8月29日に立花隆氏へのインタビューをし、8月30日に塩野米松氏と対談をした。いずれもテーマは「聞き書き」で、大修館書店のPR誌のためのものだった。
大修館書店は高校の国語教師を対象にPR誌『国語教室』を年2回ほど刊行している。その94号(秋の号)で 特集として「「聞き書き」の可能性」を組むことになった。
立花氏へのインタビューはその巻頭におかれる予定だ。塩野米松氏との対談は特集の柱の一つになる。
2 「聞き書き」は一人語りという文芸だろうか
塩野米松氏は作家で、聞き書きの手法を駆使して『木のいのち木のこころ―天・地・人』 (新潮文庫) 、『木の教え』『にっぽんの漁師』など、多数の本を出版している。
『木のいのち木のこころ―天・地・人』は、法隆寺の修復にたずさわり「最後の宮大工」といわれる西岡常一氏、その高弟小川三夫氏、小川氏の工房の弟子たちへの聞き書きをまとめたもの。宮大工の仕事を通して、仕事、人生、文化・伝統、師弟関係などのテーマに深く切り込んだすぐれた本だ。
その氏が高校生の「聞き書き甲子園」を主催しており、それは今年で十年目を迎える。
「聞き書き甲子園」は、環境保護運動と「聞き書き」の手法をドッキングさせたものだと思う。「日本全国の高校生が森や海・川の名手・名人を訪ね、知恵や技術、人生そのものを「聞き書き」し、記録する活動です」と主催団体のHPにある。
塩野氏は、「教育」「国語」という言葉に疑問を持ち、「教育」の手段として「聞き書き」を位置づける事への反撥を持って、対談に臨まれた。したがって、意見の対立から話は始まったが、面白い内容になったと思う。
塩野氏は一人語りによる「文芸」として、聞き書きを紹介している。私はそれも1つのあり方と認めた上で、もっと広く社会科や理科などの問題解決をも視野に入れながら、現地で取材する活動から考えていく手法として考えたい。文芸とすると「国語」科の独占物のようになってしまう。それでは社会科や理科と国語科といった縦割り構造を強化してしまうだろう。これからの課題はそうした境界をこわし、相互乗り入れをすることで、本来の問題解決、主体的な学習の手法をめぐって意見交換を行うことだろう。それをうながすような手法と考え方を提案したいと思う。
私は、「聞き書き」を、何よりも、高校生の問題意識を拡充する強烈な武器として、とらえている。
そのためには、一人語りの文体よりも、高校生たちが自分の考えや疑問を直接に書くことができるような文体が必要だと思う。
それはインタビューの様子を再現するような形式、問いと答えの形式などになると思う。
詳しくは、『国語教室』94号を読まれたし。