今年の4月から全国の高校で使用される、大修館書店の国語科教科書「国語総合」の3種類に関して、
教師用の副教材『論理トレーニング指導ノート』(3種類)を、
鶏鳴学園のスタッフの松永奏吾、田中由美子と一緒に製作・編集した。
これは、「国語総合」に収録された評論を取り上げ、そのテキストの論理的な読解、立体的読解を示したものだ。
そこでは、取り上げた1つ1つのテキストについて、その考え方を私が批評するコラムをつけている。
指導者が指導する上でのヒントになるように、テキストへの1つの視点、1つのとらえ方を示したものだ。
これは、広く、世間への問題提起のつもりでもある。
教科書には、今、世間で売れていて、評価されている著者が並ぶ。
このブログの読者も読んだことがあったり、ファンであったりするだろう。
そうした方々にも、考えるヒントになると思うので、このブログにも
本日から毎日コラムを1つ転載します。
■ 目次 ■
ネット社会での「白」の行方(原研哉の『白』から)
「確認」と「発見」は違う(福岡伸一の「生きることと食べることの意味」)
「オタク」の勝利宣言(四方田犬彦の『「かわいい」論』から)
全肯定からルールは始まる(竹田青嗣の「いたずら ?大人たちへの挑戦」)
香山リカは空気を読む(香山リカの「空気を読む」)
鷲田清一の「目をそむけるな! 逃げるな!」(鷲田清一の「他者を理解するということ」)
「自立」と「依存」の関係は?(姜尚中の『悩む力』から)
「ミクロの政治」と「マクロの政治」(橋爪大三郎の『政治の教室』から)
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ネット社会での「白」の行方
(原研哉の『白』から)
原研哉が本テキストで語っている「不可逆性」や「完全性の美意識」などの問題そのものは、すでに語りつくされたことだと思う。
この著者のオリジナリティは、それを「白」と表現したことだろう。それは本来、色とは別の問題だから。
それは文字や印などのシンボルと、それを書きとめる物質との関係の話だ。書き留めるのは主に「紙」だが、
昔は紙は貴重だから竹や布に書いていた時代もあった。
紙に限定しても、それが「白」であるのは例外で、薄汚れた色だったことだろう。
そこに生ずる問題を、著者は精神や意識として、文化としてとらえ、さらにはそれを「白」としてとらえる。
日本では「白」には白無垢、武士の切腹の際の白装束というような、鮮烈さがある。
そうした文化的な意味合いを込めて「白」を考える時に、どういった世界が見えてくるのか。
本書『白』はサントリー文化賞を受賞している。
本テキストで気になるのは、ネット社会を、「白」の文化の対極の世界として提示しながら、
その対比の意味が展開されないままに、放置されていることだ。
この著者のオリジナルの1つは、従来の議論に、現代のネット社会を対置したことにあるだろう。
だからこそ、次に問われるべきなのは、「不完全」を前提にしたネット社会にあって、
これまでの「白」の文化、「白」の美意識はどういう影響を受けるのかだ。
「白」の文化は消滅する運命なのだろうか。
それとも、ネット社会の中で、次の展開が待っているような強靭な文化だろうか。