本論文について 中井浩一
中井ゼミでは、マルクスについては何度も取り上げて検討してきました。資本論の第一巻の通読をしました。その中では第1章の商品論を丁寧に検討し、第5章の労働過程論はドイツ語で詳しく検討しました。第7編の資本の蓄積過程は何度も繰り返し読みました。またマルクスの『経済学批判』の「序説」(特に「経済学の方法」)は繰り返し読んで、ドイツ語でも検討してきました。これらの到達点の一部は、昨年2月に『現代に生きるマルクス』として刊行しています。
安藤雷さんはそれらを踏まえた上で、初版『資本論』第1章への付録、いわゆる「価値形態論」(信山社版、ドイツ語原文と牧野紀之の訳注を収録)を自分で丁寧に読んで検討し、それを大部のメモノートにまとめました。それについて私と安藤さんとで意見交換をしましたが、それを踏まえたうえで、安藤さんが自分の考えをまとめました。それが今回このブログに掲載する論考「交換も人間労働である」安藤雷著です。
マルクスは「価値形態論」で、商品と商品との交換が事実成立することから、その根拠としての商品の価値、またその価値を表現する貨幣の成立をとらえていきます。
安藤さんは、その考察の進め方に、その交換活動そのものもまた労働である(商品である)という側面が抜けていることを指摘します。これはあまりにもシンプルで、根本的な、大きな問題です。それなのに、この問題はこれまで誰からも指摘されてこなかったのではないでしょうか。
どうして、この簡単な欠陥が見逃されてきたのでしょうか。研究者はみな、マルクスが設定した枠組みの中でしか考えられず、その枠組自体を検討することができないからだと思います。
安藤さんは、マルクスの設定した枠組み自体を批判したのです。これは大きな成果であると思います。
この価値形態論についての中井自身の考えは、追って、このブログに掲載したいと思っています。
■ 目次 ■
交換も人間労働である
──マルクスの資本論「価値形態論」における大きな欠陥── 安藤雷
1.はじめに
1?1.附録について
1?2.価値形態論について
1?3.価値形態論の方法・前提の確認
2.価値形態論の欠陥
2?1.形式面:必然性の欠如
2?2.内容面:交換の軽視ないし無視
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◇◆ 交換も人間労働である
──マルクスの資本論「価値形態論」における大きな欠陥── 安藤雷 ◆◇
1.はじめに
本稿は、マルクスの資本論初版第一章への附録「価値形態論」を主たる検討対象にして、まとめたものである。
1?1.附録について
マルクスの資本論は「商品論」から始まる。第一編が「商品と貨幣」で、その第一章が「商品」となっている。商品から貨幣を導出し、貨幣から資本を導出し、資本の中に剰余価値のを見るのが資本論である。「商品論」において商品から貨幣を導出する部分が「価値形態論」(Wertform)である。
これは初版では本文だけではなく附録(Anhang zu Kapitel?, 1.)の形でもまとめられている。本文の価値形態論は分かりにくいから補遺が必要だという友人クーゲルマンのアドバイスに従ったものである。価値形態論と附録について、初版の序文では「それまでの叙述よりも弁証法がはるかに鋭くなっているので、それは難解である。・・・(中略)・・・そこでは、事柄を、その科学的な理解が許す限りできるだけ単純に、また学校教師風にさえ叙述するよう努めている。」と書かれている。
他方、エンゲルスは価値形態論を補遺の形でまとめ直す必要はないとしていたが、これに対して、マルクスは1867年6月22日にエンゲルスに宛てた手紙で付録の必要性について次のように書いている。
「相手にするのは俗人ばかりではなく、知識欲のある青年などもいる。その上、事柄はこの本の全体にとってあまりにも決定的だ。経済学者諸君は、これまで次のような極めて単純なことさえも見落としてきた。すなわち、“20エレのリンネル=1着の上着”という形態は“20エレのリンネル=2ポンド・スターリング”の未展開な基礎に他ならないということ、したがって、商品の価値がまだ他のすべての商品に対する関係としてではなく、ただその商品自身の自然形態から区別されたものとして表現されているにすぎない最も単純な商品形態が、貨幣形態の全秘密を、したがってまた、つづめて言えば、労働生産物のすべてのブルジョア的形態の全秘密を含んでいる、ということだ。」(下線は筆者が引いた)
マルクスとしては、どうしても価値形態論を広く理解してもらいたいと考えていたということである。さらに、そのために付録では§とかa) b) c)とかα) β) γ)といった記号を使い、見出しを付け、規定の移行が一目でわかるような工夫もしている。
1?2.価値形態論について
マルクスは価値形態を全部で4つの式から構成している。アルファベットは商品である。なお、ややこしくなるため、ここでは量的規定は抜いてある。
?式 単純な価値形式 商品A=商品B
?式 全体的または展開された価値形式 A=B,C,D,E,・・・
?式 普遍的な価値形式 B,C,D,E,・・・=A
