11月 22

12月18日の読書会(午後5時から7時まで)は
『西洋哲学史要』(牧野再話、未知谷版)で
今年、ゼミの学習で出てきた思想の概略を確認します。

古代
アリストテレス 第1編 第6章(74から87ページ)
ストア派、懐疑派 第2編 第1章(90から102ページ)

中世
アンセルムス 第2編 第1章(133から136ページ)

近世
デカルト 第1編 第3章(165から174ページ)
スピノザ 第1編 第4章(175から184ページ)

以上を取り上げます。

全体で50ページ弱です

本は購入することを奨めます。
今後、哲学史は私たちの前提になります。

なお
初めての参加者には、事前に「自己紹介文」を書いていただいています。

 1. 簡単な履歴(年齢、大学・学部、仕事など)
 2. 何を学びたいのか
 3. どのようにこの学習会を知ったのか、なぜこの学習会で学びたいのか
 
などを書いて、以下にお送り下さい。

E-mail:
  sogo-m@mx5.nisiq.net

11月 09

高校作文教育研究会は、一昨年秋から2年ほどの予定で、会のテーマを「聞き書き」として、聞き書きの可能性、授業で実践する際の具体的手だて、その課題などを検討しています。

この間、私たちの例会や全国大会に、各地の中学、高校のすぐれた実践家10数人ほどをお招きし、みなで共同討議をしました。聞き書きに関するさまざまな課題について、生徒作品を丁寧に読みながら、具体的に考えてきました。

その成果は、昨年6月から雑誌「月刊 国語教育」に連載中です。

さて、連載も来年の三月までとなり、いよいよ全体の総括をすることになり、11月3日に、総括座談会を行いました。

そのために提出したレジュメを以下に発表します。

なお、当日、私のレジュメの二について、
「主観的心情」や「主観的感想」をレポートに書くことをめぐって意見交換があった。

これについては、物理学者だった木下是雄氏の『理科系の作文技術』(中公新書)が有名だ。そこでは「主観的な感想」を排除することを求めている。
「理科系の仕事の文書」とは「事実(状況をふくむ)と意見(判断や予測をふくむ)にかぎられていて、心情的要素をふくまない」。その中には、「原則として『感想』を混入させてはいけない」のだ。

これについては、『理科系の作文技術』として論考をまとめ、2010年4月13日のブログで紹介した。

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「聞き書き」の総括座談会のために
2010/11/03  中井浩一

一  表現指導の体系
  他者理解
              現実社会(特殊)客観的
調査をもとに意見をまとめる
説明、意見文

自己理解(主体的)
     個人的体験(個別) 総合(一般的知識=普遍)
描写の作文 志望理由、論文

※3年間であり、1年間でもあり、毎回の作文の3要素でもある
※毎回、内容面と形式面で、少ない課題を確実にこなしていく
※内容で、題材の表などを用意したらどうか

二 取材、インタビューの2種
(1)事実(データ)と対象(社会問題や自然科学の問題等)が中心。
調査は事実収集が目的。(社会科や理科のレポートや論文)
1.事実(データ)と対象が主で、語り手は副。データを持っていれば基本的には誰でも良い。

2.問いが個別具体的に明確で、答えを出すのが目的。

3.社会問題や自然科学の問題

(2)人生や経験、生き方が中心(国語科が引き受けることが多い)
1.語り手が主、事実と対象は副。語り手の視点、語り手の価値観が大きい。
対象や事実は語り手による理解(感情を含む)を通してしかわからない。両者の間にズレがある。
どう語ったか、どう表現(感情を含む)したか。そこに語り手の価値観が出る。
物語化が起こりやすい。

2.問いあるが、答えはすぐには出ない。

3.人生とは何か、どう生きるべきか。戦争とは何か、働くことの意味とは何か、といった大きなテーマが問題になる

(3)国語科の役割 ※これが重要
 普通には(2)だと思われているが、(1)と(2)は完全には切り離せない。国語科は全体の指導すべき

三 聞き書きの根本的な本質。その可能性と問題点。
(1)「聞くこと」と「書くこと」が一つになっている。
1.「聞くこと」              
             対象 
   聞き手(自分)         語り手(他者)
※「他者」や現実社会に直面する
2.「書くこと」      対象

    書き手(自分)         読み手(他者)

