12月の読書会の記録 『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子 (著), 石巻赤十字病院 (著) 後半
■ 全体の目次 ■
12月の読書会の記録 記録者 吉木政人
『石巻赤十字病院の100日間』由井りょう子(著)、石巻赤十字病院(著)
1、はじめに
2、参加者の感想
3、組織の全体を書くとはどういうことか(中井)
4、危機にこそ本質が見える(中井)
5、第1章「地震発生」の検討
→ここまで昨日 掲載
6、第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討
7、第3章「終わらない災害医療」の検討
8、記録者の感想
→ここまで本日掲載
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6.第2章「石巻二十二万人の瀬戸際」の検討
○ヒューマニズムとリアルな判断の対立
P114、交通手段も連絡手段も無く、孤立していた渡波(わたのは)
地区に医師を送るかどうかという対立が起きた。1200人の
避難者を見捨てることになるから送るべきだという意見に対して、
治安の悪い渡波地区で1人の医者が犠牲になれば、その医師が
救うことができる500人の命を救えなくなるから送れない
という石井医師。(その後石井医師は警察に出掛け、
治安が悪いのはデマだと確認し、派遣を決定する)。
→ ヒューマニズムとリアルな判断の対立が起きる。
「助けてあげなきゃ」という意見と、そうすれば全体として
救える人が少なくなるというリアルな判断をせざるをえなくなる。
P122、同じく孤立していた牡鹿半島に行かせてくれという
若い医師の意見を、石井医師は却下する。「おまえが
遭難したら、どうするんだ。医師ひとり育つには
5000万かかってるんだ。救える命が救えなくなる」。
→ こういった発言も、とてもリアル。
○行政依存せず、全てを引き受けた石井医師
P117、石巻赤十字病院以外の他の病院はほとんど機能停止、
行政も被災し、役所の職員も被災者となった。
「行政も頑張っていますよ。でも、避難所が300か所、
推定死亡者数1万人。行政の力だけでは無理だし、私たちは
医療者ですから医療以外のことはできません、とは
いえないでしょう」(石井医師)
→ こういう状況の中で全てを何とかしたのが石井医師。
行政批判をするだけではダメ。
子供用のマスクが足りなくなった時には、行政は
「今在庫が2000しかないから渡せない」と言った。
そういう時に行政に頼っていてはダメ。石井医師は即自分で
支援物資を頼んで手配を終わらせた。代金は全て無償奉仕させた。
それはここの病院が電源もパソコンも無事だったから出来たのだが、
初めネットはつながっていなかった。
石井医師はNTTと連絡を取りネットを立ち上げるところから
始めた。
○「守り」から「攻め」に
P118、地震直後の急性期を過ぎても救急患者が減らなかった。
石井医師は、避難所の衛生環境に原因があると考えた。
そして300か所の避難所のアセスメント(評価)について、
行政に頼らず、自分達でローラー作戦をやるという決断をした。
3月17日から3日間で、病院スタッフや外部からの
医療支援チームに300もの避難所を回らせ、人数、水や食事、
電気や暖房の有無、トイレの衛生状況、医療ニーズなどを調査させた。
→ この決断は守りから攻めへと転換したとても大きな決断。
限られた人員をどう配置するか決めるために、避難所が
どういう状況にあるか調べた。避難所にいる被災者は、
津波ではなく、避難所の生活環境で死んでいった。
その生活環境を知ることが重要だった。300もの避難所の
アセスメントをやるという決断を良くやったなと思う。
しかも3日で終わらせた。
○1つになれた石巻圏の医療界
P124、3月20日に「東日本大震災に対する石巻圏合同救護チーム」
を立ち上げた。石巻赤十字病院が災害拠点病院として、
医師会や東北大学の医療チーム、日赤救護班、精神科医師団、
歯科医師団、薬剤師会を一元的に統括することになった。
→ 日本医師会と、民間病院(今回の日赤)や東北大学病院は
もともと敵対関係にある。普段は仲が悪く、こういう時に
一つになれない。
しかし、県の協議会で1つになってやっていくことの
了解を取った。そこにいた東北大学病院長の里見と石井医師が
師弟関係であったという背景もあった。1つになって、
誰かが全体を指揮しないと動かない。
それを石井医師がやったところが面白い。
○「想定外」のない外科医
P127、普段地味で目立たなかった高橋と魚住が、
石井医師付きの主事として、緊急時に活躍できた。
「人の真の姿を見たような気がする」(石井医師)
→ このような震災の時に普段見えなかったもの、
しかし確かにあったものが表に現れる。
外科手術は予期しないことが起きることの連続だという。
何か起きる度に出来る最善の対処をするのが仕事なのだ。
外科の石井医師は、そういう意味で普段やっていることと
変わらないと(中井の取材で)言っていた。
彼らの世界に「想定外」はない。
○本当のことが画面から消えている。
P123、救急不可能と判断し、黒のトリアージをつけて
見捨てざるをえなかったこと等、大事なことが
NHKのドキュメンタリーでは消されていた。
※『果てなき苦闘 巨大津波医師達の記録』を
ゼミ開始前に鑑賞した
→ そういう「厳しい現実」をNHKは消してしまう。
大事な正論の部分は画面から消されてしまう。本当は普段の
生活でも、人は黒のトリアージをつけながら生きている
にもかかわらず。
中井もそういう正論、本音を番組の取材では言うが、
オンエアされない。
7.第3章「終わらない災害医療」の検討
○医療の根源性、全体性
P156、薬の調査のために被災した家を回ったが、同時に
トイレの調査もせざるをえなかった。
→ こういうところに医療の全体性がある。薬の前に
トイレや水の状態といった、生活の根源が問題になる。
本には書かれていないが、家族関係などの問題もあっただろう。
P161、避難所での感染症対策として、手洗いができる環境か
