鎌倉の近代美術館で「関合正明展」を見た。良かった。久しぶりに、「欲しいな」と思った絵だ。
今回の鎌倉行きのお目当ては、近代美術館の鎌倉館で行われている「所蔵展」で、大正期から昭和の日本近代洋画の逸品を見ることだった。何度も来て、何度も見ているが、それでもまた来たくなる。萬鉄五郎、岸田劉生、関根正二、梅原龍三郎、三岸好太郎、松本竣介、麻生三郎。関根正二に萬鉄五郎のような南画風の絵があることを初めて知った。
「おいしかった」と心地よくなってから、いつものように、鎌倉別館にまわる。そこでたまたまやっていたのが「関合正明展」。知らない画家だった。
童女の小さな絵、海と岸辺、桜島噴火、ポルトガルの風景、山と森林、1枚を除くと、どれも小さな画面のものがずらりと並んでいた。噴火のような過激な題材はあるが、どれも静かで、こころの奥底までしみてくる。「好きだな」「いいな」とつぶやきながら一巡した。そして、もう一度、ゆっくりと見て回る。
その形、空や海や山肌の色使い、厚塗りの画面。その心地よさは、須田国太郎が私に与えてくれるものに近い。「懐かしさ」が、私のこころの奥底にあるものを引き出し、それに形と色を与え、成仏させてくれる。
彼については、以下のような説明がHPには掲載されている。今回が、「初めての公立美術館での回顧展」とあるように、孤立した画家だったようだ。
関合正明(せきあいまさあき)は大正元年(1912年)に東京の明石町に生まれ、川端画学校で学んだのち27歳で中国大陸に渡りました。そして満州国の文教部嘱託画家として働きながら満州国主催美術展覧会での特賞を受け、一躍注目を浴びるなか「黄土坡美術協会」を結成します。終戦により帰国し、1947年から2年間のみ国画会に参加した後は完全に画壇をはなれ、挿絵や装丁の仕事のかたわら個展での作品発表と句集・随筆集の執筆にいそしむ独行の画家・文人として、その闊達な人柄と相まって静かに熱烈な支持者を増やしていきました。
多くの交友関係のなかでも、満州時代に知り合い、『青い雲』(1969年読売新聞連載小説)や『リツ子・その愛』『リツ子・その死』などで挿画を提供した小説家の檀一雄との交友は、戦後ふたたび画家を海外へと連れ出します。
1970年にポルトガル在住の檀に招かれ渡欧したのを機に、ヨーロッパやカナダ、韓国、インドネシアで描かれたスケッチをもとに、味わい深い風景画の佳品をつぎつぎに生みだしました。また晩年、1974年に北鎌倉に閑静な住まいを構え、なにげない日常の事物にも鋭いまなざしを注ぎ、ますますその画境に深まりをみせることになります。
その非凡なデッサン力はさりげないカットにもうかがえ、底光りする魅力を放っています。
今回の展覧会は、2004年に亡くなった関合正明の画業を紹介する、初めての公立美術館での回顧展となります。油彩、水彩、パステル画、素描、挿絵や装丁の仕事、写真資料など約100点を展示いたします。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2008/sekiai/
2009年1月4日から3月22日(日曜)まで
会場 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館