6月 08

「ふつうのお嬢様」の自立 全8回中の第5回

江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第5回。

眠りから覚めたオオサンショウウオ (その1)
 ?江口朋子さんの事例から、テーマ探し、テーマ作りのための課題を考える?
            中井浩一
■ 全体の目次 ■

(1)「特殊」の守谷君と「ふつう」の江口さん
(2)江口さんの初心
(3)オオサンショウウオになってしまった
(4)ゼロからの「自分探し」
(5)テーマがくるくる変わったのはなぜか →本号(205号)掲載
(6)「引きこもり」の意味
(7)親からの自立
(8)本当の自立
(9)「お嬢様」の凄み →206号掲載

■ 本日の目次 ■

(1)「特殊」の守谷君と「ふつう」の江口さん
(2)江口さんの初心
(3)オオサンショウウオになってしまった

=====================================

眠りから覚めたオオサンショウウオ
 ?江口朋子さんの事例から、テーマ探し、テーマ作りのための課題を考える?
            中井浩一

(1)「特殊」の守谷君と「ふつう」の江口さん

私のゼミで師弟契約の第1号は江口朋子さんだが、師弟契約を結んだ時期は、江口さんと守谷君がほぼ同じで、それから6年ほどになる。
この二人は、正反対の位置にいるように思う。かなり「特殊」なのが守谷君で、「ふつう」なのが江口さんだと思う。二人は、動と静、たえざる運動と引きこもり、外的と内的、躁状態とうつ病的、などと対比することもできよう。
守谷君は、きわめて特殊で、鶏鳴学園以外では「居場所」を見つけられない人だと思う。幼年期から小・中・高校と豊かな(プラス面でもマイナス面でも)経験をし、問題意識も強く、大学時代にもたくさんの活動をし、他の「先生」方にはしっかりと絶望し、その上で私を選び、師弟契約が結ばれた。この6年間も休むことなく、活動と報告と文章を出し続けてきた。守谷君は、1つの理想モデルとして、「わかりやすい」と思う。
守谷君については、最近でも修士論文を掲載した(メルマガ189号?194号)が、それ以前にも大学の卒論と大学卒業までをまとめた文章を掲載した(メルマガ127?129号)。それぞれについての私の評価、コメントも出し(メルマガ130号、195号)、守谷君を事例として「若者の自立のためには何が必要なのか」をまとめている(メルマガ130号)。
江口さんは、守谷君とはまったく違う。守谷君が「わかりやすい」のと比べると、「わかりにくい」のではないか。江口さんは「ふつうの人」「ふつうの女子高生」「ふつうのお嬢様」だった。経験の幅は極端に狭く、私を選んだのも、他のさまざまな人々との比較によるものではない。その意味で、それは偶然だったといえる。そういう人が、なぜ私の下で6年間もの修業にたえ、「修了」第1号になることができたのか。
このメルマガの読者の多くも、「ふつうの人」だと思うので、江口さんの事例の方が自分を重ねやすく、参考になるだろう。また、最近では、10代、20代の若者に「引きこもり」や「ニート」が急増していることを踏まえると、江口さんの事例はきわめて重要なのではないかとも思う。

江口さんは、幼稚園から高校まで同じ私立女子校に通った典型的なお嬢様だ。鶏鳴学園には高校時代に通っていたが、作文を書かせてもたいした経験は出てこない。他者との対立もなく、自己内の葛藤も弱く、めだたない生徒だった。正直にいって、当時は、彼女と将来に師弟契約を結ぶことになるとは夢にも思っていなかった。むしろ、そうした可能性はゼロの人だと思っていた。
慶應の文学部(教育学専攻)に進学したが、大学1,2年のときに、鶏鳴学園で松永さんが行っていた大学生対象の古典の学習会に出ていた。私との関係は、江口さんが大学3年になってからで、鶏鳴学園の研修制度で、現国の読解指導、作文指導を学んでいた。そして卒論は「読むとは何か」をテーマにし、西郷信綱の『古典の影』を参考にした。その卒論の指導は私がした。卒論に専念していた大学4年の夏にはすでに、慶應文学部の大学院にそのまま進学する予定を変更し、私のもとで修業する決意を固めていたと思う。
大学4年の1月から3月にかけて、ゼミで論理トレーニングの学習会を行い、守谷君も参加した。そこでは論理と生き方が結びついていることを強調したが、その学習会を終えてから、江口さんとは師弟契約をし、その後、守谷君も続いた。

