3月 21

10のテキストへの批評  7「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」か?(「分かち合う社会」山極寿一)

■ 全体の目次 ■

1 ペットが新たな共同体を作る(「家族化するペット」山田昌弘)
2 消えた手の魅力(「ミロのヴィーナス」清岡卓行)
3 琴線に触れる書き方とは(「こころは見える?」鷲田清一)
4 昆虫少年の感性(「自然に学ぶ」養老孟司)
5 「裂け目」や「ほころび」の社会学(「システムとしてのセルフサービス」長谷川一)
6 「退化」か「発展」かを見分ける力(「人口の自然─科学技術時代の今を生きるために」坂村健)
7「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」か?(「分かち合う社会」山極寿一)
8 わかりやすいはわかりにくい(「猫は後悔するか」野矢茂樹)
9「調和」と「狎れあい」(「和の思想、間の文化」長谷川櫂))
10 才子は才に倒れ、策士は策に溺れる(「『である』ことと『する』こと」丸山真男)

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7「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」か?(「分かち合う社会」山極寿一)

チンパンジーなどの霊長類の社会から人間社会を考える。また狩猟採集社会から現代の都市生活型の人間社会を考える。それは刺激的でとても面白い。従来の固定した枠組みから離れて、まったく別の観点から考えることができるからだ。ここには新たな可能性がある。
しかし、この方法はどれほど有効で、その可能性はどれほどのものなのだろうか。マルクスが「人間の解剖はサルの解剖のための鍵である」と述べたことは有名だ。ではその逆は正しいか。「サルの解剖は人間の解剖のための鍵である」だろうか。本テキストは、まさにそれをやっている。
一般に言って、発達した動物や社会は、未発展の段階の動物や社会を考えるための大きな手がかりになる。未発達の段階にあっては、その様々な要素のうちのどれが将来につながる芽なのかは分からない。しかし、発展した段階を知ってから過去を振り返るならば、未発達の段階のどの要素が将来につながるものだったのかが明らかになる。
では、その逆はどうか。人間社会の解明の鍵は、動物からえられるか。人間の発達した社会の解明の鍵は、未発達の社会構造の研究から得られるか。
ヒントにはなっても、解明にはつながらないだろう。未来は過去の単純な延長上には存在しないからだ。社会の発展は過去のそのままの延長ではなく、必ず「否定」がつきもので、しかもこの否定にこそ新たな展開、つまり真の発展の芽があるからだ。しかし過去の時点だけでは、そのどこがどのように「否定」されるかは、予測が難しい。
例えば12段落の「狩猟採集民」の社会のルールから、13段落の人類一般(現代人)の社会が説明できるのだろうか。「狩猟採集民」の社会の「分かち合い」や「共在のイデオロギー」は、生産力が低く食物が不足がちな社会では「私有財産」(個人的所有)や「私的関係」(「二者間の人格的な贈与関係」)が否定されることを意味している。「共同体の維持」と「私的所有」「私的関係」は真っ向から対立するからだ。しかし人類はその後、牧畜の段階、農業の段階を経て、商業を営むまでに発展し、生産力を高めてきた。そして工業化の時代の到来とともに生産力は爆発的に向上した。
近代社会は、「私有財産」(個人的所有)を認めることで資本主義社会という人類史上空前の豊かな世界を作り上げることに成功した。この近代の原則の上に私たち現代社会は成立している。だから私たちは「常に仲間と食事をともにする」(1段落)ようなことはない。目的により、時と場所と相手を選び、食事を共にするだけだ。「私有財産」「私的関係」の前提の上に、私たちは生きている。
「サルの解剖」は「人間の解剖」にヒントを与えるが、そのままでは解明にはならない。そこには大きな限界がある。そういう、自らの方法の限界を自覚することは重要だ。本テキストでは、それがどこまでできているだろうか。

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