5月 12

アリストテレスの『形而上学』から学ぶ  その2

 ■ 今回掲載分の目次 ■

 (3)「自然科学オタク」としてのアリストテレス
 (4)アリストテレスの著作の読み方と、
    『形而上学』のアリストテレス哲学体系における位置
 (5)アリストテレスの問題への向き合い方

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◇◆ アリストテレスの『形而上学』から学ぶ 中井浩一 ◆◇

(3)「自然科学オタク」としてのアリストテレス

 アリストテレスとプラトンの対立の意味については、すでに多くの人が考えてきた。
カントは「アリストテレスは経験主義者たちの頭目と、
またプラトンは理性主義者たちの頭目と見なされうる」
(『純粋理性批判』「純粋理性の歴史」)と言っている。
アリストテレスに経験主義者の面は強い。『形而上学』冒頭の有名な箇所からは、
アリストテレスの感覚への偏愛が確認できる。

  「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。
   その証拠としては感官知覚〔感覚〕への愛好があげられる。
   というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚すること
   それ自らのゆえにさえ愛好されるものだからである」(1巻1章)。

 これはアリストテレスがいかに感覚を愛し、その対象の自然と
自然研究を愛していたかを示すだろう。1960年代、70年代の
カウンター・カルチャーでは「いま、ここ」がスローガンになったが、
この考えを確立したのは、アリストテレスだと言えるかも知れない。

 私はアリストテレスを、「自然科学オタク」として考えるとわかりやすいと思った。
 哲学者には理系的な人と、文系的な人に大きくわかれると思う。
また、実証主義的な人と、理念主義的な人とにわかれるだろう。
アリストテレスは生来、理系的な実証主義者で、オタクだったと思う。
プラトンはその対極にあったのではないか。
そうした違いもその対立の原因だったろう。

 哲学史上で、理系的なのはアリストテレスやデカルトである。
倫理や人間社会の研究が中心なのは、ソクラテス、プラトン、
ヘーゲル、マルクスなどである。

 自然研究は社会研究よりもわかりやすい点がある。対象が
自分と無関係(とりあえず)に存在し、その全体像がつかみやすい。
そこで、自然界の運動、生成・消滅を観察し、統一的な説明をしようとした。
自然の階層性、分類も体系的に考えようとした。その際、まずは
徹底的な実証的研究になるし、アリストテレスはそれが得意だった。

 社会や倫理は、対象が自分自身を内在しており、その全体像がつかみにくく、
観察や実験だけではとらえられない。運動、生成・消滅は、政治闘争、
経済闘争として社会にもあるのだが、その全体像は見えにくく、把握が困難だ。
こちらは観念論的になりやすい。ここにも、自我の内的二分が
アリストテレスからは出てこなかった理由があるかも知れない。

 アリストテレスとプラトンとの対立にはこうした違いが根底にあったと思う。
しかしアリストテレスは、その自分のオタク性を、プラトン主義によって
陶冶したのではないか。そうだ。しかし、そうした資質の一部は暴走し、
枝葉末節へのこだわりとなることもあったのではないか。

 アリストテレスにある矛盾、二面性は、このようにも考えられるだろう。

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(4)アリストテレスの著作の読み方と、
   『形而上学』のアリストテレスの体系における位置

 実際にアリストテレスの著作を読んでみて、その読みにくさには辟易した。
 それはどこから来るのだろうか。

 1つは、それが紀元前の古いものであり、当時は今のような「書き言葉」の
世界ではなく「話し言葉」の世界、オーラルが中心の世界であったことから
生まれるのではないか。

 アリストテレスの著作には、「言われるものども」「?と言われるから」
「?と言われないから」という言葉が繰り返し出てくるのだが、
当時は音声、「語り」が中心の時代であり、文字は、その話し言葉を
記録するという役割が主であり、「書き言葉」本来の意義がまだ十分に
現れていない時代だったのではないか。

 宮本常一の『忘れられた日本人』の世界だと言える。
口承の世界、聞き書きの世界、一人語りの世界なのだ。

 したがって、その読み方は、内容理解以前に、文化人類学的、
民俗学的なものとなるだろう。
近代の著作を読むようには読めないのが当然だ。

 「書き言葉」は、「話し言葉」の反省形態であり、それを整理し、
高め、純化するものだが、当時の書き言葉にはそうした役割が弱い。

 もちろん、当時も著作として意識された文章があり、それはプラトンの
対話編のように読みやすく整い、「話し言葉」を反省したものになっている。

 アリストテレスの著作の読みにくさとは、今日残されているもの
(「アリストテレス大全」)のほとんどが講義のメモ、草稿であり、
完成された著作ではないという点にもある。さらには、
書かれた時代も異なる草稿類を、後の人が編集したものであることが、
いっそうわかりにくくしている。

