5月 28

 私のもとで約4年近く学んでいたM君が、この4月から某大学院で精神分析学を学ぶことになった。
 この間の経緯をM君が「鶏鳴でやってきたこと」という文章にまとめた。これは、青年の自立の過程として、多くの20代の若者に共通する内容になっていると思う。そこで、これを手がかりに、一般的に若者が真に自立して生きていくには何が必要なのかを述べたい。
 以下は、M君を知らず、「鶏鳴でやってきたこと」を読んでいない方には、わかりにくい点もあるだろうが、私の考えの骨子は理解していただけると思う。

?. 自立して生きるために、20代、30代ですべきこと

 人生が70年、80年になってきた中で、真に自立して生きていくために、20代、30代ですべきことは何か。
 
 自立とはそもそも何からの自立なのか。自立できていないとは依存していることだが、何に依存しているのか。まずは圧倒的に親に依存している。子供はみな親に依存して大きくなるのだから、これは当然だ。経済的物質的には当然だが、精神的な面、ものの見方、感じ方、つまり価値観で大きな影響を受けている。この面では世間や学校の大きな影響もあるのだが、それも親の価値観を媒介にして入ってくるのだ。18歳の時点で考えると、全体として親の影響が8割ほどになるのではないか。それが悪いのではない。親の価値観の内容自体を問題にすれば、立派なものからそうでないものまで様々あるだろう。いずれにしても、その影響が無意識で無自覚な点が大きな問題なのだ。

 したがって、自立とは、この無自覚な親の影響を自覚し、それを相対化し、自分自身のものの見方、考え方を独自に作り上げていくことである。そのための基礎を作るのが20代の仕事だろう。具体的には、自分のテーマ(問題意識)を明確にし、それに相応しい先生を選ぶことだ。これができれば、親からの自立は半ばできたようなものだ。
 「先生を選べ」と言うと、ずいぶん特殊なことを言うと思うかもしれないが、すべての人は現実にそうして生きているのだ。多くの場合、無自覚に親の生き方を踏襲しているからだ。そして、それは親を先生にしていることに他ならない。したがって、私の言っていることは、事実としては皆が先生を選択しているのだから、それを無自覚にではなく自覚的に選択せよ、と言っているだけなのだ。もちろん実の親を自覚的に選択することもある。伝統芸能などではそれが普通だ。
 選ぶ先生もレベルが上がれば変わっていくだろう。最終的にはその分野における過去の最高レベルの先人になっていくだろう。しかし、最初に選んだ先生の中に、その後の先生は潜在的に含まれている。だからこそ、最初の選択は重要なのだ。

 20代に自分のテーマ(問題意識)を持ち、先生を選んで、その解決に努力してきた人は、30代ではいよいよ、自分のテーマに一応の答えを出すことが課題になる。それは先生から自立し、自分の立場を作ることになる。もちろん、親からの自立はここで完成する。これを以て、一応の「自立」と言って良いだろう。もはや世間や流行などに流されることはないはずだ。
 その先のことは今考えてもしかたないが、40代、50代では、自分が作り上げた立場で多くの仕事をし、60代以降はそれらを完成させることになるだろう。
 私のモデルでは30代で一応の自立をめざすのだが、その時点を「個性」を確立したといってよいと思う。夏目漱石の「私の個人主義」では、私が述べてきたことと同じことを主張していると思う。

