6月 01

「自己否定」から発展が始まる(その2)
(ベン・シャーン著「ある絵の伝記」の読書会の記録) 記録者 小堀陽子

■ 目次 ■

2.読書会
(3)テキストの検討
 <1>「ある絵の伝記」
     検討2

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 〈自分の方法〉
 ・初めて自分がこれではないかと思えたのが、52pのドレフェスの作品
 (版画集「ドレフェス事件」図録21p、001?008)。
  こういう漫画みたいな絵を単純性、直接性という言葉で表わしている。
  53p後ろから2行目「第一に、私自身の作品が私の人柄とひとつになった。」
  それは当然「世間の反応も大きかった」。

  54p1行目「普通は展覧会に行かない」人々、つまり絵の専門家ではない人が
  見てわかる。そういう絵が、自分がやる方法ではないかと思った。

 〈思想の中身〉
 ・54p真ん中の段落
 ≪私が中心主題に関する絵画の仕事をした時は、内なる批評家は
  やや温和になった。次に問題になるのは、画家の思想そのものの
  中味である。≫

 → 形式がある程度見えてきて次に中身が問題になる。

 ・54p後ろから4行目、人間を「社会的に見る見解」から
  55p1行目の「個々の特殊性」へと変化した。

  この人は当時社会主義的な立場、つまり貧しい人たちに身を寄せて
  その悲惨さを描けばいいという立場にいた。
  それが、個人を見なければならない、と思うようになった。

 ・55p4行目
 ≪絵画や彫刻を見にくるのは、彼という個人があらゆる階級を
  超越し、あらゆる偏見を打破しうることをさとることが
  できるからだ。芸術品の中に彼は彼の独自性が確認されているのを
  見出す。≫

 → 「彼」は作品を見る人。展覧会に来た人が、絵に描かれている
  人が自分と違う階層であっても「これは自分だ」と思う絵になる。

  貧しい人がかわいそうだという立場で絵を描いても、上流階級は
  自分と何の関係も感じられない。さらにその奥に迫れるという考え方。

 〈個人と社会の関係〉
 ・55p7行目
 ≪人は社会的不正に苦しみ、集団的改善を強く望むが、
  いかなる集団であれ個人から成っている。
  個人は誰でも感情をもち、希望や夢をもつことができる。≫

 → こういうことを表現するのが芸術だと思っている。

 ≪このような考え方は私の確信している芸術の統一力に関する考え方と
  矛盾しない。

  私は常にひとつの社会の性格は偉大な創造的作品により形成され、
  統一されること、ひとつの社会はその叙事詩の上に形成され、
  ひとつの社会はその大寺院や、美術品や、音楽や、文学や、
  哲学のような創造作品によって想像するものだと信じてきた。

  社会がかく統一されるのは、高度に個性的な経験が、
  その社会の多数の個人の成員によって、共通にもたれるためであろう。≫

 → 社会と個人の関係。これは大衆と指導者の関係とも同じ。
  一方では全てを敵にまわしてでも闘わなければならないが、
  同時に全てを自分が止揚するために闘わなければならない。
  僕はそう考えている。ベン・シャーンは直感的にそれがわかっている。

 〈否定の意味〉
 ・彼はひとつずつ前を否定して次に行く。パリの絵に毒された自分に
  対してほぼ全否定に近い形から始まる。ではその否定はどういうことか。

 ・56p1行目
 ≪通り過ぎてきた芸術上の経路はすべてその後の作品に
  影響を及ぼし、変化を与えるものだ。

  私が捨てたものがなんであれ、それはそれ自体確実な形成力である。
  私は社会的な人間観を捨てても、共感や愛他心は大切にもち続けている。≫

 → この否定は、ヘーゲル的に言えば止揚されたということ。
  否定はその立場より上に行こうとしたということで、同じレベルで
  否定しているわけではない。

  信念は否定に否定をし続けてきた人だけが持てる。

 〈時代背景─思想の変遷〉
 ・56p後ろから6行目
 ≪私だけが「社会的な夢」に夢中になったのではなかった。
  1930年代には芸術は「大衆思想」に席巻され、一転して
  1940年代には抽象芸術に対する大衆運動が起った。

  社会的な夢が却けられただけでなく、夢全体が却けられた。
  30年代に仮定的な独裁と理論的な対策を描いた画家たちの多くが、
  40年代になると正方形や円錐形や、色彩の糸や、色彩の渦の絵に
  署名されるようになった。≫

 → 「社会的な夢」「仮定的独裁と理論的な対策」は
  マルクス主義者たちの当時の社会主義革命や理論のこと。
  1930年代、この人がまさにマルキシストだった。
  その全否定が抽象芸術という形で出てきた。

  彼は社会主義の形のものではダメだと。しかし、
  その全否定の抽象芸術もダメだと言っている。では何なのか。

 ・57p後ろから4行目
 ≪それまで「社会的写実主義」と呼ばれていた私の芸術は
  一種の「個性的写実主義」に転向した。私は民衆の性格を、
  絶えず興味深いものとして眺めた。≫

 → 自身の絵の変化を「個性的写実主義」と言っている。
  それ以前は、被写体の個性的な表情ではなく、ある役割として
  描いていた。それが「個性的」へ変化しても、やはり
  ある立場を表わしている。それは社会を否定した個性ではない。

