4月 01

鶏鳴学園の中学生クラスを担当している田中由美子が本を刊行しました。彼女の人生で初めてのことです。
それは同時に、中井ゼミの仲間から、中井と師弟契約をしている弟子の中から、自分の本を刊行する初めてのことになります。
とても嬉しく思います。

彼女が中井ゼミで学び始めたのは50歳です。それから10数年、彼女はまっすぐに自分の道を歩んできました。この本はその成果であり、これからの彼女の未来を照らし出すものです。

彼女の人生の門出です。私たちにできる精一杯の祝砲を打ち上げなければならないと思います。

お祝いは、新しいステージの始まりの確認であるとともに、また、最も厳しい批判をすることで、次のステージへの送り出しの場にもならなければなりません。

5月(19日)か、6月(16日)にこの本の読書会を開催する予定です。
決まり次第、報告します。
みなさん、積極的にこの祝宴に参加してください。

そして今はまず、本を購入し、お手に取ってお読みください。

■ 目次 ■
1 『思春期の子どもと親、それぞれの自立 ―50歳からの学び直し―』について 田中 由美子
2 本書の目次
3 本書冒頭の「この本の読者へ」

========================================

◇◆ 1 『思春期の子どもと親、それぞれの自立 ―50歳からの学び直し―』について  田中 由美子  ◆◇

この十数年中井ゼミで学び、また鶏鳴学園の中学生クラスを担当してきました。
これまでの鶏鳴学園での授業や、私自身の親としての経験を通して考えてきたことをまとめたのが、先月社会評論社から刊行した表題の本です。
https://www.amazon.co.jp/s?k=9784784517633&tag=books029-22

これまでの人生や子育ての中で、いったい何をどう考え、どう解決すればよいのか、たびたび戸惑い、悩んできましたが、授業で出会う中学生たちも様々な葛藤を抱えていました。
そして、彼らの本音や現実に向き合う中で、彼らが抱える問題は、大人たちやこの社会の問題をそのまま映したものではないかと考えるようになりました。
それは私自身がつまずいた問題や、家庭や学校の問題です。
そういった問題の本質とその対策について、かつて中学生だった子どもの親の立場から、現時点での考えを綴りました。

思春期の子どもの最大のテーマは「自立」です。  
それが、「いじめ」や不登校、勉強や進路進学の悩み、親子関係など、彼らが学校や家庭で直面しているあらゆる問題と関わる、彼らの課題ではないでしょうか。
しかし、「自立」とは、いったいどうなることが「自立」なのか、また、思春期の子どもを前に、周りの私たち大人は何ができるのでしょうか。 
子どもたちが行き詰まるとき、それは子どもだけではなく、私たち大人の「自立」が問われているのではないでしょうか。

———————————————— 

◇◆ 2 本書の目次 ◆◇

第一章 転機
1. 子どもたちの思春期
2. 50歳での転機
3. 「社会人・大学生クラス」(中井ゼミ)での自立のやり直し
4. 「中学生クラス」と「家庭・子育て・自立」 学習会
5. 問題に向き合う生き方

第二章 作文を読み合って話し合う授業
1. 率直に突っ込み合う
2. 問題を抱える中学生たち
3. 精一杯の作文にどう応えるか

第三章 小冊子「君たちが抱える問題の本質と、その対策」
〇 小冊子 「君たちが抱える問題の本質と、その対策」
〇 教材 「部活、サークル、クラスの行事などの問題」

第四章 中学生たちが抱える問題 学校編
1. 「いじめ」たことを書いた作文
2. 他人を傷つけるからよくないこと?
3. 「自分が傷つくのも嫌」
4. 思春期に対立は必然
5. 「傷つけてはいけない」という行き止まり
6. 相手への疑問や批判は直接本人に言う
7. 最終目標は自立
8. 問題の本質を考える練習、言いたいことを言う練習
9. 不登校は「ズルい」?
10. 不登校はタブー?
11. 秘密主義
12. 部活やクラスにルールがない
13. 裏ではなく表で対立できる仕組みを
14. 自立に向かうためのルール

