4月 02

4月以降のゼミの日程です

(1)文章ゼミと読書会(原則は土曜日)
4月
14日 文ゼミ
28日 読書会

5月
連休中に1日集中ゼミ(日時はまだ未定)

12日 文ゼミ
26日 読書会

6月
9日 文ゼミ
23日 読書会

7月
14日 文ゼミ
28日 読書会

8月は3泊4日の合宿を予定

(2)ヘーゲルゼミ(毎週月曜日)
4月16日より開始

1.日本語文献は午後5時から
テキストは関口は『定冠詞論』

2.ヘーゲル原書講読は午後7時から
テキストは大論理学の概念論

(3)参加費は、毎回三千円です

(4)定期参加者以外は、事前の申し込みが必要です。

1月 18

昨年12月29日には、ゼミ生と1年の振り返りをしましたが、
 そこで話したことをまとめました。

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人が行動することは、自分が何者かを明らかにする 

     — 「概念の生成史」と「概念の展開史」 — 

 「意識(人)が行動しなければならないのは、自分の潜在的な姿を
意識の対象にするためでしかない。意識は自分の行動の結果としての現実から
自分の潜在的な姿を知るのである。したがって個人が行為を通して
現実にもたらされるまでは、個人は自分の何たるかを知ることはできないのである」

(『精神現象学』第5章理性論、第3節「絶対的に実在的だと自覚している個人」。
  牧野紀之訳、未知谷版574ページより)。

 これはヘーゲルの発展観そのものの表現だと思う。そしてヘーゲルの発展観を
理解するには、「概念の生成史」と「概念の展開史」の関係を考えねばならない。
ヘーゲルは、そのものが何なのか(その本質、すなわちその生成史)は、
そのものの生成後の自己展開で明らかになると言う。つまり、その展開史で
その生成史の意味が明らかになるのだ(『精神現象学』の序論にある。
鶏鳴会通信107号を参照されたし)。これは「類」の進化において言われるが、
それはそのまま類の中の個別における成長過程でも言えることだ
(これが『精神現象学』の大きな枠組み)。

 私たち人間は、いつもそれまでの人生を背負って生きている。
ある年齢に達して、今、新たなことに挑戦するときに、
過去がそれに大きな影響を与えていることは明らかだ。
その過去は当然意識されており、その振り返りの上で、
未来への決断・選択が行われると考えられている。
過去は記憶されており、自分史として把握できる。
しかし、そうだろうか。記憶から消された過去も多い。
否、大切な過去ほど、意識の奥深くにしまい込まれているのではないのか。

 ゼミ生に、以下のようなことが起こった

 ある人Aは、私との師弟契約をすることを真剣に考え始めていた。
そのきっかけとしては、それまでの生き方の反省がある。
他人任せで、世間の基準を無自覚に自分の基準としてきたこと。
そして、私と師弟契約をする決断をする際に、忘れていた記憶が
呼び戻されてきた。

 それは、その人には以前にも先生というべき人がいたことだった。
本人はすっかり忘れていたが、整体の指導者を事実上の師としていた。
その師のまわりには弟子の集団があって、その中の一員だった。
そして、その師との辛い別れがあった。その師に、あることから
厳しい叱責を受け、不本意ながらも関係は終わった。
その師弟関係が失われたことは大きなショックであり、とても辛いことだった。
当時、その師は、悩みの相談相手であり、いつも親身にこたえてくれた。
その人は、人生の行き先を照らしてくれる大きな燈明だった。
そうしたことがすっかり思い出されてきた。

 それらの記憶は大切なことだったはずだが、すっかり忘れていたのだった。
そして、その記憶が浮かび上がってきたときには、それはただ辛く
受け止めがたい記憶ではなくなっていた。その師や弟子集団の問題が
おぼろげに見えていたのだ。そうした相対化の視点は、
私を師とすることで与えられたのではないだろうか。
そして、そうした視点がない限り、その記憶は、
心の奥深くにしまい込まれたままだっただろう。

 また、別の人Bには、それまで仕事上の先輩で信頼し尊敬している人がいた。
その人の考え方、仕事の進め方などを、必死で学んできた。
そして、確実にその成果も出て、仕事上でも順調に進んだ。
しかし、次第に、その先輩の不十分な点にも気づくようになり、
生き方や考え方に大きな欠落があることにも気づくようになっていた。
しかし、そうした不満や疑問を口にすることはなかった。

