11月 15

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。それから2年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

2017年10月の学習会の報告を掲載します。

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乾 義輝著「豊かな人間性を培う家庭教育の推進―「思春期」家庭の支援の在り方―」学習会(2017年10月15日))報告
田中由美子

今回は、元県立法隆寺国際高等学校校長、乾 義輝氏の、思春期の親子関係についての論文を読みました。
子どもの思春期における、親自身の課題がテーマです。

学習会では、参加者の皆さんから、子どもの思春期やご自身の悩みが「問題のデパート」のように様々出されて、熱心に意見交換しました。
また、会の最後には、子どものことよりご自身のことを語る方が多かったのも、印象に残りました。

以下、学習会を終えての私の感想と、参加者の皆さんの感想を掲載します。

(1) 親の悩みと、変化
参加者から出された悩みは、たとえば、明るく活発だった子どもが、学校でのトラブル以降スマホ片手に勉強も手につかないといった悩み。
子どもとほとんど話ができない、また穏やかに話し合えないこと。
子どもの、友人や部活の顧問との関係。
大学入試を前にしての不安、大学生の息子の恋人や、将来の就職、結婚の不安等々だった。

また、親として、子離れが必要だとわかっていながら、子どもに手をかけ、心配してしまうという悩み。
ドラマ、『過保護のカホコ』で描かれた、母親の娘への過保護の様子が自分にそっくりとの反省。
また、その過保護や心配が、中学受験の「失敗」に親の責任を感じてしまったことから来ていると話した方もあった。

また、子どもの思春期を通して親自身の意識が変化したという経験も話していただいた。
明るく活発だった頃の娘に戻ってほしいという参加者の願いに対して、別の参加者から、彼女も以前は娘にキラキラした楽しいだけの世界にいてほしいと思っていたが、娘が二十歳過ぎてから「ママはきれいごとで育てようとしている」と言われたというエピソードが紹介された。
思春期の渦中にはその思いが言葉にもならず、人間関係のドロドロの中で「自分を守るだけで必死だった」とも。
その参加者は、娘は思春期にドクロの柄の服を着たりして、アタシに近付くんじゃないよと自分を守っていたのだろうと振り返った。
また、他の子どもについての見方も変化し、ああいう格好しているから悪い子どもだなどと決めつけるのではなく、思春期の不安を慮れるようになったとのことだった。

また、娘のミニスカートをとがめると、その理由を聞かれ、それに対して「『ご近所様』や『世間様』しか出せなかった、自分が無かった」と振り返った参加者もあった。

(2) 生き方の再構築
子どもの思春期には、子ども自身に課題があるだけでなく、親にも課題がある。
乾氏は、親自身の生き方や価値観、生い立ちや夫婦関係を問い直し、再構築する必要があると述べている。

また、その課題は「一人で誰の助けも借りずにやり遂げられる仕事ではない」、「同じ問題を抱える親同士の人間関係に支えられ」てこそできることであり、その中で「子どもとの関係」や「子どもへの願いや期待が組みかえられていく」と。

子育ては家庭内の孤独な仕事になりがちだが、本来は、子どもを社会に送り出すことを目的とする、社会的な「仕事」だ。
社会的な「仕事」は、社会的に、つまり他者と学び合い、相対化する中でこそ進めていけるものだと思う。
また、乾氏が、親自身の生き方や人間関係の再構築を「仕事」と表現しているのを読んで、それが「仕事」だと再認識した。
つまり、子どもの生活を支え、教育することだけが子育てではなく、親自身の生き方や考え方をつくり直していくことも、「仕事」だ。
子どもが思春期に自分自身をつくり直さなければならないときに、実は親にも同じ課題がある。
子育ての仕上げとしてその大事な「仕事」をすることが、子育てに重きを置いた生き方から子離れへ、子育て後の人生へと進むことになるのではないだろうか。

◆参加者の感想より

中学生の母、Aさん
初めて学習会に参加させていただきました。テーマは思春期と親の関わりでしたが、他の保護者の方々のお話を聞けたのがよかったです。どなたのお話も少しずつ共感できる部分があり、教えていただくこともあり、テキストを読み進めながら先生からいただいたキーワードも心に残り、思春期の我が子に対してすこし、目線が変わりました。

