2月 18

◇◆ 15 ジョブズと『Whole Earth Catalog』(全地球カタログ) ◆◇ 

昨年11月に、NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」シリーズで「世界を変えた“愚か者”フラーとジョブズ」が放送された。
それをたまたま見ていて、そこに『Whole Earth Catalog』(『全地球カタログ』)が出てきて驚いた。あのジョブズが、「反文化」の運動の真っただ中から生まれていたのだ。知らなかった。
 番組の宣伝では以下のようになっている。
「宇宙船地球号」という概念を唱え、人類と地球との調和を説いた思想家バックミンスター・フラー。「現代のレオナルド・ダビンチ」とも「狂人」とも称されたフラーの思想は、無数の若者たちを突き動かす。その中に、若き日のスティーブ・ジョブズがいた。フラーの思想は、時空を超え、ジョブズに受け継がれ、世界を変えていく。そして生まれた伝説のスピーチ。常識に抗い続けた、ふたりの「愚か者」が起こした奇跡の物語である。

私はすでに「反文化」と『全地球カタログ』については、10「『反文化(カウンター・カルチャー)』運動の3人」と11「『カタログ』文化」で簡単に述べている。20代の私は大きな影響を受けた。しかし、その限界にもぶつかり、その後30代からはヘーゲルとマルクスを学んできた。
この番組の私にとっての意味は、あのジョブズもまた「反文化」の運動の真っただ中から生まれていた、ということを知ったことだ。調べてみると彼が生まれたのは1955年、私が1年早い。つまり同世代である。同じ時代の空気の中で生きた「仲間」だった。
さて、改めてこの番組で知ったこと、確認したことは以下のようなことだ。
『全地球カタログ』は60年代から70年代の反文化の運動、ヒッピーたちのバイブルだった。これは商品のカタログなのだが、本や思想、その思想の実践のための様々な道具が紹介され、現代文明批判とそれに代わる生き方の指南書だった。
『全地球カタログ』は1968年に創刊され、年2回の刊行。数百ページ。この創刊号にはバックミンスター・フラーが紹介されている。「宇宙船地球号」の提唱者である。『全地球カタログ』のネーミングにもフラーの「宇宙船地球号」の影響があるだろう。このカタログの熱烈な支持者の中に若き日のジョブズもいた。
『全地球カタログ』は一時は250万部が販売されたが、70年代半ばにはその終刊号が出た。その裏扉には「ハングリーであれ、愚かであれ」が書かれた。ラストメッセージである。
終刊号を出した後、残された2万ドルの収益金をどうするかが問題になった。結局、若者たちが次の世界を創るための資金とされ、それによって教育プログラムやプロジェクトが用意された。ジョブズはその一つに参加しコンピューターのプログラミングを学んだ。それがジョブズがジョブズになる始まりの一歩になった。
その後のジョブズ物語は有名であり、私でも知っている。ジョブズは友人とアップル社を立ち上げCEOを務めたが、1985年には失脚しAppleを去った。11年後の1996年、業績不振に陥っていたAppleに復帰し、2000年CEOに就任。完全復活である。
彼の業績としてはApple ? ?、iPod、iPhoneおよびiPadなどを世に送り出したことが挙げられる。科学技術のイノベーターであり、すぐれた工業デザイナーであり、起業家であり、経営者である。Apple??が世に出た当時、コンピュータとは巨大政治機構、軍事機構、大企業の独占物だった。それを、すべての民衆のものへと解放した。ITによって人々の生活と文化に革命を起こしたと評される。
他方で、人を人とも思わない傲慢な態度、会社内での独断専行が問題にされる。番組でも取り上げられていた。
その彼が死を前にして2005年にスタンフオード大学の卒業式に呼ばれ、祝辞を述べた。その中に、自分が大きな影響を受けたものとして『全地球カタログ』を挙げ、周囲に流されず、自分の信ずる道を行くように励まし、最後にその終刊号にあった「ハングリーであれ、愚かであれ」を贈る言葉とした。

