9月 11

『良い社会をつくる公共サービスを考える』から学ぶ                   (1)今の時代の課題を考える
 (2)「守り」と「ごまかし」
 (3)時代を発展的にとらえる
 (4)社会民主主義的政策と「社会的排除」
 (5)市民運動の4分類         
    
=====================================

(1)今の時代の課題を考える

 『良い社会をつくる公共サービスを考える 
  ?財政再建主義を超え、有効に機能する「ほどよい政府」を?』。

 この長ったらしいタイトルの文書は、「公務公共サービス労働組合協議会」
(自治労、日教組、国公連合などが参加)の提唱で設けられた
「良い社会をつくる公共サービスを考える」研究会の報告である。
この報告書はインターネットに全文公開されている。
http://www.komu-rokyo.jp/kokyo_campaign/final_report/final_report2.html

 今回この文書を取り上げたのは、今の時代の課題を考えるためだ。
そもそも今の時代を考えるためには、以下の4点を踏まえる必要があるだろう。

 1.高度経済成長、東西冷戦が終わり、グローバル化した資本主義が全体を支配している。 
   では、高度経済成長、東西冷戦とは何だったのか? どんな意味があったのか?
 

 2.今のあらゆるシステムは、高度経済成長、東西冷戦の下で作られてきた。
   では、どの制度、システムが、高度経済成長、東西冷戦と
   どのように内的に結びつき、発展してきたのか?

 3.古いシステムを次の時代、社会へ向けた新しいシステムに切り替えていかなければならない。
   では、このためには、新たな社会がどのような社会であり、
   そのためには、どこをどう変えなければならないのか? それはなぜか?

 4.この1?3の結果、日本では80年代のバブル、90年代のバブル崩壊からの不況が続いた。
   それへの対策として、小泉改革の新自由主義的政策が行われてきた。

 1?3の事実認識は、すでに多くの人々に共有されている。
それらに対する1つの回答として小泉改革があったのだから、
その批判(良い点も、悪い点も)をする際にも、根底には
この1?3に対する別の回答が用意されなければならないはずだ。
その別解の深さと広さによって、小泉路線を全面的に克服できるか
否かが決まるだろう。

 小泉路線の批判としては「格差拡大」「弱者切り捨て」をみなが言うが、
「規制緩和」「小さな政府」「民営化」「財政再建」などでは
それぞれの立場が揺れ動いている。誰もまだ、小泉改革の総括を
できていないと思う。自民党の小泉改革路線は
「自民党をぶっこわす」結果を生んだし、民主党の一部は
それを支持していたことを忘れてはならない。本来は民主党も、自民党も、
小泉路線の総括をきちんとすべきなのだ。民主党がそれをしないまま、
マニュフェストを出したことは欺瞞そのものだった。

(2)「守り」と「ごまかし」

 さて、この『良い社会をつくる公共サービスを考える』だが、
この文書の目的は、小泉政権の新自由主義、新保守主義や、
財政再建路線を批判し、公共サービス部門においての
具体的代案を提示することだった。メンバーには、小泉改革への
反対の立場として有名な学者名が並ぶ。北大の宮本太郎、
東大の神野直彦、佐藤学、京大の間宮陽介などだ。
それは一言で言えば、ヨーロッパの「社会民主主義」の立場のようだ。

 さて、ではこの文書は、小泉路線の総括ができたか。
それを全面的に克服できただろうか。否。個々に正しい指摘があっても、
全体としてはレベルが低いし、リアルではなく
問題の深さに届いていない。これでは、小泉・竹中路線には
到底かなわないと思った。

 第1に、時代の波に乗って「攻め」立てた小泉に対して、
この文書は依然として「守り」にまわっている。
時代から突きつけられている問題から逃げ、誤魔化している。
つまり、長く続いた東西冷戦が終わり、社会主義陣営が崩壊し、
資本主義の勝利が明らかになった意味を語っていない。

 今や時代は高度成長や東西冷戦から、次のステップへと高まった。
すべての世界が基本的には資本主義の原理の下に、一律の競争社会に
突入したのだ。小泉は、この現実の上に、新自由主義的な政策を
推し進めた。だからこそ支持されたのだ。