 私は、そうした関係は、その大切な先輩に対して誠実な態度とは
言えないのではないか、と注意をした。そこから、改めて、その先輩を
きちんと批判することを決意するようになる。その時に、
すっかり忘れていた親友とのことが思い出されてきたのだ。

 大学生の時にその親友とは同じクラブを運営する立場として、
互いに批判しあい、支え合っていた。最初は相手が上だった、
しかし、いつしか相手との関係が逆転し、就職後は、相手を
見下すようになっていた。それでも「親友」としての
いつわりの関係は続けてきていた。

 そのことが急に思い出されてくる。そして、そのいつわりの関係を
清算しないではいられない、強い思いがこみ上げてくる。

 こうしたことを見ていると、ヘーゲルの言っていたことの意味が
わかるように思うのだ。

 「行動」「行為」とは、それまでの生き方に一線を画するだけの
ものでなければならない。

 そうした決断の際に、その時点では潜在的だった自分の正体が
はっきりと現れてくる。自分とはもちろん過去の人生によって
作り上げられてきたものだから、現れてきた潜在的本質にも、
それに対応する過去があるのだ。

 Bさんについて、ゼミでは「なぜ精算する必要があるのか」
「親友ではなかったとか、いつわりの関係だったとか、
わざわざ言う必要はないのではないか」といった意見も出た。
しかし、そうした過去を清算しないと、私たちは前には
進めないのではないだろうか。過去が私たちをとらえ、
前に進めなくしているのではないか。

 精算とは、その親友を切り捨てたり、過去の自分を切り捨てる
ということではないと思う。その失われていた過去を呼び戻し、
その意味づけを変えることなのではないだろうか。
私たちは過去を切り捨てることはできない。
すべてを背負って生きるしかない。
できることは、その個々の経験の全体における位置づけをかえ、
より高いレベルで生き直すための、一歩を進めることだけだろう。

 そうした過去の清算ができない限り、それまでの延長線上の生き方、
同レベルの生き方しかできず、発展は不可能なのだろう。
逆に言えば、それまでのレベルを乗り越えて生きていく中で、
過去の一つ一つの経験の意味が、より深いレベルで明らかになる。
一歩前に進むたびに、1つ上のレベルで経験の意味を捉え返し続ける。
それを繰り返していくことで、過去の全体が構造化され、
その意味が透明なすがたとして現れてくる。

 これがヘーゲルの「展開史でその生成史が明らかになる」の
 意味なのではないか。

 これを世間で言われていることを比較してみよう。
世間でも「過去を反省せよ」とか「過去の振り返りをせよ」とか言われる。
それによって、今の選択についてどうしたら良いかわかるし、
未来の方向付けもできる、と言うのだ。

 ここにないのは、「生成史」とは別の「展開史」という考えであり、
この両者を統一的にとらえる観点なのだ。だから「反省しなさい」や
「過去の総括文」には無意味なことも多い。
むしろ、嘘を書かせるだけなので、有害なことの方が圧倒的に多いのだ。

 また、過去に執着して前に進めない人が多数存在していることを
どう考えるか。実際には、過去にこだわり、生い立ちにこだわっている人で、
前に進めないでいる人が多い。「過去の反省」は、
こうした人に対しては無力なのではないか。

 人が前に進むときにだけ、意識の奥底に隠してきた過去の記憶が
浮かび上がってくる。前に進むことなく、過去をとらえようとしても
無理なのではないか。

 「大切なことほど意識の奥底に隠されている」と言えば、
すぐに「精神分析」を思い出す人もいるだろう。
そこでは様々な手法によって記憶を探り出し、新たな視点から
過去の人生の全体を捉え直そうとする。しかし、この「新たな視点」は誰が、
どのように与えるのだろうか。そうした曖昧さや危険性に反対する立場からは、
他の手法がさまざまに提案されている。

 しかし、いずれにしても、大切なのは「生成史」と「展開史」の
両方の視点であり、この両者を統一的にとらえる観点なのだと思う。
そして、人が先に進むためには、これらについての認識の深まりが必要である。
そしてそのためには認識能力の高まりが必要であり、その能力を高める過程と
その保障が必要になるだろう。その回答が「先生を選べ」であることは、
すでに繰り返し述べてきた。

1月 01

迎春

昨年12月29日には、ゼミ生と1年の振り返りをしました。
それを踏まえながら、
昨年2011年の、私個人と、大学生・社会人ゼミについてまとめました。

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◇◆ 2011年の振り返り  ◆◇

? 中井個人について

(1)哲学
 昨年は、ヘーゲルの大論理学の概念論冒頭の「普遍、特殊、個別論」に取り組みました。この範囲の訳注である牧野紀之氏の『概念論 第1分冊』を参照しました。

