1月 09

ゼミ生3人の、2010年のヘーゲルゼミの振り返りです
 
(1)苦しいけど幸せ A
(2)生活の中の哲学 B
(3)自分の中にあるものを言葉にすること C

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(1)苦しいけど幸せ  A

 今年の六月から、ヘーゲルの読書会に参加し始めた。ほぼ毎週一回月曜日に、『小論理学』の判断論と推理論を十一月末までかけて読み、途中八月には山梨での合宿にも参加して、そこで四日間、『大論理学』の判断論と、『精神現象学』の自己意識論を読んだ。
 参加するにあたっての自分の「目的」は、一言でいえば、今の自分の思考法(=生き方)の限界を超えること、であった。その背景には、大学院での博士論文が書けずにいること、があった。今の自分のやり方では前に進めない、否、進んでも意味がない、という意識が強くあった。四十歳を目前にして、このままでは次の段階に進めない、という意識である。
参加して何よりも感じたことは、中井さんの能力の高さだった。特に、判断論の中の、仮言判断の不確かな位置付けに対する中井さんの自説には、情熱というか執念というか、これを分かるまでは自分を許さない、という徹底的な考察の姿勢が現れていた。実際、その週の範囲であったところに、何度も何度も後から戻って来ては、中井さんは前回よりも上のレベルからの考察を展開しようとしていた。また、ドイツ語のたった一つの冠詞から考察すると同時に、ヘーゲル論理学全体の中での位置付けを理解するべく、何度も目次を参照したりもした。さらに、驚くべきことは、それを、我々参加者にも分かる言葉で説明するのである。
正直なところ、私はヘーゲル自体には未だ圧倒されてはいないが、中井さんには本当に圧倒される。当初の参加目的である、自分のダメなやり方を超える、ためには、第一に、「圧倒」されるしかない。苦しいが幸せである。無論、圧倒されているだけではダメなので、現在、『小論理学』下巻を、今年三度目の通読をしているところである。

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(2)生活の中の哲学  B

 ヘーゲルを読み始めたのは2008年第一回目の夏合宿の時からだ。最初は訳がわからなかった。今年から毎週月曜日にヘーゲルを原書でも読むようになってから、以前と比較すると少しずつ理解できるようになってきた。理解できるようになったというより、自分の日々の行動を無意識にヘーゲルの言葉で整理するようになった。一番衝撃を受けた点はヘーゲルの判断論だ。よく中井さんはホワイトボードに、最初は一つの円だがそれが発展し、矛盾が生じ二つの円に分かれ、しかしその後また一つの円に戻る図を書く。
 私は今まで自分の育ってきた環境や親の価値観を否定してきた。ヘーゲルの図での二つに分裂し矛盾が生じている状況が続いていた。しかしちょうどこの図の説明がなされる2,3日前に自分の育ってきた環境を受け入れることからしか、厳密に言うと肯定的理解からしか物事は始まらないのではないかと思える経験をしていた。そのような見解を述べた文章も書き終えていた。まさしく分裂していた状況が、再び元の一つの円に戻る作業を身をもって体験していたからこそ、ヘーゲルおよび中井さんの説明に衝撃を受けた。自分の経験したことを文章で述べ、自分なりの分析をした内容がヘーゲルはさらに数段上のレベルで整理していたことに衝撃を受けた。なぜ数段上だとわかるかというと、無駄なく単純な用語で普遍的に述べているからだ。ヘーゲルは具体例を一切出さずに、普遍的にあてはまることだと分かりそれのみを述べている凄さである。日常生活に落とし込めている凄さである。日常生活を送っていれば気が付く格段特別ではないことを改めて自覚化、可視化させ、言葉として記していることの凄さをここ最近実感できるようになった。

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(3)自分の中にあるものを言葉にすること  C

ゼミに参加することが恥ずかしい気持ちが私にはある。参加者の多くが20代でこれから自分を作って行こうと格闘している人たちだが、私は今年39歳になった。けれど仕事の立場はアルバイトで中途半端であり、自分の家族を持たないことも恥ずかしいと思う。重ねてきたものがないからだ。けれど何もないまま生き続けることが怖くてゼミに参加しようと思った。ぽつぽつ参加する状態を経て昨年末から定期的にゼミに参加するようになったものの、最初はどうしたらよいか途方にくれていた。
文章ゼミで、思いつくことを言葉にすることから始めた。自分の思うことを言葉にして批評してもらう中で、こんなことを言ってはいけない、という気持ちがほぐれるという経験を重ねた。例えば「話したあとの気持ち」という文章を出したときのこと。それは知人と食事をした時に自分が感じたものを言葉にした文章だった。私はゼミに出すにはふさわしくない下らない内容だと思っていたので、ゼミでその心配な気持ちを話した。それに対して参加者のひとりが「下らなくない」と言ってくれた。安心した。安心すると、次の言葉が自分の中から出てきた。
自分の書くものは何を伝えたいのかがはっきりしない文章だと思う。年齢が40近いのに簡単な文章しか書けないことに落ち込むことも多い。けれど今の自分にはそのような文章しか書けないのだから、書けるものを出していこうという気持ちになった。ゼミではどんなに短い文章でも取り上げてくれて意見を聞けるのが有り難い。自分がつまらないことだと思いながら、けれどその存在を無視しきれない気持ちを形にした言葉に居場所を与えてもらえる。その作業をくり返す中で、自分が落ち着いてきたように思う。この1年書いてきたものを振り返ると、最初は何を書いたらよいのかわからなかったのが、いつのまにか両親のことを書くようになっていた。書くことを続ける中で、亡くなった両親が今も自分の中に大きな位置を占めていることに気づかされた。
夏の合宿は関心があったが、集団生活はしばらくぶりで参加をためらった。ためらっている気持ちを先生に伝えると、参加してみて調子が悪くなったら帰るなど自由にしていいと返事をもらった。それで気持ちが楽になり、途中から参加した。
他人と生活した2泊3日では、緊張したり、話が上手にできなかったりした。誰も自分を責めていない状況にも関わらず、責められる気持ちから逃れられなかった。合宿を終えてから、どうしてなのかという思いを言葉にすると、「自分で自分を責めている」と言われた。その時に、身体で感じる苦しさが自分で作り出しているものだと知った。
読書会はたいがい課題の本を読み終えられないまま参加していた。他の人の報告や文章も読み切れないことが多い。ヘーゲルも他の読書会も内容はほぼわからず、できない自分を感じ続けている。けれど自分が少しでも前に進めていたらと思う。

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