テキストを前にして、思春期真っ只中の我が子が思い浮かび、カッカしてしまいましたが、感じていた自分の問題はそこではなかったことを、帰ってきてから思い出しました。
学習会でも学びましたが、思春期とは、子の課題であると同時に、親の課題でもあるということ。参加者からお話が出ましたが、親自身のトラウマであったり、この先の我が子に対してあるいは社会に対しての漠然とした不安であったり、そういったものを抱えながら、子どもの思春期をどう乗り越えてゆくか。テキストの「研究結果と考察」に書いてある、親の持つべき自信と責任とは、どのような自信と責任なのか。答えのないものかもしれないし、人それぞれなのかもしれませんが、それらをもう少し話し、知りたかったと後になって思いました。

このテーマに限らずまた、学習会に参加してみたいです。

中学生の母、Bさん
参加者の皆様のお話を伺っていますと、皆同じように悩みながら、一生懸命子育てをされてこられたのだと感じました。それなのに、何故親が思い描くように、子どもは育ってはいかないのでしょうか?
そんな疑問も会が進んで行く中で、絡まっていた糸がほどけて行くように答えがみえてきました。

振り返ってみれば、私は、子育てに一生懸命になるあまりに、いつも自分を責め、目に見えない何かに縛られていました。
そんな私自身が、解放され癒されなければ、子どものありのままの姿を受け入れる事ができなかったのだと気づかされました。

この学習会の参加を機に、子どもとの関係を今一度、見直していきたいと思います。

中学生の母、Cさん
「豊かな人間性を培う家庭教育の推進ー『思春期』家庭の支援の在り方ー」とのタイトルのテキストを事前に頂き、どんな講義を頂けるのか、という気持ちで臨みました。
が、意外にも、参加者全員のスピーチから始まりました。自己紹介、悩んでいること。。。何をお話したらよいのでしょう。。。困りました。が、皆さんの心から出るお言葉を聞くことで自分の悩みが整理され、これまで関わって来た子育てに関し抱いていた漠然とした思いが、形になったような気がします。我が子も思春期を迎え成人していく大事な時です。今日の日本の企業社会が求めているような「よい子」というアイデンティティーではなく、本当に必要なアイデンティティーとは何なのかを模索しつつお勉強を続けていきたいと思いました。

また、我が子には国語が好きになってほしく、最近鶏鳴学園に入園させましたが、テキストにそったお勉強だけでなく、自分の持つ悩みについて生徒全員で分かち合うというお勉強もしているとのこと。今日、私が体験したように、我が子も自分のことが整理でき、他の生徒さんのことを知ることにより感想・意見をもち、それが言葉にできる。とてもよい経験をさせて頂けていると思いました。

高校生の母、Dさん
今回は思春期がテーマだった。原稿を読みながら自分自身のことを振り返り、また他の参加者のお話を聞くことで、自分のことを相対化して考えてみる良い機会となった。

子どもは成長につれて、行動範囲が広がり、いろいろな人と接するようになり、親の影響範囲から次第に出て行く。子どもが小さい時期、親や先生は子どもを、建て前の綺麗事の世界に閉じ込めておこうとしがちだが、子どもが思春期に入ると、現実と建て前の矛盾に敏感に気がつき、大人たちに反発したくなる。やがて踏み出していかなくてはならない大人の世界に不安を感じる難しい時期が思春期なのだと、自分の遠い過去を振り返った。子どもたちには現実社会を過度に悲観的に見ることのなく、希望をもって自分の進む道を見つけ出して欲しいと思う。

また、「母親業はもう失業」という言葉も印象に残った。親と子の関係は終わることはないが、子どもを庇護する役割としての母親業は確かにもう終わりの時期で、子どもとの新しい関係、おそらくは、大人同士の対等の関係を気づいていかなければならない時期に来ているのだということに気がついた。

高校生の母、Eさん
「思春期は親子関係の作り直しをする時期」という田中先生のお話が一番印象深かったです。私達親も成長する事が必要だと思いました。

また、育児の先輩ママの話を伺って、悩みはその渦中にいると先がみえなく不安になるけど、解決策がわからないなりにも向き合い続けることが大切だと私なりに感じました。

子供の事を真剣に考え悩みもがいている同士とシェアできて、孤独から少し解放され、明日も頑張ろう!と思えました。

高校生の母、Fさん
今日は初参加させて頂きました。みなさん悩みや問題の大小はありますが やはり子育てや自分育てに向き合っている方々や 田中先生の温かい雰囲気にいい時間を持てたと思っています。
ともあれ やはり今の社会で生きて行く私達。今を受け入れて変わっていく勇気 変えてはいけない勇気をもらえました。