 この過程で、仕事、家庭(結婚)の問題は、避けて通れない。各自の回答を出す必要がある。なぜなら、それが人間の概念に含まれているからだ。

?. M君の自立の過程

 では、以上を踏まえて、M君の自立の過程である「鶏鳴でやってきたこと」を検討する。

 第1節「鶏鳴に参加し始めた頃」を読むと、鶏鳴学園で学び始める前に、すでに彼が明確な問題意識を持ち、大きな悩みを抱えていたことがわかる。いかに生きていったらよいのか。また大学や周囲には絶望していた。現状にいらだちや危機感を感じない人は、私のゼミとは縁がないだろう。しかし絶望しているだけでは駄目だ。彼は必死になって手掛かりを探していた。村上龍に出会い、死を実感したいので救急病院でバイトをし、知的障害者とすごすことで不思議に救われる思いを感じていた。何も行動せず、現実社会と戦わない人も、私とは縁がない。
 その上で、先生を選んだのだが、一人を選ぶためには、他の先生候補への明確な「否定」がなければならない。それが、彼の大学や周囲への絶望に当たる。
 M君はこうした段階まで自力で進んでいたから、私や牧野紀之(私の先生)、ヘーゲル(牧野の先生)に出会えたのだと思う。つまり一応の問題意識を持って、先生を選んだのだ。

 2節「鶏鳴でやってきたこと」では私のもとでの「自分づくり」の実際の方法を書いている。彼が自分史を書き始めると、それは膨大な量になった。急に爆発し、噴出してきた。それを「自分なりに過去をどう捉えるかという方法を学び、それによって自分の過去を実際に言葉として捉えられるようになったからだと思う。それまで誰にも言いたくなかった自分の過去を、自分が納得する形で、真っ当な形で捉えられたと思う」と書いている。「方法」がどれほど大きな役割を果たすかがよくわかる。
 しかし、同時に、ここに彼にとっての親の大きな影響を見ないわけにはいかない。彼は過去を愚痴ったりすることを自分に許そうとはしなかった。そこには真っ当さの面と、過去に目を背けるマイナス面もあったのだ。その葛藤を、彼一人の力では解決できなかっただろう。だからこそ先生が必要になるのだ。

 3節「小説を書く」では小説と、自分史や論文の違いについて述べている。彼は自分史という事実と自己を直視する文章の果てに、それを超えてイメージや夢の世界を描くことに進んだのだと思う。表現に強い関心を持っていたことがそれを求めさせたのだろう。

 4節「就職活動」は、まだ整理ができていないように思う。ここでは彼に、親からの自立が厳しく問われたのだと思う。彼の家系は代々「エリート」として日本社会をリードしてきた。しかし、彼の求める生き方はエリートとしての生き方とは違うように感じていた。そこに大きな葛藤があった。
 M君が小説を書きあげると、いきなりその正反対のビジネスマンをめざして就職活動をする。このわかりにくさは、この葛藤がいかに深く深刻なものだったかを示している。
能力的に親の求める生き方が「できない」から、表現者として生きるのは、彼のプライドが許さない。それを超えた、少なくとも並んだと思える段階まで進んで、初めて、自分に別の生き方を許せるのだろう。そして、そこで浮上したのは、大学入学当初からの関心だった世界、分野だった。それは第5節の「大学院を目指す」に詳しい。

 全体を通して、大学入学後からこれだけの回り道が必要だったことに驚くが、それほどに、親の影響力は大きく、それを克服するのは大変だったとも言える。「エリート」の生き方は大きな能力を必要とする。その家系の価値観を、反発するのではなく、真に乗り越えていくことは難しい。なぜ乗り越えるのか。「真のエリート」になるためだろう。

 6節「最後に」では、成長の自覚を、?実際の成長と、?それを自覚できる能力の形成の両面でとらえ、両者を同時に起こったと、とらえている。「今まではどの山に登りたいのかに悩んでいて、あちこちの山の麓を歩いており、やっと自分の登りたい山を見つけたはいいが、その山をどこまで高く登れるかはまた別の問題だ、とでも言えばいいだろうか」「今までとは全く違う段階にいるという理解は結構当たっていると思うし、重要な意識だと思う。こういう把握ができる自分に成長を感じる。それは把握が出来るような能力がついたとも言えるし、何よりそういう段階に実際上がったから言えることで、それらは同時に起こったことだと思う」。最後の部分がヘーゲルを学んだ成果が出ている個所だ。二つは全く同じことを別の視点から見ただけなのだ。