第五章 中学生たちが抱える問題 家庭編
1. 教育虐待
2. 中学受験って何だったのか
3. 「空白」を埋めるスマホ
4. 学びたいテーマを持つという自立
5. 「母が絶対権力」
6. 兄弟や親の問題
7. 子どもの権利の代行という親の役割
8. 親子それぞれの自立
9. 子育て後の第二の人生

第六章 経済成長と「家父長制」の次へ
 ― 親の、その親からの自立 ―
1. 父との関係の節目
2. 親子関係の意味

———————————————— 

◇◆ 3 この本の読者へ ◆◇

本書は、国語の塾の一講師として、この十余年中学生たちが抱える悩みや葛藤に向き合ってきた結果、いったい何が彼らの問題の本質なのか、また、どう解決すべきなのか、その考えをまとめたものです。学校でも家庭でもない場だから、彼らは本音を語り、作文に表現したのではないかと思います。そして、作文をもとに話し合う中で、さらに生の声が飛び出しました。

また、子どもたちの問題を論じると同時に、そうした子どもたちの問題の解決に向けて努力しておられる保護者や学校関係者、つまり、私たち大人自身がどうあるべきかについても論じました。中学生たちの本音や現実に向き合っていると、その後ろに、私自身がつまずいた家庭の問題や、学校、社会の問題が浮かび上がってきたからです。

それを、かつて中学生の子どもの親であった私の経験や思いからまとめています。タイトル、『思春期の子どもと親、それぞれの自立』は、その意味です。

私は、長年ほぼ専業主婦でしたが、50歳からがらりと毎日の生活を変えました。
家事以外の仕事や勉強に多くの時間を割くようになったのですが、何よりも大きく変わったことは、誰か他の人のことではなく、私自身のことを考え続けて生きるようになったことです。

当時子どもたちはもう高校生と大学生でしたから、とっくにそうしていてもよかったはずですが、むしろ私は、彼らの中学生の頃からの思春期に「心配」をふくらませていました。
ほんとうは、子どもがどうだからとか、主婦だったからではなく、私は、私自身を生きるということを、ついぞ知らなかったのだと思います。家族を含めた他人(ひと)の顔色をうかがったり、他人の「心配」をしたりということが、私が生きているということでした。しかし、その実私は、子どもたちのことも含めて、身近な誰の気持ちに寄り添うすべもなく、ひとりぼっちで生きていたように思います。40代でいろいろなことがうまくいかなくなり、苦しくなりました。自分の人生の先を見失っていました。

50歳で転機を迎えた私は、それからの14年間、私が抱えていたいくつかの問題の本質が何だったのか、少しずつ目を開いてきました。その後始めた学習を共にする仲間や、塾に通ってくる中学生たちを通してです。遅いスタートですが、しなければならないこと、そしてまだまだやれることはいくらでもありました。自分をよりよく知ることだけが私自身を支え、ようやく自分の全責任で、自分で納得できるような生き方へと踏み出せました。

また、私がかつて一人でもやもやと悩んでいたことは、実は、思春期の子を持つ多くの親が抱えている不安でもあったことを、仕事を通して知りました。子どもが大人になろうという思春期に、親自身がどう大人になり、どう生きてきたのかが問われるからです。夫婦関係も問われます。私は親兄弟との関係にも課題を抱えていましたが、それも少なからぬ人が抱える問題でした。

子どもの思春期は、子も親も嵐のときです。その嵐の中の中学生たちが作文に書いてくる問題や、彼らが授業の中で語ることに突き動かされて、彼らと私自身の問題のありかを探ってきました。私も40代に、思春期の子どもたちの、一人の親だったからです。

そして、子どもたちの行き詰まりは、実は私たち大人の行き詰まりをそのまま映し出したものではないかと考えるようになりました。私たちがまず自分自身を生きて、本気で自分を変えることだけが、私たち自身を救い、そして、そのことによって子どもたちも前へ進むことができるのではないでしょうか。

