6月 09

ソメイヨシノが私は嫌いだ

 4月は桜のシーズンですね。入学式には、満開の桜がよく似合います。この時期には、日本全国の「桜前線」が連日報道され、各地が「花見」でにぎわいます。「桜吹雪」の舞い散る姿もなかなかです。
 ところで、その桜で、実際の種としては何を思い浮かべるでしょうか。それはほぼ100%ソメイヨシノでしょう。
 そのソメイヨシノですが、私は嫌いです。私にとって、桜とくれば、まずは山桜です。これはすがしく気持ちが良い。次に大島桜。緑の葉と白い花がとても似合う。これも好きです。この2種は、日本の原生種だとされています。
これに対して、ソメイヨシノは人工的に作ったものです。園芸種です。その特殊性は繁殖機能を持たないことです。すべてが挿し木によって、日本中に広がったわけです。つまりクローンなのです。
 ソメイヨシノには、花だけがあって葉がありません。花が散ったあとに、葉が出てきます。普通は、花と葉は仲良くともに出てきます。花だけの姿に、またそれが「満開」の姿に、私は何か尋常ではない怪しさを感じます。
 敏感な作家たちは、ソメイヨシノの怪しさに大きく反応しています。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と梶井基次郎は書きました。その感覚はとてもよくわかります。
 ちなみに本居宣長が桜を愛したことは有名ですが、その有名な和歌「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」の桜は、山桜でなくてはならないと思います。これがソメイヨシノであったらどうなってしまうでしょうか。
 桜は昔から日本人に愛されてきました。和歌の中で桜を歌ったものは数知れません。
「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづごころ)なく 花の散るらむ」(紀友則)。しかし、この桜はソメイヨシノではなかった。
 昔は日本の桜はソメイヨシノではなかったのです。太閤秀吉の花見とは、山桜であってソメイヨシノではなかった。それがどうして今のようになってしまったのでしょうか。それを『ウィキペディア』で調べてみました。

 現在の日本の桜の約8割はソメイヨシノだそうです。
 しかし、ソメイヨシノの歴史は新しいのです。幕末のころ、江戸の染井村(東京都豊島区駒込)の植木職人らが売り出した「吉野桜」が始まりだと言われています。
サクラの名所として名高い大和の吉野山にちなんで、「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったのですが、のちの調査で吉野山の桜の多くはもともと日本に自生していた「山桜」で吉野桜とは違うことがわかりました。そのため、染井村で売り出された吉野桜ということで、ソメイヨシノ(染井吉野)改名されたのです。1900年のことでした。
 ソメイヨシノは、日本原産のエドヒガンとオオシマザクラを交雑させた栽培品種で、接ぎ木で増やしていったクローンです。
 その起源がクローンのため全ての個体が同一に近い特徴を持ち、その数も非常に多いため「さくらの開花予想」(桜前線)には、主にソメイヨシノが使われます。
 しかし、どうして新しく作られたソメイヨシノが日本中の8割ほどを占めるまでに至ったのでしょうか。
 その秘密は、そのクローンであることとその内実にあるようです。
 クローンであるために、環境特性が同じ同地では同時に開花し満開になること、母種のエドヒガンの特徴を受け継いでいるため葉より先に花が咲き大量に花が付くことで開花が華やかであること、父種のオオシマザクラの特徴を受け継いでいるため成長が速く若木から花を咲かし、なかでも桜の中では圧倒的に成長が速く大木になりやすいことなどが特性です。
 つまり、ソメイヨシノはそれまで多く植えられていた山桜に比べて成長が早く、しかも花は大ぶりで密集して枝につきます。5年ほどで花見ができるほどの大きさになります。
 そのために、明治以降、花の名所を作ろうと各地に植えられたのです。明治以来徐々に広まっていったのですが、第二次世界大戦後の昭和の高度経済成長期に爆発的な勢いで各地に植樹され、日本で最も一般的な桜となったのだ、ということです。

 さて以上が事実で正しいと仮定した上で、私は次のようなことを考えました。
 ソメイヨシノは本来の生殖機能を失った花です。花本来の内実を失い、その華やかさ、幻想的な美しさを演出します。そこには質素さや素朴さや本来の自然そのもののあり方はありません。
 それは現実から切り離された、非常に観念的で抽象的な花です。しかし、その一方でそれは5年で大木になり見事なサクラを咲かせるという、大きな経済効率をも持つのです。ソメイヨシノは経済法則の上での勝者であり、極めて現実的な花なのです。
 日本は明治以降、日本の近代化を推し進め、西洋列国並みの軍事大国にのし上がりました。そうした外的で外に向かう運動の内部では、国内各地に名所をつくりたいという激しい欲求が生まれていたようです。それは内的な空虚さを埋める欲求だったのではないかと思います。
 さて日本の外的拡大も、太平洋戦争の敗北により終わり、日本は戦争という手段を放棄することになりました。しかし日本はめげることなく、敗戦後には目標を経済復興に向け、昭和の高度経済成長に邁進することになります。そして、その過程でソメイヨシノが全国の8割の桜を代表する地位へとのし上がったのです。このことは、極めて象徴的だと思います。
 日本が西洋に追いつき肩を並べるために、国力の拡充と軍事大国を目指した時、その外的な拡大の一方で日本各地に桜の名所を広げていったこと。
 同じく敗戦後に日本が経済成長に邁進する中で、各地の桜が桜の名所をさらにソメイヨシノで染め上げていったこと。この日本の姿はソメイヨシノそのものだったのだと思います。
 それは内容のない、本物ではない、見かけの美しさや壮麗さであり、その裏では経済原則と資本主義そのものの姿であったのではないでしょうか。
 ソメイヨシノは実ることのない花、視覚的なだけの幻想の花です。
 私は、ソメイヨシノが嫌いです。それにうかれる人々が嫌いです。

2022年6月5日

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