をどう考え、今の政治、地域の課題をどう理解するか、それを解決するには、どのような人材、どのような政策が必要か。それが基準になるだろう。

それをまず明確に示し、その基準にかなった人を推薦、紹介し、そうでない人を批判し、無視すべき人は無視する。
それが真の「公平、公正」であり、マスコミの使命を果たすことではないか。

マスコミが「公平、公正」を盾にして、候補者を横並びにしたがるのには、保身の他に、より根本の原因がある。それは、マスコミの多くには、こうした選別の基準を用意するだけの能力も覚悟もないということだ。それが「公平、公正」を振り回す一番の理由ではないだろうか。

もちろん、こうなる経済的な理由がある。広告収入に依存している事情や、大新聞の「全国紙」というありかた、地方紙も各県に1紙しか存在せず寡占状態になっていることなどが挙げられるだろう。

4.「政治的な中立」

さいごに、マスコミの「政治的な中立」について触れておこう。私のようなことを主張すれば、すぐにこの問題が持ち出されるからだ。

まず確認すべきことは、そもそも政治的にも経済的にも、文化的にも、およそ「中立」などというものは存在しない、という事実である。すべての人間、組織には、それぞれのおかれた立場があり、その能力も限られており、限定された立場を持っている。
こんな当たり前のことを確認しなければならないことが情けない。

したがって、今回「公平、公正」で主張したことを、この問題でも繰り返すしかない。つまり、「中立でないこと」や「立場」があることが問題なのではない。その「立場」を明示せず、中立を装うことが問題なのだ。責任を求められる人や組織は、自分の立場を明示し、その上で、意見を言い、報道をし、表現活動をすればよいだけだ。

私たちがすべきことは他人に「中立」を求めることではない。求めるべきは、その立場をきちんと表明することであり、その立場を個々の報道においてわかりやすく説明することである。私たちはそれらを比較検討し、自分の「立場」を考え、個々の事実や事件の評価を決めればよいだけだ。

さて、こんな当たり前のことがなぜ通用せず、おかしなことになっているのか。それを考えることは重要だ。東西冷戦という時代背景も、日本的「ムラ社会」も、価値判断の客観性の問題も、これに関わるだろう。

しかし、いいかげん、こうした低いレベルで議論することを止めなければならない。

なお、蛇足ながら付け加えておく。今回取り上げた「公平、公正」の問題は、行政や教育界にも蔓延している。それらの問題も基本的には同じ原則で解決できると、私は思っている。

4月 12

4月の統一地方選で山梨県議選(山梨県甲府市)に、友人の笹本貴之君が出馬した。
彼は、全国で初めて「ワインツーリズム」を企画・運営し成功をおさめた。地方紙はもちろんだが、全国紙でも紹介された有名人だ。

私は、学習会中心の政治運動を提唱し、1年以上前から彼を応援してきた。「学習会中心の政治運動」という理念、その学習会のナカミの1例(コミュニティービジネスからみた「ワインツーリズム」)はこのメルマガの165から169号で紹介した。

その結果が一昨日4月10日に出た。次点で、夢は叶わなかった。
本当に、残念に思う。

これからその総括作業をすることになるが、地域の政治を変えるためには彼の活動が必要だと思う。

このメルマガの読者で山梨の甲府にお住まいの方はぜひ、彼のブログなどをお読みいただきたい。また知人に甲府在住の方がいたら、ブログなどを是非ご紹介いただきたい。

笹本 貴之
<個人公式サイト>
http://sasamoto.net
<個人公式ブログ>
http://sasamoto.sblo.jp

さて、今回述べたいのはそのことではない。マスコミの言う「公平・公正」について考えてみたいのだ。以下の3.4.は明日掲載する。

■ 目次 ■

マスコミの「公平・公正」 中井浩一
1.報道されなかった記者会見
2.マスコミの建前と本音
3.問題は基準の明確化である
4.「政治的な中立」

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◇◆ マスコミの「公平・公正」  中井浩一 ◆◇

1.報道されなかった記者会見

笹本さんは、すでに2カ月ほど前の2月7日に、山梨県庁の記者クラブで出馬の記者会見を行った。彼は記者会見の冒頭で学習会中心主義の話をし、学習会で1年間かけてつくった「政策集」を発表した。

笹本さんは地元の「有名人」なので、20人近くの記者が駆けつけて大盛況だった。集まったのは山梨日日新聞、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHK、テレビ朝日、テレビ山梨、山梨放送など。

政策の内容は評価され、その日の「知事報告事項」として県庁の広聴広報課でテープ起こしと政策分析をしたようだ。しかし、その記者会見が記事になることはなかった。新聞でもテレビでも報道はされなかった。その理由を、ある新聞社の記者は「他の候補者との公平性を守るために報道はできない」と説明したという。

さて、では考えてみよう。マスコミにとっての公平、公正とは何なのだろうか。
今回のように、すべての候補者を横並びにして、差を付けた扱い方をしないことが公平、公正なのだろうか。