こうして見ると、江口さんの変化が見えるようになったのは、大学入学後であり、特に大学3年以降だと思う。
「ふつうの人」「ふつうの女子高生」「ふつうのお嬢様」が、自分自身のテーマを作り、それに生涯をかけて生きていくことになった。現在は、まだまだその入り口のところにいるにすぎないが、それでも大変な変化である。
それはなぜ可能になったのか。その過程にどのような困難があり、それらをどのように克服していったのか。

(2)江口さんの初心

まずは、江口さんの「初心」の激しさを思ってみなければならない。この激しさなしで、師弟契約第1号はなく、ましてや「修了」第1号はありえなかったと思う。
師弟契約第1号とは、契約をした時点で、他に誰もいなく、何の組織も制度もなかったということだ。示せるほどの実績もまだなく、何の保証もなかった。そこにただ一人で飛び込んでくれたのだ。
「今自分の中にある関心、具体的にいうと6年間の文章で関心をひいたものとして取りあげた一つ一つの対象は、どれも本当に自分の心が動き、身体が反応したものである。興味がないのにあるような振りをしたり、ごまかしたものはない。それは、師弟契約をした時にはっきり意識したことで、今まで自分はやりたくない勉強を嫌々やったり、周りに合わせて何となくやり過ごしてきたので、これからはそういうごまかしはしないと決めていた」。
初心の激しさは、それまでの自分の生き方への「否定」から生まれていることがわかる。
「ごまかしはしない」という決意は、最後までゆらぐことはなかった。江口さんの文章には「ウソ」がない、「ハッタリ」がない。ゼミ生の誰よりも、正直な文章だと思う。それは、第1には、この初心によって、つまり過去の自己への否定の強さに支えられていた。

(3)オオサンショウウオになってしまった

その否定の激しさは、江口さんを突き動かし、外的にも急激な変化をもたらした。
 「最初の1年は自分の関心以前に、現状を理解することで精一杯だった。大学院進学を辞め、それまでの友人と関係を切り、親とも話し合いでぶつかるという、それまでと逆の方向に走り始めた自分の状態を、自分で理解するのに精一杯だった」。

 親との話し合いは、私がアドバイスしたことだが、友人関係を切ってしまったのは本人がしたことで、その報告を聞いて驚いた記憶がある。幼稚園から高校まで同じ私立女子校に通ったお嬢様で(大学もその延長)、その外の世界を知らない江口さんにとって、その友人との関係を切ることは、世界との唯一の関係を切り、全く孤独になることを意味する。

江口さんは、一方では自分がつんのめりそうなまでに前のめりになって突き進んでいき、他方では「認識」がそれについていけず、何が起こっているのかわからないために、不安で恐くなることも多かったと思う。
その頃、江口さんは地球の生成と発展、生命の誕生と生物進化の過程に強い関心を持っていた。そして生物進化の本流からおりて、休んでしまったようなオオサンショウウオに自分を重ねていたようだ。
 「私は師弟契約をしてゼミで学ぶようになってすぐ、地球の進化に興味をもち、それについて書いた文章で中井さんから『発展を問題にしている』と言われた。その後も同じことを度々言われたが、自分では『発展』という言葉をどこかで避ける意識があった。今思うと、発展するということは、矛盾が露わになること、問題が起こったりそれに伴う苦しさから避けられないが、そうした自分に迫ってくるものから逃れたいという気持ちが強かったのだと思う」。

それまでの自分を否定する時は、その否定が強ければ強いほど、それへの抵抗も激しくなる。内部の矛盾は激化する。人生で初めてのことに、江口さんはどうしてよいかわからないままに、しかし、直感的に、自分を重ねられるオオサンショウウオを見いだし、自己相対化をはたしていたのだろう。
オオサンショウウオが他の生物たちとの進化の競争路線からはおり、一人うずくまってしまったように、江口さんも、友との関係を切り、徹底的な「引きこもり」を始めたとも言えよう。それは結果的に正しい戦略だったのではなかったか。

Leave a Reply