(2)矛盾  その可能性と問題点
1.普通は、語り手=自分=書き手。主体が1人。

2.それに対して、聞き書きは、語り手と書き手が違う。主体が2人いる。
話し手、語り手の表し方。聞き手、書き手の表し方。ここに問題が起こる。

四 表現一般の2種類 ※日本作文の会の「定式」との関係
(1)描写
対象のイメージが浮かぶ。直接的で五感でとらえ、読者の五感に訴える。
書き手の対象との一体化

(2)説明
間接的で、対象は一般化されてとらえられ、意味づけされる。

(3)普通は両者をともに使用する。必要な場合わけで、両方が使用できるようにしたい

五 「聞き書き」の表現上の2種類。
(1)説明風
1.「私の父は…と語った」。「程塚氏は、…と語った」。

2. Q&A 方式もある。

(2)1人語り。これは二の(2)に特殊な形式

(3)聞き書きの発展形として、ルポや一般化した論文、小説や物語がある
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11月 08

ワインツーリズム

地域の自立  タグ: , ワインツーリズム はコメントを受け付けていません

11月7日に、山梨県の甲州市を中心に行われたワインツーリズムに参加した。

このワインツーリズムは、笹本さんやその仲間が企画運営している。

仲間たちと再開し、ワイナリーや畑の見学も2箇所でし、テイストはそこらじゅうで楽しみ、朝市会の地元の方々と交流し、特別バスの停留所近くの地元の方々の「おもてなし」を受け、塩山の里山にある土屋さんのもとで機山ワインを味わい、今年の収穫とワインの話をし、とやたら楽しんだ。

周囲の山々をみながら(一部富士山が見えた)、畑の香りやたわわに実る柿をながめながら、自然と社会の営みを、一日たっぷりと体験した。

この理念を社会資本という観点からまとめてあるので関心のある方は読んでください。

『コミュニティビジネス入門』から学ぶ 9月16日、17日に掲載

10月 20

この夏の終わりに「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」を、10月に「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」を観た。ともに心打たれた。前者は、今年一番の収穫だった。

◇◆ 「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」 ◆◇

10月5日に、平塚で「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」を観てきた。平塚美術館のHPで磯江の絵を何点か観て、惹きつけられたので観に行った。

すばらしかったし、考えさせられた。彼のことも、スペイン・リアリズムのことも全く知らなかったので、これも今年の収穫の一つだ。お薦めです。

写実、リアリズムという「過去の遺物」を捨て去るのではなく、それを自分の立場として選び、それを発展させ、現代を表現するための武器にまで高めている。

磯江の絵画は、最も現代的な絵画だと思った。静謐な中に深い精神性があり、溢れんばかりの力と才能が、それ以上の力によって、絵画の底の底に押さえ込まれている。

彼の画集『磯江毅|写実考』を購入した。その中で、スペイン人で彼の仲間で親友でもあるマヌエル・フランケロが、スペイン・リアリズムと磯江の「反時代的なあり方、生き方」を語っている。最も時代に深く根差して生きることが、最も反時代的になる矛盾だ。

パリ、ニューヨークなどの芸術の先端的な地域から離れ、フランコの独裁政権下で、スペインでの芸術はその時の流れを止めていた。そこから独自のスペイン・リアリズムが生まれたようだが、磯江はそうした「反時代的芸術と生き方」を意識的に選択し、生き抜いた。そうした人の存在に、私は勇気づけられ励まされるものを感じた。

私の好きな画家の中に、スペインと縁のある人がいることを思い出した。須田國太郎、関合正明だ。

展覧会の詳細は以下を参照されたし。
以下はすべて、http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2010205.htmより

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スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展
2010年9月18日(土)?11月7日(日) 
平塚市美術館
彩鳳堂画廊

●内容
 透徹した描写力をもち、現代リアリズム表現を追究した画家、磯江毅(いそえつよし1954-2007)の作品を、初めて公立美術館にてご紹介します。 
 磯江は大阪に生まれ、1974年、西洋美術を本格的に学ぼうと19才でスペインに渡ります。王立美術学校でデッサンの基礎を学び、プラド美術館に通って、デューラーやフランドル派の画家たちの名画の模写に没頭しました。マドリッドは、1970年頃から新たなリアリズム表現を求める画家の活動の中心地となっており、磯江は自らを「GUSTAVO ISOE」(グスタボ・イソエ)と名乗って、アントニオ・ロペス・ガルシアといった画家たちと交流し、80年代にはその運動を担う一人として活躍していきます。
 存在の実感―リアリティ―をつかんで平面上に写し取るリアリズム表現は、伝統的な西洋美術の根幹をなすものであり、20年以上をスペインに暮らして、それを体得した磯江の作品からは、事物の発するエネルギーやそれを取り巻く空間そのものさえ確固として感じることができます。「リアリズム絵画とは、実体とはフィジカルなものだけど、徹底した描写によってメタフィジカルな世界が見えてくるのを待つ哲学です」という磯江の言葉どおり、個人の情感や主観を排して描写に徹した画面からは、静謐で孤高な精神世界が現出しています。
 1996年からは日本にもアトリエを構えて、自分の学んだリアリズム表現を伝えたいとしていた磯江ですが、2007年に53才の若さで急逝しました。作品の完成に長い時間がかかることもあり、寡作な作家の活動の成果を目にする機会は、これまであまりありませんでした。この展覧会では作品約60点により、磯江が極めたその表現世界を展覧します。