では、かんたんに本書の構成を説明させていただきます。
まず、第一章で、私が50歳でどのように転機を迎えたのか、自己紹介をします。
第二章は、その後始めた、塾での仕事、中学生どうしで互いに作文を読み合って話し合う授業の大枠を説明します。この後の第三?五章に書くことの背景です。
第三章には、その教育活動を通して見えてきた、今、中学生たちが抱える問題と、それをどう考え、どう解決を図るべきなのか、現時点での私の答えの一覧を掲載します。授業で使う教材の一つ、小冊子「君たちが抱える問題の本質と、その対策」です。
第四・五章は、第三章の考えに至るまでの具体的なプロセスです。中学生たちがどんな作文を書いてきて、どんな思いを語るのか、そして、そこにどんな問題の本質が見えてきたのかを記します。第四章は、学校での問題、第五章は、生徒たちにとってさらに切実な、家庭での問題です。

そして、第六章に、再び私自身のことを書きます。ただし、今度は親としての私のことではなく、子としての私の、私の親からの自立の問題です。
中学生の成長や自立を後押しする仕事をする中で、近年、実はその後ろに、彼らの親が、その親(生徒たちの祖父母)からどれだけ自立できているのかという重い課題があると考えるようになりました。また、それは、生徒たちの祖父母の時代から今現在まで、社会状況は大きく変化してきたにもかかわらず、学校や社会のあり方が根本的にはなかなか変われないことと深くつながっていることではないでしょうか。
私の両親との親子関係、さらに、両親とその親との親子関係までをふり返って考えたことを、最後の章に記します。

6月 30

前回の学習会の報告 田中由美子

コロナ禍でのオンライン開催も、この回で3回目となりました。
この日のご報告として、テキストについての感想を掲載します。

日時  : 2021年3月7日(日曜)14:00?16:30
テキスト: 青木 省三 著『ぼくらの中の発達障害』(ちくまプリマー新書)

テキストの著者、青木氏は、特に思春期・青年期を専門とする精神科医です。

近年「発達障害」という言葉をよく耳にするようになり、2012年の文科省の調査によれば、学校の教師たちが、小中学生の6.5%に「発達障害」の可能性を見ているとのことです。

しかし、そもそも「発達障害」とは何なのか、これが問題だと思います。
この「障害」は、医学においてもまだ半世紀ほどの歴史しかありません。
なぜ、私たちの社会に、今この「障害」に戸惑い、苦しむ人が増えているのでしょうか。

これらが、今回このテキストを取り上げた私の問題意識でした。
青木氏が述べていることは、「障害」を持つ子どもだけの問題ではなく、広く思春期の子どもたちの課題や、人間関係の悩みの本質であるように思えます。

以下、テキストについての私の感想です。
———————————————————–

「発達障害」の社会的な土壌

1.「発達障害」の概要

青木氏によれば、「発達障害」は、1943年にアメリカの精神科医から子どもの「情緒的接触の自閉的障害」の症例報告がなされたところから研究が始まった。
それまでは、精神発達の障害と言えば知的障害だけが知られていたが、その後「自閉症」や「アスペルガー症候群」といった、社会性や対人関係に困難があるような「障害」の研究が進む。
現在、その原因は、親の養育や性格などによる心因性ではなく、脳の軽微な障害など生物学的なものとされているが、その詳細はわかっていないとのことだ。

「自閉症」は、乳幼児期から問題が現れ、基本障害は言語/認知機能の障害であるという。
これが「発達障害」の中核的なものであり、その75%が知的障害を伴う。

それに対して、「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」と呼ばれるものは、思春期・青年期に自閉症の傾向が現れ、言葉の発達の遅れは伴わないが、学校や社会での対人関係に困難を抱えることが多い。(二つの名称の違いは曖昧なものであり、青木氏は「アスペルガー症候群」の方が「広汎性発達障害」より障害の傾向が強いと位置づけている。)

有病率は、前者の「自閉症」が1000人に2-3人、後者の「アスペルガー症候群」などが100人に1人という。

なお、この二種の区別が難しいケースもあるという。

また、本書で青木氏が主に論じている「発達障害」は、二種の内、後者の「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」である。

2.社会の変化による「発達障害」

青木氏の「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」についての基本的スタンスは、その要因として、個人の特性よりも、社会的、文化的なものの影響を大きく見ていることだと思う。
それが、本書をテキストにした第一の理由だった。
そうでなければ、この問題に戸惑い、苦しむ人の増加が、説明できない。

