11月28日に東京都美術館で「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」を見た。
藤原定家の肖像画が面白かった。プライドの高い、繊細で偏屈で狷介で嫌な奴だったろうな、と思っていたが、その通りの顔だった。
日本の古典を再編集したことや、歌の家を作ろうとした(家元制度の創始者)こと。それが気になる。
冷泉家の現在の当主が、外婿として冷泉家の当主になったものの当惑し、文化の保存の役割に徹すると腹が据わるまでに時間が必要だったことを書いていた。こうした「家制度」について考え込む。
定家の「明月記」が展示されていて、読みたくなった。幸い、作家の堀田善衛が『定家明月記私抄』 (ちくま学芸文庫 正続) を出している。早速読んでみた。
アマゾンには「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ―源平争闘し、群盗放火横行し、天変地異また頻発した、平安末期から鎌倉初期の大動乱の世に、妖艶な「夢の浮橋」を架けた藤原定家。彼の五十六年にわたる、難解にして厖大な漢文日記『明月記』をしなやかに読み解き、美の使徒定家を、乱世に生きる二流貴族としての苦渋に満ちた実生活者像と重ねてとらえつつ、この転換期の時代の異様な風貌を浮彫りにする名著」と紹介されている。
定家が「プライドの高い、繊細で偏屈で狷介で嫌な奴」だったことが確認されたが、かなりタフであることに驚いた。
彼は官吏としての出世になりふりかまわず、60歳になっても猟官運動に精を出す。男女関係は錯綜し、定家にも30人近い子どもがいる。それは当時にあってはごく普通のことだった。そして彼は10代から70代までに詳細な日記を書き続ける。これは決して普通ではない。
俗の俗にあった定家にも感心したが、この本の著者にも感心した。政治と文化の実相、西洋と日本の幅広い領域を視野に入れた堀田善衛の冷徹な目が行き届いている。
宮廷文化が没落していく中で、サブカルチャーが従来のカルチャーを圧倒していく。和歌を、そして自らを守るために家元制を構想するしかなかったこと。当時の宮中、後鳥羽院の人々、京都の治安の悪さ、鎌倉幕府との関係、官吏としての日常。
定家のため息、つぶやき、うめきまでが伝わるような本だ。