 「特殊」論はかなり理解できたと思います。できたどころか、ヘーゲルの叙述の不十分な点、展開できないで終わっている個所がよく見えました。一方、「個別」論は全体にあいまいで、わからない印象で終わりました。
 この原因を考えると、もちろん私の能力不足が挙げられるでしょう。しかし、ヘーゲルの側の問題も大きいと思います。ヘーゲル自身というよりも、ヘーゲルの時代の限界です。まだ近代が、民主主義が、資本主義が始まったばかりの段階で、ヘーゲルはこの世界を考えざるをえなかったという限界です。
 今こそ民主主義の時代、平等の時代です。それがゆきすぎてポピュリズムが心配されているほどです。そして、「個性」「個性」と猫も杓子もわめきたて、他者との違いを売り込もうとしています。つまり、今こそ、特殊の時代なのです。
 ヘーゲルが必死で実現をめざした「人格の平等」は、今では大前提で、みながそれを疑うこともなく、それぞれの「個性」を競おうとしています。もちろん、その「個性」は非常に怪しげで、もろくはかないもので、本来の理解からは程遠いと思います。
 ヘーゲルには、こんな馬鹿げた大騒ぎになるとは想像もできなかったことでしょう。そのために、彼の特殊論は、具体的でなく、不十分で終わっていると思います。しかし、「個別」とは、特殊を止揚した段階です。その段階に至るには、特殊を十分に展開しつくし、その矛盾を徹底的に暴露する必要があり、その結果として「個別」の段階が明らかになるはずです。
 「特殊」論が不十分なヘーゲルに、「個別」論が具体的に展開できるはずはありません。そのため、彼の「個別」論も不明な個所が多かったのだと思います。

 しかし、こうした不満をヘーゲルに向かって投げつけてもしょうがありません。それは私の役割です。この「特殊」の時代の矛盾を徹底的に展開するのが私の使命だと思いました。

 ヘーゲルでは、他にも『精神現象学』の第5章「理性論」を牧野紀之訳(未知谷版)で通読しました。

(2)関口ドイツ語学と日本語学
1.1昨年の「不定冠詞」論に続いて、昨年は「定冠詞論」を半分ほど読みました。

2.さらに、日本語学の山田孝雄氏、野村剛史氏の論考を読んだのが、大きいです。判断を根底において、考えている点で、ヘーゲルと両者は一致していて驚きました。さらに名詞を、言語の根源的な矛盾としてとらえ、助詞や冠詞はその矛盾から生まれていると理解している点で、関口氏と野村氏は一致しています。

3.今年は関口の「定冠詞論」と「無冠詞」を読み終え、関口ドイツ語学についてまとめるつもりです。関口氏は、世界レベルであるだけではなく、それを超えた言語学者だと思います。

(3)著述
 3・11後、東北の被災地の取材をしました。7月、9月、10月、12月と、それぞれ1週間から2週間の滞在をしました。
 震災後の国立大学を取材し、東北地域の抱える経済、政治、医療、文化の問題を考えることができました。
 この一部は来年1月の『中央公論』2月号で掲載後、6月に新書ラクレで刊行の予定。
 他にも、福島県の原発地域の高校を取り上げて、原発地域と教育の関係を書く予定です。

(4)国語教育
 1.大修館の教科書の補助教材を作りました。
 2.「聞き書き」の本を刊行するために、その準備で大修館のPR誌『国語教室』秋号の「聞き書き」特集の企画とインタビューや対談などをしました。今年は、「聞き書き」本の刊行を目指します。
 3.来年は、論トレをビジネス書として刊行する計画もあります。

? 大学生・社会人のゼミ

 昨年は、江口朋子さんと守谷航君がゼミを「修了」しました。これは2人を社会人として1人前(以上)であると認めたことを意味します。これは約6年前に始めたゼミと師弟契約の関係者として初めてのことです。やっとここまで来ることができました。
 守谷君の「修了」では、彼が「辞める」形になったために多少の動揺がありました。しかし、今はゼミが、もう1つ上の段階に発展する可能性が生まれてきていると思います。

 1つは、「ゼミの原則」をまとめることができたことです。もう1つは、ゼミの立場の問題が浮上し、それを自覚的に追及することになったことです。
 実際に、ゼミ生の自主ゼミが11月から始まり、仲間同士の研鑽が深まろうとしています。私は、ゼミ生が必死で自分の殻を破ろうとする姿を見て、「負けられない」と奮起するようになっています。ありがたいことです。
 読者のみなさんも、関心があれば、一度見学に来てください。