10月 19

この夏の終わりに「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」を、10月に「スペイン・リアリズムの密度 磯江毅展」を観た。ともに心打たれた。前者は、今年一番の収穫だった。

◇◆ 「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」 ◆◇

「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」の最終日9月5日に出かけた。今年一番の収穫だった。

原始時代の人類の造形に迫るような、シンプルで力のあるフォルム。その静けさの中には、圧倒的な力が込められている。その力は真っ直ぐに私の精神を照射し、同時に、深く癒してくれる。そうした陶磁器を実現するには、高い技術力が必要なのだろうが、そうした技巧が見えない。

ハンス・コパーはまったく知らない陶芸家だった。ルーシー・リーの元で修業し、制作上のパートナーとなり、後に独立したらしい。彼を指導したルーシー・リーより、その造形性、精神性において、はるかに上だと思った。

詳しくは、以下のHPの紹介文を参照されたし。
以下の引用はすべて、http://panasonic-denko.co.jp/corp/news/1004/1004-3.htmより

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ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新
Hans Coper Retrospective – Innovation in 20th Century Ceramics
2010年6月26日(土)?9月5日(日)
パナソニック電工 汐留ミュージアム

■ 開催趣旨
 ハンス・コパー(1920-1981)は、20世紀のイギリス陶芸界で活躍した最も独創的な作家の一人として高い評価を受けています。その功績は、日本の民藝運動と交流しながら近代的な生活とのかかわりのなかで陶芸のあり方を考えたバーナード・リーチ(1887-1979)や、ウィーン工房のデザイン教育で培われたモダニズムの精神をもたらしたオーストリア出身のルーシー・リー(1902?1995)と並び、陶芸の近代化の歴史において高く評価されています。
ドイツのザクセン州ケムニッツに生まれたコパーは、そのユダヤの出自のために戦争の不条理に翻弄されながらも芸術の道を志し、1946年、ロンドンで、同じくヨーロッパ大陸からの亡命者であった陶芸家ルーシー・リーの工房にオートクチュール(高級仕立服)のボタン製造の助手の職を得たことから運命が急展開しその後の人生を陶芸に捧げることとなります。コパーの作品は、天性の感覚と知的で構築的な制作プロセスが創り出す、洗練された彫刻的なたたずまいを見せています。ろくろによって成形された形の表面に、注意深く施された複雑な質感が織り成す陰影も、コパー独自のものと言えましょう。「どうやって、の前になぜ」という語り継がれたコパーの言葉からは、妥協のない本質の探求により、陶芸において完全に新しい視覚言語を開拓した創作者の姿が浮かび上がります。
 本展はそうしたコパーの生涯と芸術を日本で初めて紹介する大規模な回顧展です。なかでも、1962年にヨークシャーのスウィントン・コミュニティー・カレッジに設置した空間作品の再現は、今回が初の試みとなります。さらにルーシー・リーとの共同制作で知られる初期のテーブルウエア、1960年前後の工業デザインと建築空間へのアプローチ、古代のキクラデス彫刻に刺激を受けた晩年の「キクラデス・フォーム」のシリーズなど、初期から最晩年に至る創作の全貌を展観します。ルーシー・リーの作品も約20点展示します。

■ 展覧会の構成 

ハンス・コパーは英国で4度、制作の拠点を移しておりその軌跡は大まかに作風の変遷と一致しています。
第1部=ルーシー・リーの工房アルビオン・ミューズで陶芸制作を開始。(1946-1958年)
第2部=戦後の芸術復興の機運のなか、ディグズウエル・アーツ・トラストの支援のもとで制作。建築家や工業デザイン界と協働しながら空間的な作品を制作した「建築時代」。(1959-1963年)
第3部=再びロンドンに戻って制作、多作で次々と新しいかたちが生み出された円熟期。(1963-1967年)。
第4部=フルームに農家を買い取りアトリエとして改装。ついの棲家となります。1975年頃より筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症しつつも、キクラデスシリーズを完成させます。(1967-1981)
第5部=ルーシー・リーの作品およそ20点