 これに対する代案として、社会民主主義的な政策を言うのなら、
先ずは、社会主義敗北の原因、そのどこがどう間違っていたのかについて
きちんと説明し、その社会主義と自らの立場の異同を明らかにするべきだろう。
それが全くない。それでは説得力が出てこないだろう。

 第2に、言葉のごまかしが多い。現実を直視せず、
対立・矛盾を見られていない。一言で言えば、「きれいごと」なのだ。
自分たちに都合の良いことだけを言う。

 例えば「自立した個による連帯として、国民が社会形成に参加する
連帯民主主義」(総論)と言う。この文書では他にも、
「市民」による「民主主義」の提唱が多い。それを疑う文言はない。
しかし、ここでの「市民」「個」「国民」とは何を指すのだろうか。
とても曖昧で、抽象的で、ほとんど無意味な規定だ。
階層格差が拡大し、「市民」「国民」内部の利害対立が進む中、
こうした言葉で、リアルに物事を語れるのだろうか。

 例えば、この報告では底辺層支援の政策である「ミニマム保障制度」について、
中間層からの批判があることを指摘する。その上で、
中間層自体にも底辺層への転落のリスクが大きいことが、
合意形成の可能性の拡大になると言う。しかし、そうしたリスクの大きさが、
中間層からの底辺層への差別意識を一層強める可能性もある。
そうした掘り下げが極めて弱いのだ。

 また、ここでは「民主主義」を声高に語るが、その矛盾、
つまり「人格の平等と能力の不平等」には触れない。
この「能力」の問題を正直に語らないで「教育」を語るのは
欺瞞ではないか。この「能力」の低さが、
社会主義が敗北した原因の一つではないか。
また、「ほどよい」とか「小さくも大きくもない政府」とか
と言った文言は、いかにも曖昧である。

 それに対して、小泉・竹中路線は「社会主義が負けて、
資本主義が勝った」という事実を踏まえている。その上で
「格差の何が悪い」「人生イロイロ」と言う。
そこにはリアルな現実を踏まえたあけすけな本音がある。
レトリックなしの、むき出しの正直さがある。
これが国民に支持された大きな理由ではないか。
東西冷戦下では、両陣営ともにタブーがあり、
そのことにはみなが薄々は気づきながら守っていた。
小泉はそうしたタブーを打ち破った。
だから小泉は不思議なまでに明るい。彼は「今太閤」だったと思う。

 これに対して、この文書には、あからさまに裏が見える。
昔ながらの陰険な党派性(左翼であり、組合寄りである)が
隠されている。役人、労働組合の問題の掘り下げが弱すぎる。
これでは、小泉の単純明快な発言に、到底勝てないだろう。

(3)時代を発展的にとらえる

 小泉路線を真に超えるには、時代を発展的にとらえ、
社会主義の崩壊も、新自由主義や新保守主義も、
その中に位置づけねばならないだろう。しかし、
この文書の研究者たちにはその能力も問題意識もない。
だから、小泉路線に自分たちの考えを平面的に対置しているだけなのだ。

 総論の2?4で、20世紀全体の「社会構造の変化」が
まとめられているが、表面的で一面的なものだ。

 20世紀の捉え方の根本的なことに関して、私見を述べておく。

 まず、産業構造の変化、
1次産業→2次産業→3次産業(サービス)→4次産業(情報産業)を
発展、能力の高まりととらえるべきだ。

 1次産業から2次産業までの転換では、それほど高い能力が
必要だったわけではない。工業労働に必要だったのは
「読み書きそろばん」の能力で、それは文盲が多い社会では
非常に高いものだが、絶対的にはそうではなく、
普通の「学校教育」で達成できるレベルのものでしかなかった。
その絶対的には「低い」能力のレベルではあるが、
そのレベルでそろっていることが重要だった。その意味では均一で
画一的な能力と、その人材が必要だった社会。
これが高度経済成長下の「中流社会」だ。

