2月 19

◇◆ 16 「iPS細胞」の姑息 ◆◇ 

京都大学の山中伸弥は「iPS細胞」の研究・開発によって2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
iPS細胞の目的は再生医療の実現にある。拒絶反応の無い移植用組織や臓器の作製が可能になると期待されているのだ。

再生医療の研究は数十年前にさかのぼる。
1981年には、マウスの胚盤胞から「ES細胞」を作ることに成功した。 ES細胞は受精卵が胎児になるプロセスで、分裂が始まった後の胚盤胞の中にある細胞を取り出して培養されたもの。あらゆる組織の細胞に分化することができる多能性幹細胞である。
 その17年後、1998年に「ヒトES細胞」を作ることに成功した。ヒトES細胞を使い、人間のあらゆる組織や臓器の細胞を作り出すことにより、再生医療が可能になると期待がふくらんだ。
しかしES細胞の技術をヒトに適応するには問題が多い。受精卵(胚)の採取が母体に危険を及ぼすこと。ヒトになる可能性を持つ胚を壊すことは、ヒトを救うためにヒトを殺すことであるから倫理的な問題が伴う。そのためにその作製や実験等には厳しい制約を課す国も多い。
また、患者本人のES細胞を作ることは技術的に難しく、他人のES細胞から作った組織や臓器の細胞を移植した場合、拒絶反応が起こるという問題がある。
 そのため、胚からではなく、皮膚や血液など、比較的安全に採取でき、かつ再生が可能な組織からの分化万能性をもった細胞の発見が期待されていた。
そこに山中のグループが2006年にマウスの、2007年に人間の皮膚細胞からiPS細胞の樹立に成功したのだ。
「iPS細胞」の技術とは、皮膚などの細胞に遺伝子操作を加えることで「ES細胞」のような幹細胞を作ることである。これなら受精卵のようなレベルの倫理的な問題はない。
また、再生医療への応用のみならず、治療薬の候補物質を探る「創薬」の可能性が期待されているのだ。患者自身の細胞からiPS細胞を作り出すことで、今まで治療法のなかった難病に対して、その病因・発症メカニズムを研究したり、薬剤の効果・毒性を評価することが可能となるからである。
もちろんいいことだけではない。iPS細胞は遺伝子操作によって生み出すために、その安全性(ガン化のリスクなど)の課題が指摘されている。つまりリスクにおいては完璧なものではないのだ。
以上については、「ウィキペディア(Wikipedia)」、京都大学 iPS細胞研究所のホームページ、「再生医療ナビ」を参考にした。

さて、私はこうした経緯を知ったことで愕然とした。「夢の IPS 細胞」と謳われているが、これほど姑息でペテンに近い技術だったのか、という驚きである。とても情けなく、うら悲しい気持ちになった。
それは要するに、「倫理問題」を消したのだ。それが目的だったのだ。
問題を本当に解決するのではない。これは問題をなくしてしまうという解決法であり、問題を考えなくて良いとしただけなのだ。問題はあるし、残されている。それをそのままにして、問題を見ないで済むようにしたのだ。
本来は、この真逆の方向に進むべきではないか。
倫理問題や、再生医療の問題、クローン技術の問題、遺伝子操作の是非など、大きな問題は、本来は、徹底的に深め、矛盾を深化させて考えていかなければならない。ところがここではなんと軽く、浅く、問題を素通りしたことだろうか。
「母体への危険」とか「ヒトになる可能性を持つ胚を壊す」とかといった、現象的で表面的で感情的なレベルにとどまり、再生医療や遺伝子操作が持つ本質的な問題をとらえようとしない。そこに現れる「拒絶反応」も、ただ再生医療の障害としてしかとらえられていない。問題は「消す」。なくなったことにしてしまえばよいのだ。なかったことにしてしまえばよいのだ。
クローン技術や遺伝子操作、再生医療はどこまで許されるのか。その根拠は何か。人間の尊厳とは何か、生きるとはどういうことか。
これらの問いに、山中や山中にノーベル賞を与えた責任者たち、iPS細胞の追従者たちは自分の答えを出すべきであり、私たちも自らの答えを出さなければならないのではないか。

                 2023年1月30日

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