 彼は精神分析の分野で学んでいくことになった。彼の問いの答えを出していくことが彼の今後の仕事になる。しかし、研究者になるかどうかはわからないし、どうでも良いことだと思う。いずれにしてもその成果は、彼の表現活動の契機として生きることは間違いないだろう。

5月 26

シリーズ:「聞き書き」を学び合う 第5回 
高校作文教育研究会6月例会

高校作文教育研究会は、昨年秋から1年間ほどの予定で、会のテーマを「聞き書き」として、聞き書きの可能性、授業で実践する際の具体的手だて、その課題などを検討しています。

私たちの例会に、各地の中学、高校のすぐれた実践家10人ほどをお招きし、みなで共同討議をします。もちろん、生徒作品を丁寧に読みながら、具体的に考えましょう。

この成果は、本年6月から雑誌「月刊 国語教育」に1年の連載の形で発表されます。
みなさんの積極的な参加を希望します。

6月の例会では、兵庫県立高校の藤本さんの『聞かしてぇ?な仕事の話』などにまとめられた実践と、千葉の県立高校の川北さん総合学習「環境学」から始まった「総合的学習の時間」の実践報告です。共に、長期にわたって行ってきた実践で、すぐれた作品がたくさん生まれています。

藤本さんからは、その実践と理論から大いに学びたいと思います。また、川北さんの総合学習「環境学」からは、調べ学習あるいは野外調査活動と表現指導がどうかかわったらよいのかを考えたいと思います。
 
参加希望者は以下に簡単な自己紹介(所属、年齢、国語、表現での問題意識など)を添えて申し込みください。
メールアドレス sogo-m@mx5.nisiq.net

1 期 日    2009年6月21日(日)10:00?16:30

2 会 場   鶏鳴学園御茶ノ水校
         東京都文京区湯島1?9?14  プチモンド御茶ノ水301号
         ? 03(3818)7405 JR御茶ノ水駅下車徒歩4分
       
3 報告の内容
(1)総合的な学習の時間と表現指導
前千葉県立小金高等学校  川北裕之(千葉県立市川工業高等学校)

千葉県立小金高校では、総合的な学習が導入される試行として、生物と政治経済の教員が中心になって総合学習「環境学」を立ち上げ大きな成果を上げました。後にそれを発展させ、修学旅行等の学校行事をベースに、生徒、保護者とともに「総合的な学習の時間」を作りました。
総合学習「環境学」では、 生徒は各自のテーマに従い、文献を調べ、フィールドワークを行い、取材し、レポートにまとめます。そして、学習終了後に「学びのストーリー」を文章にします。
いくつかの生徒のレポートの検討をしながら、発表、レポートの指導や評価、生徒の様子、成果、課題について、参加者とともに考えていきたい。

(2)『聞かしてぇ?な仕事の話』
兵庫県立川西高校 藤本英二(兵庫)

 八七年から〇一年まで三校で六回、聞き書きの実践をし、それを『ことばさがしの旅』と『聞かしてぇ?な仕事の話』にまとめました。今回、生徒の作品と「聞き書きを終えて」という作文を紹介しながら、「対話の三極構造」「一人語りの文体(擬似直接話法)の意味」など、理論的な問題にも触れたいと思います。

4 参加費   1,500円(会員無料)

5月 21

佐藤優『国家の罠』(新潮文庫)を読みました。
ひさしぶりに心が動かされました。

鈴木宗男事件で逮捕された外交官の「暴露本=告発本」です。
しかし、下卑たところは1点もない、見事な本です。

国策捜査とその背景の時代の変化
マスコミの実態、
外務省、検察の組織の実態
組織の中で生きる個人の生態
国家目的と官僚の関係、政治家と官僚の関係

それがあざやかに描かれています。

見事な生き方と、カスの生き方と。
それは最終的に「誠実さ」「真っ当さ」に行き着くようです。

6月27日の読書会テキストを変更し、佐藤優『国家の罠』(新潮文庫)を読みます。
当初予定していた中井久夫「精神科医がものを書くとき」(ちくま学芸文庫)は7月以降に取り上げます。