 アリストテレスの著作には「ところで」で文や段落をつなぎ、
前後の論理的関係が示されないことが多い。接続詞が変な箇所も多い。

 これはそもそもが「語り」だからなのか、「メモ」「草稿」類だからなのか、
他者の編集だからなのか。もちろんそれらも理由だろうが、
当時は「書き言葉」によって、構想全体を立体的に
整理し直すようなことができなかったのだろう。

 アリストテレスは対概念をたくさん使用しているのだが、
全体として叙述は平板で、すべてがべた?っと並べられ、立体的にならない。

 これは、アリストテレス自身の思考の弱さ、体質的な実証主義の側面が
強く関係していると思う。実証主義は事実や現象にべた?っと寄り添うもので、
そこから身をひきはがし、屹立することが弱い。
プラトンのような飛翔する力は、アリストテレスには弱いのではないか。

 例えば、プラトン主義批判の23カ条などがそうだ。
いくらなんでも、もう少し整理して立体的に述べられないものか。
こうしたバカっぽいところがアリストテレスにはあると思う。

 しかし、そうした草稿類ではあるが、アリストテレスは体系家であり、
体系的に整理編集されて、「アリストテレス大全」にまとめられ、
今日に伝わっている。その中で、『形而上学』は、どこに位置づけられているのか。

 「アリストテレス大全」で、最初に来るのが予備学としての「論理学」だ。
これは、あらゆる学問研究に先だつ予備科目で、一般に正しく思考し
考えるための「道具」「方法」であるとされている。

 「論理学」に続いて、次には「本論」として、「理論学」と
「実践学」(倫理、政治)と「制作術」(弁論述、詩学)がおかれている。

 「理論学」がその中心だが、それは3部門あったようだ。
「自然学」と「第1哲学」と「数学」。「数学」は残っていない。

 「自然学」は、アリストテレスの最も得意とするものであり、
この研究をしたいからこそ彼は哲学者になったと言えるだろう。

 そして「自然学」の次におかれたのが『形而上学』である。
そもそも『形而上学』とは「自然科学の諸論文の次書」という意味からの命名だ。
それは「第1哲学」と呼ばれるが、自然に関する実証研究を理論化、一般化して、
世界の実体に迫ろうとしたものと言えるのだろう。

 以上から、「アリストテレス大全」における核心は『形而上学』にあることが確認できよう。

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(5)アリストテレスの問題への向き合い方

 『形而上学』を通読すると、人が本気で何かをしようとする時の覚悟が、
具体的につたわってくる。それは、哲学史(1巻)であり、
「難問集」(3巻)であり、「用語集」(「哲学辞典」5巻)である。

 アリストテレスは、巨大なテーマを前にしていた。
 そうした時に、人はどのように取り組めばよいのだろうか。

 アリストテレスはまず、その問題、対象に対する過去の考え方、
論争、論点を確認することから始める。それが哲学史の確認であり、
「難問集」としての論点の整理である。このテーマに答えるには、
どういった論点に回答できればよいかを、自分に対して確認しているのだ。

 その論点確認の際に、用語の確認、意味の分析と整理がどうしても必要になる。
「?には多くの意味がある」(9巻 下巻20ページ)からだ。それが「用語集」だ。

 このように、アリストテレスは哲学史の研究者から哲学者になった。
これが、自分の哲学を作るための「王道」だろう。ヘーゲルもそうだった。
それはプラトン主義を全面的に克服するための方法でもあったろう。
そして、哲学史を研究するには、当時の世界で、アカデメイアの書庫が、
最高の環境だったのではないか。

 巨大なテーマに取り組むと、道に迷い、自分を見失いやすい。
アリストテレスのような取り組みは、自分の方向性を、自分自身に
はっきりさせるために必要なのだ。こうして、アリストテレスは
問題の全体を見渡そうとする。この「全体」を把握しようとしたことが、
アリストテレスの圧倒的にすぐれた点であり、彼の体系性を生みだしていく。

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