今年の4月から全国の高校で使用される、大修館書店の国語科教科書「国語総合」の3種類に関して、
教師用の副教材『論理トレーニング指導ノート』(3種類)を、
鶏鳴学園のスタッフの松永奏吾、田中由美子と一緒に製作・編集した。
これは、「国語総合」に収録された評論を取り上げ、そのテキストの論理的な読解、立体的読解を示したものだ。
そこでは、取り上げた1つ1つのテキストについて、その考え方を私が批評するコラムをつけている。
教科書には、今、世間で売れていて、評価されている著者が並ぶ。
このブログの読者も読んだことがあったり、ファンであったりするだろう。
そうした方々にも、考えるヒントになると思うので、このブログにも
毎日コラムを1つ転載します。
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「自立」と「依存」の関係は?
(姜尚中の『悩む力』から)
本テキストは、姜尚中のベストセラー『悩む力』の第6章「何のために『働く』のか」
からとられている。
『悩む力』には、6章の前提として1章「『私』とは何者か」、
2章「世の中すべて金なのか」が置かれており、これらを踏まえて6章は書かれている。
「何のために『働く』のか」。
姜尚中は、「働く」目的は「他者から承認される」ことにあると答える。
現代は大量のフリーターやニートが存在する時代である。
「自己実現」や「自分探し」を言い訳に、自己決定を先送りにし、社会に出ていくことを躊躇している若者が多い。
姜尚中が「他者から承認される」ことを強調するのは、こうした傾向に警告するためだろう。
しかし、私はこの答えには強い違和感を持つ。
もし「他者から承認される」ことが一番大切ならば、「いじめ」の問題を解決できなくなるだろう。
なぜなら、いじめは「他者からの承認」を求める心理、
つまり他者への依存の心理が根底にある問題だと思うからだ。
そこに「自立」は存在しない。
私たちが「働く」のは、
第1に「自己実現」「自己自身による自己承認」「自立」のためだ。
「他者からの承認」は働いた結果であり、それが働く目的なのではない。
もちろん社会(他者との関係)の中でしか自己実現はできない。
だからこそ、自己本位と他者本位の関係、つまり自立と依存の関係が問われるのだ。
それは本来はいかなる関係なのだろうか。
本テキストにはその答えは無い。
では『悩む力』の1章ではどうか。
ここでは「自我というものは他者との関係の中でしか成立しない」
「人とのつながりの中でしか、『私』というものはありえない」と言う。
これは他者から隔絶したところに自分があるとする考え(これがフリーターやニートを代表するだろう)に
反対しているのだろう。
そして「自我というものは他者との『相互承認』の産物だ」という。
しかし、「他者との『相互承認』」はどうしたら達成できるのかは語られない。
「『まじめ』たれ」というだけだ。
本来は、「仕事」の選択、「仕事」への取り組み方、フリーターやニートというあり方を具体的に語る中で、
「相互承認」、自己本位と他者本位の関係、自立と依存の関係について解明すべきだろう。