まず、経済的には、ここ半世紀で産業構造が大きく変化し、「真面目だが、無口で不愛想な人たち」が働きやすい農業や漁業、または職人などの仕事が激減したこと。

また、社会的、政治的には、共同体にわかりやすい規範のあった以前に比べて、共同体的な人の繋がりが崩れた今、社会の規範が複雑になり、社会でも学校でも「曖昧で流動的な空気を読むことが求められる」ようになったこと。

そして、そのことにより言葉の役割が重くなり、さらに、「言うべき「何か」を持っているかどうか」よりも「コミュニケーション能力」が過度に強調されていることなど、文化や教育の面での問題も挙げている。

そういう社会の変化の中で、「広汎性発達障害」の傾向を持つ人が破綻をきたしやすくなっているという見方だ。

彼は、「特に日本という国、日本文化の中で生きていくというのがより一層困難を与えているのではないか」と述べる。
また、「発達障害の傾向を持つ人が、改めて力を発揮できるようになることが、今の時代と社会に問われている課題の一つ」だと。

それは逆に、「発達障害」の増加が、今の私たち、日本社会の問題をあぶりだしているとも言えるだろう。

経済的には、たとえば農業など一次産業が衰退し、食糧の多くを、また農業肥料の原料のすべてを輸入に頼っているというような歪な産業構造は、すべての私たち、日本人にとっての大問題だ。

また、社会的、政治的には、「曖昧で流動的な空気を読むことが求められる」ような社会や学校であってはならないということではないか。
それぞれの組織の目的に合ったルールを、主体的、民主的につくっていけるような能力や制度が求められるのではないだろうか。
本質的な最低限のルールさえ守ってさえいれば、個人の自由は守られるという組織や学校でなければならないのだと思う。

私たちの社会の組織や学校がそうなっていないから、文化、教育面で「コミュニケーション能力」がいたずらに強調されているのではないか。
また、「コミュニケーション」の大流行は、対話を重視するという面で正しい方向ではあっても、自分たちの社会がどこを目指すのかという目的を、私たちが定められないでいること、つまり「言うべき「何か」」のナカミが無いことの裏返しでもあるだろう。

3.思春期なのに「よい子」

もう一つ大切な観点だと思ったのは、「広汎性発達障害」の傾向を持つ子どもが、思春期に友人や仲間を得にくい要因として、青木氏が、彼らが他の子どもたちよりも長い間「よい子」であり続けることを挙げている点だ。

一般には、「発達障害」を抱える人が他人の気持ちを読み取りにくいからだと説明されるようだが、青木氏は、思春期に大人から与えられた規範に反発したり、自分なりの規範を作り始める同世代に後れを取って、浮いてしまうのだと感じている。

これは、学校生活が息苦しいと感じている塾の生徒に私が常々見てきた傾向と、一致する。
学校規範では救われないから苦しいのに、思春期に入っても「よい子」から抜け出しにくい。

さらに、それは今の子どもたち一般的な傾向であるように思われる。
つまり、自立が難しく、自立に至る過程としての反発や疑問が弱い。
戦後、経済が急成長して私たちの社会や豊かになり、子どもは長い期間教育を受けられるようになった。
そのことはもちろんよいことだが、その分親子の一体化は強くなった。
子どもたちが、思春期以降も長い間親に養われながら、精神的な自立を果たさなければならないという矛盾や困難がある。

また、この自立の問題は、今の子どもたちに始まったのではなく、一般には私たち、親の世代からの課題ではないだろうか。
高度経済成長時代に育った私も、親からの自立はたやすくなかったし、今もまだやり残しがあるんじゃないかと感じている。
子どもたちは、ときに、彼ら自身の自立と、親の自立の問題を二重に背負っている。

つまり、思春期の「発達」が、社会全体として難しいのが今である。
自立や、あるいは思春期自体が難しいという社会の土壌があり、「発達障害」的な戸惑いや苦しみが増えているという面があるのではないだろうか。

———————————————————–

6月 28

アガサ・クリスティー著『春にして君を離れ』をテキストとして、学習会を行います。

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
今回のメルマガでは、8月1日(日曜)の学習会の案内と、今春3月の学習会の報告を掲載します。

8月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
親子関係や子どもたちを取り巻く様々な問題に関して話し合い、学び合う会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
学習会ブログ http://kateiron.skr.jp/

アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』をテキストとして、下記の通りオンライン学習会を行います。
クリスティーと言えば推理小説ですが、そうではない小説もあり、当初は別のペンネームで出版されました。
その中の一作です。
殺人事件は起こらないのですが、なかなかミステリアスです。

主婦のジョーンは、その才覚と気遣いでよい家庭を築いてきたと自負していましたが、自らの人間性や生き方の薄っぺらさに気付いていきます。
夫や子、その他の誰とも深く理解し合うことのない人生。
そうした生き方のぞっとするような孤独と、その本質を、小説の最後までをかけて描き切っています。
私は、この社会には女性差別がある一方で、家庭の多くは実質的には妻が牛耳っているのではないか、それは一体どういうことなのだろうということが心に引っかかってきましたが、ジョーンもそのタイプです。
私の親世代の家庭の多くがそのようですし、また、鶏鳴学園の生徒たちの作文にもお母さんはよく登場するのですが、お父さんの影がたいへん薄いです。
その現実を、80年も前にクリスティーがリアルに描いていたことも、おもしろいと思いました。

どうぞテキストを読んでご参加ください。
小説ですから、いつも以上にラフに話し合いましょう。

1. 日時  :8月1日(日曜)13:00?15:00(今回は、これまでより開催時刻が1時間早いので、その点ご留意ください)
2. 形態  :Zoomによるオンライン開催
3. テキスト:アガサ・クリスティー著『春にして君を離れ』(早川書房 クリスティー文庫81)
4. 参加費 :1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)

参加をご希望の方は、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
お待ちしています。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
鶏鳴学園 「家庭・子育て・自立」学習会事務局

8月 02

河合 隼雄 著『子どもと学校』をテキストとして、学習会を行います。

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
今回のメルマガでは、今月8月30日(日曜)の学習会の案内を掲載します。

———————————————————–
8月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
親子関係や子どもたちを取り巻く様々な問題に関して話し合い、学び合う会です。
どうぞお気軽にご参加ください。
学習会ブログ http://kateiron.skr.jp/

河合 隼雄 著『子どもと学校』をテキストとして、学習会を行います。
新型コロナ感染症の先行きが不透明なため、初のオンラインでの開催です。

テキストは、河合 隼雄 著『子どもと学校』(岩波新書)です。

著者の河合 隼雄(1928?2007年)は、心理学者、および教育学博士であり、京都大学名誉教授や文化庁長官を務めました。
学者らしからぬ柔軟さで、鋭く本質を突く大物です。

子どもの生活や学習に「問題」があるとき、その「問題」をどうとらえ、どう対応するべきなのか、思春期とは何か、「父親」はどうあるべきなのかなど、大事な論点が盛りだくさんです。

学習会では、主に下記の箇所を読みます。
時間の許す範囲で読んでみてください。
ただし、学習会当日、大事な箇所は確認しながら進めますから、予習ができていなくても大丈夫です。

?章 「教育の価値を見直す」  p1?30
?章 4節「不登校の「処方箋」」 p132?154
?章 2節「性の理解と教育」  p200?230

※?章も本来大切な論点ですが、河合の「個性」が何を意味するのか、その考えが曖昧で不十分だと思います。
時間が許せば目を通してみてください。

1. 日時  :8月30日(日曜)14:00?17:00 
2. 形態  :Zoomによるオンライン開催
3. 参加費 :1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)
4. テキスト:河合 隼雄 著『子どもと学校』(岩波新書 212)

参加をご希望の方は、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
お待ちしています。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
鶏鳴学園 家庭論学習会事務局
学習会ブログ http://kateiron.skr.jp/

11月 21

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
それから3年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

来月12月15日(土曜)の学習会の案内をします。

———————————————————–

12月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
年に数回開催し、親子関係や、子どもを取り巻く様々な問題に関して話し合い、学び合う会です。

来月の学習会では、石牟礼道子著『新装版 苦海浄土 わが水俣病』を読みます。

四大公害病の一つ、水俣病に苦しむ人々の魂の声を、詩のように綴った文学です。
今回は、直接に家庭や子育てがテーマではありませんが、素晴らしい作品であり、また私たちの時代や生き方を問うものです。