 しかし、経済の中心が2次産業から3次産業、さらに4次産業へと
高まるにつれて、要求される能力も高まり、当然ながら格差が
開き始める。格差が開くのは、求められる能力が高まることからの
必然的な側面がある。したがって、「格差の問題」を解決するためには
すべての人々の能力を高めることが必須であり、「教育」が課題となり、
一人一人の能力を高める学習が必要になる。
しかし、佐藤学が言うように、それを従来の学校教育が
指導できるとは思わない。それは、教員や生徒自身が
現実の問題や課題と取り組むことでしか、学べない能力ではないか。

 また20世紀の政治・経済を本質的に理解するには、
社会主義と資本主義の相克を理解する必要がある。
なぜ両者の戦いで、資本主義が勝利したのか。
一言でいえば、社会主義は平等主義(性善説)、
資本主義は能力主義(性悪説)だったからだ。

 2次産業までなら、社会主義がやや優位だった。
しかし、3次産業以降へと移行するときには
平等主義では乗り越えられず、能力主義がどうしても必要だった。
人間には限りない欲望、エゴなどの悪の側面があるのだが、
それを抑圧するのではなく、それを肯定し、それを成長や
社会発展に役立てる必要がある。そうでないと、
このレベルの能力の獲得は困難だからだ。これが「個性」と関係する。
その後ろには、人間内の「悪」の側面の理解の深さが必要だ。
性悪説の立場である。

 わが日本ではどうだったか。実際には能力主義が一部で
機能していたのだが、「建前」の平等主義や性善説で、
それを覆い隠してきた。それが「悪平等」社会の実態だ。
しかし、今、この矛盾を直視するべきなのだ。
建前の平等主義と本音の能力主義の分裂は、無自覚なゆえに、
またタブーになってきたゆえに、混乱を呼んでいる。
建前の「性善説」を乗り越えて、現実的な「性悪説」の立場に
立った社会と生き方を確立する必要があるのだ。

 もし、今、社会民主主義(大きく言って社会主義的政策)を
求めるのならば、19世紀からの社会主義の歴史を振り返り、
その発展と、その限界を明らかにしたうえで、
その克服を示さなければならないはずだ。

(4)社会民主主義的政策と「社会的排除」

 以上、この文書への根本的な批判を述べたが、もちろん、
学んだことや、参考にしたいことはある。

 第1に、アメリカ流一辺倒の小泉路線に対して、ヨーロッパの
社会民主主義的政策を紹介したのは大きな意義だし、
福祉国家の行き詰まりの分析と、その克服の試みからは学ぶことはある。
高度成長の過程で、地域が崩壊し、家庭内の女性が社会で働くことにより、
介護や育児などのサービスが彼女たちによる無償労働から、
労働市場へ投げ出される中で、社会からの現物支給が
必要になったという側面、つまり女性の自立や家庭の問題を提起し、
現金支給ではなく現物支給が有効であることを指摘している。

 また、第2に、西欧流の「社会的排除」への対策が、
小泉流の「官から民へ」「小さな政府」「財政削減」路線と
一致するように見えること。「地方自治」「自立と自己責任」など、
表面的には同じ言葉、同じ政策でも、正反対の立場から論じられ、
行われているという事実。

 そもそも、小泉路線自体に根本の矛盾があった。
それは新自由主義と新保守主義の矛盾だ。個人的競争を
あおればあおるほど、協同的な社会は壊れる。そこで、
それを愛国心や公共性といった道徳や理念でカバーしようとする。

 この矛盾が、より大きく、小泉路線の支持勢力と反対勢力が、
同じ局面で対峙しているのが現状なのだ。
だから、社会的事業や政策を評価するときの立場の矛盾がある。

 ┏「財政削減に役立つ」として評価する立場(小泉路線)
 ┗「弱者救済(自立への支援)に役立つ」として評価する立場(本書)