 ゼミの読書会では、秋から「東日本大震災で提起された問題」をテーマにしています。この震災と原発事故への対応の中で、日本社会の抱えていた諸問題が表に吹き出し、誰の目にも見えるようになってきたこと。これが、今回の大きな不幸の中の、唯一の(と言ってよいと思います)成果です。
それを真剣に学ばなければならないと思っています。
読書会では、これまで
10月
   海堂 尊 (監修)『救命─東日本大震災、医師たちの奮闘』新潮社 (2011/08)
11月
   清水 修二 (著)『原発になお地域の未来を託せるか』自治体研究社
   佐藤栄佐久(著)『福島原発の真実』 (平凡社新書)
  12月
   『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著)
を読みました。このシリーズは、まだまだ続きます。
 

12月 31

大学生と社会人のゼミで

 吉木君がリーダーになって、11月からゼミ生の「自主ゼミ」が始まった。
 ヘーゲルの原書に取り組む一方で、牧野紀之氏の『生活のなかの哲学』の
 諸論考などを読み合っている。
 そこから生まれた吉木君の文章「『1人』を選ぶことの意味は何か」を掲載する。

 これは吉木君にとっては、それまでと一線を画す大切な文章になっている。
 生まれて初めて、自分の問いの答えを、自分で出した文章だからだ。

 吉木君はこれまで、親や世間から突きつけられた問いをたくさん抱えてきたが、
 その答えを出すことはなかった。出す気があるとも思えなかった。
 それが、今回は親から出された問いに、正面から答えている。

 答えを出すために、牧野氏の文章を手がかりに、真剣に考えている。

 これまでの吉木君にはこれができなかった。そして、彼だけではなく、
 こうしたことは世間ではほとんど行われていないのだ。

 そのことを考えたのが、私の「『自分の意見』の作り方」 である。

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「自分の意見」の作り方 

 よくマスコミなどでは、有権者の意向調査などを行い、その動向を報道する。
それが政治を大きく動かすこともある。また、テレビなどで、何か事件があると
街の人々にインタビューをして「どう思いますか」「どうお考えですか」
「賛成ですか、反対ですか」などを問う。

 問われた方は、真剣に、または笑いながら、または怒りながら、
何かを発言する。それぞれ、もっともな意見に思えるし、ある立場を
代弁していると思う。しかし「言わされている」「番組で求められている答えに、
合わせている」とも感じる。

 そこで語られる「意見」とは何なのだろう。
意向調査で出される「意向」とは何なのだろうか。
それは本当に、その人の「意見」「意向」なのだろうか。
否。それらの多くは、テレビで誰かがしゃべっていたことを
オウム返しで言っているだけのことだ。社会全体としての気分、雰囲気、
世間の多くの考え方を代弁するだけのことだ。もちろん、それにも意味がある。
それを否定しているのではない。ただ、それは「意見」「考え」と言えるような
ものではない、と言いたいだけだ。

 もともと「自分の意見」などを持っている人はほとんどいない。
「他人の意見」「親の意見」「世間の意見」でしかない。なぜか。

 「自分の意見」とは次のようにして生まれる。

 【1】「自分の問い」が立つ。
 【2】その「問い」の「答え」を自分で出す。
 【3】その「答え」を実際に実行し、それを生きる
 【4】その中から、次の「問い」が立つ
 
 以下、繰り返し。

 この繰り返しの中で、自分独自の「問い」と「答え」が生まれ、
それが次第に領域を広げ、深さをましていく。そうして、
「自分の考え」が生まれ、それがあるレベルにまで到達した時、
その「自分の考え」を「思想」と言うのだ。
「思想」というとずいぶん偉そうだが、ただ、それだけのことなのだ。

 多くの人には、「自分の考え」がない。「他人の考え」「親の考え」
「世間の考え」を持っているだけのことだ。
それはこの【1】から【3】ができないからだ。

 まず、「自分の問い」が立たない。
何となく問題を感じる。何となく疑問を思う。
親や恋人に、上司や先生にいろいろ言われ、問い詰められる。
これはすべての人に起こる。

 しかし、そこから、真剣に自分の答えを出そうとしない。
なぜなら、親や世間一般の考えを自分の考えとしていても、
とりあえず困らないからだ。または疑問を感じても、
それに代わる意見を出すだけの気力も覚悟もないからだ。
つまり、自分自身の「問い」を立てようとしないのだ。

