7月 10

松田道雄著『新しい家庭像を求めて』の読書会の報告 その3

6月21日(日)に、鶏鳴学園にて、松田道雄著『新しい家庭像を求めて』(筑摩書房 1979/12)の読書会を行いました。

この読書会の報告を3日にわたって掲載します。

本日は、「5.卒塾生とゼミ生の感想」以下です。

 ■ 目次 ■

1.テキストと著者
2.本書の読み方
3.「忠君愛国」に取り込まれた「家内安全」 (中井の感想)
4.塾の保護者、生徒の感想
5.卒塾生とゼミ生の感想
(1)T君(大学1年生)
(2)加山 明
(3)畑間 香織
(4)掛 泰輔
(5)田中 由美子
6.おまけ

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(1)T君(大学1年生)

1. 久しぶりに鶏鳴に顔を出しましたが、やっぱり楽しかったです。
大学の授業の中では、「こんなことして何になるんだろう」と思うようなものが沢山ありました。
本を読む、中井先生の意見を聞く。そして、見聞きしたことが自分の経験の中で活きてくる。
勉強はこの方がやはりずっと面白いです。

2. テキスト
松田さんは、問題や矛盾から目を背けないで研究していく姿勢を徹底していて、そこがすごいと思う。
私は矛盾が出てくると、ついうやむやにすませたくなることがある。
松田さんは、そうした私の姿勢を逃さず指摘してくれた。

3. 私の母方の祖父は、私をとても大切に思っていることがよくわかる態度を示してくれる。 
しかし、思い方が完全にまちがいではないにしても、私にとっては好ましくないことを言い続けてくる。 
対して、私の父は、あまり私のすることにとやかく言わない。ただ、言わなすぎて意思疎通ができずにいる。
多分、父は、祖父とは反対のやり方で、私を大切に思ってくれている。

それが、今回の読書会で、中井さんの意見を聞いたり、父の言動を思い返しているうちに分かった。
ただ、父は具体的にどうすればいいか、どこまで口出ししないのがいいかが分からないのだと思う。
何故かというと、父も又、両親と意思疎通が上手く取れていなかったようだからだ。
父の母は、父が市川中の生徒だった時、毎朝テーブルに500円玉(弁当代)をおいて、二度寝したのだという。
つまり、父は、親子の接し方はどういうのがベストなのかわからないのだろう。
だから、私と父、父子の接し方がわからない者同士で、接し方を共に考えていく作業が、私の課題への最大の対策だと思う。

(2)加山 明
1. 「自立」の問題は、女性だけではなく、男性にもあてはまる。
2. 人生の「始まり」と「おわり」を誰が、どうサポートするか。
  基本的人権としての位置付けか、
  受益と負担がバランスする行政サービスとしての位置付けか、等々、論点が無数にある。
3. 昔の女性は、家事労働を芸術の域にまで高めれば善く生きられるという様式美の時代で、手段と目的が一致していた。
今はそれが分裂している。
  1、2とも相まって、大変な時代になっている。
4. このレベルの高さでの「売れっ子」は、今ほとんど見当たらない。
 
(3)畑間 香織
  一貫して自立がテーマだったので、面白かった。
  自分の生活は自力で選択できることの大切さを改めて実感した。

(4)掛 泰輔
1.三世代共生の意味を考えることで、自己理解を深めようとした読書会だった。
 よく考えられるような論点を、松田さんがたくさん出している。
 こういう人がいるのに驚いた。
2.祖母が僕を教育してきた、その中身を考える必要もあるが、
中井さんが指摘した、祖母の生き方の明確なスタンスとオープンな思想は、
しっかりと受け継ぎたいと思った。
 自由、自立ということが、主婦だけではなく、正に若者にこそ問題にされているという観点で、
読み直したり、歴史的、唯物論的な考え方を学びたい。

(5)田中 由美子
60代の主婦である友人は、共働きの息子夫婦の子ども、つまり孫の世話をしている。
その合間に、愛知で一人で暮らす父親の世話をしに行く。
子育てを終えてなお、大きな責任を負って毎日孫の命を守り、
自分の時間のほとんどを家族のために費やす。
私にはそういう生活はできない、と考えていた。
それは、家が中心の、家を存続させるために生きるような、
例えば祖母のような生き方であるように思っていた。

私は大家族に対して人一倍否定的な思いを持っている。
そのことに、今回の読書会の中で気付いた。
それは、大家族の嫁という立場にあって、働きづめだった祖母を見て育った、長女としての母の思いから来ている。
それでも、祖母は、家族の生活を豊かに支える、家庭の中心でもあった。
しかし、祖母は、80代で曾祖母を見送った後、体の自由が利かなくなって、
その時やっと働かなくてもよくなったというのに、「もう何にもできんようになってしもて…」と消え入りそうな声で度々言った。
家族のために労働する自分でなければ、存在価値がないと感じているのだと、祖母と同じく専業主婦だった私は思った。
祖母の人生は何だったのかと感じた記憶は、大家族の問題以外の様々なことをごちゃまぜにしたものだったと思う。

確かに、私は友人のように孫の世話をするような生活はできない。
しかし、その理由は、それが家を中心に生きることだからではない。
今の私がその仕事を選ばないからに過ぎない。
仮に私が孫育ての仕事を担うとすれば、それが家を中心に生きることなのかどうかではなく、
その孫育ての中身がどうなのかということが、私がどう生きるのかということだと、読書会の中で思った。子育ても同じだ。
今もし私が若ければ、自我を押しつぶしてもたれ合う三世代家族を一旦否定した上で、
個人が個人として生きるための大家族づくりに、挑戦くらいはしてみるかもしれない。

                                        

6.おまけ

当日参加した保護者の方から、大学生・社会人ゼミについて、次のような感想をもらいました。
「テキストはもちろんですが、お若い学生さんや社会人の方々のピュアで真摯なご意見など、大変興味深かったです。
多分常に中井先生とは隠し事をせずに本音で語り合う訓練がされているからでしょう」。
 私のゼミで行っていることを、改めて自覚したようにおもいます。

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