■ 目次 ■
1.危機にこそ本質が見える
2.「国家」が現れた
3.リスク管理
4.トリアージ
5.「自己完結型」の支援
6.「準備」
7.「普段から」
8.「性悪説」
5.「自己完結型」の支援
もう1つの例をあげよう。今回の被災地域には、多数のボランティアがかけつけた。「他者を救う」ため、「他者を支援する」ためである。その動機は美しいし、その行動力も尊い。しかしそれを全面的に肯定するわけにはいかない。ボランティア活動のためにかけつけた人々の中には、被災者たちに迷惑をかけた人もいたからだ。「来ないでくれた方が良かった」と言われている人たちがいるのも事実だ。
だからこそ、今回は「自己完結型」の支援ということがよく言われた。ボランティア自身の食料、住む場所、安全性などを周囲に依存せず、すべて自己管理で行うものだ。そうでない限り、被災者側に負担をかけることになる。緊急事態で「他人を救う」には厳しい条件があるということだ。
特に、精神的に自立していることが求められる。それは自分の精神状態を厳しくコントロールできなければ、他人を救えないどころか、自分が救ってもらう側になって、迷惑をかけるからだ。
例えば、石巻赤十字病院では、救援物資の受け入れで事務方の職員は仮眠すらできなくなってしまった。そこで夜の11時から朝の6時までは受け付けないことにした(74ページ)。また、被災したスタッフを休ませるべきか、それとも仕事を続けさせる方がいいのかという葛藤があった。結論は、休むかどうかは自分で、自己管理をして決めていいとした。(201,202ページ)。この自己管理という課題はとても難しいだろう。周りがハードに働いている時に、それに流されず自分の状態を見つめ、休むことを決めなければならない。しかし、まず何よりも真っ先に最優先で救わなければならないのは、自分自身なのだ。自分を救えなかったら他人も救えないからだ。
他人を救うには、自己管理ができるかどうかが問われる。それは普段から自己の弱さを熟知しており、それをコントロールできること。つまり自分の内部のリスクの直視と、リスク管理ができていること、つまり「自立」ができていることが必要なのだ。そうした人は、普段から、自分のリスクや弱さを直視し、自分の限界を知りつつ、周囲に流されないだけの生き方をしていたのだろう。つまり能力と生き方は1つだ。
6.「準備」
また、今回の人命救助、復旧・復興支援の成否の最大のポイントは、「準備」ができていたかどうかだった。国や県、基礎自治体などの行政側、警察、消防、自衛隊、医療関係者たちに、どれだけの事前の「準備」ができていたのか。危機的状況への具体的対策として、制度、規則、組織をどう整えていたか、どれだけの実地訓練ができていたか。各組織を横につなぐ連携はどこまで実現できていたか。それは地域によって大きな差があった。
宮城県では宮城県沖地震を想定して「救急医療協議会」での協議が行われていた。2006年には仙台で「日本集団災害医学会」の集会が行われ、そこで「宮城県沖地震に対する医療の備えを強化するための7つの提案」が採択。その中の「災害医療コーディネーター」制度の設置が2010年に決定。2010年から「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」が立ちあげられ、県や市役所、警察、自衛隊、海上保安庁、近隣の病院などが互いに顔を知っている関係にあった。石巻赤十字病院の石井正医師はそのメンバーの1人だが。彼が石巻地域の「災害医療コーディネーター」に任命されたのが3・11の1か月前。彼は震災後の3月20日に「東日本大震災に対する石巻圏合同救護チーム」を立ち上げた。石巻赤十字病院が災害拠点病院として、医師会や東北大学の医療チーム、日赤救護班、精神科医師団、歯科医師団、薬剤師会を一元的に統括することになった。「災害医療コーディネーター」制度がかろうじて、間に合った形だ。
岩手県では、2008年に「岩手・宮城内陸地震」「岩手県沿岸北部地震」があり、岩手県の防災システムに大きな問題があることが明らかになっていた。そこから真剣な準備が始まった。県庁の総合防災室に災害防災のプロたちが結集し、2年をかけて対応システムの見直しをした。大災害時には全救助組織の代表が県庁の災害対策本部に集結することが決まった。全情報を皆で共有し、活動を一体的に指揮する。こうして消防、警察、海上保安庁、自衛隊、医療関係者と行政が一体で動く機能的な体制が作られた。その中心にいた小山雄士が室長に就任したのが2010年。こうして生まれたすばらしいシステムも、絵に描いた餅では実際の場面で機能しない。小山たちは2010年の9月には大掛かりな実地訓練を実施。消防、警察、海上保安庁、自衛隊、医療関係者と行政が一体になった、本番さながらの大訓練だった。それから半年、3・11が来た。
こうした準備がなんとか間に合ったのは、そのために奔走した方々がいたからこそだ。その一部は本書でも取り上げさせていただいた。