 すべてにこの対立がある。今、この指摘は重要だ。
 自民と民主の政策は、表面的には区別が見えない。

(5)市民運動の4分類

 第3の収穫は、ここで示された市民運動の4分類だ。

 【1】相互扶助・社会的自助型(子育てサークル等)
 【2】市民事業型(介護サービス、ワインツーリズム等)
 【3】政策提言型
   ・市民シンクタンク型→政策提言
   ・ネットワーク型→情報提供・経営支援・市民組織ネットワーク
 【4】市民資金・市民基金型(市民の資金を循環。市民事業型に資金提供)

 このように、市民運動全体をおさえると、全体の現状や
自分たちの位置づけが見えてくる。例えば、ワインツーリズムは【2】だが、
その枠内で、【2】市民事業型から【3】政策提言型への
発展の芽があり、それが今回の笹本さんの政治活動ではないか。

 今後は、まずはこれら4つの横の連携が必要だろうが、
特に【2】「市民事業型」と【3】「政策提言型」の連携を強めて、
山梨県内で新しい公共サービスの強化を図ってゆきたい。

 この【3】「政策提言型」は、実は、私が提案した「学習会」中心の
政治運動と関係する。この提言では【3】について、
今は市民の政策過程への参加が求められているとして、
自治体議会に市民が参加する「政策提案制度」などを求めている。
しかし、現状の市民に政策提案の能力があるだろうか? 
単に制度だけつくっても、お飾りのアリバイづくりになってしまう。
これを実際に機能させるには、市民自身の学習が必要なのだ。

 それをやるのが、私の提案している「学習会」中心の政治運動だ。
これは政策提言をするが、それをしながら、参加者自身の能力を高め、
認識を深めるのだ。そして、これに成功できれば、それをモデルとした
「政策提案制度」を提言できるだろう。今後は、議会のシステムの中に、
こうした学習会を組み込んでいくべきなのだ。

 実際に、「政策提言型」の市民運動が存在し、議会に「政策提案制度」が
生まれ始めているという事実は、私の学習会中心主義の現実的な根拠となる。
私は理念から方針を述べたのだが、それが現実に
深く根ざしたものでもあったことが、後から裏付けられた。

 また、行政の政策の評価が必要であるから、補助金の事後評価が必要だ。
しかし、こうした評価は確立できていない。従来にはなかった
モデルなのだから、行政にそれを求めるのは無理であり、
自らがワインツーリズムの自己評価を行い、
評価モデルを具体的に示すべきなのだ。

 また、この提言から、「報告書」の形式を学ぶことができる。
私たちは学習会で学んだことをもとにして、政策を実際に作り、
それを笹本さん自身の政策とするのだが、それはパンフだけではなく、
「最終報告書」の形でまとめるべきだ。つまり、総論と各論からなる形式だ。
しかし、この提言では、きれい事ですませ、現実の矛盾をごまかしている。
私たちの最終報告書では、リアルな本音のあるものにしたい。

 私たちの学習会では提言2に関連して、学校教育の課題も話し合った。
学校の先生自身の教育は、研修制度なのではなく、子供たちと
地域の人たちと、地域の課題に取り組むことなのではないか。
また、提言4では行政職員に求められる「コーディネート機能」に
ついて述べているが、一方で地域に出て、問題を見て、
現場の人々と共にそれを解決する行政マンが必要だが、
他方で、市民側も行政マンと組んでゆかないと、何も動かせない。
行政に情報が集中しているからだ。

9月 09

私は今年の春から
 山梨県甲府在住の笹本貴之さんと一緒に、山梨県で
 「学習会」中心の政治運動を始めた。
 その学習会では、地域が自立するための
 課題を考え、その問題の解決策として政策を作成する準備をしている。

その始まりに当たって行った、準備会的な学習会の報告をしたい。

 何事も始まりが肝心である。学習会の始まりにあたって、
広く今の時代の課題を考えておきたい。またこれまで行ってきた
ワインツーリズムの総括をするための観点も、しっかり用意したいと考えた。

 他に呼びかける前に、まずは中心メンバー自身が学習することから
始めなければならない。笹本さんと彼を支援する中心メンバーと、
内々で2回読書会をした。これは、広く公開の形で行う予定の
学習会とは区別して、リサーチ学習会と名付けた。
学習会をするための学習会であり、準備会であったからだ。