私の親の世代が高度経済成長に邁進する中、一方で恐ろしい公害病が長年放置されました。
しかし、この作品はたんにその問題を告発するルポルタージュではありません。
病のためにしゃべれない患者や、病ゆえに地域で孤立した患者家族の思いを、石牟礼が代わって豊かに語ります。

石牟礼は、彼女が暮らす地域で起こったこの問題を綴ることをライフワークとしました。
また、患者を支えるために運動しました。
一人の女性の生き方としても惹かれます。

詳細は、下記※をご覧ください。

学習会では、一章から四章までを読みます。
一・二章の読みづらい箇所は読み飛ばし、本書の山である三・四章をぜひお読みください。
当日背景をお話しします。

            記

1.日時 :12月15日(土曜)14:00?16:00
2.場所 :鶏鳴学園
3.参加費:1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)
4.テキスト:石牟礼道子著『新装版 苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫 2004年?)
※ ページ数が揃うように、現在一般の書店で販売されている上記をお買い求めください。

参加をご希望の方は、「家庭・子育て・自立」学習会ブログ内の、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
〒113-0034 東京都文京区湯島1?3?6 Uビル7F
鶏鳴学園 家庭論学習会事務局

———————————————————–

※ 詳細

○ 水俣病事件
水俣病は、1950年代から熊本県水俣市などで多発した公害病です。
プラスチックの原料を製造する化学メーカー、チッソの工場排水に含まれていた有機水銀に魚介が汚染され、それを食べた人間が中枢神経を侵されました。

また、胎児まで罹患しました。
当時の世界の医学の常識に反して、毒素が母親の胎盤を通過したのです。
何年経っても首もすわらない子どもや、亡くなる子どももありました。

ところが、工場排水はその後も十余年流され続け、被害が拡大したのです。

○ 『苦海浄土』
小さな漁村に多数の患者や死者が出ても、その対応は遅れに遅れ、水俣病問題は石牟礼道子が『苦海浄土』を書いたことによって、ようやく全国に知られました。

また、本書は、たんに加害企業のチッソを糾弾するものではありません。
患者や家族がどんな思いで生きてきたのか、その悲しみだけでなく、生きる尊厳や喜びも描きました。
彼らの思いがその抑圧から解き放たれるように、詩のように語られます。
チッソが当時の人々にとって高度経済成長を象徴する希望であった、その思いまでもが生き生きと表現されているのです。

なお、今学期、本書を鶏鳴学園、高1クラスのテキストとしました。
戦後の日本文学の最高傑作と言われる本書は、表現が優れているだけではなく、近代と何か、人間とは何かを深いレベルで問うものだからです。
また、国策企業であったチッソによる水俣病問題は、福島の原発事故問題と構造的に非常に似かよっています。

○ 石牟礼道子
『苦海浄土』の著者、石牟礼道子は、チッソの企業城下町であった水俣で、長年捨て置かれた患者や家族に当初から寄り添い、憑りつかれたように筆を執りました。

戦中戦後から様々な疑問を抱いていた彼女は、水俣病患者と出会ったとき、自らの使命を自覚したのでしょう。
患者さんたちに「つかまえられたとしか言いようがない」と語っています。

殊に女性がそういった仕事をすることに、幾多の軋轢がありながら、止めようとは思わなかったそうです。
女性としての一生活者の視点が、彼女の仕事を貫いていると感じます。

<石牟礼道子 略歴>

1927年(昭2)生誕
1940 (昭15)13歳 小学校卒業後、実務学校(現・水俣高校)入学
1943 (昭18)16歳 代用教員錬成所に入学し、二学期から小学校に勤務
1947 (昭22)20歳 退職。結婚。翌年、長男誕生。
1954 (昭29)27歳 詩人、谷川雁と出会う。漁村に水俣病が多発し始める
1960 (昭35)33歳 雑誌『サークル村』に『奇病』(「ゆき女きき書」初稿)掲載
1968 (昭43)41歳 「水俣病対策市民会議」結成に参画
1969 (昭44)42歳『苦海浄土』を出版。熊本地裁に提訴した患者などと共に行動し始める
1973 (昭48)46歳『苦海浄土・第三部』まで書き終える。その後も著作や運動を続ける
2000 (平12)73歳 パーキンソン病発症
2018 (平30)90歳 死去