 よく、「ちょっと違う」という言葉が使われる。
しかし、その人はいつまでも、何に対しても「ちょっと違う」と
言い続けるだけで、その「ちょっと」のナカミに迫ろうとはしない。

 もし、本気で「問い」を出したとしよう。すべてはそこから
始まるのだが、世間一般の考えのレベルを超えて、「自分の答え」を
出すのは簡単ではない(だから「先生を選べ」が必要になるのだが、
多くの人にはその覚悟はない)。そこで、世間レベルにもどって
それに屈服するか、答えが出ないままに保留し続けて、結局は問いを流してしまう。
そして言うのだ。「ちょっと違う」。けれど、「ちょっと違う」だけだ。

 さて、頑張って「答え」らしきものを出せたとしよう。
しかし、「答え」らしきものを出しても、多くの人には、
それは「遊び」であり、その答えを生きようとはしない。
「答え」を出すのを、ゲームのように楽しんでいるだけなのだ。
頭の良い人に多いが、その「答え」は軽やかで「知」と戯れたり、
「奇矯」だったりする。

 その人は、深まることはなく、バラバラの知識が増えるだけのことで、
「自分の意見」にはならない。

 もし、「答え」を出したら、それを「実行」し、そのままを
「生き」なければならないなら、それはしんどいし、
他者との対立が予測されるので怖くなるだろう。

 それが何となくわかるので、答えを出さなかったり、
そもそもの問いを出さないようにする人も多い。それが普通なのだ。

 もし、「答え」を生きなければならないなら、答えを出すときは
真剣になるだろう。そこから、本当の思考が始まるのだ。
それはぶかっこうだったり、不細工だったりするが、
圧倒的な力を持って迫ってくる。

 「答え」を生きるなら、必ず問題が起きてくる。
最初の「答え」はまだまだ狭く、浅いものでしかないからだ。
「生きる」ことは全体的で、すべてが密接にからまっている。
「生き」る限り、次から次へと問題にぶつかる。その問題から
逃げることなく、真正面から次の「問い」を立てるなら、
そこから1つ上の段階に進む。そして、その段階で次の
「答え」を出していく。

 先に述べたように、このサイクルをどれだけ、先に進められるか。
それだけが問題なのだ。
どうだろうか。あなたの意見とは「ちょっと違う」だろうか。

(2011年12月24日)

12月 31

大学生と社会人のゼミで

 吉木君がリーダーになって、11月からゼミ生の「自主ゼミ」が始まった。
 ヘーゲルの原書に取り組む一方で、牧野紀之氏の『生活のなかの哲学』の
 諸論考などを読み合っている。
 そこから生まれた吉木君の文章「『1人』を選ぶことの意味は何か」を掲載する。

 これは吉木君にとっては、それまでと一線を画す大切な文章になっている。
 生まれて初めて、自分の問いの答えを、自分で出した文章だからだ。

 吉木君はこれまで、親や世間から突きつけられた問いをたくさん抱えてきたが、
 その答えを出すことはなかった。出す気があるとも思えなかった。
 それが、今回は親から出された問いに、正面から答えている。

 答えを出すために、牧野氏の文章を手がかりに、真剣に考えている。

 これまでの吉木君にはこれができなかった。そして、彼だけではなく、
 こうしたことは世間ではほとんど行われていないのだ。

 そのことを考えたのが、私の「『自分の意見』の作り方」 である。

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「1人」を選ぶことの意味は何か
     (『先生を選べ』より「先生を選べ」感想) 吉木政人 

 私は去年の9月から師弟契約を結んでいる。
5年前に鶏鳴に来ていた時にも、1年間中井さんと師弟契約を
結んでいた。逃げるようにして一度鶏鳴をやめて、
去年復帰するまでの間も、鶏鳴に戻ることを考えていた。
そういう意味ではこの6年間、ずっと中井さんを「先生」
にしていると言える。

 しかし、今年4月から勉強中心の生活を送ることにしてから、
1つ別の段階に入ったのではないかと思う。最近は、中井さんの
背景であるヘーゲルや牧野さん以外の本を、あまり読まなくなった。

 以前は「何か良いものはないか」と探すような感覚で、
色んな人の本を読むことがあったが、今はそういう段階ではなく、
中井さんに学ぶことだけに精力を傾けるべきで、
他に手を延ばしている場合じゃないなと思っている。