 1回目は4月26日に、牧野紀之「民主主義」
(『ヘーゲル哲学辞典』に収録)と『良い社会の公共サービスを考える』
(良い社会をつくる公共サービスを考える研究会最終報告)を読んだ。
「民主主義」は能力の不平等と人格の平等という矛盾を確認するため、
『良い社会の公共サービスを考える』は時代の課題を考えるため。

 2回目は5月10日に行い、『コミュニティビジネス入門』
(風見正三・山口浩平)を読んだ。これは、ワインツーリズムの
総括をするための観点を得るためだった。

 幸い、ゼミの仲間に、経済産業省の役人がいて、
現在コミュニティビジネス(ソーシャルビジネス)に関わっている。
彼からこの2つのテキストを教えてもらった。

 この2回の読書会の内、初回は大前提であり、
時代の背景の理解、一般論と言える。
2回目は具体論であり、各論である。
この2回の読書会で学んだこと、考えたことを次回から発表する。

 ところで、この読書会はテレビ会議システムを利用して行った。
笹本さんたち中心メンバーは山梨県在住で、私は東京にいる。
それが2時間ほどの時間を、テレビ会議システムでつないで、議
論をすることができる。実に便利な物ができたものだ。

5月 03

日本民芸館の「朝鮮陶磁‐柳宗悦没後50年記念展」を観、柳宗悦の『民芸四十年』を読んで考えたことをまとめました

1 柳宗悦の朝鮮陶磁器コレクションと「安宅コレクション」

4月1日(2010年)から日本民芸館で「朝鮮陶磁‐柳宗悦没後50年記念展」を開催している。民芸館の創立者柳宗悦自身が収集した朝鮮陶磁器のベスト約270点を展示している。「当館が誇る朝鮮陶磁器コレクションの至宝展とでもいうべきもの」。

最近、李朝の白磁などに異様に惹かれている私は数ヶ月前から楽しみにしており、いよいよ明日という晩は寝付けなかったぐらい興奮していた。豊かなコレクションで圧倒してくれるだろうと期待したのだ。ところが、実際に観て、私は少しばかり失望したのだった。質量共に、それほどではなかった。陶磁器の口部分などの破損や全体的なシミなども目に付いた。

こう思ったのは「安宅コレクション」と比較したからだ。「安宅コレクション」とは安宅英一(安宅産業)の中国、朝鮮の陶磁のコレクションで、現在は大阪市の東洋陶磁美術館で観ることができる。これは専門家から「第2次大戦後も収集された東洋陶磁のコレクションとしては世界的に見てももっとも質の高いもの」「高麗・朝鮮の陶磁は私的コレクションとして世界第1といっても過言ではない」(林屋晴三)と言われる。私はこのコレクションに親しむようになり、その朝鮮の陶磁器に強く惹きつけられていた。今回の民芸館にやや失望したことで、安宅コレクションの質量がいかに高いかを思い知ったように思う。そこでは1つ1つの作品が完璧な保存状態であり、完成度や質が高い。

2 柳宗悦の『民芸四十年』の生き方

4月に柳宗悦の『民芸四十年』、鶴見俊輔の『柳宗悦』を読んだ。柳宗悦には20年以上も前から関心があり、岩波文庫から彼の著作が刊行されるたびに購入していたが、なかなか読む機会がなかった。自分の中に、そのきっかけを作れないでいた、と言った方が良い。
今回、急に矢も楯もたまらず、『民芸四十年』を読みたくなり、一気に読み終えた。それは、柳の民芸という考え方の根っこに、朝鮮の陶磁器への開眼があることがわかったからだ。柳も最初から「民芸」という観点があったわけではない。朝鮮(李朝)の陶磁器のすばらしさに目覚め、その意味を深めた結果、より普遍的な民衆の芸術、民衆の生み出す美に気づき、それを日本に当てはめた時に見えてきたのが日本の「民芸」「工芸」の姿だった。

