「ふつうのお嬢様」の自立 全8回中の第7回
江口朋子さんが、この春に「修了」した。
その修業に専念した6年間を振り返る、シリーズ全8回中の第7回。
眠りから覚めたオオサンショウウオ (その3)
?江口朋子さんの事例から、テーマ探し、テーマ作りのための課題を考える?
中井浩一
■ 本日の目次 ■
(6)「引きこもり」の意味
(7)親からの自立
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(6)「引きこもり」の意味
「この6年間、自分は実質的に引きこもり状態だった。付き合う人が量的にも質的にも限られ、文章など読んでいても、家族と鶏鳴以外に生身の他人がほとんど出てこない。これは自分の関心に集中し、余計なものに邪魔をされたくなかったからだが、そういう時期も人間の成長の一つの段階として必要だと思う」。
「重要なのは、引きこもること自体ではなく、むしろ風邪と一緒で引きこもりの期間をうまく過ごせるかどうかではないかと思う。自分の殻に閉じこもってはいけないとか、他人とうまく付き合わなくてはという無理をすると、後々問題が生じかねない」。
「引きこもり」は、江口さんが動物的本能で選択した戦略だったと思う。オオサンショウウオが他の生物の流れからはおり、一人うずくまってしまったように、江口さんも、友との関係を切り、徹底的な「引きこもり」を始めた。
昆虫がマユやサナギの中でしずかに変態の時期をすごすように、外界との関わりをたち、しっかりと自分を守れる状況を作った。それは自分を守るためだが、それは徹底的に自分自身と闘いきるためだったと思う。
これを「甘ったれ」「甘やかし」だと批判するのは間違いだ。「引きこもり」は、「古い自分を破壊し、新たな自分をつくる」という困難な課題と正面からとりくむためであり、日常的に危機的状況にむきあっている。それを続けるには、しなやかでタフでねばり強い強靱な精神力を必要とすることを理解しなければならない。途中で引きこもりを止めて、いい加減な行動をする方がはるかに簡単なことだ。しかし、それでは課題を達成できない。江口さんは最後まで課題をやりきって、変態作業を完了し、蝶になった(そうであってほしい)。
「自分は思う存分引きこもったと自信をもって言える。(中略)不思議とこれだけ引きこもれると、逆にもう外に出て第三者とぶつかっても何とかなるだろうと思えるし、外に出たいという気にもなる」。
さて、以上が過去から現在までの振りかえりであり、そこから今後の課題が見えてくる。
(7)親からの自立
今後、何をすべきか。それは明確だ。短歌をテーマに決めた以上は、その道を突き進むしかない。それによってのみ、その選択が正しかったかどうかがわかる。短歌がそれまでのすべてを止揚するものかどうかも明らかになる。
江口さんは、すでに「先生」をさがし、歌会にも数カ所に参加し、研究者にも連絡をとって授業に出たりしている。短歌の創作活動はもちろん日常的な活動である。
しかし、そうしたこと以上に、重要なことは、これまでの「引きこもり」を終わりにし、外の世界で勝負していくことだ。外の嵐の中でも自分の足でしっかりと立ち、現実社会の中で徹底的に闘っていくことだ。
つまり、「自立」の完成がこれからの目標である。それが、江口さんのゼミの原則からの振り返りの文章の中に書かれている。
これまでは、表のテーマである「人生のテーマ作り」とともに、「親からの自立」が重要な裏テーマだった。
それはどういうことか。
6年前も、今の江口さんにも、大きな欠落部分がある。
「自分を含めて、他人に対して、全体に対して常に問題提起するということが課題だ」。
「現状維持・現状肯定ではなく、自分で自分に対して問題提起できるような目を、自分の中に持つ必要があると思う」。
それができないでいるのは、それまで育った環境に大きな原因がある。
「どちらかというと学校や家庭で優等生的に振る舞ってきたためか、自分には問題点をさらっと流してきれいに整えたがる傾向がある」。
「もともと自分に問題提起や葛藤、衝突を避ける傾向があるからで、これは自分の過ごした学校生活が特に影響していると思う。つまり、幼稚園に入った4歳から14年間同じ私立の女子高で過ごしたので、そこでの温室状態というか、周りが似た者同士で自分が何者かを問われるほど他人を意識する経験がなかった状態が体に染みつき、無意識のうちに居心地良く感じるようになってしまった。結果として、自分に対しても、他人に対しても、見たくないものに反射的に目をつぶるような、要するに問題点を指摘して先へ進めていくようなことができにくくなったという面がある」。
しかし、学校の選択は親が行ったのだから、それも含めて、親の影響は決定的だ。この親からの影響は、20歳までの人格形成の8割から9割を決めると思う。
「その理由の一つに学校生活を挙げたが、それ以外に親からの影響もあると思う。要するに、両親もどちらかというと現状肯定で、波風立てず安定した生活を送りたいという気持ちが本音としてあると思う」。
親からの自立とは、親への反抗や反撥ではない。親を批判し否定することではない。親の人生、その価値観への深い理解と、その親と自分との決定的な関係性の理解のことだ。そのような相対化だけが、自立の可能性を生み出す。
「自分に対する両親の影響の自覚や相対化は、6年前と比べると進んだと思う。大学卒業直後、自分がこれから何をどうするかを話し合った時は、父親は自分の話を理解できず、むしろ母親は同調する傾向が強かったが、それは母親の理解があったわけではなく、ただ母娘が一体化している面が強いだけだった。その後、自分の関心やその時々の大きなテーマが変わる節目ごとに、両親と話し合ってきた。その結果、例えば父が会社勤めではなく、教師という学問や研究を仕事としていることは、大きくみれば自分と似ていること、自分に働くように強く言わないのも、テーマを作ることの大変さを一応わかっていて、父自身職に就くまで時間がかかったことが関係していることなど、両親の言動を背景も含めて考えるようになった」。
今後、外で勝負して行くには、当然ながら、経済的にも自立しなければならない。
「親との関係で今一番大きい問題は経済的に依存していることで、家を出て独り立ちすることが避けられない課題である。そもそも、親に全面的に養われている立場では自立とはとても言えない。衣食住の心配のない安全な場所にいて、本当にいい歌が作れるのか、中身のある仕事ができるのか、他人に対して何か意見が言えるのか、そうした問題に向き合わないといけない」。
しかし、「引きこもり」をやりきるには、親に徹底的に依存することも必要だった。
「今までは、親に養ってもらっている事実を敢えて見ないようにしてきた面が強く、それを意識してしまうと自分の関心やテーマ作りに集中できなくなってしまう恐れがあった」。
また、親の側にも、それを許せた事情があった。
「自分が大学卒業後6年間も働かずに好きなように過ごせたのも、当然両親の影響があり、特に父の影響が強い。父自身、浪人や留年で大学卒業まで人より3,4年時間がかかっており、更に大学院まで進んだので、実質的に社会に出て働き始めたのが30歳近くになってからで、その間学費などで親に援助してもらうこともあった。だから本当にぎりぎりの生活の苦労を経験せず、どこかで親を頼れる意識があり、その意識が自分の子供に対してもあり、私にもそのまま受け継がれている」。
こうして、「引きこもり」の課題をやりきり、親の人生の意味を深く理解した今こそ、経済的な自立が、リアルな課題になってくるのだ。