夏の「ヘーゲル哲学」合宿を行いました。
参加した内から3人の感想を掲載します。
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◇◆ 長い長い思春期 K ◆◇
精神現象学は、人間の成長段階に合わせて、時間的順序に則って
叙述したものであるという。そして、今回の合宿では自己意識、
すなわち自我の目覚めと思春期が範囲であった。だとするならば、
現代においては、思春期とは十代のごく一時期を意味するものではなく、
十代から二十代にかけての二十年間、まさに一世代にも及ぶものではないだろうか。
自己意識は、人類や絶対的存在を意識し、絶対的否定を経ることで
芽生えるというが、自分の経験を振り返ってみるに、それは、二十歳を過ぎて、
鶏鳴学園に通うようになってからのことであった。夏目漱石を通じて
人間のエゴイズムに圧倒され、途端に、それまでの自分の人生が、
どうしようもなくみすぼらしいものであるように思うこととなった。
そうして、初めて、人間(自分)が生きることとは何かを問い、
人間(自分)とは何かを問うようになった。無論、それまでも問いかけてはいた。
だが、まともに考えていたとは言えないし、問いかけ方も個々別々の
経験の範疇を出るものではなく、拒絶感もその場限りであったし、
何より普遍性がなかった。やはり、ヘーゲルの言うとおり、
圧倒的存在に触れることは不可欠なのだと思う。しかし、一足飛びに
そこまで到達するものではなく、一定以上の経験を積んだ上でなければ、
何も反応できないのではないかとも思う。
なお、こうした問いに対し、本腰を入れて考えるようになってから
五年が経過したが、未だにその答えは出ていない。あと二年で
華ある二十代も終わり、三十路を迎えてしまう。だが、その答えの芽は
出ているように感じているし、その手応えもある。行き詰るたびに
圧倒的存在に当たり、都度、打ちのめされ、しかしそこに希望を感じながら
成長していく。これしかないし、それがすべてだと思う。そして、鶏鳴学園という
目的を同じくする仲間たちとの研鑽の場があることを、幸せなことだと思う。
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