 「先生を選べ」について、なぜ1人に絞らなくてはならないのか
という批判がついてくると思う。1人に絞ることはとても狭いことだから、
色んな人から学ぶべきことを学んでいけばいいという考え方だろう。
私自身、父にそういう批判を受けた。「狭いところ(鶏鳴)に
ハマっていると、タコつぼ化して危険だ」という言い方だった。
今書いているのは、その批判に応える文章でもある。

 「先生を選ぶ」の反対は「先生を選ばない」になるが、
「先生を選ばない」には、そもそも誰も選ばないという意味と、
1人に絞らないで複数の人に学ぶという意味があるだろう。
では、人が成長するためになぜ先生を選ばなくてはならないのか、
また、なぜ1人に絞らなくてはならないのだろうか。

 牧野さんは学問の主体的性格として、
「【自分の問題意識を大切にせよ】」と言う。
さらに、「【自分の問題意識を追求しながらなおかつ
独りよがりにならないように】」、「【自分の追求している問題に関する
過去最高の成果を学ぶことが必要】」だと言う。

 これは、個人の問題意識が潜在的には社会問題やそれまでの歴史を
含んでいるが、先生との関わりの中で問いの位置付けを顕在化させる
ことによって、自分の立場を形成できるということだと思った。
『山びこ学校』の生徒達が、自分の家の問題を無着の指導の中で、
日本の農村全体の問題として理解していったことを思い出す。

 牧野さんは直接そういうことは言っていないが、
ともかく先生の存在が学問の客観性を作るということだろう。
「【君たちは自分の問題を独りで解決しようとしないで、
その分野の最高のものと格闘し、その最高の人の説をきいて、
また自分でも考えてみるということによって、君たちの学問は
普遍的で客観的な性格をもつようになるのです。
これが『学問の客観的性格』であります。】」

 しかし世間一般的に、先生を選ぶということは客観性とは
正反対のこととされていて、むしろ1人に絞らないことが
「客観的」だとされていると思う。
これは一体どういうことなのだろうか。
牧野さんの客観と、世間でいう客観にどういう違いがあるのだろうか。

 やはり私は、1人に絞らないとできないことがあると思う。
春から鶏鳴での勉強に集中している経験を考えてみると、
ヘーゲルを勉強するだけでいっぱいいっぱいで、他の人からも
学ぶ余裕など無い。首も痛くなった。高いものから学ぼうと思ったら、
学ぶ側はそれだけに集中する必要があるのではないだろうか。

 世間で言う客観性の立場は、多数からのつまみぐいにしか
ならないと思う。○○についてはAさんの言う通り、
××についてはBさんの、△△についてはCさんの言う通り
という学び方は、一見バランスが取れているようではある。

 しかし、実際にはAさん、Bさん、Cさん、それぞれの人間の
全体性を無視して、部分だけを取り出していることになる。
それこそ、その取捨選択自体に客観性が無く、独り善がり
ということにならないだろうか。
それでは結局、自分を選んでいるだけではないだろうか。

 学ぶ側は、自分に都合の悪いことからは逃げることができるので、
自分が否定されることもなく、次の成長につながらないのではないか。
ある全体性を持った1人に絞って学ぶからこそ、
矛盾が起こり、成長の契機が生れるのではないだろうか。

 もちろん、1人に絞って先生を選ぶとしても、選ぶのは
生徒だから主観的な選択ではある。牧野さんの言うように、
大学の講義を入口として選んだとしても、結局は選ぶのは
生徒の側だ。

 しかし、その主観的な選択をただの独り善がりで
終わらせないためには、やはり1人を選ぶ必要があるのではないか。
ヘーゲルがどこかで「自らを限定しなければいけない」と
言っていたと思うが、何か「1つ」の人や立場に限定しない限り、
自分の限界や、選んだ先生の意義と限界などは
明らかにならないのではないか。

 選択は、事実として主観的でしかあり得ないと思うし、
その限界を先生に学ぶことで克服していくのだろう。
しかし、選択が主観的であること自体にも意義はあると思う。

 私は今年の3月に、内定をもらった会社はやめにして
1年間勉強することに決めた。1年間延ばすことによって
新卒でなくなるリスクもあったが、ともかく決めた。
中井さん、ヘーゲルの考え方を少しでも身につける
という目的があって勉強しているわけだが、自分で決めたからこそ
一生懸命やらなければならないという責任感があって
やれている面もある。自分で選ぶという主体性が強ければ強いほど、
学びにも強さが出てくるのではないだろうか。