12月 06

アダム・スミス著『国富論』から学ぶ (その6)  中井 浩一

■ 目次 ■
第7節 歴史と先人から学ぶこと
1.「労働商品」という矛盾
2.不生産的労働と生産的労働
3.矛盾から逃げない人
4.歴史から学ぶ 過去の遺産を継承発展させる
5.工業化の時代という限界
6.「学者バカ」マルクス

なお本稿での『国富論』の該当個所や引用は中公文庫版による。
1巻の15ページなら【1?15】と表記した。
『剰余価値学説史』については国民文庫版を使用した。
1巻の15ページなら《1?15》と表記した。引用文中で強調したい個所には〈 〉をつけた。

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第7節 歴史と先人から学ぶこと

スミスをマルクスがどうとらえていたか、スミスからマルクスが何を学び、何を乗り越えようとしたのか。
そのマルクス自身による説明は、マルクス著『剰余価値学説史』の第3章に詳しい。
ここではスミスがあらゆる面において二面性を持っていることを示し、
直接には労働価値説から2つの価値規定(矛盾)を示し、そこから剰余価値を導き出している。
これが後に『資本論』第1巻としてまとまる。

第4章は『国富論』の第2篇から不生産的労働と生産的労働をテーマにし、
スミスおよびスミス以降の論争を取り上げている。
しかしその論争参加者を「二流どころ」だといい、「
重要な経済学者はだれも参加していない」という《2?49》。
3章のテーマこそが核心で、4章のテーマは補足的なものだと考えているのだ。
したがって、まず第3章を検討する。

1.「労働商品」という矛盾

マルクスは、スミスの「労働商品」という矛盾(労働価値と労働者の生活費としての賃金のズレ)を、
「剰余価値」を示すことで解決したと考えている。
言い換えれば、資本家による賃金労働者の搾取と両者の絶対的な対立構造のことだ。
そして、この「剰余価値」(資本家の搾取の秘密)の発見が自分の経済学への貢献だと見ていた。
つまり、スミスを発展させたのが自分だと考えていたのだ。

マルクスの「剰余価値」の発見の前提はすべてスミスにある。スミスがすべてのおぜん立てを整えてくれていた。

 『国富論』第1編には、交換価値と使用価値(4章。【1?51】)、
労働価値説(5章。【1?53?58】)、最低賃金の意味(8章。【1?116】)。

ここで、すべての商品の中で、労働力という商品だけが、使用価値と交換価値が一致しないことが
潜在的に示されている。その矛盾を全面的に展開して見せたのがマルクスである。つまり、スミスが
矛盾を示したからこそ、マルクスがそれを解決できたのである。

マルクスは、スミスが労働価値一般と労働力という商品の矛盾を把握していたことを高く評価する。

「A・スミスは、諸商品の交換を規定する法則から、外観上はそれとまったく対立し矛盾する原理に
基づく資本と労働との交換を導きだすのに、困難を感じている。また、資本が、労働能力にではなく
労働に直接に対置されるかぎり、その矛盾は解明されるはずもなかった。労働能力がその再生産と
維持とのために費やす労働時間と、労働能力そのものがなしうる労働とが非常に違うということは、
A・スミスにはよくわかっていた」《1?112》。

そして、矛盾がわかっていながらも、労働価値説そのものを堅持し続けたことも評価するのだ。

「しかし、こうした不確実さや、まったく異質的な諸規定のこうした混同が、剰余価値の性質や
源泉に関するスミスの研究を妨げていないということは、それに続く叙述によってわかるであろう。
というのは、彼は事実上、意識していなかったにしても、彼が議論を展開している箇所ではどこでも、
商品の交換価値の正しい規定?すなわち、商品に費やされた労働量または労働時間によるそれの規定?
を固持しているからである」《1?109》。

マルクスの批判は、スミスが矛盾を一般的な形では示せず、特殊な形態の話としてごまかした点にある。

「A・スミスは、剰余価値、すなわち、遂行された労働でしかも商品に実現されている労働のうち、
支払われた労働を越える?その等価を賃金で受け取った労働を越える?超過分たる剰余労働を、
一般的範疇としてつかみ、本来の利潤および地代はそれの分身にすぎないとしているのである。
それにもかかわらず彼は、剰余価値そのものを独自の範疇として、それが利潤や地代として受け取る
ところの特殊な諸形態からは区別しなかった。このことから、彼の研究上に多くの誤りと欠陥が
生じている」《1?53》。

だから、マルクスは逆に、矛盾を普遍的な形で示すことを目的とする。
そのためには、スミスがしたように労働価値一般を普遍的な実体としてしっかりと展開し、
その上で労働商品の特殊性を一般的に示すことになる。実際にそれを行ったのが、
マルクスの『経済学批判』(岩波文庫)の第1章「商品」や『資本論』における商品、資本の展開だ。

