11月 10

11月20日の読書会テキストが決まりました。参加希望者はすぐに連絡をください。

11月20日はヘーゲル『法の哲学』の序文を読みます。

テキストは、中公クラシックス版を使用します。または「世界の名著」の『ヘーゲル』(中央公論社)を用意してください。
岩波文庫版ではありません。
世界の名著版を中古で購入すると安く入手できます。

超有名な序文ですが、
私が考えたいのは、個人や思想が「時代を超える」とはどういうことか、です。

以下を参照してください。

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『法の哲学』の序文で、私が一番心惹かれるのは、プラトンの『国家』についての叙述部分(中公クラシックス『法の哲学 ? 』24ページ)である。

「私は以下の本論考中(§一八五注解)に述べておいたが、空虚な理想のことわざと見なされているプラトンの『国家』ですら、本質的にはギリシア的倫理の本性よりほかのなにものをも把握しなかったのである。だからプラトンは、ギリシア的倫理のなかへ闖入してくるさらに深い原理〔主体的自由の原理〕を意識したとき、この原理はギリシア的倫理に直接的には、あるまだ満たされていない渇望として、したがってただ滅びとしてしか現われえなかったので、彼はまさに渇望からこの滅びにたいする救いをさがし求めざるをえなかった。しかも、いと高きところから来るのでなくてはならなかったその救いを、プラトンはさしあたりただ、あのギリシア的倫理の外面的な特殊な一形式のうちにしか求めることができなかったのである。この形式によってプラトンはあの滅びを圧伏することを考えたのであるが、それによって彼はギリシア的倫理のさらに深い衝動、自由な無限の人格性を、まさしく最も深く傷つけた。
だが彼の理念のきわだった特徴の中心をなす原理が、まさしくその当時、世界の切迫している変革〔キリスト教の成立〕の中心となった軸であるということによって、プラトンは偉大な精神たるの実を示したのである」。

ここはわかりにくい表現である。ヘーゲルは、プラトンを高く評価しているのか、低く評価しているのか。どちらなのか、それがわかりにくい。
私はここを読みながら、時代を超えるとはどういうことか、自分が生きるのが終わりの時代、始まりの時代だった時に、どう生きたらよいのかを考えた。

ヘーゲルの主張をまとめれば次のようになる。
(1)プラトンの『国家』には、リアルな社会認識がなく、プラトンの理想の世界があるだけで、空虚な理屈でしかない。これが一般的な理解だが、ヘーゲルはこうした見解に反対している。
(2)当時のギリシャ世界に、個人主義という欲求、衝動が生まれていた。これが、当時の新たな当為だったのだが、プラトンにはそれがギリシャ世界を破壊するものとしか理解できなかった。
(3)本来は、その欲求の中に、問題の解決があるのだが、その欲求を真に普遍的にとらえたのはイエスであり、キリスト教である。そのはるか以前のプラトンにそれを求めるのは無理である。これが時代の限界。
(4)プラトンは、この欲求と闘おうとしたが、その欲求の内ではなく、その外側にあるギリシャ世界の倫理に頼るしかなかった。ギリシャ世界の内部から生まれた個人主義の要求を、ギリシャ世界の倫理をより根源的に深めることで抑え込もうとしたのだ。しかしこれは普遍性に対して、外的な特殊性で戦おうとするもので、敗北は見えていた。
(5)しかし、プラトンは偉大である。彼がギリシャ世界の倫理を深めた原理が、新たな世界と古代世界との転換点を明らかに示したからだ。