しかし、改めて思い出すと、このことは私も前から知っていたことに気づく。私の側の問題だったのだ。最近になって、私の中に、朝鮮(李朝)の陶磁器への熱い思いが生まれていた。それが機縁となって、柳宗悦の軌跡が、私の中にストンと腑に落ちたのだ。ずいぶん長い時間がかかったものだと思う。

柳の偉さ、凄みが、まっすぐに、私の中に入ってきた。柳は単なるコレクターや美学者ではない。彼は朝鮮(李朝)陶磁の美にめざめただけではなく、その陶磁器が美しく立派なものならば、その制作者もまた立派に生きていると見極めていた。それは美の基準の変革にとどまらず、人間・民族への評価を変え、社会や歴史の見方をも変えるほどのものだった。それゆえに、柳は日韓併合の状況下で朝鮮側に立って発言することになる。それは社会的な軋轢を生み、柳はさまざまな勢力から批判や攻撃を受けることになる。そうした中で、柳はひるむことなく自分の道を最後まで歩いていった。最期に待っていたのは念仏宗であり他力道である。結果として残された柳の人生の軌跡のみごとさに、うなってしまう。

3 民芸と民衆と

「朝鮮の友に贈る書」「失われんとする一朝鮮建築のために」など、柳は当時の日本の朝鮮への植民地政策、同化・教化政策に反対したが、当時にあってそうした日本人は少数に限られていた。しかし、それは政治的な発言というよりも、朝鮮の美とそれを生みだした朝鮮文化と民族を守るための、美に生きる者としてのやむにやまれぬ行為だった。

その中で柳は2つのことに気づく(「四十年の回想」より)。1つは、朝鮮人自身が柳たちのコレクションに関心を持たなかったことだ。そこで柳は「朝鮮人に代わって美術館を京城に設置」した。これが柳が作った初めての美術館になる。しかし「朝鮮側からの思いもかけぬ反対に出会った。下賤の民が作った品々で朝鮮の美など語られるのは、誠に以て迷惑だというのである」。

一方、日本人には朝鮮の陶磁のコレクターはいるが、柳の観点とはやはり違う。柳のは民間の雑器が多かった。一番違うのは、彼らは「朝鮮の品々は好きではあるのだが、それを通して朝鮮の心を理解しようとするのではなく、まして朝鮮人のために尽くそうとするのでもなく、ただ自分の蒐集欲や知識欲を満足させているのに過ぎない」点だ。「それで私は義憤を感じて、朝鮮人の味方として立とうと意を決した」。それが「朝鮮の品物から受ける恩義に酬いる所以」だ。ここに、安宅コレクションと日本民芸館のコレクションの決定的な違いがある。

この2点の指摘からは、柳が問題にしていることは、日本と朝鮮の間で朝鮮の側に立つ、という単純な図式ではすまないことがわかる。同じ朝鮮内部でも、「下賤の民」が生んだ「美」に盲目な人々がいるのだ。もちろんそれは日本国内でも同じである。

朝鮮の陶磁の美を発見した柳は、それを生みだした朝鮮の文化と民衆を発見し、民芸を発見した柳は、民芸を制作する民衆の価値をも発見したのだ。

それは柳が誰を友とし、師としたかによく現れている。柳自身は上流階層の出身であり、学習院で学び、白樺派の同人として活躍した。しかし、そこから大きく逸脱した付き合いをしている。柳に朝鮮の陶磁・工芸の美を教えた浅川伯教、巧の兄弟との付き合いだ。

4 浅川伯教、巧兄弟

朝鮮を愛して朝鮮に暮らしていた浅川伯教、巧の兄弟。伯教は小学校の教員(後に李朝陶磁の研究者)、巧は林業試験場の下級役人である。柳はそうした二人を尊敬し、深く信頼していた。
浅川巧は朝鮮語を学び、朝鮮服を着、朝鮮人として生きようとし、朝鮮人を愛し、愛された。41歳で急逝するが、その葬儀には多数の朝鮮人が参列し、彼らがその棺を担いだ。巧は朝鮮人の共同墓地に葬られた。