大学生の母、Gさん
今回のテキストに、『過酷な競走社会に脅され、見捨てられる不安に駆り立てられて生きる親が、わが子を脅して「よい子」競走に駆り立てる』、また、『自分の生き方や価値観をもう一度問い直しそれを再構築していくことを迫られる時期でもある。この時期を思春期に対して思秋期と呼ばれている』とあった。どちらもまさに私のことである。子供たちは既に高校を卒業しているので、一応子育ては卒業したが、現役の時は、「よい子」を目指した子育てであった。私にとっての「よい子」とは、どのような子供であったのであろうか。また、思秋期をどのように生きていけば良いのであろうか。

私の場合、「よい子」とは一般的によく言われるような、親のいうことを聞く子供のことではない。その考え方は、自身の幼少期の経験からきている。私の母は厳しい躾をする人で、口答えや言い訳はもちろんのこと、説明をすることさえ許されなかった。母の言うことが絶対であり、自分の意思に関係なく親の言うことを聞く、私自身が「よい子」であったのである。自分が子供を育てる時には、まずは子供の意見を聞いてから物事を判断しようと決め、そして、子供にも他人の意見を聞くように伝えた。それが相手への優しさであると信じていたからである。相手の意見を聞き、誰にでも優しく接していれば、いじめなどの過酷な問題にも立ち向かえる強さが身につくと真剣に思っていたのだから、我ながら単純過ぎた。思っていた以上に幼少期の経験が大きく影響していた。私は優しさであったので子供に求めることは違ったが、結局、母と同様に「よい子」を強制してしまった。

今、思秋期になって自身の生い立ちや子育てを振り返り、やっと自分探しをしている。母の裏返しではなく、自分はどのように思うのか、ハッキリと自分の意見を持てるようになるためにこれからも学習会を続けたい。

11月 14

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。それから2年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

来月12月3日(日曜)の学習会の案内を掲載します。

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12月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)の案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
年に数回開催し、親子関係や、その他現代の子どもを取り巻く様々な問題に関する悩みを話し合い、ご一緒に考えています。

前回、10月の学習会に続いて、12月も子どもたちの「思春期」について考えます。
10月は思春期の親子関係に焦点を当てましたが、12月は、思春期の子どもたち自身にいったい何が起こっているのかをテーマとします。

テキストは、現代の中学生を描いた小説、重松清著『エイジ』(新潮文庫)です。
中学生ともなると何を考えているのやらわかりにくいものですが、小説ですから、彼らの家庭や学校での思いが見事に表現されています。

小説の舞台装置としての「通り魔事件」をきっかけに、子どもたちが世間に「嘘くささ」を感じ、また自分自身にも戸惑います。
「思春期」とは何かがよく描かれていると思いますが、お子様のことや、ご自身の思春期に思い当たるようなところはあるでしょうか。

また、20年近く前に書かれた本書は、すでに生活、文化的には少々古いですが、テーマの一つである「シカト(=無視)」は現代版のいじめを象徴するものだと思います。

鶏鳴学園の中学生クラスの授業でも教材にしている小説なので、学習会では子どもたちの声も紹介します。

1. 日時:12月3日(日曜)14:00?16:00
2. 場所:鶏鳴学園
3. 参加費:1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)
4. テキスト:重松 清著『エイジ』(新潮文庫)
※ 時間が許す範囲で、またご興味に応じてお読みください。
小説について話し合うのではなく、目の前の子どもへの理解を深めるために、話し合う材料の一つとしましょう。

参加をご希望の方は、「家庭・子育て・自立」学習会ブログ内の、下記、お問い合わせフォームにて、開催日の一週間前までにお申し込みください。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

 連絡先 〒113-0034
  東京都文京区湯島1-3-6 Uビル7F
       鶏鳴学園 家庭論学習会事務局
  TEL 03?3818?7405
  FAX 03?3818?7958
 

9月 26

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
それから2年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

2017年7月の学習会の報告を掲載します。

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古荘純一・磯崎祐介著『教育(虐待・教育ネグレクト 日本の教育システムと親が抱える問題』学習会(2017年7月23日))報告
                                        田中由美子

学習会終了直後に、参加者に今後の学習会テーマの希望を聞いたところ、「どうすれば食べていける子に育てられるか」
という本音トークがあった。
教育の最終目標はそれだと。
「食べていける」=「生きていける」ということだろう。