ではこの番組で私は何を考えたか。
ジョブズは現代の「英雄」であろう。コンピュータをすべての民衆に解放した。彼のスマホはSNS社会を創った。マルクス流に言えば、下部構造の決定的な変革を推し進めた。反文化の中から彼が生まれたことには大きな感慨がある。
しかし、反文化は、どこまで彼の思想や生き方に影響していたのだろうか。調べると、若き日の彼が反文化の価値観の中で生きていた証しはたくさんある。LSD、仏教、ベジタリアン、風呂に入らない、いつも裸足かサンダル履き、等々。その影響は後年まで続いたようだ。例えば、癌で亡くなる際にも、最初は西洋医学を拒否し、東洋医学や民間療法に頼ろうとした。しかしそうした影響は、どこまで彼の世界観や人間観の根底にせまっていたのだろうか。彼がイノベーターであり、デザイナーであり、起業家であり、経営者であることに、どう関係していたのだろうか。
もちろん、コンピュータをすべての民衆のものへと解放したことは大きい。しかし、その民衆たち自身が抱えている諸問題には、どれほどの自覚を持っていたのだろうか。SNS社会は肯定面だけではなく、不信、疑心暗鬼の不安に満ち満ちた世界を生んだのではないか。民衆の間の断絶と軋みを深めたのではないか。
学生たちに贈った言葉「ハングリーであれ、愚かであれ」は、死を前にしたジョブズの言葉としては、あまりにも表面的で軽い言葉ではないか。そこからは、彼の人間認識、世界認識をうかがうことはできない。
私の強い違和感は、そこには「批判」がないということである。『全地球カタログ』や反文化への賛辞だけで、その不十分さ、未熟さへの反省の言葉がない。
そこには自らの若き日々への反省がない。自分の若き日をどう反省するか、その時に受けた影響をどう総括するか。それが示されないで、思い出の垂れ流しがされている。
本来は、「反文化」の運動を総括し、スナイダーの「四易」について、生態学と仏教について、資本主義や社会主義についてのジョブズ自身の立場を示すべきではなかったか。そうした批判の姿勢を示すことこそが、卒業する学生たちへの祝辞にふさわしいのではないか。
私には「反文化」への批判がある。それはすでに述べたことだが、ここで再度出しておく。
「『反文化』の運動の限界とは『疎外』『根源』の理解の不十分さ、つまりそこには発展についての深い理解がなかった」
「(カタログ文化の)あり方は、現在のネット文化の中での知識や技術の扱われ方の先駆けだったのだ、と今思う。これは「学問」や「教養」といった権威や階層性、その意識のこわばりを徹底的に解体しようとするもので、そこに覚悟と清々しさがあるのだが、人類の歴史、技術史、科学史、哲学史を踏まえた全体性や体系性を持たないという決定的な弱さをも持っている」。
こうした私の批判は、そのままジョブズに当てはまる。否、その問題が一層拡大された姿で現れていると思った。
彼はITによって人々の生活と文化に革命を起こしたが、その結果の現在と未来について、何が課題で、どう解決できるか。それを真剣に考えていただろうか。そこでの自らの責任についてどう考えていたのだろうか。
多くの人がジョブズの、人を人と思わないような傲慢さについて述べているが、彼には人間の悪の面、弱さの面に十分な自覚がないように思われる。それは自分に対してだけではない。自らが開発したITの問題点についてであり、人間の未来の文明文化の在り方についてである。
最後に、この番組についても述べておく。この番組がジョブズの原点である反文化を紹介したことには意味がある。
しかしそのひどさも言わなければならない。そこに批判精神がないことである。フラーやジョブズに対して手放しの賛辞しかない。ジョブズの傲慢さの指摘は出て来るが、ジョブズへの根本的な批判がゼロである。つまりジョブズと彼が変えた世界を深く認識しようという意志と覚悟がない。この番組には、反文化や『全地球カタログ』をどう評価するかという立場もない。無責任極まるものである。
そして実はそこに、ジョブズ自身の姿が重なるのである。そもそもジョブズ自身にそれがなかったのではないか。

2023年1月30日

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