巧の死後の柳の追悼文は以下だ。「私はわけても彼を人間として尊敬した。私は彼ぐらい道徳的誠実さをもった人を他に知らない」「私は彼の行為からどんなに多くを教わったことか、私は私の友だちの一人に彼を持ったことを名誉に感じる」。巧の遺児である園絵は民芸館と柳を終生支え続けた。

私が気になったのは、浅川兄弟がメソジスト派のキリスト教徒だったことだ。その信仰と彼らの生き方の関係だ。江宮隆之著『白磁の人』(浅川巧の生涯の物語)では、それを強調し、巧と朝鮮人をいたぶっていた日本の軍人が回心し、キリスト教に入信するエピソードを入れている。彼ら兄弟の信仰は柳の念仏宗への帰依に近いものだろうか。(2010・5.2)

4月 11

家庭、親子関係を考える その1 2009年秋の読書会

2009年秋の読書会では、以下の3冊を取り上げた。
10月 斎藤学『アダルト・チルドレンと家族』(学陽書房)
 11月 斎藤環『社会的ひきこもり』(PHP新書)
 12月 中井久夫『精神科医がものを書くとき』 (ちくま学芸文庫)

 この内、斎藤学『アダルト・チルドレンと家族』と斎藤環『社会的ひきこもり』は4年前にも取り上げたのだが、新たなメンバーも増え、読んでいないメンバーが増えてきた。
しかし、すべての若い人々は、その青年期には、親子関係について振り返っておくこと、その本質について一度は考えておくことが重要だと気づいた。昨年夏の合宿で親子関係の悩みをうち明ける人がいて、その場で参加者の一人から感情的な発言が飛び出すのを見たからだ。そこでこの2つの本を再度取り上げた。
また、これは鶏鳴学園の塾生(高校生)の保護者にも参加を呼びかけた。親の立場からも考えてほしいと思ったからだ。
ダブル斎藤氏はいずれも精神科の医師である。ところが、二人とも現在の精神医療や精神科の医者に批判的だった。そこで多くの人(斎藤環もその一人)に支持されている中井久夫『精神科医がものを書くとき』で、精神科についても考えてみた。この一連の読書会で考えたことを報告する。
家族や親子関係がテーマになるので、この問題について私見を述べた「堺利彦の『家庭論』」も掲載する。若い方々に、また親の世代の方々に是非考えていただこうと思ってのことだ。

4月 11

家庭、親子関係を考える その2 中井久夫の二面性 12月の読書会から

12月の読書会のテキストは中井久夫『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫)。
 精神科の臨床医である中井久夫については名前を知っているだけだった。『全体主義の時代経験』に収録された書評で、藤田省三が中井を絶賛していた。そこで彼のエッセイ集を読んでみたところ、断然面白かった。続けてエッセイ集を4冊ほど読み、有名な『最終講義 分裂病私見』(みすず)、『精神科治療の覚書』(日本評論社)も読んでみた。
中井久夫は文学にも造詣が深く、人間についての幅広い知識を持ち、深い人間洞察のできる優れた臨床医だと思う。しかし、どうにもしっくりこない点もある。

今回読書会で取り上げてみて、中井久夫の二面性を強く意識した。彼は個別性、特殊性の大家であるが、普遍性、一般化ではぼろぼろだと言うことだ。彼のエッセイが面白いのは、その個別面での能力の高さがよく表れているからだ。彼は実践家として、臨床家として非常に優れている。そして、個々の場面や、個々の事態への対応は見事で、そこから生まれる発見が、きらきら輝くような言葉で描かれる。それがたまらなく見事だし、面白い。
しかし、それらは断片的な知恵のようなものであり、事柄の本質を一般化して語ることはない。精神医療の歴史を長々と語り(「近代精神医療のなりたち」)、サリヴァンの業績と人生を長々と語る(「知られざるサリヴァン」)が、結局、それは何なのか、と振り返ると、ほとんど何も語っていないことに気づく。
結局、精神分裂病とは何なのか。結局、精神病とは何で、精神医療はいかにあるべきなのか。サリヴァンの仕事の精神医療における位置づけとはどのようなものなのか。その答えは、霧の中にただよっている。