実は、今回のテキストのテーマもそれだった。
親や学校は、子どもに知識や学歴を身に付けさせれば「食べていける」と考えがちだが、それでは不十分だという話だ。
子どもにあれもこれも身に付けさせようとして「教育虐待」やそれに近いことが広く行われており、
しかし、そうして有名大学に押し込んでも、大学生活や就職活動で挫折する子どもが多いというのだ。
「教育虐待」とは、主に、子どもの成績や受験に関して、暴力や暴言によって子どもを追い詰めるような行為である。

テキストの著者、古荘氏は、精神科医であり、青山学院大学で教鞭も取る。
「教育虐待」をたんに特殊な問題として捉えているのではない。
子どもが「食べていける」ようにと願う親や学校の教育の中に、広く深く巣食うものとして問題提起している。
「恵まれた家庭で育ち、何の問題もないように見える多くの学生が、成長過程で抱えた心の問題を積み残したまま、
大学に入学して」、「授業に出て来られなってしまう学生もたくさんいます」と述べている。

本書では学校における「教育虐待」にも大事な問題提起がなされているが、この文章では家庭での「教育虐待」を中心に考えたい。

(1)「教育虐待」の広がり
親に叩かれたり、「死ね」などと言われたりするという話を、近年複数の中学生から聞いた。
理由は、勉強やその成績である。
かつて中学受験を前に暴力を受けたという子どももいる。
両親からの場合も多い。
経済的には問題のない、むしろ親の教育意識の高い家庭で、この種の虐待が少なからず起こっていることを知り、
この本を手に取った。
近年増加傾向にあるようだ。

子どもの能力がどこかストレートに発揮されず、自信がない場合、また体調不良や、学校での人間関係がうまくいかない場合、
その裏にこうした暴力の問題が潜んでいることがある。

親の「教育熱心」が、思春期の子どものプライドをズタズタにするところまで来ている。
「教育」が虐待の理由であるのは、報道でよく耳にする、主に貧困家庭での子どもの虐待が、しばしば「しつけ」の
つもりだったと弁解されるのを思い起こさせる。

また、暴力や暴言は伴わなくとも、子どもの強い管理が、いつの間にか急速に進んでいると感じている。
たとえば、親が子どもに次の試験では何点取るのかと理路整然と迫り、子どもは高得点を約束せざるを得ないという
ようなことが起こっている。
また、結果が悪ければ叱る。
子どもが勉強していなければ親が心配になるのは当然のことだ。
しかし、様々に悩みながら自立を目指さなければならない中高生に対して、成績だけを問題にして、
まるで幼い子どもでもあるかのように叱ることが、子どもを成長させるのだろうか。
子どもを別人格として尊重せず、そのプライドや自主性、また能力をも損なうものではないだろうか。

また、その大人の価値観や、子どもとの関係のあり方が、彼らの学校での人間関係に反映されているのではないか。
つまり、成績による序列を偏重し、相手の人格に向き合わない「教育虐待」の構造は、同じく序列を第一とする
スクールカーストやいじめの構造だ。
子どもが親分子分関係に甘んじているケースも少なくなく、 相手のプライドを損なういじめも横行している。

また、親から虐待を受けた子どもが、学校でもいじめられるケースが多いと感じている。

(2) 「傷付けないように」の限界
古荘氏が強調するのは、思春期は精神疾患を発症しやすいピークであるという事実である。
ストレスに弱い時期の子どもが、「教育虐待」によって発病したり、またその下地がつくられたりすることに警鐘を鳴らす。
また、その精神医学的知見が教育現場に行きわたらないことに焦りを感じている。

確かに、「教育虐待」は子どもの成長に甚大なダメージをもたらす。
発達障害の原因になる場合があると主張する学者もある。

また、問題は外からは見えにくく、暴力が伴わない場合でも、子どもは長い時間をかけて深く傷ついていく。
親が子どもに勉強を押し付けるというようなわかりやすい形で問題が見えることはむしろ少ない。
子ども自身が刷り込まれた強迫観念に追い立てられて、自ら大量の勉強や通塾をこなそうとしたり、
または、それができなくて追い込まれる。
自分の感情や気力を見失ってしまう様子も見られる。
古荘氏も指摘するように、親は子どものためだと思い込み、また子どもは自分自身を責める。
そういう子どもの苦しみに大人が非常に鈍いという主張にも同感だ。