2.マスコミの建前と本音

マスコミがどう弁解しようが、実際の彼らの行動は「すべての候補者を横並びにして、差を付けた扱い方をしない」ものではない。著名人や、話題になっている人は、特別に扱うのが普通なのだ。
ただし、その時は「読者が、視聴者が知りたいことだから」という言い訳を用意しているだけなのだ。

では笹本さんの記者会見だけを報道すれば、何が起こるだろうか。おそらく、他の候補者、諸政党や「有力政治家」からの批判、疑問の声が寄せられ、圧力がかかるだろう。一部の読者からもそうした批判がおこるだろう。マスコミはそれを恐れているだけではないのか。
そうした圧力が予想され、それへの言い訳が用意できないときには、報道しないことで身を守る。そして「公平、公正」を持ち出して、報道しないことを正当化する。

だから彼らの「公平、公正」はあくまでも建前であり、外部からの圧力から自分を守りたいのが本音であり、他方で商売になるとなればいくらでも「不公平」なことをしても平気でいられるのだ。

しかし、マスコミにとって「公平、公正」が建前だとしても、「公平、公正」の理念そのものはあくまでも正しいと思う。問題はその本当の意味が理解されず、都合のいいように使われていることだ。そこで、その使用法のおかしさを示し、その本来の意味を明らかにしたいと思う。

もし、彼らの言う「公平、公正」、つまりみなを「同じ」扱いにすると、どんな結果になるだろうか。
今回の笹本さんのような、やる気のある人、能力の高い人が正当な評価を受けず、やる気のない、能力の低い人に合わされてその中に埋没してしまう。その結果、やる気のある人の足を引っ張ることになる。
記者会見をやれるだけの準備をしてきた人は、本来評価されるべきであり、記者会見をやらない(やれない)人、きちんとした政策を発表できない人と同じ扱いを受けるのは、「不公平」そのものではないのか。

本来は、むしろ、やる気のある人、能力の高い人を応援し、積極的に紹介するべきだ。そうしてこそ、全体に刺激を与え、全体のレベルを押し上げ、ひいては社会を良くすることになるだろう。それが真の「公平、公正」であり、マスコミの使命なのではないか。
現状の「悪平等」な対応は、そうしたマスコミの使命の放棄であり、無責任極まりないと思う。

12月 09

2010年ワインツーリズムの総括準備会議

12月6日に、甲府に行ってきた。

笹本貴之さんたちワインツーリズム実行委員会の2010年度のワインツーリズムの総括会議(準備会)があり、そこにオブザーバーとして参加したのだ。

問題点、矛盾点がきちんと出されて話し合われたのが良かった点だろう。どの運動や組織にも問題点があるが、それが隠されたままで、議論されることが多いと思う。

ワインツーリズムの現在の最大の問題点は、地元やワイナリーたちの主体性がまだまだ弱いことと、笹本さんたち企画運営にたずさわるメンバーがただ働きになっていることだ。3年たっても、それが改善されない。その問題はもはや放置できないところまで来ている。

企画運営の主体(会社組織か、NPOかといったあり方は一応別として)を立ち上げ、それがビジネスとして成立する形を目標にすべきだろう。しかし、それとともに、各地元の実行委員会が主体性を発揮し、企画運営組織と対峙し、対等な形でのジョイントにならなければ、本末転倒だろう。

そうしたところに、今さしかかっている。
それがきちんと確認され、意見交換ができたのがよかった点だろう。

なお、霞ヶ関でも動きはある。経済産業省の地域経済産業政策課が「地域資源経営勉強会」を発足させる予定で、そのコアメンバーとして、笹本さんたちワインツーリズム実行委員会から数人が参加する。他には風見正三(宮城大学事業構想学部事業計画学科 教授)、木下斉(一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス 代表理事)などがいるが、この2人は例の『コミュニティービジネス入門』の編者や著者である。
この成果にも期待したい。

11月 08

ワインツーリズム

地域の自立  タグ: , ワインツーリズム はコメントを受け付けていません

11月7日に、山梨県の甲州市を中心に行われたワインツーリズムに参加した。

このワインツーリズムは、笹本さんやその仲間が企画運営している。

仲間たちと再開し、ワイナリーや畑の見学も2箇所でし、テイストはそこらじゅうで楽しみ、朝市会の地元の方々と交流し、特別バスの停留所近くの地元の方々の「おもてなし」を受け、塩山の里山にある土屋さんのもとで機山ワインを味わい、今年の収穫とワインの話をし、とやたら楽しんだ。

周囲の山々をみながら(一部富士山が見えた)、畑の香りやたわわに実る柿をながめながら、自然と社会の営みを、一日たっぷりと体験した。

この理念を社会資本という観点からまとめてあるので関心のある方は読んでください。

『コミュニティビジネス入門』から学ぶ 9月16日、17日に掲載