4月 07

ゼミのメンバーである守谷航君の修士論文「精神医学・精神医療における精神分析の役割」を掲載する。この論文の問題提起が日本の医療にとって本質的かつ深刻なものだと思うからだ。是非読んでみていただきたい。

ただし、論文は長大なものなので、その「要約」だけを掲載する。
論文から日本の問題を述べた後半部分(2章の2?3、2?4、2?5)と「終章」はメルマガに掲載する。関心のある方は以下でお読みください。

◎ 鶏鳴会通信
⇒ http://archive.mag2.com/0000150863/index.html

「要約」掲載後、この論文への私見を述べる(「歴史」の存在しない日本医学界)。

1. 守谷航 「精神医学・精神医療における精神分析の役割―
アメリカ精神医学・医療と日本精神医学・医療の比較から」
その要約  → 4月6日?4月8日
2.「歴史」の存在しない日本医学界 ?守谷航君の「精神医学・精神医療における精神分析の役割」について? 中井浩一  →4月9日

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■ 要約の目次 ■

修論要約
  1?4.精神分析の受容と共に発展した諸々の職種、組織、運動
―病院医療から地域医療へ
   1?5.生物精神医学の台頭―精神分析の衰退
   1?6.生物精神医学と地域精神医療  →4月7日

2.日本の精神医学・精神医療と精神分析
   2?1.明治期から戦前までの日本医療史・精神医学史と精神分析
2?2.戦後20年間の日本医療史・精神医療史―病院精神医療の加速
2?3.1965年以降―地域精神医療が制度上はじまる
2?4.精神医療の実態暴露・批判が内外で広がる―病院医療の矛盾が露わに
2?5.日本の地域精神医療  →4月8日

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守谷航 「精神医学・精神医療における精神分析の役割―
アメリカ精神医学・医療と日本精神医学・医療の比較から」の要約  

1?4.精神分析の受容と共に発展した諸々の職種、組織、運動―病院医療から地域医療へ

 こうして精神分析がアメリカで受容されるに従って、精神医療のあり方も変わっていく。精神衛生運動とは精神障害者のおかれている劣悪な入院環境や非人道的な処遇の改善を強く訴えたもので、病院精神医療のあり方を批判したものであった。そして、この運動は当時の指導的立場にある人々によって支援され、精神障害者を病院に閉じ込める病院精神医療から、地域に患者を解放する地域精神医療へという流れをつくった。この運動は現代アメリカ精神医学の父とも呼ばれるアドルフ・マイヤーが率先し、地域精神医療へとつながる新たな精神医療従事者や組織を生みだした。
 精神分析によって精神障害の原因として幼少期の生活歴が原因ではないかと考えられるようになり、児童相談所が設立され、児童精神医学も発展した。児童を通じて家族研究、予防の問題などが発展し、またそこでチーム医療が採用されるようになった。児童相談所で非行少年の治療を考える場合、その要因を心理社会的要因からなるものとして捉え、精神医学の治療もその成因である環境条件の診断とその改善、向上をソーシャルワーカーと並行して行うという原則が確立する。精神医学ソーシャルワーカーは1910年にアドルフ・マイヤーによって導入され、精神障害が環境因に依る場合があるという考え方から生まれた新たな精神医療の職業であった。少年の生活史、家庭環境、学校などの社会面の調査をし、精神科医、心理学者と相談をする。こうして患者の環境改善や日常生活の補助を行うという新たな医療形態が生まれる。それまでの病院精神医療では精神科医と患者の一対一の医療であった。
 そして、臨床心理学も児童相談所に活躍の場を見出し、その理論も精神分析によって発展を遂げる。当初は神経症尺度の質問票やビネー知能検査の普及にみるような精神測定的なアプローチであったが、精神分析の影響によって心理療法的な側面を強める。これらの傾向は第一次、第二次世界大戦の戦争神経症の対応によって強まり、また一定の成果を挙げたことによって社会的地位の確立に至った。
 このように精神分析の導入によって、社会因や心因をより重視し、精神科ソーシャルワーカーや臨床心理士が活躍し、精神障害者の地域への復帰を目指す精神医療が進められるようになる。そして入院が基本であった病院医療から地域精神医療へ整備が進みさまざまな施設が誕生する。
 まず症状が軽快した患者を病院に留まらせるのではなく外来治療に移すという対応がなされ、精神科外来という医療形態が生まれる。また入院と外来の間をうめるものとしてデイケア、ナイトケアという通院医療も誕生する。そして入院時には問題とならなかったことが注目されるようになり、生活の支援や主体的な活動の獲得を目指すための精神科リハビリテーションというあり方も必要となった。作業療法というあり方もここに関連している。これらの施設を統括し媒介するものとして地域精神保健センターを前線基地とし、地域精神医療の中心を担っている。
 地域精神医療とは精神分析によって精神障害には心因と社会因を想定することができるという理論によって生まれた医療形態であると考えられる。こうして戦後20年まではアメリカ精神医学の中心は精神分析的なアプローチによって占められた。

1?5.生物精神医学の台頭―精神分析の衰退

 その後、向精神薬の発達や、精神障害の診断基準に混乱があること、その問題に対して保険会社や製薬会社が基準を求めたことなどがあって、精神分析的なアプローチは徐々に衰退し、生物精神医学がアメリカ精神医学の主流となっていった。DSMというアメリカ精神医学会が発行する精神障害の診断・統計マニュアルでは、1980年のDSM-IIIの改定時に精神分析的な考え方を排除し、病因論には踏み込まず症状のみよって診断する操作的診断が採用されるに至る。

1?6.生物精神医学と地域精神医療

 アメリカ精神医学は精神分析的な精神医学から生物精神医学を主流とするに至ったが、地域精神医療という形態は維持されている。地域精神医療がそもそも精神分析的な心理社会モデルを思想的基盤としており、症状記述的なDSMを基準としている操作的診断とは根底の部分で一致していないという矛盾がある。診断のあり方と、その診断による医療方針、医療形態に思想的な連関が見えにくくなっている。そして、チーム医療従事者である精神科ソーシャルワーカーや臨床心理士が精神分析を核とした心理・社会的な人間理解のもとに医療に従事している点から考えると、精神科医がDSMをもとにした病気の診断と、地域精神医療という基盤での医療方針のあり方をどう考え、指揮したらいいのかという問題が浮かびあがる。

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