しかし、古荘氏の、子どもを否定するよりも肯定しようという論調には疑問を感じる。
もっと率直には、子どもを「傷付けないように」という考えが底流に感じられ、しかしそれで「教育虐待」や、
子育ての悩みが解決するとは思えないのだ。
親たちは、むしろ子どもに将来問題が起きないように、傷付くことがないようにと考えて「教育虐待」に至ったり、
また子どもの心配をしているのではないか。

相手が子どもに限らず、「傷付けてはいけない」というのが、今の時代の考え方の一大トレンドだが、
その裏で、家庭という密室で子どもを最大限に傷付ける「教育虐待」が起こっていることをどう考えればよいのだろうか。

むしろ、私たちが他人を傷付けることを恐れ、また自分も傷付きたくなくて、他人と深く関わることができないことが
問題なのではないだろうか。
子どもの将来や教育に不安を感じても、私たちは夫婦でぶつかることも、学校の問題に踏み込むことも避けがちだ。
学校も、親に対して言うべきことを言わない。
学習会の参加者の一人は、学校は保護者への情報提供などサービスに努めるようになったが、親の顔色を見ている、
と感じておられた。
傷付けないことが最優先課題なら、批判などできず、疑問さえ出せない。
学校も親も一向に考えを深めることができず、子どもの教育は改善されることがない。
親は孤立し、先の見えない時代に子どもはどう生きていくのかと不安は高まる。

そのしわ寄せが、一番立場の弱い子どもに及んでいるのではないか。
他人との関係が希薄になる一方で、親子関係の一体化は一層深刻になり、そのことも虐待の一要因だろう。
表向きは何の悩みも傷付け合うこともないかのように繕われ、「プラス思考」がもてはやされる。
しかし、その大人の守りの姿勢の裏で、子どもが傷めつけられている。

また、古荘氏は、最近の子どもが些細なことにも傷付き易いことを示唆しているが、それは何故なのだろうか。

これについても、「傷付けてはいけない」というトレンドが、彼らをより傷付き易くしているのではないか。
傷付け、傷付くことを恐れる子どもたちは、むしろ傷付きやすくなっている。

傷付け合ってはいけないのだから、何か問題を感じても、腹を探り合うばかりで思っていることを話し合ったりできない。
教師は率直に話し合えと言うけれども、そんなことをしたら「いじめた」と責められるという子どもの声もある。
大人の守りの姿勢を、子どもが超えることは難しい。
結局、相手への違和感を態度で示すことにもなる。
それはより子どもを傷付け、そして誰も何も学べない。

また、「傷付いた」と感じた後も、相手と話すことも、誰かに相談することもできない。
あってはならないことが起こってしまって、そう感じたら最後、その場に立ちすくむ。
「傷付いた」という結果だけが蓄積されるのではないだろうか。

(3) 他人と深く関わって生きる
学習会で印象に残ったのは、大学生の母親である参加者が、大学入試のネット出願を全て親が行なったことを
悔いる発言をしたところ、なぜそれが問題なのかという疑問の声があがったことだ。
親自身は皆、かつて大学入試の出願は自分で行ったのに、子どもは勉強で忙しく、また出願ミスをするかもしれないという。

そういうことがまったく珍しくない中で、かんたんに挫折する子どもが増えている。
何のミスもリスクもないようにと、子どもを「勉強」に閉じ込めることが、子どもを自立から遠ざけているのではないか。
親がするべきことは、子どもの「手伝い」ではない。

また、私たちは本来、問題がよくわかるようにオープンにされて、自分の問題に気付き、そうして傷付く中でしか
問題を超えていけない。
にもかかわらず、まるで傷付くことを避けられるかのような考えは、問題解決の可能性を消し去ってしまう。

私たち大人は、「傷付けないように」という金科玉条をひっくり返し、傷付くことを恐れることなく他人に働きかけ、
大人が解決すべき問題を解決していかなければならないのではないか。
たとえば、子どもの学校に問題があれば、親は問題提起するべきだ。
部活の顧問などの体罰や暴言、いじめの問題はもちろんのこと、学校がむやみに大量の宿題を出すことや、
日々の自宅学習時間を報告させるような管理にも同調していてはいけないのではないか。
進学実績を上げなければ経営や運営が成り立たない学校と一体化して子どもを追い立てるのではなく、
子どもの成長を真っ直ぐに追求して、学校とは一線を画すべきだ。

