日本作文の会の機関紙『作文と教育』2011年6月号では、聞き書きの特集が掲載された。
私が代表を務める高校作文教育研究会からは、私と古宇田さんと程塚さんが寄稿した。
以下が私の原稿。
異文化兄妹 「自分づくり」のための聞き書きをめざして
東京 鶏鳴学園 中井浩一
1. 異文化兄妹 ―志望理由書―
高校2年、アメリカにホームステイに行った。進んで自己主張をするアメリカ人と協調性重視で控えめな日本人の間に文化の差を感じ強い衝撃を受けた。
しかし文化の違いというものは国民間だけでなく、人と人の間、つまり兄妹にも当てはまるのではないか、いや、誰よりも近い関係なのにそれに気付かず理解出来ない方がずっと重大な異文化の問題ではないかと思い始めた。実は私と兄は異文化兄弟なのだ。
22歳の兄は中学から不登校、大学中退。いわゆる「世間の枠からはみ出た人間」である。現在はサブカルチャー系雑誌のライターをしている。一方、妹の私は友達や部活のために学校に行くことを生きがいとして、「兄はただのプータローだ」と思ってきた。
多くの面で私の方が兄よりも勝っていると思ってきたが、次第に自分の主張や独創的な考え強く持つ兄の方が人間的には面白いのではないか、自分はどこにでもいるような人間のうちの1人ではないか、と不安と疑問を持つようになった。
そこで、兄は今まで何を考えてきたのか知ろうと思い、インタビューをした。不登校ということで世間を敵に回すことが多かった兄から出てくる言葉は非情に衝撃的だった。今まで兄に背を向けていた自分、周囲の表面的で小さな社会だけを見て生きてきた自分に気づいた。そして何よりも、私と兄はそもそも互いに持っている文化が違うのだと感じたのだった。
異文化というと、国民間や民族間のことだと考えていた私にとって、人と人との間にもあるのだという発見は、大変興味深いものであった。
そもそも文化とは、どのようにして生ずるのだろうか、どうして兄妹という同じ環境で育った人間同士でも違う文化を持つようになるのだろうか。これらの疑問を、さまざまな背景を持った留学生や、学生が多く、多彩な教授陣に恵まれた環境で追求したいと思い、貴校を志望した。
これは二〇一一年度の上智大学総合社会学部の自己推薦入試で提出された「自己推薦書(志望理由書)」だ。著者は私立女子校の高三生(N.M)。Nには「不登校」の兄がいた。その兄の聞き書きをすることで、彼女に大きな変化が生まれた。「兄に背を向けていた自分、周囲の表面的で小さな社会だけを見て生きてきた自分に気づいた」。
聞き書きは、高校生が社会と自分を見つめ直す大きな機会になる。そこで生まれた問題意識を深めていけるような指導を、どう展開できるのか。論文、志望理由書へとどう発展させられるのか。それを報告したい。
2.兄に聞き書きをするまで
Nには、二〇一一年の一月に受験を振り返る文章を書いてもらった。それから引用しながら、先の志望理由書が生まれるまでを振り返ってみよう。この文章からの引用には末尾に※をつける。
高2の春、鶏鳴(弊塾の名前)に入った時の私は将来の夢も、時に興味のあることもありませんでした。高校2年の夏にホームステイに行き、何となく‘国際系‘がやりたいと思うようになりました。しかし、あまりにも漠然的すぎて具体的な事は考えても分かりませんでした。2学期の作文の授業でホームステイについて書き、「異文化」に興味が湧いてきました。※
Nは高三の四月には立教大(異文化コミュニケーション学部)、上智(総合人間学部社会学科)に自己推薦入試(AO入試)で受験することを決めていた。そこで異文化に関係するような現場取材と聞き書きを課題にしたが、なかなか取材先を見つけられない。
この頃の私は、とにかくAOで使えそうなネタなら何でもいいやとがむしゃらになっていたと思います。そしてとっさに思いついた、兄にインタビューをする、という事を言ってみると先生は「それだ!それが面白い!」とおっしゃいました。
国民間の異文化についてホームステイを理由にしてずっと言っていた私に「兄妹間の異文化だ」と中井先生はおっしゃいました。何となくまだ国民間の異文化を捨てきれずにいましたが、なるほど面白いと思ったし、これはこのような兄を持った私にしかできない考え方だと思いました。※
3.兄への聞き書き
兄へのインタビューは二〇一〇年の六月に行われた。以下がその聞き書きからの引用だが、引用部分は太字にし、兄のコメントは斜体字にした。傍線は中井。
Nの四歳年上の兄が不登校になったのは中学生の時だった。
この頃の兄については今でも覚えている。この頃から兄が勉強している姿は全くといって良いほど見ていない。兄と父親が喧嘩になると兄はよく壁に穴をあけていたし、学校には行かないし、小学生ながらも、ヤンキーではないが周りの友達と同じようなお兄ちゃんでないことに気づきはじめていた。