5月 06

 5月3日のJ-CASTニュースで、東大の一人勝ち状況にコメントしました。
 以下が私の校正した文面ですが、ラストが変更されました。

東大「一人勝ち」ますます進む 
京大や早慶は「何をやっとるのか」

(連載「大学崩壊」第2回/国語専門塾代表・中井浩一さんにきく)

「東大一人勝ち」。他大学からため息とともに漏らされる言葉だ。研究・運営費の多さを指すらしい。ただ、研究だけでなく、東京大学は「キャリア官僚」を最も多く輩出してきた大学でもある。しかし、「官僚が国を支える」時代が終わりを告げ、東大の存在意義に疑問符を投げかける声も出てきた。東大を「優遇」する必要は今後もあるのだろうか。「『勝ち組』大学ランキング どうなる東大一人勝ち」(中公新書ラクレ)など大学関連著書も多い、国語専門塾「鶏鳴学園」代表の中井浩一さんにきいた。

(中見出し)
ますます「一人勝ち」が進み、差が広がる

――「東大一人勝ち」について中井さんが取り上げた本の出版が2002年でした。その後04年に国立大学が独立行政法人化されました。「東大一人勝ち」の状況に変化は出てきたでしょうか。

中井 ますます「一人勝ち」が進み、差が広がっています。運営交付金が多いとか、論文発表数や引用数が多いとか、そういう数字に表れるランキング的な話ばかりでなく、総合的な力で他大学は水をあけられています。教養部改革や大学院重点化でも、法人化や産学連携の体制作りでも、東大が一番早く、根本的なことを行っています。改革のパワーでは最強であると言っていいと思います。

――差が広がるのはなぜでしょうか。運営交付金など「国費」投入額が国内1位であり続けていることが影響しているのでしょうか。2008年度の運営交付金(当初予算)は、東大は約882億7000万円で、2位京大より274億円以上も多く受け取っています。

中井 お金の問題も影響してないとはいいません。しかし、本質的にはまったく別問題だと考えています。そもそも独立行政法人化以降、旧国立大は、国立大時代よりはるかに自由に独自の視点で動けるようになりました。ところが未だに東大の背中を見ながら様子見をしている。これは私立大もそうです。東大が先にやって、うまくいけば自分たちも導入、失敗すればしないという姿勢です。京大など2番手、3番手は何をやっとるのか、ということです。新しい価値観、新しい動きを打ち出す気構えが感じられない。これでは東大に「一人勝ちしてくれ」と言っているようなものです。

――今話に出てきた京大は、物理や化学などの理系のノーベル賞受賞者が、東大より多いとよく言われます。東大とは違う独自性を発揮しているとは言えないでしょうか

中井 そういう部分を全否定する気はありません。しかし、ノーベル賞受賞者が京大を卒業したのって何十年前の話ですか。差があるといってもごくわずか数人差です。確かに、京大には例えば1970年前後ごろ、今西錦司や桑原武夫、梅棹忠夫など学問をリードする人材がいて輝いていた時代がありました。しかし、それ以降は凋落がはなはだしい。その原因は、学内を優遇する親分・子分人事にあります。

 一方東大は、90年代に建築家の安藤忠雄や京大卒の上野千鶴子を教授として外部から迎え、最近では早大卒の政治学者姜尚中を迎え入れるといった、思い切った人事をしています。学内の序列で順番を待つ人がいるのに、よそから教授を連れてくるのは大変なことです。また、やはり90年代ですが、東大は教養教育の新しいカリキュラムを実施し、そこから生まれた本を出版、「知の技法」と「ユニヴァース・オブ・イングリッシュ」はベストセラーになりました。こうしたことをする力が東大にはある、ということです。他大学では感じられないパワーが確かにあります。