読書会参加者から「こういう人はみなから好かれる」という発言があったが、そうだろうと思う。事実、多数のファンがいるようだ。本書には、中井にとっての先輩、同僚、後輩の精神科医が多数登場するし、個々に人物規定があるのだが、それらはするどく核心をついてはいるが、すべて断片的で、その人物の医療の本質や、精神医療全体における位置づけをしない。つまり、ここには根源的な批判がないのだ。これでは嫌われようがない。
そうした中井久夫の生き方がどのように成立したのか、それは「私に影響を与えた人たちのことなど」でわかりやすく示されている。
戦争中でも、彼の周囲には、祖父、大叔父、父など合理的な考えの大人たちが多く、日本の軍隊への批判などをよく聞いていたし、天皇の神格化などになじめなかった。そのために小学校では孤立し、よくいじめられた。周囲が集団ヒステリー状態にある中で、その空虚さを、冷めた目で眺めていたらしい。
戦後もそれは変わらない。アメリカ軍の占領政策による改革や、共産党や社会主義革命への狂騒に対して、中井は距離をとって冷ややかに眺めていた。しかし、中井はそうした運動や組織に距離を取りつつも、関係は持ち続けた。国内の左翼運動は、ソ連や中国の動きによって、しばしば外的な急旋回が行われ、その都度多数の思想難民が出ていた。彼らは精神的に深い傷を負い、中井はそのカウンセラーのような役回りになっていた。
こうして直接には政治や思想運動に関わらないが、悩み相談係として間接的に深く関わる。これが中井の位置である。そして、こうした関わり方を生涯の仕事にしたのが彼の人生だったのだろう。もちろんここには断念があり、自分の役割の自覚、明確な自己限定がある。だからこそ、「私に影響を与えた人たちのことなど」は読みやすく、分かりやすいのだ。

先に、中井久夫の二面性を指摘した。個別性、特殊性ではすぐれているが、普遍性、一般化の能力は低い。中井自身はもちろんこのことに自覚的であり、「エッセイかアフリズムしか書けない」と明言している。
本書の文庫版には斎藤環の解説があり、斎藤も中井の二面性を取り上げている。しかし、彼は「一般化のなさ」を肯定的にのみとらえ、中井への批判がいっさいない。しかし、それでは「ひいきの引き倒し」ではないか。
斎藤は中井久夫を「いっさい『体系化』を志向しなかった」とし、それゆえに精神医療を「カルト化」から守れたと評価する。確かにそうした面があるだろうが、反対に、一般化によって「カルト化」から守れる場合もあるのではないか。斎藤にとって「カルト化」とは、「ある種の思想やイデオロギー、すなわち『体系』が状況を支配する状態」だと言う。そして、「中井久夫のみがカルト化を解毒した」と言い、その理由を「いっさい『体系化』を志向しなかった」からとしている。
しかし「ある種の思想やイデオロギー」とは具体的に誰のどういった思想のことか、それを斎藤は言わない。本当にすべての『体系』が悪いのだろうか。斎藤の言う「状況を支配する」思想と闘えるのはどういう思想なのだろうか。まさか「状況に支配される」思想ではないだろう。「状況を支配しない」思想だろうか。それはどういう思想だろうか。「状況を支配しない」思想で、「状況を支配する」思想と本当に闘えるのだろうか。
中井久夫には二面性がある。中井の良い点は、それを自覚し、自己限定によってマイナス面が大きな欠点とならないようにしていることだ。しかし、それも十分ではなかった。斎藤は、中井が「原則として依頼原稿しか書かない」ことを、中井の自己限定として評価しているようだが、依頼原稿なら書いて良いわけではない。「近代精神医療のなりたち」や「知られざるサリヴァン」のような、彼に向かない仕事をも引き受けてしまい、その馬脚を現すことになっている。それを彼に注意できる人はいないようだ。