■ ハンス・コパーの芸術と生涯 理解のポイント

【 ルーシー・リーとの生涯にわたる交流 】
ギャラリーオーナーのウィリアム・オーリーの紹介で、ルーシー・リーの工房で働くようになったコパーは、リーの手ほどきを受けて陶芸の基礎を急速に習得し、次第にリーの工房で重要な役割を担うようになります。その頃、コパーが協力したリーのテーブルウエアはシンプルでモダンなテイストが好評で、『ハーパーズ・バザー』などにもしばしばとりあげられる人気商品となりました。1950年のバークレイ・ギャラリーでの合同展をきっかけに、コパーは自分の名前で作品発表を始めるようになり、その後は、1964年の東京国立近代美術館での「現代国際陶芸展」や1967年のボイマンス美術館(ロッテルダム)での合同展など、戦後イギリスの新しい陶芸界の担い手として、幾度となく共に展覧会に出品しています。またコパーは優れた教育者でもありましたが、キャンバーウエル・スクールやロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭をとるきっかけはリーの紹介でした。一見全く異なるように見える二人の作品ですが、深いところで影響を与え合っています。コパーはリーより18歳年若でしたが、二人は互いの作品の良き理解者であり、生涯にわたって固い友情で結ばれていました。本展では出会いの契機となったボタンも参考出品します。 

【 造形の特徴と制作手法 】
60年代以降のコパーの作品はろくろで挽いた複数の部分を合接してつくる技法を特徴としています。帽子のつば状の円盤が、丸壺や筒状の頂上に乗っているものは、ひも状の粘土をろくろ挽きの本体の上につけられています。コパーは、あらかじめスケッチによる入念な形のスタディを行い、同じ形ごとにシリーズで作りました。そして最上の作品を残して他は全て壊したといいます。こうして「ティッスルフォーム」(あざみ形)、「スペードフォーム」(シャベル形)などの特徴的なかたちのシリーズが生まれました。「キクラデス・フォーム」は晩年の闘病生活のなかで完成されたシリーズで、考え抜かれた究極のフォルムは、太鼓形のベースの上に極めて細い1点で、緊張感をはらみながら屹立しています。

【 コパーとモダニズム 】
コパーの作品は饒舌な装飾に頼らない、無彩色のシンプルな形態の構成美の追求であり、陶芸の伝統よりはむしろ同時代のモダンデザインや近代彫刻の抽象表現と呼応しています。実際、リーに協力した量産食器のデザインに始まり、1960年前後に手がけた企業の依頼による衛生陶器や音響レンガ、外装タイルといった工業デザインの仕事は、バウハウスに憧れたコパーらしく、芸術と一般大衆を橋渡しする近代的な芸術家像が浮かび上がります。さらに、ディグズウエル時代にはスウィントン・コミュニティ・スクールの壁面作品や、コベントリー大聖堂の祭壇に据える大型のロウソク立てといった「建築陶芸」を展開していますが、空間性や身体性を内包するこれらの作品は、鑑賞者の身体感覚に強く訴えかけ、陶芸を総合芸術の域に高めるコパーの理想がうかがわれます。
ハンス・コパー プロフィール

1920年ドイツ生まれ。1939年ナチスに追われイギリスに渡るが、翌年敵国の在留外国人として拘引されカナダに送還される。1941年イギリスに戻り、1943年まで兵役に就く。1946年よりすでに活動していたルーシー・リーのアルビオン・ミューズの工房にて作陶を開始する。1950年から4回にわたってロンドンのバークレー・ギャラリーでリーと共同展を開催。1954年ミラノ・トリエンナーレで金賞受賞。1958年イギリスに帰化し、ロンドン郊外に自身の工房を構え、個展や内外の国際展に出品するほか、1963-72年にロンドンのキャンバーウェル・アート・スクール、1966-75年にはロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭を執っている。1967年サマーセット州フルームに移り、1981年同地で没する。
「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」の最終日9月5日に出かけた。今年一番の収穫だった。
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以上の引用はすべて、http://panasonic-denko.co.jp/corp/news/1004/1004-3.htmより