学校を辞めろと言われた時はどんな気持ちだったのか聞いてみた。
「学校やめるってのは絶対嫌だったよ。これでも変に真面目な人間だったから世の中の流れから外れるのが恐かったんだよね。だから自分が学校側に合わせようと思ったんだけどダメだった。それで結局A学園はやめて不登校だった生徒もたくさんいるB学園に入ったんだ。そこの先生はうるさいこと言わないし、どんな話でも聞いてくれるし、学校が比較的自由だったね。小学校依頼初めて学校が楽しいと思ったよ。今でも付き合うのはここでの友達だね。」
兄が絶対に学校をやめるのは嫌だったと聞いて少し驚いた。当時私の目には、兄は学校が本当に面倒くさくてわがままをいっているように見えていたからだ。
しかし今は兄がいう「世の中の流れから外れるのが怖い」という理由が少しばかりわかる気がする。当時小学生だった私は学校を辞めたら友達に会えなくなるから嫌だと考えていた。しかし今は学校を辞めたら世の中の冷たく、職につくのも他の人より困難になるという現実を知りはじめたからだ。
私が学校に友達に会いにいっているとき、兄は自分とそして世の中の厳しさも含めてたたかっていたのだなと初めて気づいた。
B学園に入った後の兄は妹の私からみても本当にたのしそうだったと思う。部活は陸上部に入り、彼女もできてやっと高校生らしいお兄ちゃんになったと思った。そしてどうかこのまま普通の人でいてほしいと思った。
兄に同世代の人でちゃんと学校に行けている人のことはうらやましいと思うかと尋ねてみた。
「昔は羨ましかったよ。何人かで集まって楽しそーに話してることに対するコンプレックッスっていうか。でも今は羨ましいと思わないよ。俺にとっての友達はリラックスして話し合える友達なんだよ。自然体でね。この前なんてマンガの話だけで10時間ぶっ通して話したよ。もう開き直ったね。今時の大学生を羨ましいとは思わない。俺に合う友達はいるところにはいるんだよ。」
考えかたなどが他と合わなかったとき、今はどう思うのか?
「世の中が悪いね。自分が合わせられそうな場所はどこかにはあるんだよな。それを見つければいいはなし。」
大学を出ていないと何かと不利になることが多いがどう思うか?
「それも大学、世の中がおかしい。よく周りは「がんばれがんばれ」いうけど先が見えて言ってることなんですか?って思うんだよね。頑張っても負けたら頑張りが足りなかったて評価されるのってズルイよな。フェアに試合しようぜ。」
私は兄に比べれば友達はたくさんいるほうだし、自然と学校や世の中に自分自身を合わせていた。世の中が自分にあっていないのが悪いなどほとんど思ったことはない。むしろ私たちはいやでも‘世の中’で生きていかなければならないのだから、自分が嫌だろうがなんだろうが自分自身が合わせなくては困るのは自分だし、世の中が悪いといっても自分の手では世の中は変えられないと思っていた。
しかし「自分の合わせられそうな場所はどこかにはある。」「俺に合う友達はいるところにはいる。」という言葉を聞いたとき、私は兄に対して強いなと思った。世の中にどう思われようが割り切って自分に合うわずかな場所を見つけながら生きている兄は自分の道を貫いているなと思ったからだ。
‘世の中’は普通に学校に行き、職につくという一般的な人生を指すのではないということを、私なりにわかっている気がしても自然と目にはいれていなかった自分に気づいた。それに比べ兄こそ‘普通の人’の目にはさらっと流れてしまうような世の中の隠れた部分、皆が自然と目をそむけている部分が見えているのだと思った。
私はどうして同じ両親から生まれたのにこんなにも性格が逆なのだろうと何度も思った。もしかしたらどちらかが養子なのではないかとつい考えてしまうほど逆だ。
人に「お兄ちゃん何歳?大学何年生?」と聞かれることも「どこの学校?」と聞かれることも嫌だった。ただ「ライターやってるよ」だったり「コンテストで最優秀賞とったんだ」などだけは自慢げに話す本当に都合の良い妹であった。兄弟の話題になるたびに適当に応えていたけれど、私は本当に兄に対して興味がなかった。「私のお兄ちゃんは変わった人」と思って勝手に目をそむけていた。
昔は「兄弟比べられて嫌だよねー」などという会話に共感はもてなかった。なぜなら勉強でも運動でも、人間付き合いの面でも私は兄よりも勝っていると思っていたからだ。しかし、年を重ねるごとに文章力でも表現力でもきちんと自分なりの意見を持っている面でも羨ましいと思ってきた。むしろ兄のほうが人にはないものを持っていて、よっぽど人として面白いと思った。
私は今まで普通のお兄ちゃんだったら・・・と何度も思ったことがある。しかし私にはこの兄が唯一の兄弟なので、いわゆる‘普通のお兄ちゃん’とは何なのか分からない。私にとってはこの変わったお兄ちゃんの妹であることが普通なのだ。