また、子どもにも、傷付くことを恐れることなく他人に働きかけ、その中で自分をつくっていけるような教育を
保障しなければならない。
知識や学歴をたんに足し算のようにいくら身にまとわせても、そうした力はつかない。
もっと知識を、もっと成績をと子どもを追い立てるような教育ではなく、子どもが他人との関係の中でじっくりと
自分自身を見つめ、人間として成長する力を引き出す教育だ。

そうして目的を持って生きる人間として自立できれば、「食べていける」。
他者や社会と深く関わって生きていくことを目指してこそ、「食べていける」のではないか。

◆参加者の感想より

大学生の母、Aさん
「教育虐待・教育ネグレクト」が行われるキーワードは「代理」である。筆者は、『親自身の満たされない思いを、
子どもに投影してしまう?「子どもを自分の代理にしてしまう」という行為なのです』と述べている。
私達親は、それぞれの教育方針を立てて子どもを育てていくのだから、自身の過去の体験や思いが子育てに
反映されることは当然であり、それ自体は悪いことでは無いと思う。
私の場合、子育ての中心にはいつも母親がいた。私の母親は厳しくしつけをする人であった。私が子供だった頃は、
少しでも母親に反抗的な態度や生意気な言葉遣い(こちらの意図とは関係なく母親が生意気かどうかを決める)をすると、
一週間でも二週間でも口をきいてもらえなかった。これが母親流しつけであり、ことの重大さの差異はあるであろうが、
現代であれば筆者のいう「教育ネグレクト」である。許して貰えるまで何回も「ごめんなさい」と言い続けた経験から、
私は子どもを叱っても無視をすることはしないようにした。他にも、相手の言葉に敏感に反応してすぐに怒り出す
母親が理解出来ないまま大人になった私は、誰にでも優しく接するように子どもに伝え続けた。人に優しくして
傷つけてはいけないという考えは、「教育虐待・教育ネグレクト」とは一見真逆である。
しかし、今、私は子育てを振り返り反省している。何故か。相手を傷つけないようにすることが親切であると伝え続けて、
我慢をしていい子にしていることが美徳であるかのように強いて来たからである。常に母親とのことが思い出されて、
子どもの意思を尊重しない子育てをした私は、結局、「満たされない思いを子どもに投影して」しまっていた。
相手を傷つけないようにすることばかりを考えて、人と深く関わる機会を奪っていたのである。
では、筆者の言うとおり、「教育虐待・教育ネグレクト」の問題を、「子どもの意思を尊重する」ことや
「指示をする、子どもを評価するのではなく、子どもを自由にさせて」みることで、解決することに繋がるのであろうか。
そうは思わない。見守っているだけでは子どもの成長は限界があると思う。
子どもに自分の思いを投影してしまったのは、私自身自分がないからである。自身の生きる目的やテーマが
はっきりとしていれば、それを子どもに示すことができたであろう。そうすれば、強いることなく子どもに
考えや思いを伝えることができたのではないか。

高校生の母、Bさん
どの家庭でも大なり小なりの問題を抱えているのではないかと思うが、家庭の枠組みを超えてそれらの問題を共有する
場が少なく、親は思春期の子どもを抱えて堂々巡りをしているケースが多いのではないか。少なくとも我が家はそうだ。
この学習会に参加して、自分の心配事を話せて救いになった。夫以外の人と子育てのことを話し合えるということは、
それだけでストレス解消効果が大きかった。
今回のテーマは「教育虐待」だった。教育が虐待になり得る背景には、先行き不透明な世の中で生きていくため
「せめて教育だけでも」と思う親の心があると思う。親の過剰な心配が問題をこじらせるような気がする。
生きていく上で教育が必要なことは勿論だが、不透明な世の中を生きていくためには「学歴」以外のものも
それ以上に重要になる。コミュニケーション能力、ストレスをやり過ごすスキル、多様な価値観を受け入れる能力、
希望を持ち続ける力等々いろいろなものが考えられるが、親にとって、子どもに良い教育を受けさせ学歴を与えることが、
子どもに一番してあげやすいことなのかもしれない。幼少時からの受験産業の隆盛がこのことを示している。
「学歴」以外の人間力とも云うべきものは、結局、親の生き方が問われるので、我が身を振り返ると結構辛い。
子どもに向かって文句を言うことは、天に向かって唾をはくことに他ならず。今回の学習会はいろいろと反省する機会となった。