  59p真ん中「個性的写実主義、すなわち人間の生活の
  個性的観察、人生と場所の気分の個性的観察」。
  さらに次に行くと、60pの「主観的写実主義」。

  結局今この立場だと言う。そうすると、ずっと写実主義の
  立場にいる。写実主義それ自体を否定する立場、
  抽象画の立場はとらない。

 ・60p1行目
 ≪私の企てたあらゆる変化を通じて、私が絵画の原則として
  もち続けた主義は、外的対象は細部まで鋭敏な眼で
  観察されねばならないが、この観察は総て、内面的な見方
  から形成されねばならない─いわば「主観的写実主義」とも
  称すべき立場であった。≫

 → この「主観的」という言葉は客観性を否定するという
  意味ではない。

  社会主義リアリズムでは、客観世界がそのまま作品に
  反映されると言う。しかしそれは間違い。

  なぜなら社会的な現実を、作者が媒介して作品を作る。
  そうすると、作者が客観世界とどのように関わっているか、
  また作者が人類の絵画の歴史をどのように担って生きているか、
  ということが作品の中に現われてくる。

  これが「主観的写実主義」。

  僕たちは全て自分自身を反映すると同時に自分の周りの
  全てを反映させてあらゆる表現活動を行なっている。

  客観世界にも作者にも矛盾があり、その矛盾から出てくる
  作品にも矛盾が起こる。だからこそ発展できる。

  僕は彼の言葉をそう理解した。彼はそれを自覚した立場で、
  全体を自分は統一しなければならないという意識。
  それは僕の立場でもある。

  ここまでは一般論。次に絵の特殊性の話へ。
 ・60p4行目
 ≪かかる内容は、油絵具であれ、テンペラであれ、
  フレスコであれ、絵具の種類に忠実な方法で
  描かれなければならない。≫

 〈抽象絵画に対する批判〉
 ・60p6行目
 ≪芸術が抽象化し、材料のみに媚びるのをみた私は、
  かかる傾向は画家に袋小路を約束するのみのように
  考えられた。

  私はこの方向を避け、同時に芸術の中にある深い意味を、
  政治的気候の変化にも枯渇しない泉のような意味を
  発見したいと思った。≫

 → 材料のみに媚びる芸術とは、恐らく抽象絵画。
  メッセージを全て排除して、油絵の具は油絵の具だけの
  ものを表現できるという、今もある立場だが、
  自分は違うと言っている。

 〈自分の絵画の位置づけ〉
 ・60p10行目
 ≪一人の画家のスタイルを形成する例の「受納」と「拒否」の
  バッテリーのなかから、ひとつの力として生じてくるものは、
  その画家自身の成長し、変化する仕事だけではない。

  他の現在及び過去の画家の仕事に対する評価も変ってくる。

  われわれはあらゆる傾向を観察して、実り多きものと思える
  方向を続け、他方永続きしないように思われる方向は
  遠ざけねばならない。

  かくして、画家にはある程度の知性も不可欠なものになる。≫

 → あるレベルに到達していく時に、進むと同時に
  彼を生み出した本質のところに戻る運動が起こる。
  これはまさにヘーゲル。

  ある立場に行けば現在の他の画家の仕事に対する評価
  および過去の画家の仕事に対する評価につながる。

  つまり、自分の仕事は、過去のどことつながって
  今自分はこれをやっているのかという自覚。
  ここに僕たちが歴史を勉強する理由がある。

  自分のやっていることを歴史の中に位置づけることが
  できて初めて、その意味が自分の中で確信できる。

 ・その具体的な例が53p7行目
 ≪私が心から寸時も離さなかったのはあのジオットが
  連続的な情景─個々の場面は単純で独立しながらも、

  全体としては彼にとって生きている宗教的な物語を
  表現している多くの情景を描いた際に彼が用いた
  単純性であった。≫

 → 自分の絵画は、絵画の歴史の中のどのことを
  意味づけるものなのか。これが抜き差しならない形で
  現われてくる人がいる。

  だから自分が前に進むことは周りへの批判になると
  同時に過去の意味づけにもなる。

 〈超現実主義に対する批判〉
 ・次の段落は、超現実主義に対する批判。
  人類の歴史で、この人の発展させた方向性以外に
  発展の方向がないのではない。
  違う画家は違う発展ができるしそれで正しい。

  でもこの人にとってはこれしかない。
  その立場からすると、超現実主義は違うと。

  60年代の終り、無意識の世界の中で表現されるものがいい、
  勝手にタイプライターを打って出てきたものが詩だとか、
  そういう一群があった。潜在意識こそが全てだと。61p。

  しかし、この人は潜在意識の持つ力を認めた上で、
  最終的にそれを統一するものを持つのは意図的な自己で
  なければならないと言う。

  例えば野口整体では、無自覚に無意識に僕たちの身体が
  動いて身体を整えている運動が鈍っていくことが問題である
  として、その運動を意識によって高めようとする。

  活元運動はそれを意識的に高めていこうという、
  意識で行なう無意識の運動。そういうことだと思う。

  ここでは、当時の、無意識こそが全てだという運動を、
  彼が位置づけて、自分はそれはやらない、と言っている。

 〈心理学者と芸術家〉
 ・62p5行目。
  ヴァン・ゴッホについての心理学者と芸術家で捉え方が
  違うと言っているが、これは不正確。

  ここで言っている心理学者は馬鹿たれで、心理学もそれが
  本当のものになっていったら、彼が言っているところに行く。
  逆に、芸術家の浅はかな人間が言うことは馬鹿なことだということ。

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