10月 17

週刊「教育資料」2010年10月11日号で以下を書きました。

羅針盤を作る教育を/鶏鳴学園代表 中井浩一/

 この夏に、ビジネスマン対象の雑誌で「哲学」が特集された。週刊『東洋経済』(8月14日、21日合併号)の「実践的『哲学』入門」だ。特集の中に、各地の「大学生・社会人」の学びの場を紹介するコーナーがあり、わが鶏鳴学園の「哲学ゼミ」も取り上げられた。

 取材にみえた編集者によると、マイケル・サンデル教授(ハーバード大学)の「正義」に関する授業がテレビ放映され大きな反響があり、その講義録も刊行されベストセラーになった。そこから、なぜ現代日本で「哲学」がブームになっているのかを考えようとの企画のようだった。

時代が「哲学」を求めている
 今の時代が「哲学」を求めているのは本当だと思う。私のゼミの参加者が増えていることからも、そう言えるだろう。今時、「哲学」といった硬いナカミで、しかも大学外で、何の資格も取れない場だ。しかし、そこに通う人が一〇数人いることを、どう思われるだろうか。この数年で、二〇代の若者が増えてきた。他方で、三〇代から五〇代まで年齢の幅も広がっている。大学生(フリーターやニートも)、役人、主婦、ジャーナリスト、教師、政治家などとその職業も多様だ。彼らは何を求め、何に駆り立てられているのだろうか。
 今の時代には、人生の羅針盤がないのではないか。物を考え、評価し、選択する際の、基準が見えないのではないか。ほとんどの人は、途方に暮れている。それは、若者にとっては人生の方針を立てられず自立できないという深刻な問題になる。それがフリーター、ニートの急増にも現れているだろう。
 それは特殊な人々の問題ではない。若者たち全般の「自立」の遅れは深刻だし、すべての大人にとって「成熟」がムズカシくなっている。明治時代にあっては、夏目漱石のように三〇代の前半まで自己確立できずに悩み抜いた人は少なかった。しかし、今は多くの人が同じ悩みを抱え込むようになっているのではないか。
 一方、「格差社会」「階層格差」の問題が深刻化しているが、この問題も「成熟」の遅れと関係するのではないか。

目標を見失った社会
 社会から絶対的な目標と基準が失われ、「価値の多様化」(実は表層的なタコツボ化)が進んだのは、「豊かな」社会になったからだ。以前は、国民全体が貧しく、「豊かになりたい」という夢をみなで共有できた。そして高度経済成長に邁進し、豊かさを実現してきた。その裏では地域や大家族制が崩壊していったが、国民は「豊かさ」の代償として諦め、淋しさは「中流」としての一体感で補ってきた。
 他方で、世界は東西冷戦下で資本主義と社会主義との対立があり、それは全体的な世界観の対立でもあった。すべての人々が立場の選択を強制されたが、ひとたび態度決定さえすれば、後は自動的にすべての問題の回答を一挙に手に入れることができた。こうした政治対立はもちろん国民の対立を引き起こしたが、両者は「豊かさ」を追求する点では共通だったから、共依存の関係でしかなかった。その時代には、社会にも個人にも、明確な目標と基準があった。
 今はそれが失われた。そして、むき出しの競争社会と格差の拡大が広がっている。そこでは地域や大家族制は崩壊し、バラバラの個人と核家族が広がっているだけだ。社会に強い共通目標があるときは家庭の影響は小さい。しかし、それが失われたときは、家庭の影響力が決定的になる。それが今の格差社会ではないか。親の階層、価値観、社会的地位、能力が、そのまま子どもに受け継がれ、貧富の差が拡大し、階層が固定化していく。それは個人が自立できないでいることと裏腹の関係だ。さて、ではどうするか。

「哲学」とは何か
 私の「哲学ゼミ」には二つの柱がある。一つは哲学上の古典を読むことで、ヘーゲルを中心に、カントやアリストテレス、マルクスやハイデガーなどを読む。もう一つが、各参加者の活動報告や問題意識を出し合って話し合うことだ。こちらが重要だ。そこでは自分の直面している問題を考えながら、これまでの人生を振り返る。それを報告し文章にし、相互批評をする。それによって人生の目標、テーマを作ることが目標だ。これは、実は親からの自分への影響の総チェックであり、親からの自立をうながすことでもある。

今求められる教育
 自分の個人的で特殊な問題を、一般的に論理的に考える。そのための媒介として、本や哲学書を読む。それが私のゼミで行っていることだが、これが本当の「哲学」だと思う。これを学校や大学など、あらゆる教育の場で行っていくべきだろう。わが鶏鳴学園は「国語の専門塾」を標榜しているが、実はそれは「哲学の専門塾」という意味なのだ。
 今の時代には、既成の答えは有効ではない。教師は、答えを押しつけるのではなく、生徒とともに、生徒が抱える問題を、真摯に考えていくことしかできない。そのためには、教師自身の価値観や経験の意味づけを見直し、壊し、作り替える作業をすることになるだろう。
だから今、「正義」のそうした作り直しの作業を協同で行ったマイケル・サンデルの授業が大きな反響をよんだのではないか。 (2010年9月29日)

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