マルクスは最初に交換価値の普遍的な運動を示し、次に「労働という商品」の特殊性を示すという2段階を用意し、
第1段階の普遍性を徹底的に明らかにしようとする。それによって、労働という商品の特殊性が浮き上がるからだ。

 第1段階では、商品の交換価値=商品に費やされた労働量(労働時間)を示す。ここから貨幣の成立を導き出す。

 それを踏まえた上で、「労働」という商品の特殊性(労働量に比例した交換ではないこと)を
徹底的に明らかにする。それが「剰余価値」の発見になる。

2.不生産的労働と生産的労働

 さて、こうしたマルクスの立場に立てば、不生産的労働と生産的労働の問題の回答はすでに出ている。

 スミスでは、この区別の基準は「価値を作る」物、つまり市場で「交換される」商品になる物か
どうかである。したがって、それは内容上での区別になる。しかし、商品かどうかに、本来は内容は
一切関係ない。可能性としてはすべてが商品になるからだ。それが現実化するかどうかは条件(偶然性)
次第であるにすぎない。「可能性からいえば、これらの使用価値もやはり商品である」《2?31》。

 結局、資本(剰余価値)のための労働か否かという形式面での区別をするしかない。
家事労働をスミスは非生産的労働としたが、現代では家事のすべてが商品化されている。
日常の食事もデリバリで配達する。妊娠や出産までがビジネスになる。その時それらのすべてが「生産的労働」だ。

ちなみに、私は家事労働が非生産的労働だという主張で、「専業主婦」が気になった。
主婦の位置、家庭の位置が気になる。梅棹忠夫の「主婦不要論」が大きな論争を巻き起こしたのはなぜだったのか。
専業主婦とは歴史的存在で、大家族制度の下では存在しなかった。
それは高度経済成長下の核家族の成立下で生まれた、極めて特殊なものだったのではないか。
「扶養者控除」「配偶者控除」が設けられ、専業主婦の家庭には税金が控除されるとした法律は、
その事態を確認するものだろう。

なお、マルクスが資本家は本質的にはケチであり《2?251》、
それは資本家が「資本の機能者」《2?40》「人格化された資本」《2?251》だからだと説明する。

「資本家の本質は資本」というマルクスの主張には納得だった。
彼らは資本の論理で生きていて、それに支配される。したがって、ケチなのだ。原理的にケチなのだ。
それ以外には生きられない。しかし、ケチの素晴らしさもあったのではないか。

3.矛盾から逃げない人

 さて、スミスとマルクスの関係だが、マルクス自身が、スミスが矛盾を明確に示したので
自分がそれを解決できた、と証言している。だからマルクスはこの点でスミスを高く評価している。
それはスミスが経済学の説明で自己矛盾を示し、後に大きな課題をもたらしたからだ。

「A・スミスの諸矛盾がもつ重要さは、それらが、いろいろな問題を含んでいるということである。
その問題を、〈彼はなるほど解決してはいないが、しかし自己矛盾をきたすことによって表示している〉。
この点における彼の正しい本能は、彼の後継者たちが相互に、あるときは一方の面を、
あるときは他方の面を取りあげているということによって、最もよく証明されている」《1?252》。

それはスミスが矛盾に直面した時に、そこから逃げないことへの評価である。
矛盾に当惑し、煩わされることができた、として評価するのだ。。

「A・スミスの偉大な功績は、彼がまさしく、第1篇の諸章(第6,7,8章)において、
単純な商品交換とその価値の法則から、対象化された労働と生きている労働とのあいだの交換に、
資本と賃労働とのあいだの交換に、利潤および地代一般の考察に、要するに剰余価値の源泉に移るさいに、
ここに〈一つの裂け目の現われることを感知している〉こと、すなわち ?どのように媒介されるにせよ、
といっても、この媒介を彼は理解していないのであるが ? その法則が結果においては事実上廃棄されて、
(労働者の立場からは)より多い労働がより少ない労働と、(資本家の立場からは)より少ない労働が
より多い労働と、交換されることを感知していること、そして、資本の蓄積および土地所有とともに?
したがって労働条件が労働そのものにたいして独立化するとともに?1つの新しい転換、外観的には
(そして実際には結果として)価値法則のその反対物への急転、が生ずることを、
彼が強調し、そしてこのことのために〈彼が文字どおり当惑している〉ということ、である」《1?141》。

それはどういうことか。多くの人は、矛盾に直面すると、それに耐えられず、
安易な解決でごまかすということだ。マルクスはリカードをそうした例に挙げている。

「リカードがA・スミスよりすぐれているのは、これらの外観上の、結果的には現実の矛盾によって
惑わされていないことである。彼がA・スミスより劣っているのは、ここに一つの問題のあることに
まったく気づいていないということ、したがって、価値法則が資本形成とともにとるところの特殊な発展によって、
ほんの一瞬のあいだも当惑させられることなく、煩わされもしていないということである」《1?141》。

