12月 17

4月から言語学の学習会を始めました。その報告と成果の一部をまとめました。
以下の順で、掲載します。

1.言語学の連続学習会 
2.日本語研究の問題点 
3.関口人間学の成立とハイデガー哲学
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◇◆ 日本語研究の問題点 ◆◇                            

大野晋、尾上圭介、関口存男(牧野紀之も)。この3人の論考を並べて、比較しながら読んでみて、日本語研究についてハッキリと見えてくるものがあった。

 日本語研究には大きくは3つの問題がある。
1つは、一般的なアカデミズムの問題。つまり「専門バカ」集団の問題だ。これはどこの国の、どの時代のどの分野にもあるだろう。
 「専門バカ」集団の研究の多くは、根本、本質から逸脱した、些細なものばかりになる。その方が、すぐに成果が出るし、評価も受けやすい。
 しかし本来は、すべての個別研究は、「日本語とは何か」という根本、本質論へ向けてのものであるべきだろう。ところが、個別研究をする内に、それが忘れられていく。
研究対象や研究方法だけの問題ではない。彼らは、そもそも現実や社会との関わりが弱い。そのために、生きた言葉の運動を問うことができない。言葉は現実社会の中で生きている。それでは過去の言葉の運動もわからないのではないだろうか。言葉の研究者には、その「生き方」が問われるのではないか。

 第2に、日本のような「後進国」で学問をするという特殊な問題が、さらに重くのしかかっている。それは西欧への学問に対する「奴隷根性」の問題であり、夏目漱石の言葉で言えば「他者本意」で「自己本位」を失っているという問題だ。
 明治以降の日本語文法では、日本語を西欧語の文法でとらえようとしてきた。そうした観点から見れば、日本語には多くの欠落があり、日本語への低い評価が生まれた。「主語がないから日本語は非論理的でダメ」とかと言った論調は、今も続いている。もちろんそれへの反撥も起きている。日本語の独自性の主張もある。しかし裏返しの「奴隷根性」であることも多い。この負の遺産とどう向き合い、どう改善していけるのか。これは夏目漱石の提起した「自己本位」と「他者本意」の問題と重なる。
 
 そして第3に、言葉の問題自体のムズカシさがある。それは自分の無自覚な行為の自覚化であり、自分の認識自体の認識であることのムズカシさである。これにはどうしても、認識論や哲学が必要であろう。この問題とは、そもそも、言葉、文章とは何か。認識とは何か。人間とは何か。といった問題をはらんでおり、日本語とは何か。日本人とは何か。といった問題はその特殊な問題となる。

 以上の3つの問題にどういうスタンスを取るのか。どれだけしっかりと向き合い、これらの問題をとらえられたか。特に、第2点目は、日本語学だけではなく、日本の他のすべての分野において問題になる。特に文科系では、それが決定的だ。

 以上の3つの問題に関連して、日本語研究の内容面での課題も明らかになる。

 日本語文法の核心的問題の一つとして、日本語の助詞のハとガの違いが問題になる。
次のような述語文(命題文、判断文)で、2つの使い方がある。
主語+ハ+?である
主語+ガ+?である
この違いの説明が問われるのだが、なぜこれが核心的な問題かと言えば、この問題の困難さが、日本語と西欧語との違いと、それを無視した分析方法に起因するからだ。西欧語の述語文、その主語と述語とコプラ(である)の枠組みで考えると、日本語では処理できないことが多数あるのだ。そもそも日本の文章には主語がないことが多い。

 つまり、この問題の背後には、日本語の文法を外国語の文法構造で分析しようとした無理がある。つまり、第2の問題である。
しかし、この問題のムズカシサは、そもそもの判断自体のムズカシサである。それは述語文、判断をどう考えるか。主語と、述語とコプラ(である)の枠組みの把握自体が難しいことに起因する。これが第3の問題になるのだが、この問題は、未だに西欧ですら十分には解明できていない。
 カント、ヘーゲル、ハイデガーなど、みながこの問題を考えてきた。こうした認識論、またそれは存在論とも深く関わる。私は特にコプラの問題が大きいと思う。ヘーゲルはコプラこそ、判断の発展をうながす矛盾の核心と見ている。
 コプラ(である)は、英語のbe動詞もドイツ語のsein動詞だが、本来は「存在する」との動詞からコプラとしての役割が派生している。これをどう理解するか。それと認識の発展、言葉の発展とはどう関係するのか。
 西欧語に対して、日本語ではこの両者の関係はどうなっているのか。日本語の発展を考える際には、ここに核心的な問題があると思う。

 以上の問題点を確認したところで、それとの対比によって、関口ドイツ語学の核心部分が見えてくる。

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