1月に、ベン・シャーン展をみてきた(神奈川県立近代美術館 葉山)。とても心動かされた。
前から関心を持ち、彼の画集をながめていた。
心に染みてきて、私の体の内側から静かに力が満ちてきて、
背筋をグンとのばしてくれる。
今回は、彼の絵がどのような形で生まれてくるかを
解き明かすような展覧会になっている。
絵の出自、絵の生成史と、その展開史が一緒に展示されている。
その意味でも、興味が尽きなかった。
ベン・シャーン展で、彼の絵の出自、絵の生成史と、
その展開史の展示を見て帰ってから、今度は、
彼自身の言葉でそれを述べている『ある絵の伝記』
(美術出版社)を読みたくなった。
数年前に一度読んでいたのだが、
今回は実際に実物でその軌跡を確認した上で読んだので、印象が深かった。
そして、ヘーゲルの発展観、人間の意識の内的二分と、
きわめて近い考えが展開されていることに感銘を受けた。
そこで、『ある絵の伝記』を1月の読書会で取り上げた。
その読書会の記録である。
■ 全体の目次 ■
1.はじめに
(1)1月読書会について
(2)記録について
(3)テキスト選択の経緯
2.読書会
(1)テーマ
(2)参加者の読後感想
(3)テキストの検討
<1>「ある絵の伝記」
検討1 →ここまで本日(5月31日)掲載
検討2 →6月1日掲載
検討3 →6月2日掲載
<2>「異端について」 →以下6月3日掲載
<3>「現代的な評価」
(4)質疑応答
(5)読書会を終えて─参加者の感想
3.記録者の感想
(1)記録を書いて
(2)他人との関わり
(3)自己否定の違い
(4)表現の違い
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■ 本号の目次 ■
1.はじめに
(1)1月読書会について
(2)記録について
(3)テキスト選択の経緯
2.読書会
(1)テーマ
(2)参加者の読後感想
(3)テキストの検討
<1>「ある絵の伝記」
検討1
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1.はじめに
(1)1月読書会について
○日時 2012年1月28日16:00?18:00
○参加者 中井、社会人3名、就職活動生1名
○テキスト 『ある絵の伝記』(美術選書、1979)より
主に「ある絵の伝記」 他「異端について」「現代的な評価」
○著者 ベン・シャーン(著)、佐藤明(訳)
(2)記録について
・以下の記録は、中井の語りを中心にまとめた。但し書きのない箇所は
中井の発言である。
・読書会の(3)テキストの検討 の中で≪ ≫を付した文章は、
テキスト本文の引用、あるいは要約である。
・語られた絵については、作品のタイトル、ベン・シャーン展図録の
掲載ページ、作品番号を付した。
(3)テキスト選択の経緯
<1> ベン・シャーン展
(神奈川県立近代美術館 葉山 2011.12.3?2012.1.29)
ベン・シャーンは以前から好きだったが、展覧会を見てきて
面白かったので、「ある絵の伝記」を読み直した。
1.画家としての出発点から最晩年の作品が出てくるまでの
プロセスがよくわかる展示だった。
「ある絵の伝記」の最初の「シンプルな」作品群はこれ
(版画集『ドレフュス事件』図録21p、001?008)。
最初に自分の絵の道を自覚した段階。
その次の共産主義者が冤罪で殺された時がこれ
(「四人の検事」22p、010)。
最晩年の作品、リルケの「マルテの手記」への石版画が
終りに展示されていた。
(版画集『一行の詩のためには…:リルケ「マルテの手記」より』、
図録117?124p、275?298)
2.絵ができあがるプロセスがわかる展示だった。
社会で生きる人間を写真で撮って、その写真から絵を
構成している。
労働者の写真をたくさん撮っていることも、
今回の展覧会で初めて知った。
3.デッサンがたくさん展示されていた。(図録62、63p素描断片)
シャーンはデッサンを発展させようとしていた。
<2>ヘーゲルとの類似
1.「ある絵の伝記」を読み直して、ヘーゲルについて
今考えているところにかなり符号するものがあったので、
とりあげた。
2.今日はヘーゲルの話も少しする。
生成史と展開史との関係を僕は考えている。
この「ある絵の伝記」も、この両面を押さえていると思った。
ある人間、或いはある本質がここに現われるまでの歴史と
それが現われたあとそれ自体を自ら明らかにする運動。
この両者は大きく見れば1つの歴史、1つの運動だ。だから
生成史と展開史は何か固定した形で二つと押さえられるのではなく、
無限の運動になっている。そういうことをいま考えている。
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2.読書会
(1)テーマ
<1>「ある絵の伝記」
「寓意」という油絵を描き上げる過程で画家が考えたこと。
絵の実物はこれ(テキスト口絵「寓意」)。
火事のひとつのシンボルが描かれている。ケダモノの顔、
顔の周りに炎のシンボル。子供たちが横たわっていて、家がある。
<2>「異端について」
現実社会の中で芸術家はどこに位置づけられるものなのか、
という問いの答え。
<3>「現代的な評価」
大衆による作品への評価についてどう考えるのか、
という問いの答え。
(2)参加者の読後感想
(社会人)面白かった。絵と画家の思想は切り離せない、
これは本質と現象が一致するという話だと思った。