(中見出し)
創造性、先見性ある人材を

――東大の存在意義としては、学問の分野だけでなく、「官僚養成機関」としての役割も大きかったと思います。高度成長期など「国を支える、国を引っ張る官僚」が求められた時代もありました。しかし、昨今では官僚が国を引っ張る時代ではなくなり、「官僚養成機関」としての東大の価値は低下したのでは、という見方もあります。

中井 確かに東大が育成してきたのはキャッチアップ能力に優れた人材でした。先行するものがあって、それをうまく効率的に早く追いかける力がある人間でした。その最たるのが官僚です。東西冷戦以降、そうした人材では、すべての運営がうまくいかなくなった。もっと創造性、先見性ある人材が求められるようになりました。しかし、東大はそうした人材を育成して来られなかったし、今もできていません。

 しかし、キャッチアップ能力しか持ち得なかったのは、何も官僚だけではありません。日本の政治家だって財界人だって同じようなものです。結局はアメリカの後追いをする発想の枠組みでしか行動できませんでした。東大以外のほかの大学、例えば京大や早稲田や慶応は、以前から創造性ある人材を育成していたのでしょうか。要するに、官僚の役割低下の問題は、東大だけの問題でも官僚だけの問題でもない、ということです。

――では、東大一人勝ちはまだ続くし、それで構わない、ということでしょうか。

中井 今のままの発想と能力では、同じ状態が続くだけでしょう。それでいいとは思いません。東大が育てられなかった創造性、先見性ある人材を輩出する大学が出て来なければなりません。しかし、それにはお金の話の前に意識改革が必要です。これは社会一般、国民意識にも当てはまると思いますが、大学の教員自らがキャッチアップ能力しかなかったことを反省できるかどうかです。

 まずは安易に東大批判をする風潮をやめるべきです。批判すべき所は勿論批判すべきですが、他と比べて優れているところは素直に認めるべきでしょう。アンチ東大、なんて言っている限り永遠に東大を超えることはできません。アンチの姿勢を心地よく感じるのは、70年代までの学生運動のノリで、それは実はありがたがっていることの裏返しです。もっと独自の価値観で堂々と勝負していい。アメリカ追随の政治しか持ち得ない日本社会ではもうだめなように、一人ひとりが考え直す時期かも知れません。このまま東大一人勝ちを許し続けるようでは、日本の将来は明るくありません。

 真のエリートを教育するにはどうしたらよいのか。私の塾ではすでに4半世紀にわたり、それを実践してきました。拙著「日本語論理トレーニング」「脱マニュアル小論文」などを参考にして、是非大学の授業をチェンジしてほしいものです。

中井浩一さん プロフィール
なかい こういち 1954年生まれ。京都大文学部卒業。一般企業や大手予備校勤務の後、ドイツへ留学。1989年に国語専門塾「鶏鳴学園」を設立、現在も代表を務めている。著書に「日本語論理トレーニング」(講談社現代新書)、「脱マニュアル小論文」(大修館書店)、「大学『法人化』以降」(中公新書ラクレ)、「大学入試の戦後史」(同)など多数。

(写真キャプション)「東大はがんばってる、なんていうと文句を言われることもある」と話す中井浩一さん。中井さんは京大OBだ

5月 04

(1)大学生。社会人のゼミの成果のまとめ
1カ月、ゼミを休みにして、
昨年から読んで考えてきたことを原稿にまとめました。
ヘーゲルの『法の哲学』、『本質論』、『精神現象学』の「序言」。
マルクスの「ヘーゲル国法論批判」
許万元『ヘーゲルの現実性と概念的把握の論理』
についてです。
メルマガやブログで公開します。

こうした時間を定期的にとって、成果をまとめていく必要を強く感じました。

(2)村上隆「芸術起業論」を読みました。
痛快な本でした。
日本の現状批判と、世界で生き残るための戦略について、
単純かつ明快な主張で、気持ちが良かった。
本気で生きている人に触れた快感だと思います。
これほどシンプルな形になるまで、どれほど大変だったのかを考えました。