当時のアテネの状況を思い浮かべてみる。若者たちがアテネのためではなく、自分自身のためにだけ生きようとし始めた。これにどう向き合うかが、問われた。多くの市民たちは、これはアテネの危機である、ギリシャ精神の危機であると感じ、若者たちに反対し、可能ならその傾向を抑えようとした。
 プラトンも変らなかっただろう。当時の若者たちに共感はできないし、その個人主義を人類のより深い欲求であり、真実であるとはとらえられなかった。むしろ、それをその根から完全に滅ぼすべく闘った。それが『国家』という著作である。
 しかし、それは単なる外的な反応ではなく、実はプラトン自身の自己反省によってギリシャ精神の原理の反省、それを深めることで対抗しようとしたのだ。若者たちを生んだのは、まさにギリシャ精神だからである。それはどこでどう間違えたのか。その答えを出すべく、ギリシャ精神の全面的な反省をしたのが『国家』である。
これはギリシャ精神の限界を徹底的に明らかにすることになった。限界を深め、それを制限にまで深めたのではないか。そして、それによってプラトンは時代を大きく超えたと言っても良いのではないか。
 ヘーゲルは、この『国家』を残したことで、プラトンが自らの偉大な精神を示したという。なぜか。何をもってそういうのか。
プラトンには、個人主義の意義、それが新たな当為であることを理解することはできなかった。その意味では保守反動である。時代を超える新たな当為を理解できなかったのだから、プラトンは時代を超えられなかった。
しかし、プラトンはそれと闘うために、ギリシャ世界の倫理を徹底的に深めようとした。それはプラトンにとっては、自己反省によって、自分とは何かを徹底的に明らかにしたことになる。それは古い世界の全体を、その原理原則にまで深めてとらえ直そうとした。そしてそれによって逆に、新しい世界とその原理原則を解き明かしているのではないか。それをヘーゲルは最大限に評価しているのだ。私はプラトンは、新たな当為と闘うことで、時代を超えたのだと思う。
 ヘーゲルが「プラトンは偉大な精神たるの実を示したのである」と言う時、実はプラトンにヘーゲル自身を重ねていたのではないだろうか。時代が完成する時、哲学が現れると言うのだが、それはすでに古い世界の終わる時であり、その内部に自分を超える新しい世界が生まれようとしている。そして、その新しい世界によって自分の姿をハッキリと見られるようになる。それが限界が制限になるということの意味である。
自己の内部に自分を超えるものを捉える力。それは自分の限界を知ることだが、それはまた自分の全体を捉え直す力である。限界を制限に高め、次の当為を指し示す。それが彼の『法の哲学』ではないか。自己反省が第一である。
プラトンが『国家』でそうしたように、ヘーゲルは『法の哲学』を書くことで、マルクスの唯物史観を生み、それによって時代を超え、さらにはマルクスをも超えるものを残したのではないか。

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10月 20

本日、2022年10月20日の朝日新聞朝刊・教育面「明日へのLesson」に中井の記事「『生徒会規約』もとに入試改革を考える」が掲載されました。
 大学入試共通テストの国語の問題を取り上げて、近年の大学入試、国語入試改革の現状を批判、検討する内容です。

以下の、朝日新聞デジタルのURLから読むことができます。
(明日へのLesson)第3週:クエスチョン 「生徒会規約」元に入試改革を考える:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/DA3S15450186.html

10月 05

ヘーゲルゼミも再開しています

テキストはヘーゲル『哲学史講義』で、序論を読み、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの範囲を読みます。
ズールカンプ版全集の18巻、19巻を用意してください。
翻訳では長谷川宏訳が河出文庫で入手できます。

隔週月曜日の晩7時から2時間ほどオンラインで行います。
10月17日、31日
11月14日、28日

10月 04

10月23日の読書会テキストが決まりました。

9月の読書会では藤沢令夫の『プラトンの哲学』(岩波新書)を読みました。
10月はプラトンの『パイドン』を読みます。岩波の全集第1巻で読みます。その訳注は松永雄二の仕事ですが、これにも学ぶことが多かった。
プラトンの思想というと、イデア論、想起説、魂の不死とカタルシスなどがすぐに出てきますが、それが確立したのがこの『パイドン』だったようです。
これを踏まえて、プラトンは『国家』をまとめたとされています。