また自分を否定する厳しい批評家がいて進化していく
という話は、中井さんが話していた発展観そのものだと思った。
(就職活動生)本はほとんど読めなかったので、感想はない。
(小堀)ベン・シャーンを知らなかったが、テキストを読んで
絵が見たくなり、展覧会に行った。そこで展示を担当した
学芸員の講演を聴いた。その話が面白くて、絵も面白く見て来た。
(社会人)自分が考えている「当事者性」という問題と関係が
あると思った。
ベン・シャーンが自分の経験にないことを
描いた時に、何々風の衣装を装って描いたが、それは自分には
関係なかったという箇所に、とても共感した。
そこから、私自身がフラメンコをやっている意味は何か、
フラメンコという形式を使って表現したいことが
スペイン人と違っていていいのか、ということを考えた。
また、社会に巻き込まれながら同時に社会から自分を
離しておかないといけないと言っていたが、具体的に
どうやって自分たちの社会の価値観から離れられるのか、
わからなかった。
(3)テキストの検討
<1>「ある絵の伝記」
検討1
〈全体の感想─中井〉
まず、これだけ自分の自己反省をしながら絵を描く画家がいることに
感動した。普通、画家は言葉には出来ない。
それだけでなく、その中身が非常に良い。ただしシャーンは
哲学の専門家ではないので、読者は言葉尻を捉えるのではなく、
彼が問題にしようとしている対象にどれだけ迫れたか、という点を
考えなければいけない。
〈画家の立場〉
・39pから40p
→ 問題提起。「寓意」というタイトルからも明らかだが、
この絵にはメッセージがある。他方、絵にはメッセージは
必要ではない、メッセージがあると絵の純粋性が損なわれる
という立場もある。これは対立する二つの立場。
40pの最後「私はこの双方の見解と闘わなければならない」。
この人は両方の立場と闘っていた。
あらゆるものは矛盾するから、正反対の二つの立場が
現われてくる。そして世間では二つの立場が闘っている。
普通はどちらかの陣営に属するが、真っ当な人は、
自分の陣営の中とも闘わざるを得なくなる。
どこかの陣営に属して済むレベルならばその人が
存在する意味はない。
・41pからは、「寓意」に則して言っている。
ベン・シャーンは42p1行目にあるように挿絵画家だった。
純粋芸術を言う人からすると、挿絵という大衆画を
描いている奴は下らないという意識がある。
しかしシャーンは価値において、挿絵だから即低い、
油絵だから即高い、という発想ではない立場だと思う。
〈作品の製作方法・製作過程〉
・42p「私は多数の視覚的な事実を調査する。」
この人はまず現場に入って写真を撮る。次にそのすべてを捨てる。
捨てた上で普遍的なものに迫ろうとするのがこの人の方法論。
・42p後ろから4行目で、一応出来上がるが、満足出来ない。
43p3行目≪私の画室に多くの反写実的な、象徴的な方向の
線画が残された。≫
画材から切り離された断片の中に発展の芽がある、
と捉えてそれを発展させようとする。
・44p4行目から、「線画」と油絵の違いについて述べている。
音楽に例えれば、油絵はオーケストラで線描はポリフォニー。
しかし、ジャンルが違うことが即、絵のレベルの上下関係だ
とは思っていない。
油絵でしか表現できないものがあり、線描でしか表現できない
ものがある。
ここで彼が描きたいと思っているものは油絵の形式でしか
表現できないものだと言っている。
・46p後ろから5行目≪この油絵に私が火事に関して感じて
きたことのすべてを描き込むことができるのではないか。≫
僕は展覧会を見てきて、画面構成、色、画面の質感について
シャーンは考えぬいていると感じた。
47p1行目≪災害を取り巻く感情的な調子─別の言葉で
言えば内面的な災害が描きたかったのだ。≫
この内面性、感情、という言葉は、この人の特別な
言葉づかいだと思うが、それを表現したいと言っている。
47p真ん中の段落の最後「私の狼に対する恐怖はリアルで」。
恐怖感、内面的災害、感情、それをこの絵でリアルに
表現しようとした、と説明している。
〈内的二分─強烈な自己否定〉
・49p1行目
≪芸術家は仕事をしている時は二人の人間になっていて、
一方はイメージを作り、他方は厳しい批評家である。≫
→ 自分の中で二人の言葉が対立し、片方が芸術家で
片方が批評家だと言っているが、正確な表現ではない。
絶えず否定する声が自分の中から出てくるということ。
これはヘーゲルの内的二分。それによって自分を
発展させてきた、と言っている。
50pから、内面の自分がどういう否定を突き付けて
きたかが書かれている。
・51p後ろから2行目
≪最初はこんな着想とイメージというような分離が現われる
ことはなかった。もともと私が絵画に打ち込むようになった
のは、半分真剣とでもいうような調子だったからである。≫
→ 本気になった時に、自分を否定する自分が強烈に現われる。
その第一の否定が50p。
この人は旧ソ連の出身だが、貧しくて8歳の時に家族で
アメリカに移住した。貧しいので子供の時から働いていた。
石版画も芸術家としてではなく、職人として身につけた。
そして、芸術家にとって最先端の場所だったパリに行った。
ところが、パリの専門的なものは自分にとっては違った。
50p後ろから2行目「これは私の芸術だろうか」。
最後「私そのものが、その中心に含まれていない」。
51p5行目それが「たとえ完全に立派だったとしても」
「総ては私自身に無関係な芸術」。
全否定から何かが始まる。