リカードは普遍的な原理として考えていた。
頭の良い人は、ほとんどがそのように抽象化で大きな概念で包み込み、矛盾が見えないようにする。
または小器用な理屈付けで、ごまかそうとする。スミスは違う。
一般化をせずに、最後まで矛盾を手放さない。非常に要領が悪く、頭が悪いように見える。
破綻を破綻のままに放置していて平然としている。

リカードとスミスの違いの核心は、スミスが資本主義社会の段階の特殊性に気づいていたということだろうが、
それは歴史的視点を身につけていたからか?スコットランド学派の影響か? 
否、そうしたことよりも、スミスは自分の実感(おかしい)に忠実で、それを誤魔化すことはできなかったのだ。

 私は、ヘーゲルのカント批判(評価)を思い出した。
ヘーゲルは、カントが矛盾を徹底的に押し詰めて「絶定的な矛盾」として示したことから、
初めてそれを逆転させることができた。大論理学の目的論のカント批判を読むと、それがよくわかる。
カントの「頭の悪さ」はカントの真実への誠実さの表れである。
カントは自分の理論がきれいに整うことなど眼中にない。ぶざまでも平気なのだ。
それが真理に誠実であることならば。
こうしたスミスやカントのような存在を知ると、世間の多くの人は、
その反対の頭の良い人ばかりであることに気づくだろう。

4.歴史から学ぶ 過去の遺産を継承発展させる

スミスやマルクスが、自分の思想をどのように作り上げたかを知れば知るほど、
歴史や先人から学ぶことの重要さを改めて噛みしめることになる。
人は、過去の遺産に学び、それを継承発展することができるだけなのだ。

マルクスも、過去の先人たちの検討から自説を出しただけだ。
マルクスが『資本論』を執筆するまでの過程の順番は、実際の篇別構成とは逆になっており、
経済学史の研究(「剰余価値学説史」)から始まっている(マルクス・エンゲルス全集編集部の「序文」から)。

学問は先人たちの蓄積の上にあり、それを発展させることしかできない。
それができるかどうかだけが勝負なのだ。マルクスはスミスが示した矛盾を解決するために、
「剰余価値」を発見し、それだけを自分の功績だとした。

 それはスミスも同じだ。
スミスの大前提には、交換価値と使用価値の対立、交換価値が貨幣に集約されるという考えがある。
それは、すでにアリストテレスが指摘しているのだ(アリストテレス『政治学』第1巻の9章)。
また、最低賃金が労働者の生活維持と再生産のコストだという指摘も、スミス以前の重農主義のものだ《1?106》。
スミスはアリストテレスにはできなかった労働の価値一般を定式化できた。
労働力という商品の矛盾を示すこともできた。こうした前提の上に、マルクスが『資本論』を残すことができた。

5.工業化の時代という限界

 人はすべて、自分の時代の限界、発展段階の限界を越えることはできない。
スミスにもマルクスにも、同じ限界がある。
彼らが生きたのは、工業化が課題の中心だった時代だということだ。それを相対化することはできなかった。

つまり、工業化によって均一の単純労働が、労働の中心になり、賃金労働が労働の中心になった。
「スミスの表現からその素朴な言い方を取り去ってしまえば、彼が言っていることは、次のことにほかならない。
すなわち、資本主義的生産は、労働条件が一階級のものになり、労働能力の自由な処分だけが
他の一階級のものとなる瞬間から始まる、ということである。」《1?123》。

これが実現していたからスミスやマルクスの考えが成立した。
しかし、それは農業の没落の上に成立した。農業の真理が商工業であった。
その「工業」の歴史的位置、その意義と限界が、2人には見えなかった。
マルクスにはスミスの農業論、都市論、工業・商業論の限界を指摘できなかった。2人は、同じ段階に立っていたからだ。

これは当時の工業化が未発達で、資本主義社会としても未完成の段階だったことからの必然的な結果でもある。

6.「学者バカ」マルクス

今回『剰余価値学説史』を読んで、マルクスへの大きな疑問を持った。
マルクスは瑣末な詮索に熱中し、本当にすべきことをおろそかにしたのではないか、
社会主義革命運動の全体像や自分の課題の意味を見失いがちだったのではないか、ということだ。

『剰余価値学説史』では、核心的な問題の3章よりも、周辺的な問題だと自分で言っている4章の方が長大である。
その4章ではスミスに言及しているのは60ページほどで、他のバカたちについて200ページも言及する(文庫版)。
バカを相手にしてどうするのか。

マルクスは、学説史の研究で大きな論点だけを押さえたならば、さっさと『資本論』を完成するべきだった。
そして運動上の問題や組織の問題に取り組むべきだった。それらができなかったことは、
マルクスの生き方として大きな問題ではないか。マルクスにも「学者バカ」の側面が強固にあったのではないか。

2014年11月7日

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