高校生の母、Cさん
「『教育虐待・教育ネグレクト』という大変衝撃的なタイトルでしたが、習い事や部活動、そして進学等の場面において、
どの家庭でも起こりうることだと感じました。
一度立ち止まって考える。
一歩離れたところから観察する。
そんな気持ちを忘れずに子供と向き合っていきたいと思います。
学習会に参加するのは初めてでしたが、終始和やかな雰囲気の中で話も大いに弾みました。
このような学びの機会に恵まれましたことに感謝いたします。

中学生の母、Dさん
テキストをみんなで読み込む会の参加は人生で初めてだったので脱線しがちになってしまって失礼しました。
でも、海外での教育状況、高校、大学、就職活動での様子など色々なお話を聞くことができて、とても参考になりました。
学校で塾でと日々頑張っていて「お疲れ」の我が子は せめて家庭ではゆっくりさせてあげなければと思いはするのですが、
だらけている姿とみると ついついあれこれ言ってしまいます。
成績が中から下でも、一芸に秀でていなくても、まじめに働けば人並みの生活が送れるような世の中であれば、
こうも親がしゃかりきになって学歴をつけさせようとはしないかもしれません。
子育ては20年もの長い期間(場合によってはそれ以上?)続き、しかも正解がわかりません。
自分たちが育ってきた時と比べて世の中の変化が速すぎて、10年先のことも予測できないのに、
子どもの将来を見据えて教育をしていくことの不安。
筆者のいう、「ありのままを受け入れる」のは、親である自分こそが「あなたの子育ては間違っていないよ、
大丈夫だよ」と認めてほしいのかもしれません。

9月 25

「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)は、田中由美子を担当として2015年秋に始まりました。
それから2年が過ぎ、学習でも運営面でも、確実に深まっていると思います。

今回のメルマガでは、2017年7月の学習会の報告と、来月10月15日(日曜)の学習会の案内を掲載します。

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10月の「家庭・子育て・自立」学習会(田中ゼミ)のご案内
                                   田中由美子

大人のための「家庭・子育て・自立」学習会のご案内です。
年に数回開催し、親子関係や、その他現代の子どもを取り巻く様々な問題に関する悩みを話し合い、ご一緒に考えています。

10月の学習会は「思春期」がテーマです。
ルソーの教育論に「私たちはいわば二度この世に生まれる。一度目は存在するために、二度目は生きるために」とあり、
この「二度目」が思春期です。
一度目は親から生を与えられ、しかし二度目は、自分の人生を生きていくために、本人が自分で生まれ直さなければなりません。
親としても戸惑うことが多く、いわば子育ての山場です。
思春期という大切な節目について理解を深めることが、子どものために、また親自身のためにも肝要です。
様々な問題が表面化する時期ですが、親子共に成長するチャンスだと考えます。

ネットで読むことができる論文を、テキストにします。
思春期の問題がわずか6ページによくまとめられています。
自分の感情がみえなくなる「よい子」や、体調を崩す子どもの問題も取り上げています。
論文を書いた乾 義輝氏は、元公立高校教師で、県立法隆寺国際高等学校校長を務めた後、現在は奈良教育研究所に
勤務されています。

1. 日時:10月15日(日曜)14:00?16:00
2. 場所:鶏鳴学園
3. 参加費:1,000円(鶏鳴学園生徒の保護者の方は無料です)
4. テキスト:乾 義輝「 豊かな人間性を培う家庭教育の推進 ─「思春期」家庭の支援の在り方─ 」

http://www.nps.ed.jp/nara-c/gakushi/kiyou/h17/data/a/a15.pdf

※テキストは上記アドレスで見ることができますが、参加申し込み者には念のため、テキストのPDFファイルを
メールに添付してお送りします。また、印刷ができない等ご事情があれば、印刷したものを郵送します。

参加をご希望の方は、「家庭・子育て・自立」学習会ブログ内の、下記、お問い合わせフォームにて、
開催日の一週間前までにお申し込みください。
https://keimei-kokugo.sakura.ne.jp/katei-contact/postmail.html

鶏鳴学園講師 田中由美子
 連絡先 〒113?0034
  東京都文京区湯島1の3の6 Uビル7F
       鶏鳴学園 家庭論学習会事務局
  TEL 03ー3818ー7405
  FAX 03ー3818ー7958