どうかを確認して回った。
→ 手洗いといった生活の基本から崩れ、せっかく津波から
逃れた人も死んで行ってしまった。
○「想定外」は普段の生活・仕事の延長線上
P186、「日々の医療をきちんとやること、想定外への備えも
その延長線上にしかないと思う」
(地域救急救命センターの石橋センター長)。
→ その通りだと思う。普段の中に全てがある。今回の震災で
本質が分かりやすく前面に出ているが、分かっている人に
とっては普段から既に分かっていたことにすぎない。
日々の医療の中に、その延長線上の想定外の医療も含まれている。
これが発展的な理解。これができなかったから原発事故も起きた。
原発の当事者は、今回の震災や津波に対して想定外だったから
ダメだったのではない。普段からダメだったのだ。
○患者のニーズに応える
P187、「そのとき病院や医療者自身がどうありたいか、
どういう医療をやりたいかではなくて、患者さんの医療ニーズを
どうすくい上げ、どう応えるか、なのだと今回あらためて
認識しました」(地域救急救命センターの小林副センター長)
→ 社会人:私は人を教育したり、指導したりする時には、
どちらかというと、自分がどうやりたいかと考えている。
→ 教育や子育てでもそう。こういう人間になってほしいだとか。
しかし、まず本人がどうしたいか、何を求めているのかから
しか始まらない。もちろん親の希望はあることは正当だし、
教育にも理念があるが、それを子供に押し付けることはできない。
そもそも親の希望や教育の理念が、客観的に求められている
こととズレていることも多い。
○偶然の死をどう受け入れるか
P187、「人間は絶対に死ぬ。その死が震災によるものだったと
思うしかありません」(石橋センター長)
→ 話の内容に賛成はできないが、こういう言い方で
自分の家族を亡くした人が「救われた」と言っている。
そんなことでいいのかと思うが、実際に「救われた」と
言っていることをどう考えたらよいのか。
偶然的なものが存在しているが、人間はそれを
必然性として理解せずにはいられないということ。
しかし、偶然に亡くなるという事実はある。人の生が
偶然の死によって突然終わってしまうことがあるが、
それまでどう生きたかということは確かなものとして残る。
○自立していることが根本
P201、被災したスタッフを休ませるべきか、それとも仕事を
続けさせる方がいいのかという葛藤があった。
→ スタッフに休みを与え、自分を見つめる時間を与えること。
こういう時だからこそ、自分を見つめる時間を取ることが
ものすごく大切だったろう。大変な状況の中で、
「やらなきゃいけない」という思いだけで進んでいくと
人間は壊れてしまう。あえて、距離を取って、自分の心の中を
見つめる時間を取ることが大事だろう。
P202、休むかどうかは自分で、自己管理をして決めていいとした。
→ この自己管理というのはとても厳しい、難しいこと。
周りがハードに動いている時に、それに流されず自分の状態を
見つめ、休むことを決めることは厳しいことであり、
同時に大切なこと。
P212、災害拠点病院として、自己完結型で医療チームを
派遣できる態勢を備えていた。食料や水や寝具などを持参し、
現地で食料等の提供を受けない形態を自己完結型という。
→ ボランティア等も含めて、自己完結型の支援ということを
どう考えるか。これは物質的という意味だけでなく、
精神的に自立しているという意味もある。他人に依存している
人間は、自己完結型の支援はできない。これは自己管理が
できることが基本にある。それができない人は他人を
救えないどころか、邪魔をすることが明らかになった。
○準備の進んでいた宮城県
P210、宮城県沖地震を想定して、2010年に
「石巻地域災害医療実務担当者ネットワーク協議会」が
立ちあげられていた。今回の震災の前から、県や市役所、
警察、自衛隊、海上保安庁、近隣の病院などが互いに
顔を知っている関係にあった。
→ 顔を知って、「○○さん」と分かることはものすごく大きい。
これが今回の活躍につながった。準備のできていた宮城県と、
できていなかった福島県では全く違っていた。
地震の1ヶ月前だったが、石井医師が県のコーディネーターに
なっていたこともとても大きかった。
→ 地震直後からの映像と記録が残っている。
いざ事が起こったら記録を残すことも決まっていた。
そういうところでも準備の意識が違う。
8. 記録者の感想
私は今回のテキストを自分とは関係のないものとして読んでいた。
あくまでも緊急の、災害医療の現場のことであり、東京で平穏な
生活を送っている自分とは関係のない話だということだ。
しかし、中井さんは危機にこそ、本質が明らかになると言う。
しかも、その本質は普段から存在しているものであり、
見えにくいだけのものなのだ。こういう危機の時には
その本当のことが分かりやすい形で明らかになっているだけなのだ。
休養などの自己管理(自立)の問題、ヒューマニズムの限界など、
中井さんの話を聞きながら、自分が他人事としてしか読めなかった
ことの低さを思った。それは危機の中に本質を見ようと
していないと同時に、普段の生活の中でも本質を見ようとしていない
ということではないだろうか。
石井医師は有限な医療スタッフ、薬等を最大限活用できるように
避難所のアセスメントを行った。私は自分の限られた時間、
限られた体力を最大限活用するようなリアルな判断ができて
いるだろうか。いや、石井医師のように死に接する職業に従事し、
外科手術で「想定外」に向き合い続けて来た人のリアルさには
到底及ばない。
災害医療においての石井医師の活躍は普段の生活、仕事の
延長線上にあった。そのことを考えると、今回のテキストの内容が
自分に関係のあるものだという実感も湧いてくる。
私の今の生活の延長線上に石井医師の強さは無いということに
実感を持たざるを得ない。
普段の生活の中に、危機も何もかもが入っているということを
感じられたことが、今回の読書会の私の成果だ。
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