?式 貨幣形式 A,B,C,D,E,・・・=貨幣(〇〇円、〇〇ドル等)
先に引用したエンゲルスへの手紙にあるように、最も単純な商品形態が?式であり、ここにはすべてが含まれていて、資本論全体にとって決定的なものであるとマルクスは考えている。そして、?式から?式まで展開されて、貨幣が導出される。この展開において、マルクスは?式から?式の「逆転」、その際に起こるA以外のすべての商品が?式において「排除」されることを、最も難しいとしている。
「貨幣形式を理解する上での困難は等価物の一般的な形式の理解に絞られ、したがって価値の一般的な形式つまり第?形式の理解に絞られるのである。」(附録の最終節 「商品という在り方の単純な形式は貨幣形式の秘密である」より)
1?3.価値形態論の方法・前提の確認
実際のマルクスの方法としては、大きく言って以下の???の前提に立って展開させており、その結果として?の展開になっている。
? 左辺を価値表現・価値形式における相対的価値形式、右辺を等価物形式と呼び、両者は対極にある。左右が入れ替わると、形式が真反対となり、まったくの別物になる。
? ある商品は相対的価値形式と等価物形式の両方の形式を同時に取ることはできない。
? 相対的価値形式の位置にある商品は、自らの価値を表現するためには、等価物形式を取る商品、自らとは異なる別の商品を必ず必要とする。
? 等価物形式を取る商品は何でも良いのだが、人間の抽象的労働力の支出の結果として生み出された労働生産物でなければならない。
? その理由は、価値の実体は人間の抽象的労働力の支出だから。
? アリストテレスが価値概念を理解できなかったのは、奴隷制社会に生きた影響から価値の実体が人間労働であることを理解できなかったから。
? Verkehr(注1)の内部においてのみ、労働生産物は価値・商品という性質を持つ。
? 等価物形式を取る商品として、?式では任意の1つが選ばれる。?式ではA以外の全商品が選ばれる。?式ではそれが逆転して、逆に、他の全商品から排除されたAだけが選ばれる。?式ではAとして金が社会的慣習や社会的過程(注2)によって選ばれて、貨幣形式に到達する。
2.価値形態論の欠陥
価値形態論はA=Bを展開させたものである。この最も単純なものが貨幣になり、資本になり、全世界を覆い尽くすという発想のスケールはあまりに大きく、一元論の行き着く最大規模のものと言えると思う。実に画期的なものである。この始まりの部分に力を込める点にマルクスのマルクスたる所以があるだろう。
しかし、この始まりの部分に大きな欠陥があることもまた確認することができる。それは、商品Aと商品Bをつなぐ交換行為に焦点が当たっていないということだ。交換行為も労働のはずだが、それが押さえられていないのである。交換行為とは分業と言い換えても良く、社会的分業にまで至った際のその意義の大きさはマルクス自身が認めているものなので、マルクスにとっても決して軽い問題とは言えない。
この欠陥は形式・内容の両面で問題を引き起こす。何より、始まりにおける重大な欠陥である以上、資本論全体に影を落とすことになるだろう。
2?1.形式面:必然性の欠如
三つ目の項目である交換が捨象されることから、二項関係のみで展開されることになる。これが形式面での最大の問題であり、必然的な展開にできなくなってしまう。まず、二項関係だけでは商品から貨幣を必然的な形で導出できず、実際に「逆転」「排除」という方法を使っている(注3)。この導出方法では貨幣・資本が「疎外態」となり、断罪されることになる(注4)。
次に、何かある概念を導出する際にも、必然的展開ではなく、唐突に出すか、定義・前提の形で断定的な出し方をしている。例えば、価値の実体が人間の労働力の支出であることや、使用価値と交換価値と価値の関係のところなどが、重要な部分にも関わらず該当する(注5)。
そして、何より、「止揚」(aufheben)や「全体性」(Totalität)という方法を取ることができていないために必然的展開にならない、とも言い換えられる。「止揚」「全体性」といった捉え方であれば、必ず事物の意義と限界の双方を捉えることになる。しかし、「疎外態」として捉えると一面的な理解になりやすく、特に意義の理解が飛びがちになる。
本来なら、商品Aと商品Bを媒介する交換行為の中にすべてが含まれていると捉え、交換行為の意義と限界を見ながら貨幣を導出・展開するのが必然的な形式だろう。Aを生み出す労働、Bを生み出す労働、交換行為という労働の3つの労働の媒介関係として捉えるべきところ、交換行為を労働として捉える意識が弱く、むしろ悪として断罪する意識が強いために、AとBしか見えなくなっている。何かを無視・全否定する態度から必然性を出すのは難しい。マルクス自身が資本論第二版への後記に「弁証法は、・・・(中略)・・・現状の肯定的理解のうちに同時にまたその否定、その必然的没落の理解を含み、一切の生成した形態を運動の流れの中で捉え、したがってまたその過ぎ去る面から捉え、何物にも動かされることなく、その本質上批判的であり革命的である」(下線は筆者が引いた)と記しているように。
