12月 05

◇◆ 「付き合い」と「コクル」の関係  ◆◇

 高校生や大学生から「コクル」という表現を聞いたのは、15年ほど前になる。20年前には聞かなかったと思う。「好きだ」と告白することと知って、なるほどと思ったが、当時は特に問題には思わなかった。

しかし、その後、その内実を知るようになり、これはおかしいと思うようになった。今時の若者たちは、「コクル」ことから「付き合い」が始まり、どちらかが解消を申し出るまではその「付き合い」が続く。「付き合い」があるかないかは、この「コクル」が目印であり、これがない限り「付き合い」ではない。「付き合い」が続く間は、基本的には他とは付き合わない。これが彼らの男女間の「付き合い」の定義なのだ。

前からもう一つ気になっていた言葉が、「元カレ」「元カノ」だ。それがたびたび今カレになり、元カレに戻り、また復活する。何をやっているのかわからなかったが、彼らの「付き合い」の定義が上記のようなら、何度でも切れてはつながるのも当たり前なのだ。

これはおかしい。まず、このやり方は不自然だ。「付き合い」とは事実レベルの問題であって、「コクル」かどうかには、直接は関係がない。また、事実としてある程度付き合わない限り、自分の感情を確かめようがないはずだ。「コクル」前に、「付き合い」が必要だろう。ここら辺はどうなっているのだろうか。

また、同時並行で何人とでも付き合っても良いではないか。ある程度数をこなさなければ、異性の本質など見抜けるようにはならないだろう。そして、異性がわからない限り、自分のことも理解できないだろう。

そう考える私には、彼らのやり方が、どうにも姑息に感じられる。これは体の良い「囲い込み」ではないのか。弱者同士が、相手を確保しやすくするためのお手軽コースではないのか。
そう言うと、「それは中井さんが強者の立場だからそう言うのであって、大多数は弱いのだから、防衛策を講じて当然です」と言う。

こんなバカげたやり方をしている若者はどの程度いるのか、とたずねると、ある人は「9割ほど」、ある人は「いや?ぁ、95%はそうですよ」。

「草食系」とはこのことかと思い、「若者の保守化」という言葉も頭に浮かんだ。