4月 14

遅い桜が満開を迎え、早くも散っています。
なぜか、今年は、桜には心が動きません。
椿の可憐さ、芳醇さ、鮮やかさ、さまざまな姿に心惹かれます。
西洋のバラは、日本では椿なのだと思います。

今年も新たな年度を迎えました。
この時期が嬉しいのは、さまざまな美術館で素敵な企画が見られるようになるからです。

今東京で行われている展覧会で3つお薦めがあります。いずれも実際に観てきました。

1.「牛島憲之」展 渋谷区松濤美術館
http://shoto-museum.jp/ 

2..「白洲正子」展 世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html 

3.「江戸の人物画―姿の美、力、奇」 府中市美術館
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/ 

です。

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1.「牛島憲之」展 渋谷区松濤美術館

 今回の展覧会のポスターの牛の絵(「春林」)がよくて、見に行きました。
静かに、圧倒されました。すぐにわかるような「迫力」「激しさ」「華麗」「斬新」「凄み」といった絵ではありません。心に染みてきて、泣き出してしまう、そういった絵です。
初期の「貝焼場」が楽しく、日本にもこんな明るいワクワクする絵があるのか、と驚きました。「山の駅」「赤坂見附」も、楽しみました。

戦争中に「山峡の秋」(出展はされていない)のような絵しか描いていないことにも驚きました。戦後すぐの「炎昼」には新しい世界が存在しています。

その後の絵は、工場やタンクなどを取り込みながら、ますます深く単純化が進みます。その中には、正直に言って、私にとって退屈なものもたくさんあります。しかし、わしづかみにされる絵もあります。全体として、彼の世界に包み込まれ、それは幸せでした。

牛島憲之は1997年に97歳で亡くなった画家です。西洋に一度も行かず、日本の身近な風景を書き続けました。実は、忘れていたのですが、私は彼の絵をかなりの量、見ていたようです。よく行く府中市美術館には「牛島憲之記念館」があり、行くたびにそこにも足を踏み入れているからです。しかし、記憶に残っていません。「退屈」に感じ、そこにある「凄さ」に気づけなかったようです。不明を恥じるしかありません。

以前、関合正明の絵について、風景の中の人物像の意味を突き詰めていないと、書いたことがあります。風景の中に人物を書く意味を突き詰めていないように思えたのです。

牛島憲之は、それを突き詰めて、彼の答えを出しています。一事が万事このように、牛島は、すべての諸問題に彼の答えを出した上で、絵を描いていると思います。とことん突き詰めていく作業に耐えていける強い人だと思いました。

日本には南画、文人画といった系譜があります。それも彼の絵から感じます。もっと言えば、日本の伝統そのものと言って良いのかも知れません。

2.「白洲正子」展 世田谷美術館
 白洲ファン、白洲が示した日本人の信仰、宗教観、美の世界に関心がある人には、ありがたい展覧会です。
 「日月山水図屏風」をゆっくりと見てきました。改めて、緑の一色しかないことを確認しました。秋にも赤や紅がない。他は桜や雪の白と、背景の金と銀だけです。
秋の場面に滝があること、波の描き方と波頭が銀で描かれていることなど、確認しました。すごい絵ですね。

3.「江戸の人物画―姿の美、力、奇」 府中市美術館
 府中市美術館は、企画力、展示力があると思います。2年前にも「江戸の風景画」を多様な視点から読み解く展覧会を行っています。今回はその続きで、「人物画」の持つ意味を、江戸時代に遡って考えさせる。「想像」「リアル」の意味や、「ポーズ」の意味、西洋画との出会いの意味。そうしたことを考えながら、好きな画家だけではなく、未知の画家や興味深い絵画に出会えることも、こうした企画の嬉しい点です。

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