2?2.内容面:交換の軽視ないし無視
以上の形式面の問題は、内容にも影響を与える。それは3つある。
第一に、貨幣が疎外態になってしまう。マルクスの「経済学批判」のうち、「序説」は出版されていないが、その中の「経済学の方法」では、資本にすべてが含まれており(止揚されており)、経済学について叙述する際には資本から始められるべきと結論付けられている。そして、その資本を直接的に生み出すものが貨幣である以上、その貨幣にもすべてが含まれている。だが、マルクスの価値形態論では、貨幣は他のすべての商品から排除・除外されたものに過ぎず、「疎外態」になってしまっている。貨幣は商品を止揚したものとしている以上、そこには分業・交換や労働や価値の在り方も含まれている。本当ならさらに「発展」「展開」させ「止揚」される対象のはずである。マルクス自身も最も単純な商品形態の中に貨幣の秘密があると言っており、本来のマルクスもこの考え方に立つはずである。しかし、疎外態という理解になってしまうと、除去対象にまで引き下げられることになる。
第二に、商業・サービス業・経営といった営みの重さが捉えられず、その結果として剰余価値の導出が軽薄なものになっている。
例えば交換行為に勤しむ商人のことを「寄生虫」として扱っている(資本論第四章[国民文庫288頁])。資本家の経営努力も、恐らく文章としては言及が一切ない。形式面の問題で確認した、「意義」の理解がおざなりになってしまう問題がこのように現れている。
交換行為の重さを捉えられないことで、マルクスにとって決定的なまでに重要な剰余価値の導出がいい加減で軽薄なものになっている。そもそもマルクスは商品→貨幣→商品の交換行為について「この形態変換は少しも価値量の変化を含んではいない」(資本論第四章[国民文庫277頁])と述べており、交換行為を労働と見ていない。このため、形態変換の中で発生する剰余価値を賃労働者からの労働力の搾取としか捉えられない。そして、「我々の資本家はハッとする。生産物の価値は前貸しされた資本の価値に等しい。前貸しされた価値は増殖されておらず、剰余価値を生んでおらず、したがって、貨幣は資本に転化してはいない」(資本論第五章[国民文庫333頁])と書き、「我々の資本家には彼を嬉しがらせるこのような事情は前から分かっていたのである。・・・手品はついに成功した。貨幣は資本に転化されたのである」(資本論第五章339頁)と進める。
剰余価値の発生は「手品」で済ませるものではないだろう。剰余価値は交換過程において生まれるが、この軽薄な捉え方では、交換過程を真に捉えることは難しいだろう。剰余価値の発生というマルクスの問題提起は大きなものだが、これではその大きさが矮小化されてしまうのではないか。
第三に、論理と歴史の矛盾である。マルクスは商品が価値になるのはVerkehrの内部においてのみだと言う。だが、このVerkehrについては、「価値形態論」ではなく第2章の「交換過程」で言及される。また、等価物形式を取る商品が1つだけに絞られるのは社会的過程の結果とされているが、それも「価値形態論」ではなく「交換過程」で言及される。
マルクスは「経済学批判」の未出版部分の「経済学の方法」において、上向法と下降法、歴史と論理といった方法論の枠組みを出しているが、「価値形態論」が論理に、「交換過程」が歴史に該当するのだろう(注6)。「交換過程」では「経済学の方法」と同じく、共同体の縁・際で交換が始まり、そこから貨幣が生まれていくとしている(注7)。共同体間をつなぐ交換活動は文字通り命懸けの行為だったはずだが、歴史におけるその重さと、貨幣導出の論理がつながっていないように思う。歴史と論理を分けるという方法自体の是非は置いておくにしても、共同体と貨幣の歴史と論理が有機的に結合した議論になっておらず、このように分離・独立した状態では、歴史の豊かさを取り上げきれないのではないか。
【注】
1.牧野紀之によると「ドイツ・イデオロギー」では生産関係という概念の未熟なものして使われていた単語で、社会、関係、交換といったような意味。牧野は「交通」という訳語を当てている。筆者の理解ではA=Bという交換行為が成立している状態を示す言葉。
2.社会的過程の詳細は「価値形態論」では言及されず、第2章「交換過程」で扱われる。
3.その他にも、商品の「完全枚挙・数え上げ」や等式の両極の対立の「度合い」とその「固定化」で、必然性を事実上語るなどしている。
4.中井浩一『現代に生きるマルクス』でフォイエルバッハの「疎外」の立場がいかにマルクスに決定的影響を与えているかが示されている。
5.この点は内容にも大きな影響を与えているはずだが今の段階では明確に指摘できない。
6.中井浩一氏による中井ゼミでの指導による。
7.余談だが、「経済学の方法」における共同体と貨幣の関係(崩壊しつつある共同体でこそ貨幣経済が発達する、傭兵には貨幣で賃金が支払われる等)や富の源泉の発展(金属から主体性・人間労働に移行していった)についての描写は抜群に面白かった。歴史に言及している箇所でのこの面白さとマルクスの論理はどうつながっているのか。つながっていないのではないか。
2023年3月12日