ぜひご参加ください。

9月 02

8月が終わり、9月になりました。
異常気象が猛威を振るった夏が終わり、秋になって、学習に集中できるようになると良いと思います。
この夏はいかがおすごしでしたか。私はプラトンについて考え続ける夏でした。

今年は読書会で、1月、2月とプラトンの『国家』を読み、5月からヘーゲルの『哲学史講義』で、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの部分を読書会で読み、7月にはアリストテレスの『詩学』も読書会で読みました。
その記録をまとめてもらっているので、その確認をして、メルマガに掲載する予定でしたが、それもできませんでした。そこでは、要するに、プラトンが「わからない」、ヘーゲルもプラトンをわかっていない、としか言っていないので、ただそのままを掲載するわけにはいかないと判断しました。。

そのため8月は、プラトン(ソクラテス)についてずっと考えてきました。
プラトンは最初から最後まで「対話篇」という形で自分の哲学を表現したが、それはなぜなのか。なぜ、自らは全く姿を現さないその形で書いたのか。対話篇とは悲劇に近い創作なのだが、他方で詩人をほぼ全否定するのはなぜか。『国家』では個人を抹殺しているように見えるが、ソクラテスの生き方を継承し発展させることとどう関係するのか。
ヘーゲルはこうした問題をどうとらえていたのか。

まず藤沢令夫の『プラトンの哲学』(岩波新書)。これは大いに学ぶものがありました。そしてこの本を一つの道案内として、プラトンのいくつかの対話篇について岩波全集版の解説を読み、全集版で「パイドン」を丁寧に読みました。「パイドン」の訳注をしている松永雄二にも学ぶことが多かった。
解説を読んだのは、プラトンの「パルメニデス」「テアイテトステ」「ソフイスト」「ティマイオス」。
これまでは日本の古代ギリシャの研究者では、田中美知太郎と藤沢令夫しか私は意識していませんでした。しかし、今回、他に松永雄二や加藤信朗、井上忠などがいることを知りました。

ヘーゲルの『哲学史講義』でソクラテスとプラトンは読み直しもしました(まだ最後まで終わりません)。

こうした結果、少しずつ少しずつ、自分の中で明らかになってきたものがあります。これをまずこの秋の読書会の中で、皆さんに説明したいと思います。

例えば、アリストテレスの『詩学』における「カタルシス」や「真似」とは、明らかにプラトンの考えをまっすぐに受けたものです。「カタルシス」は「パイドン」に繰り返し出てきます。「真似」については対話篇のあちこちに。

そうしたわけで、9月25日の読書会では藤沢令夫の『プラトンの哲学』(岩波新書)をテキストにします。

その後、プラトンの対話篇をいくつか読もうと思っています。
『ソクラテスの弁明』『パイドン』『国家』などです(まだテキストの版など未定)。また、再度ヘーゲルの『哲学史講義』です。

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1.9月読書会テキスト

9月25日の読書会のテキストは藤沢令夫の『プラトンの哲学』(岩波新書)です。
まずはテキストを購入して読んでみてください。
?の「2 なぜ『対話篇』なのか」という、そのものズバリの箇所もあります。
?以降は、難しいですから、流し読みで良いと思います。
全体として、プラトンとその哲学について、考えさせられる箇所がたくさんあると思います。

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2 9月以降の中井ゼミの日程は次の通りです。

月の前半は、文章ゼミ+「現実と闘う時間」を行い、
月の後半では、読書会を行う予定です。
いずれも日曜日で、午後2時開始予定です。
オンラインでの実施予定

「現実と闘う時間」は、参加者の現状報告と意見交換を行うものです。

参加希望者は今からスケジュールに入れておいてください。また、早めに申し込みをしてください。
ただし、参加には条件があります。

参加費は1回2000円です。

10月以降の読書会テキストはまだ未定です。決まり次第、このメルマガで連絡します。

9月
 11日
 25日

10月
 9日
 23日

11月
 6日
 20日

12月
 4日
 18日